**明延鉱業 明神電車線**

三菱鉱業生野鉱山の支山「明延鉱山」(兵庫県大屋町)で、明治42年に有望な錫鉱脈が発見され積極的な採掘が開始された。
当初は馬車等で山陰本線養父まで運ばれていたが、後に近隣の神子畑選鉱場(兵庫県朝来町)まで馬車で運び、選鉱場から播但線新井まで鉱山鉄道(通称:神新軌道)で輸送する形態に変わった。
が、山越えの馬車道では輸送力に限界がある為、大正元年に索道を設置したがすぐに限界に達し、大正7年に明延〜神子畑間に長大トンネルを持つ鉄道線の建設を開始、資金難から中断したものの昭和4年に通称「明神電車線」が開通した。
その後、明神電車線では鉱山関係者等を乗車させる人車が投入され、鉱山関係者およびその家族が乗車する際は1円、その他の乗客から10円(後、1円)を徴収して便乗させていた。
後年、この浮世離れした運賃が有名となり「1円電車」として雑誌やテレビで取り上げられ、一躍有名となったが、あまりに有名になりすぎ一般客が殺到し鉱山関係者の輸送に支障をきたすようになった為、晩年は一般客の乗車は不可能になってしまった。
東洋一の錫鉱山であった明延鉱山も円高による市場の変化から昭和62年3月11日に閉山に追い込まれ、その鉱石輸送を担っていた明神電車線も同時に廃止された。


<路線図>
 明 神
   子
 延 畑
 ○−○
 あ み
 け こ
 の ば
 べ た



比較的古い部類に入る乗車券。関係者用の1円券にはオレンジ色、一般用の10円券は水色の厚紙(半硬券)が使用されている。(大きさの違いは実物まま)
裏面(下段)には注意書きがあり、「非常に危険です。」の一言で片づけているのは滑稽でもある。


こちらは比較的後年の乗車券。ボール紙に押印しただけの粗末な券になった。
1円券は青インク、10円券は赤インクで押印されている。(券の歪みは実物まま)


最晩年の乗車券。上質紙にコピー(簡易印刷?)して作られた、黒刷りの軟券となった。


乗車証。関係者等に配布されたものと思われる。やはりボール紙に押印された粗末な券。


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