**頸城鉄道自動車**

軌間762oの軽便鉄道として大正3年10月に新黒井(信越本線黒井)〜下保倉間が開業、5年には下保倉〜浦川原が開業した。
開業時は頸城鉄道(くびきてつどう)と称したが、昭和19年に頸城鉄道自動車と改称する。
コッペル社製の2号機関車や客車を改造したディーゼルカーが乗客輸送・穀物輸送に活躍していたが、モータリゼーションの影響よる経営不振から、昭和43年10月に新黒井〜百間町間・飯室〜浦川原間を廃止、国鉄線から孤立した形となった。
その後、残存区間へは直江津から直通バスを接続させて対応していたが、すでに乗客はほとんど無く、昭和46年5月1日限りで廃止された。
廃止後、コッペル社製の2号機関車は西武山口線で「謙信号」として活躍することとなる。


<路線図>
 
   北
 新 四 百 鵜 明 花 大 飯 下 浦
 黒 ツ 間 ノ 治 ヶ     保 川
 井 屋 町 木 村 崎 池 室 倉 原
 ○−○−○−○−○−○−○−○−○−○
 し き ひ う め は お い し う
 ん た ゃ の い な お い も ら
 く よ っ き じ が い む ほ が
 ろ つ け   む さ け ろ ぐ わ
 い や ん   ら き     ら ら
     ま
     ち


入場券。飯室の券は頸城鉄道時代の大正〜昭和初期様式。


頸城鉄道時代の戦中乗車券。


晩年の相互矢印式乗車券。晩年はこの様式が使用されていた。


汽車バス共通乗車券。自社バスを使って直江津直通の便を図った乗車券である。


国鉄連絡乗車券。



部分廃止前の片道車内乗車券(上段)と、往復車内乗車券。



常備の工員定期券(上段)、通学定期券(下段左)、通勤定期券(下段右)。
工員定期券は一ヶ月用の券を手書きで6ヶ月に修正して使用されている。


省線からの連絡乗車券。小田原発行の補充券は浦川原ゆきとなっている。


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