*大阪・天王寺局の地図式乗車券*

昭和30年4月1日から城東線(大阪〜京橋〜天王寺間)で最初に発売された。一時は大阪・天王寺局全域で発売されたが、昭和51年の規則改正で地図式硬券は消滅した。


当初から赤地紋・B型券で発売されており、初期券には「(裏面注意)」の印刷がない。




後に、「(裏面注意)」の表記が追加された。”3等10円”表示が小さい券(上段)と大きい券(中段・下段)が存在している。
また、20円券は31年頃から発売が始まっている。


同時期に、太線区間を見やすくするため、太線を極端に太くした様式も登場した。



昭和33年に規則が改正され、「(裏面注意)」の表示が消え、運賃の次に等級表示と変更された。
実際には、天満・桜ノ宮の券の様に依然として旧様式(”3等○円”表示)のままの駅も少なくなかった。



この規則改正の頃には、各駅で20円区間でも発売が開始される様になった。
基本的には発駅名が二重枠に囲まれているのが大きな特徴であるが、鶴ヶ丘の券のように一部の駅(天王寺・野田・住道など)では20円券でも発駅名が二重枠に囲まれていない券も存在している。



2等級制後、地図はそのままで青地紋に変更された。”2等○円”表示の券や、極太線の券も存在している。
下段は寺田町の二等時代の券と三等時代の券。等級表示と地紋色以外に変更がないことが解る。



環状線全通後の券。昭和36年4月の運賃改正後、同一運賃区間着駅が3駅以上の場合地図式が使用された。
又、初乗りの券でも発駅から太線が出ている券(京橋の券)と細線が出ている券(天王寺の券)がある。



昭和41年3月5日の運賃改正で初乗りが20円になったが、様式に変化は殆ど見られない。
兵庫・東羽衣の券のように中間駅の駅名表示が無い様式も登場した。



昭和43年以降から赤地紋に変更されたが、それ以外に大きな変化はない。


昭和42年4月からは、大阪地区でも印刷式券売機で地図式券が発売されるようになった。





モノクラス制施行後の地図式乗車券。この頃には大阪・天王寺局のほぼ全域で発売されている。
2等級制時代様に、発駅から太線が出ている券(桜ノ宮)と細線が出ている券(鳳)がある。



券売機でも引き続き地図式券が発売されている。
左下は湖西線堅田の開業初日券。キレート券の為ほとんど消えかかっている。


昭和48年11月から天王寺駅に印発機が設置され、静岡局の豊橋に続いて地図式券が発行された。
印発機の普及と共に各駅でも発行される様になった。明石・大津の券はキレート券の為、印刷が薄くなっている。



昭和49年の規則改正で40q以下は金額式に改められた。結果として発売駅は激減し、220円・250円区間のみでの発売となった。
同時に若干様式も変更され、小児運賃が併記されているのが大きな特徴である。
その後昭和51年11月6日の規則改正で、この地域の硬券地図式乗車券は消滅した。


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