昭和44年5月10日からモノクラス制(単一等級制)が施行され、現在の様に普通車・グリーン車に改められた。
ここでは、昭和62年のJR化までの地図券を展示しています。
モノクラス制が施行され、同時に運賃改正が行われ初乗りが30円となった。
この頃の様式は中央上部に大きく金額が書かれているため、山手線が歪んでいたり(亀戸の券)路線配置が不自然(保土ヶ谷の券)東西南北が横向き(鶴見小野の券)な券も多々存在する。
印刷券売機でも引き続き発売されており、規則改正に合わせて変化しながら昭和60年頃まで発売されていた。
昭和48年4月1日の武蔵野線開業と共に発売区間が東京近郊区間全域に広がったが、高崎線の宮原〜熊谷間で発売された券は、新潟印刷場で印刷されたため(他は東京印刷場)文字等も小さく、独特の直線的デザインである。
昭和49年に規則が改正され40Km以下は金額式に改められた。他局と異なり160Kmまで地図式が使用出来たため、種類は増加している。
また、新潟印刷場の券(下段)は東京印刷場に合わせて文字等が大きく改められたが、独特の直線的な地図には変わりがない。
上記の規則改正により発行された山手線内からのA型地図式乗車券。山手線内から51q以上の近郊区間各駅に対して発売され、55年4月の規則改正(山手線内の適用範囲が101q以上に改められた)で廃止された。
この券の地図は上掲の4種類しかなく、運賃改正が行われても金額を差し替えて使用されている。
昭和49年初頭から東京近郊区間の印発券が一般式から地図式に変更された。
山手線内発の地図式券は、発駅枠の太さが細い券と太い券と、山手線表示が無い券がある。
上段・中段はスミインク式が殆どだが、蒲田の券のみキレート式印字の為、印刷が消えかかっている。
最下段は熱転写印字で、ドット描画の関係上、着駅表示が四角枠になっているが、藤沢の券は昭和55年6月に登場した量産型定乗印発機で発行された券で、着駅表示や山手線の表示が後年の券と一線を画している。
昭和51年11月6日の規則改正で50q以下が金額式に改められ、さらに55年4月の規則改正で近郊区間外の駅でも発売されるようになった。
この51年からの地図券は非常に広範囲の駅で発売されていたが、59年頃から券売機化により減少し始め、JR化頃には限られた駅で発売されるのみとなっていった。
高崎局内で一部使用されていた新潟印刷場様式の券(下段)は、昭和54年に高崎局が東京印刷場に切り替えられた際に、消滅している。
この時期から所謂「○ム券」が存在し、簡易委託駅(下総橘、江見、竹岡の券)、臨時駅(行川アイランドの券)や、無人駅等の臨時発売(船橋法典、日向和田の券)で多数発行されていた。