歌集「わが家の天使」:自閉症児と歩んだ二十年の歳月
カバー使用写真 伊豆半島下田市海善寺の石仏
九州島原辺りの隠れキリシタンが信仰した「納戸神(なんどがみ)」と同形のもので、下田市にも一体が現存する。いずれも伊豆石で作られており、
江戸時代初めに金山で栄えた河津町縄地から出たものとみられる。
本表紙使用写真
<表>長崎県島原に残る木柱に彫られたキリシタンが信仰した納戸神
<裏>熊本県天草正覚寺(南蛮寺跡)にあるキリシタン墓石に刻まれた干十字
歌集「わが家の天使」読者よりの便り(1)
静岡県 伊豆河津町 村松秀代 (静岡県歌人協会常任委員)
この度は御歌集『わが家の天使』のご上梓まことにおめでとう存じます。その夜のうちに読了させていただき、また熱く感動を覚えました。
全百二十五首が私の感動の抄出歌として後藤様にお届けしたいと存じます。障害を不幸にして持たれたかけがいのない、愛する吾が子
「限りなくわれを愛する神がいて障害の子をわれに授けし」この神々しいまでの精神「たわむれにあらず生きゆく祈りなりいのち
なりわが歌詠むことは」後藤様の作歌の原点を明確にしているこの一首に私も深く同感いたしました。とり急ぎ御礼申しあげます。
歌集「わが家の天使」読者よりの便り(2)
静岡県 伊豆河津町 杉山みはる
寒の戻りのような風の冷たい日が続いております。
このたびは、歌集「わが家の天使」のご上梓まことにおめでとうございます。
御歌集を拝読し、ご家族様の壮絶な運命に只々胸が熱くなってまいりました。日頃、県歌人協会の大会等でお見受けする後藤様がこんな
ご苦労をお持ちとは少しも知りませんでした。まさに限りなくわれを愛する神がいるのでしょうか。共感するお歌、心に沁みるお歌を抄
出させて頂きます。
なきがらの前に座りて名を呼びぬ大きく呼びぬ吾は父なれば
わが知らぬ重荷を負うや精薄の弟を持ち姉と兄とは
自閉症のわが子が言葉はなしおり夢にはあれど涙あふるる
透析を終えたる妻は眠りおりアンモナイトの化石のように
あんなにも叱らなくてもよかったと施設に戻りしわが子を思う
百メートル競走だけど歩いてる歩くことさえ出来なかった子が
癖を持つ鍵の施錠もいつしかに慣れたり夜警の職を得しわれ
たわむれにあらず生きゆく祈りなりいのちなりわが歌詠むことは
もの言えぬわが子の発する叫び声心のこもることばと届く
限りなくわれを愛する神がいて障害の子をわれに授けし
逝きし児は返らぬものと知りおれど生きておればとまた口に出る
たたみかけてくるお歌、絞り出すようなお歌には後藤様の叫びが聞えてくるようです。しばらくは感動の余韻にひたされていました。
出版後は益々お忙しくなると存じますが、どうぞお大切になされますように、お祈り申しあげます。
まずは御礼まで申し上げます。
歌集「わが家の天使」読者よりの便り(3)
柴田典昭さん(1991年現代短歌評論賞受賞)
拝啓
わが家の周囲の山の桜も一斉にほころび始めました。よい季節となりました。
さて、この度は歌集『わが家の天使』をお送りくださり、誠にありがとうございます。一息に読み終えることが出来ました。後藤さん御自身のお言葉で家庭の御様子は察せられておりましたが、作品を通して二十五年間の日々の重みが迫って来るような気がしました。改めて申し上げることもないのですが、後藤さんが歌集に込めた思いの幾分かを自分の今後に生かしたいと思うばかりです。
私の所属する「まひる野」も空穂の言う「短歌は態度の文芸」、あるいは章一郎の言う「民衆詩としての短歌」ということを標榜し、生活詠を極めることに励む結社ですので、後藤さんの短歌に対する姿勢と共通するものは必ずある筈と思っております。いずれじっくり短歌観を交わしたいものと思います。
競争の意志を持たない自閉の児ゴールの前で皆を待ちおり
限りなくわれを愛する神がいて障害の子をわれに授けし
心に残る作品は多数ありましたが、特にこの二首の前で立ち止まりました。
第一首。教員を仕事としていると、純粋な子に限ってイジメという洗礼を受け、競争社会の中でむしばまれてゆく。人間の業(ごう)のようなものが思われてならないのですが、自閉児なるがゆえに、清らかなもの、神々しいものが保たれている。こうした逆説的なありように、人間とは何かが見えて来るような気もするのです。
第二首。きっと後藤さんが自らを励ますために作られた一首なのだと思います。(折口信夫の歌のパロディでしょう。)
私も真面目にやればやる程、足許を掠(すく)われるようなことがあったりすると『ヨブ記』を読みかえしたりします。私は達観にははるかに遠いですが、こう一首を読み切る後藤さんを知ると、励まされるような気がします。
日本(にっぽん)の歌は縦書き真直に心に垂るる大瀧のごと
『わが家の天使』と共に届いた角川「短歌」四月号に見付けた、後藤さんの一首、私も心から共感します。取り急ぎ、一言、御礼を申上げます。
三月二十五日
柴田典昭
後藤様