*機械室

ここには、研究所を支えるパソコン達が設置されています。
古くからのパソコンマニアだった所員達の、偏ったパソコン遍歴も明らかにされています。


・主力マシン
自作PC「第三銀嶺」号
CPUpentium4 1.8GHz
マザーボードintel BOXD845WN
メモリSDRAM 512MB(256×2)
HDD日立 DK32DJ−18MW(18GB/U160) ×2
ビデオSPARKLE SP7100M4
SCSITekram DC−390U3D (Dual U160)
LANcorega FEther PCI−TXS
CD−ROMドライブ元AT−800C「第二朝霧」内蔵純正IDEドライブ
CD−R/WドライブRICOH MP7320A(IDE)
DVD−RAMドライブ松下 LF−D103JE(SCSI)
3.5インチベイ内蔵USBHUBJusty UHB−0421
3.5インチ/5インチFDDティアック製
(5インチはBIOSが認識せず飾りに…)
ディスプレイEIZO FlexScan E35F
「グッドデザイン」号(4台兼用)
「NEC」主流を脱却し、自作の道を選んだマシン「銀嶺」の後継。
初代「銀嶺」は「朝霧頓死事件(後述)」直後に2週間ほどモデムを搭載、最後の活躍をし引退した。
が、この「最後の活躍」の際に不具合が続出、今回の改造に至った。
Celeron533MHzから一足飛びでパワーアップ。先代とあまりにも差がある為、「第二銀嶺」と改称。
さらに、まきちゃさんからgateway2000時代のフルタワーケースを譲って貰い、
外観が一新(でも古いケース)したので「第三銀嶺」に改称した。
WD製のHDDがクラッシュした為、日立製のUltla160SCSI対応HDDを2台搭載に変更、ビデオカードも変更したが、愛称に変更はない。
「第二朝霧」とは分業制でこちらはゲームその他に活躍中。

Endeavor AT−800C改「第二朝霧」
CPUCeleron 900MHz
メモリ SDRAM 256MB(128×2)
HDDSamsung SV2042H(20GB)
LAN内蔵 10/100base
モデム内蔵 56Kbps
PDドライブI・O DATA PD−AB8
ディスプレイEIZO FlexScan E35F
「NANAO」号(「長尾」「足柄」と兼用)
初代「朝霧」が突如頓死、後釜の初代「銀嶺」がトラブル続出という大混乱時に、
現在最も信頼しているエプソンダイレクトから急遽購入した。
初代「朝霧」からPDドライブを譲受、立派に跡を継いでいる。
しかし、往事を知るものにとって「PC98」の跡継ぎが「エプソン」というのは…(苦笑)
余談だが、「第二朝霧」のキーボードとマウスはなぜかGateway純正品である。

※ディスプレイは「NANAO」号。
EIZOブランド初期に買った為「Produced by NANAO」と入っているのが名前の由来。

・セカンドマシン
CASSIOPEIA FIVA
MPC−102M62S
CPUMediaGX 233MHz
メモリ64MB
HDD6GB
携帯電話アダプタTDK DP9628
LANcorega Ether PCC−T
その他ポートリプリケータ、FDD
CD−ROMドライブ
リブレット死亡事件により急遽モバイルPCの導入を決定、
当初、茅ヶ崎スーパーオフィスからモバイルギアを売って貰う予定だったが、
携帯との相性が悪いのかしっくりいかなかった。
そこでかねてよりちょっぴり目を付けていた同機を購入した。
6GBHDDとSVGA表示は非常に快適で申し分なし。
現在、LinuxとWin98のデュアルOSとなっている。
PC9821 Na12/S10F
CPUPentium 120MHz
メモリ 48MB
HDD1GB
CD−ROMドライブ内蔵 4倍速
ディスプレイ12.1インチ TFTカラー液晶
モデムTYPEUカード 28800bps
研究所初のペンティアム搭載マシン。実は所長がゲームをするため「だけ」に購入したらしい。
そのため搭載モデムも一度も使用しなかった。「談話室」の原稿書きにも使用したが、それももう過去の話…

