北陸本線石動から福野を経て井波・青島(庄川)を結ぶ鉄道として砺波鉄道が設立され、大正4年に中越鉄道福野(現、城端線福野)〜青島町(のち、庄川町)間が開業した。
(中越鉄道は大正9年に国家買収され中越線となり、昭和17年に城端線と氷見線に分離し現在に至る)
大正8年には社名を加越鉄道に改称、大正11年に石動〜福野間も開業する。
その後昭和18年、富山地方鉄道に戦時統合され加越線となるが、昭和25年に加越能鉄道として再び分離し運行を続けるが、モータリゼーションの影響で徐々に経営は悪化していく。
昭和34年に会社救済策として親会社の富山地方鉄道から新湊線(現存)・伏木線(昭和46年廃止)を譲受されるが、加越線の赤字を飲み込むことは出来ず、昭和47年9月15日に加越線は廃止された。
高 石 南 四 薮 津 本 野 柴 福 焼 瀬 井 東 庄 石 日 田 神 山 川 動 動 町 波 沢 江 尻 屋 野 野 社 波 見 町 ○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○ い み よ や つ ほ の し ふ や た い ひ し す な っ ぶ ざ ん じ ば く け か な が ょ る み か な わ ご り た の の せ み し う ぎ い ま み う や じ や が す ち ん ま わ る じ み ま ぎ ゃ ち
二等級制時代の乗車券。右は「高瀬神社ゆき」を「福野ゆき」にゴム印で訂正している。
モノクラス後の乗車券。左の「四日市」は「四日町」のミスであろう。
右は自動券売機軟券で、硬券と異なり赤地紋が使用されている。
国鉄連絡乗車券の常備券(左)と準常備券(右)。
車内乗車券。区間は入鋏式だが、金額は固定である。