**万世橋駅**

万世橋駅は甲武鉄道により建設が計画され、その工事中に国有化され、明治45年4月1日に御茶ノ水〜万世橋開通に伴い開業した。
煉瓦作り二階建ての瀟洒な駅舎で、当初はターミナルとして賑わったが、大正8年に東京〜神田〜万世橋間が開業するとターミナルとしての意義を失い乗客は減少、さらには関東大震災で駅舎は焼失、応急復旧しただけの簡素な駅舎っとなってしまった。
昭和11年に鉄道博物館(昭和23年に交通博物館と改称)が万世橋駅に移転、活気が戻ったのもつかの間、御茶ノ水・神田両駅から近すぎるなどの理由から昭和18年10月31日限りで廃止された。
(停車場変遷大辞典によれば「運輸営業は之を休止す」になっており、廃止の通達は出ていない)
駅の備品類は翌日開業する東海道本線新子安駅に持ち込まれ使用されたため、新子安駅と万世橋駅の鋏痕は同一であった。
万世橋駅亡き後も交通博物館は存続していたが、平成18年3月を目途に閉館、埼玉県さいたま市に「鉄道博物館」として移転が決まっている。

※書類上は旧字体の「萬世橋」ですが、ここでは新字体の「万世橋」に統一しています。



A型五銭無日付入場券。大正8年〜昭和7年頃に使用された様式。


大正時代の一般式券。左は鉄道院時代、右書きから左書きに変わった頃の券。
右は鉄道省(大正9年から)の大正末期様式券。着駅の「牛込」は昭和3年「飯田橋」開業に伴い廃止。



上段は両矢印式券、下段は両矢印式に変わって使用された相互式券。
下段左は初期様式で発駅が左側だが、昭和9年から下段右の様に発駅が右側に変わっている。


地図式乗車券。左は昭和11年から発行されたA型券。
中央は昭和15年からのB型券。右は昭和18年頃から使用された無地紋券。


休止数日前、汽車区間用のB型一般式券。昭和17年頃から用紙節約のために使用されていた。


矢印式の社線連絡乗車券。左は東急東横線、右は東急小田原線(小田急小田原線)連絡券。
着駅の「工業都市」は昭和28年廃止(武蔵小杉と統合)。


二等小児常備の記名式回数券。二等の小児常備券の需要は殆どなかったと思われる。
(この券も未使用の廃札券なので、実際に発行例が有ったかどうかも疑わしい)


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