・主要マシン
PC9821 V200SZC改「朝霧」号
CPUAMD K6−2 333MHz
(メルコ製ゲタ付き)
メモリ DIMM32MB + SIMM64MB
合計 96MB
HDD3GB+FUJITSU 3.5GB
合計 6.5GB
LANcorega Ether PCI−T
CD−ROMドライブ純正内蔵ドライブ
ディスプレイEIZO FlexScan E35F
「グットデザイン」号(4台兼用)
モデム内蔵 33600bps
長年引っ張ってきたAp3にさすがに限界を感じて購入。通称「流れ星」モデル。
EXCESS工房の管理者と共に、同じ店で同時に購入し、店員を混乱させた。
長年の酷使の末、突如頓死。大パニックを引き起こした。
原因はヒートシンクに埃が張り付き、熱暴走していた事が判明したが、後の祭り。
復旧した物の最悪のポジションに陥落し、行く末は不明…
Gateway G6−180改「ニクコプーン」号
CPUPentiumV 866MHz
マザーボードRICOH FA用組込マザー(i815)
メモリSDRAM 384MB(128+256)
HDDIBM IC35L020AVER07−0(20.5GB)
Western Digital WD172AA(17.5GB)
ビデオELZA ERAZOR III
サウンドCREATIVE Sound BLASTER Live!
Gamer Edition
CD−R/Wドライブミツミ CR−4808TE(IDE)
(「第三銀嶺」からの玉突き放出)
5インチFDD元EPSON製PC内蔵ドライブ
(メーカー不明)
3.5インチFDD元DEC製PC内蔵ドライブ
(MITSUMI製)
5インチベイ内蔵スピーカーJusty製?
ディスプレイEIZO FlexScan E35F
「グッドデザイン」号(4台兼用)
まきちゃさんの協力で入手した、Gateway2000時代の「牛」PC。
入手当初はケース・マザー・電源のみしかなく、ひとまずでっち上げて使っていたが、これを大改造。
マザーは某所で調達した純国産のFA用、CPUは廃棄されたDELLPCから略奪品、
HDD・メモリ・サウンドは初代「銀嶺」の残骸、ビデオカードはまきちゃさんからの中古、
ドライブ類は出所が滅茶苦茶、と全てが一層怪しくなった。
5インチドライブを飾りではなく、ちゃんと使用できるのが自慢。
「PentiumPro」「Celeron」「PentiumB」のエンブレムが並んでいるのは壮観(笑)である。
名前の由来は「改造した牛PC」→「狂った牛」→「狂牛病」→「肉骨粉」→「ニクコプーン」である(笑)
PC9821 Ra300 「改」
CPUCeleron 733MHz
(Slot1→Soket370変換)
メモリ SIMM 128MB(32×4)
HDDWestanDigital WDE9150(9GB)
LAN内蔵 10/100base
SCSII・O DATA SC−UPCI
ビデオI・O DATA GA−SV432/PCI
ディスプレイiiyama ProLite36a
(14.1インチTFT液晶)
あるルートから秘密裏(笑)に入手した「R−MATE」
CPUをCeleron300MHzから733MHzに換装、HDDもSCSI化、
余剰品のGA−SV432/PCIを載せたところまでは良かったが、
如何せん、PCが多すぎて使い道が…(爆)
我が家で唯一、Windows2000がインストールされ、唯一の液晶モニタが接続ているのも、謎である。
PC−9821 Ap3/M2「芙蓉」号
CPUDX4 100MHz
メモリSIMM 112MB
FDD内蔵 5.25×2
外付 TEAC FD−33W
HDD内蔵 540MB
外付 ICM RX−1000(1GB)
ディスプレイEIZO FlexScan E35F
「グッドデザイン」号(4台兼用)
CD−ROMI・O DATA 4倍速
セカンドキャッシュ256KB
LANボードメルコ LGY−98
最後のA MATE・5インチモデル。
ウィンドウズ導入の為に購入。現在も3.1と95が共存している。
ディスプレイも良くなり、地位を回復。かつての定位置に戻った。
未だ「現役」を目指しているが、グラフィックチップの貧弱さは否めない。

※ディスプレイは「グッドデザイン」号。
グットデザインマークが付いているのが名前の由来。

名称PC9801FS2「長尾」号
PC−8801MkUSR Model30「足柄」号
CPUi386SX 20MHzZ80A 4MHz
メモリSIMM 14.6MB(最大)64KB
FDD内蔵 5.25×2
外付 東京ニーズ NFD−235
内蔵 5.25×2
HDD外付 緑電子
NOVAII V2−200(200MB)
NOVAII V2−340(340MB)
なし
モニタEIZO FlexScan E35F「NANAO」号(「第二朝霧」と兼用)
その他5インチFDD破損の為交換。・外付データレコーダ
AIWA DR−20

短命だったFシリーズの一つ
RXの代わりに一線を張ったのは過去の話。
改造して載せた486も降ろし、
過去の遺産を動かす為に残る。
NEC優位を決定づけた名機
16年前初めて購入したPCである。
もはや存在は神格化し、
研究所の守り神である。

・その他のマシン
X68000PROMSXTorboR
FS−A1 GT
PC−6601(二代目)
メモリ2MBに増設押入からようやく帰還FDD2ドライブ
人呼んで「史上最強のゲーム機」。
長年の夢だったので中古で購入。
変なこだわりで横置きタイプを選択。
現在荷物に埋もれているが大切なマシン。
国産最後のMSXで16Bit。
購入した際店員に驚かれたのは、
よっぽど売れなかったからか?
先日発見されFDDを交換し復活。
何とか二度目の購入を果たした。
が、音源周りが直ぐに破損し無口になった。
なんだかなぁ。
PB−210PC−G801
パネル破損中ここ数年通電実績なし
ダイクマ特価1980円で購入。
PB−410の代わりに活躍。
ベーマガのプログラムを打ち込んで遊んだ。
現在は数字キーパネルが吹き飛んでいる。
副所長が高校入学時に学校で買わされたポケコン。
在学中に、作成したゲームを校内で流行させたのが唯一の自慢。
卒業後の利用率はゼロに等しく、記念品に成り下がっている。
NEC PC−2001DELL dimensionJ500c
たなぼたで無償入手(笑)HDDなし。
伝説のハンドヘルドPC。
故あって極美品をタダで入手した。さて何に使おうか…
秘密ルート(爆)から入手。
いろいろ使い道を考えているが、
遊休PCが多いのにこれ以上どうすんだ…


