小坂鉱山の鉱石搬出の為に、既存の森林鉄道を譲受し改修・延長の上、大館(奥羽本線大館)〜茂内〜小坂間、茂内〜二ツ屋(後、長木沢)間の専用鉄道として明治41年に開業した。
開業当初は762mmの軽便鉄道で、明治42年5月に地方鉄道の小坂鉄道小坂線・長木沢線となった。
大正3年には近隣の花岡鉱山に小坂鉄道と連絡することを条件として融資し、大館〜花岡間が開業、のちに買収し大正5年に花岡線となる。
さらに昭和2年には小坂方の急勾配を克服するため、鉱山の余剰電力を利用し小坂〜茂内間を電化し、輸送力を増強した。
昭和24年末には電化区間を小坂〜小雪沢間に延長、さらに昭和26年11には花岡線を1067mmに改軌、DC・DLを導入し国鉄へ貨物直通が可能となった。
しかしその陰で、昭和23年4月4日に大正15年から旅客営業を廃止し貨物線となっていた長木沢線を休止、昭和26年4月4日に廃止している。
昭和33年に岡山県の同和鉱業(片上線、平成3年廃止)と合併、同和鉱業小坂線・花岡線となる。
昭和37年には輸送力増強の為、小坂線全線を1067mmに改軌(この際全線内燃化)国鉄への貨物直通、花岡線への旅客列車直通が可能となった。
その後昭和50年頃まで順調に営業を続けたが、次第に乗客・貨物が減少、昭和58年には花岡線の貨物輸送が廃止、昭和60年3月31日に花岡線は全廃される。
残された小坂線も乗客の減少は激しく、平成元年9月には同和鉱業から小坂精錬に譲渡、さらには旅客輸送の赤字が貨物輸送の利益を圧迫するようになった為、平成6年9月30日限りで旅客輸送は廃止された。
小坂精錬小坂線は現在も貨物鉄道として硫酸輸送をおこなっている。
雪 大 岱 東 小 沢 新 深 茂 篭 古 小 大 松 花 茂 長 小 岱 雪 温 花 長 木 館 野 野 沢 泉 沢 沢 内 谷 館 坂 館 峯 岡 木 内 沢 坂 ○−○−○−●−○−○−○−○−○−○−○ 岡 ○−○−○ 沢 ○−○ お た ひ こ ゆ し ふ し か ふ こ 小 ま は 線 小 な 線 お い が ゆ き ん か げ ご る さ 線 坂 つ な 坂 が だ の し き さ さ さ な や だ か 線 み お 線 き て た さ わ わ わ い て か ね か か さ い わ お ら ら わ の ん 分 分 せ 岐 岐 ん
昭和50年前半の乗車券。画像では解らないが地模様は「ふくしまでんきてつどう」地紋。福島電気鉄道が福島交通に改称した際に余剰となった券紙を代用したものと推定される。
右の小児券は他の券とは異なり明朝体の活字が使用されている(この券にも小児片集計用穴が空いている)
その後、券面下部に社名が入るようなった、地模様も大部分が「PJR」地紋になっているが中央の券は「とおほく」地紋(この地紋は岩手開発鉄道などにも見られる)となっている。
右の券では発駅名の活字が大きくなっている。また着駅の古館は昭和60年に開業した同鉄道最後の新設駅。
小坂精錬に改称後も「同和鉱業」が「小坂鉄道」に変わった以外は大きな変化は無い。右の券は大館駅の券売機券。
補充片道乗車券。花岡線最終日の券で発駅常備となっている。
連絡乗車券はJPR地紋で当日限り有効の券(中央)でもA型が使用されている。右は小坂精錬に改称後に発行された為、「同和鉱業」の社名を訂正印で消している。
往復乗車券。上段右の秋田往復はD型券が使用されており稀少な存在。
下段の補充往復乗車券は発駅常備となっている。
通学定期券(上段)と定期手回り品切符(下段)。小坂発行の通学定期券は発駅常備、岱野発行の券は発行駅も補充となっている。ともに「学」の影文字が入っている。
特別補充券。3等級制時代の様式だが、花岡線最終日まで残っていた。
表面左に「花岡線サヨナラ列車に乗車した証明」の旨を示すゴム印が押されている。
上段は車内乗車券で左は花岡線健在の頃、右は花岡線廃止後で古館駅も開業している。枠線の印刷や冊番号などに変化がみられる。
下段はワンマン列車の整理券。
国鉄からの連絡乗車券。左はA型青地紋二日間有効の券、右はB型赤地紋当日限りの券。
小坂駅発行のJR急行券。旅客廃止目前の券だが未だ国鉄券が使用されていた。