*夕張線 登川支線*

夕張線は明治25年に開業した北海道炭礦鉄道夕張支線が原点である。
登川支線は夕張線国有化後の明治40年に紅葉山(現、石勝線新夕張)〜楓間が貨物線として開業、42年に旅客営業を開始した。
さらに明治44年に楓〜登川間に三井鉱山の専用鉄道が開業、大正5年に譲受して紅葉山〜登川間が夕張線登川支線となった。
「夕張神話」といわれた良質の夕張炭輸送に貢献する。このように、運炭目的の強かった登川支線は高度成長期における石炭産業の斜陽化のあおりを受け、急速に衰退を始める。
そんな中、札幌〜道東間の時間短縮を狙った石勝線建設が開始され、重複区間となる追分〜登川間のうち、追分〜紅葉山(新夕張)間は高規格化されることとなったが、紅葉山〜登川間は高規格の新線を建設し従来線は廃止されることとなった。
石勝線開業を3ヶ月後に控えた昭和56年6月30日限りで夕張線登川支線は廃止された。
その後、昭和56年10月1日に夕張線は石勝線に編入、紅葉山はわずかに移転して新夕張に改称、新線上に楓駅が設置されたが旧楓駅よりかなり登川寄りで、書類上も全く別の駅となっている。


<路線図>

 紅   登
 葉 楓
 山   川
 ○−○−○
 も か の
 み え ぼ
 じ で り
 や   か
 ま   わ



登川支線の入場券。楓の券は札幌印刷場でみられたボール紙を券紙に利用した赤線入り入場券。
紅葉山では乗車券併用入場券が使用された時期もあった。



各時代の乗車券。上段左は楓発行のA型3等乗車券、当時楓はスイッチバック駅だった(昭和42年に解消された)。
上段中央、右は昭和50年代初頭のB型青地紋券、下段左は簡易委託券、下段右は登川支線最終日の券。


三菱石炭鉱業大夕張鉄道からの連絡乗車券。


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