・鬼籍入りマシン 1985年以来、研究所を去ったマシン達です(一応鬼籍入り順)。
PB−410親からタダで貰ったカシオのポケコン。破損の後、失踪した。
FS−A1定価で3万を切っていたMSX2。活躍したが買い替えの際譲渡。
FS−A1WXワープロ付きMSX2+。購入の際初めてプリンターも買った。
ジョイスティックポートが破損したため買い替え、友人に売却。
そう言えばプリンターはまだ所内にある筈なのだが…一体何処へ?
PC−6601 (初代)渋谷の某ショップで購入。副所長が高校の部室でひたすら喋らせて遊んだ。
1年足らずで通電中に突然死した。亡骸は高校の卒業アルバムに写っている。
FDDのみ残され、現在のPC−6601(二代目)に搭載されている。
PC−9801NS/E40中古で購入した98NOTE。初めてHDDを使った。
買い替えの際友人に売却。その後友人の仕事場で絶命した。
PC−9801RX21初めて買った16Bitマシン。42回払いで所長が無理して購入。
4x86とコプロを搭載して頑張ったがAp2購入時にかすこば氏に売却。
その後、そのかすこば氏から茅ヶ崎スーパーオフィスに渡り、売却された。
FM−TOWNS20F某ソフトがやりたい為にローンで無理矢理購入。
ローン終了前に買い替えでかすこば氏に売却。その後数人の手に渡り消息不明。
PC−9821Ne当時40万の大枚をはたいて買ったカラーノート。Win3.1対応だったが使用していない。
副所長が仕事で使用していたが、購入後半年で転職したためお蔵入り。
一年後知人経由で売却。はっきり言って哀れなマシンだった。
PC−8800MC茅ヶ崎スーパーオフィスの代表から無償譲渡を受けた。
それなりに使ったが直ぐに飽きた。1年程で返却、先方で大切にされている。
PC−9821Ap2/M2無理が来たRX21の代わりに購入。最新鋭機として活躍したが、
WIN3.1導入の際にAp3を購入したため、その活躍は短命に終わった。
研究所では珍しくショップに売却している。売却後その足でV200を購入しに行った。
FM−TOWNSU ME購入したのは良いが、動作が極めて不安定だった。
それ故邪魔者扱いされてお蔵入り、暫くしてEXCESS工房に売却。
先方では問題なく動いている。なぜ?
PC−6001MkUPC−6601(初代)死亡後、中古ショップで購入。
喋らせて遊ぶが、66の資産は全てFDだったので活躍しきれなかった。
PC6601(二代目)を茅ヶ崎スーパーオフィスから購入の際、下取りしてもらった。
その後売却されたようだ。
PC−1245(?)学生時代に副所長が友人から購入。全く使用されないまま液晶が破損した。
茅ヶ崎スーパーオフィスに提供、売却された。型番を忘れるぐらい印象にないポケコン。
PowerMacintosh
7200/90
「Macを買ってみよう」という衝動のみで買ってしまったマシン。
「トレシュミ」目当てだったが、直ぐにウインドウズ版がでて早々と存在意義を失う。
惨めなことに実働は1ヶ月くらいで、その後4年間インテリアに成り下がっていた。
茅ヶ崎スーパーオフィスに出品、ようやく買い手が付いて売却されていった。
その代金がたちまち切符代に化けたのは言わないでおこう(笑)
PC−9801SX/T40遊ぶつもりでOSまでインストールしたが、すぐ飽きた。
HDDをNS/Rに渡した後、茅ヶ崎スーパーオフィス社長に個人的譲渡。
PC−9801NS/RSX/Tの代わりに遊ぶマシンするつもりで120KBのHDDまで用意したが、
リブレットの購入で存在意義を失い、茅ヶ崎スーパーオフィス社長に個人的譲渡。
PC−9821Xa12会社の同僚、わっちさんから譲って頂いた。
が、初代「朝霧」の置き場に困った為、泣く泣く譲渡。
Libretto20(改)まきちゃさんにだだをこねて払い下げて貰ったマシン。
僅か4ヶ月で頓死したが、LANの導入やモバイル環境の構築など大きな足跡を残した。
Libretto60に部品供給後、売却。
Libretto60副所長がHDDなしで入手し、Libretto20から部品供給を受けて登場。
が、既にFIVAが存在していた為、活躍の場は当初から無かった。
結局、山北ラヂオのS氏(仮名)に売却した。その後、再売却された模様。


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