北恵那鉄道は沿線特産の木曽ヒノキを中心とした木材輸送を目的として、大正13年に中津町(中央本線中津川)〜下付知間が開業した。
開業当初から全線電化しており、昭和10年頃には下付知から森林鉄道も開通し、昭和20年代後半まで貨客とも隆盛を極める。
しかし、森林資源の減少とモータリゼーションの影響で昭和44年に貨物輸送を廃止、昭和46年には昼間(9:00〜16:00)の鉄道の運行はバス代行となる。
その後も乗客は減少し、また国鉄下呂線計画(中津川〜下呂間、後に計画中止)の兼ね合いもあり、昭和53年9月18日に廃止された。
同鉄道には他に、昭和3年に大井線として新大井(中央本線大井、後に恵那に改称)〜大井ダム間も開通したが、僅か6年後の昭和9年に廃止されている。
恵 山 美 美 中 那 之 苗 上 並 関 野 栗 野 田 稲 下 津 峡 田 苗 福 下 荷 付 町 口 川 木 木 松 戸 岡 本 野 瀬 橋 知 ○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○ な え や な か な せ み く み た い し か な ま え み み き の り の せ な も つ き の ぎ な ま ど ふ も し り つ ま ょ た え つ く と も ば け ち う が ぎ お の し ち ぐ わ か ち
二等級制時代の券(上段)と晩年の乗車券(下段)。
上段右の券は「山之田川」が「山ノ田川」となっている。
末期の駅名補充式乗車券。
昭和初期のA型券(左)と終戦後のB型より僅かに小さい半硬券のもの(中央)と末期(右)の往復乗車券。
C型補充往復小児常備券。
国鉄連絡乗車券。美濃下野(左)発行の連絡用補充券は「特別運賃 税共」の表示がある戦中券で印刷が粗雑である。
晩年の車内乗車券。