*九州総局の地図式乗車券*

この局最初の地図券は、昭和35年11月に博多で初めて発売された。当初は赤地紋・小児断線つきの切符であったが、直ぐに青地紋・断線無し変更され各駅に広まっていった。
41年〜44年にかけては総局全域の主要駅で発売されていたが、モノクラス化とともに門司局管内以外は廃止され、さらに51年の規則改正で激減、JR直前頃に消滅した。


小児断線が無くなり、青地紋になった券。発駅枠と金額表示が大きい特徴的な様式。



前述の様式より若干後期の券。直線的で若干スマートになった。
旧様式と明確な時期の差はなく、同時期に存在していた。


昭和36年4月からは関門航路が波線で印刷されている券も発行されている(但し、航路は有効区間外の為乗船は不能)。


昭和41年3月から初乗りが20円となったが、太線が若干太くなった以外様式に大きな変化はない。



モノクラス化と共に様式が激変し、有効区間も全て同じ太さの線で印刷されているこの地域独特の様式となった。
この様式はあまり統一されておらず、路線図が最遠端駅で切れている券(博多)とその逆の券(佐賀)、発駅枠が大きい券(小竹)、発駅枠の枠線が太い券(飯塚)など多少の差異がある。


この時期の統一性のなさを表した券。ほぼ同時期で同運賃だが、路線図の大きさと最遠端駅の路線表示が異なっている。


昭和51年11月6日の規則改正で50km以下は全て金額式となった。
設備駅は激減したが、列車区間向けのA型青地紋券(二日市)と、近郊区間向けのB型赤地紋券(東郷)の二種類が発売されている。
距離が伸びたため必然的に着駅が多くなり、東郷の券の様にB型券に36駅も詰め込んだ(首都圏では多くても20駅程度)券も存在した。


昭和55年4月20日の運賃・規則改正で100q以下が「当日限り」になった為、一旦はB型赤地紋に統一されたが、文字が小さく見にくいため徐々にA型赤地紋に変更され、昭和56の運賃改正で全てA型赤地紋に統一された。
この頃には西小倉・中間(左)・東郷(中央)・二日市・南宮崎(右)のみの発売になっており、特に中間・二日市の券はカッコ書きで経由が印刷されている珍券であった。


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