*国鉄・JR・他社線連絡の地図式乗車券*

省線連絡乗車券の地図券は、鉄道省で地図式券が正式採用されたことにあわせて小田原急行鉄道(現、小田急電鉄)などで発行された。
戦後は、国鉄の地図券復活に先駆けて発行され、昭和30年〜40年台にかけては都市部の私鉄で広く発行されていたが、国鉄の規則改正に併せて短距離の地図式連絡券は消滅した。
その後、東京近郊の地方私鉄から山手線内向けの地図式連絡券が登場し、現在でも細々と発売されいる。
また、社線相互間の地図式連絡券はごく一部の私鉄で発売されていたが種類はあまり多くなく、現在では発売されていないと思われる。
残念ながら当研究所の努力不足の為、全ての時代・接続の連絡地図式券は掲載されておりません。


・筑波鉄道

関東鉄道から分離した直後の券、やはり関東鉄道の券に酷似している。
筑波鉄道は昭和62年3月31日限りで廃止される。


・関東鉄道

左は武蔵野線新松戸〜西船橋開業(昭和53年)以前の青地紋の券、中央は開業後の赤地紋の券で料金帯は同じでも異なった地図になっている。


・小湊鐵道


上段は国鉄連絡の硬券、下段は現在発売されているA型軟券。
どちらの券も新潟印刷場様式を彷彿させる直線的デザインの地図になっている。


・総武流山電鉄

流山電気鉄道時代の券。鉄道省のB型券の地図に酷似している。
流山電気鉄道は昭和42年に流山電鉄に改称、昭和46年に現社名となった。


・新京成電鉄

モノクラス後の券。同時期の京成電鉄の券に雰囲気がよく似ている。


・京成電鉄

三等級制時代初期の赤地紋券と二等級制時代の青地紋券。新三河島の券は国鉄で地図式券が復活する前の券で、鉄道省B型券と大変酷似している。
町屋の券は二等級制施行直後の券で、国鉄の三等級制地図券に酷似した線の細い地図になっている。


モノクラス後の券。共に同一料金帯であるが左はモノクラス制施行直後の券、右は総武地下線開業後の券である。


営団地下鉄連絡の券。A型で発行されている。


・東武鉄道

三等級制時代の券。当時の国鉄券とよく似ている。
それぞれ左下の「裏面注意」の表示が異なる。


二等級制時代の券。地紋が青地紋となった。
川越の券は着駅の丸が大きめでスカスカしたデザインである。
大和町は現、和光市(昭和45年改称)。



モノクラス後も大きな変化はない。
東武は接続駅が多く、かなりの種類が存在する。


・帝都高速度交通営団

銀座線・丸ノ内線で独立した均一運賃制時代最後の様式。
国鉄接続駅全てに発駅枠表示があり、当該線全線が表示された独特の様式となっている。


昭和34年3月の丸ノ内線全通に伴い、銀座・丸ノ内線で均一料金制となった。
その際丸ノ内線・銀座線の各駅で同様式の券となった。国鉄接続駅は発駅枠は無くなり、二重丸に変わった。


・東京都

押上経由の京成電鉄連絡券。左は自社内均一料金制時代の券で、自社内は丸で示され接続駅の押上が枠に書かれている。
右は均一料金制廃止後の券で、自社線内用の様式と同様の黄地紋となり地図も一見では連絡用とは判別出来ないほど自社内用と酷似している。


・東京モノレール

モノクラス直後で社名が「日立運輸東京モノレール」時代の券。
左は総武本線地下区間(錦糸町〜東京〜品川)が未開業、右は開業後の券である。


・西武鉄道

省線連絡のB型券。昭和19年発行の券で地紋は判別不能の赤ベタで、印刷も極めて粗悪である。
表面に「(高田馬場経由)」と連絡駅が記載されているのもあまり例がない。


三等級制時代の券。荒井薬師前の券は国鉄の地図券復活前の券で、鉄道省B型券に酷似している。


二等級制時代の券。豊島園の券は初期の券で、「裏面注意」の表示がある。
中村橋の券は後期の券で乗車区間のみが拡大表示されている様式となっている。


モノクラス直後の券。共にあっさりとした地図となっている。


・京王電鉄

左は三等制時代の券で旧字体が使用されている。右は二等級制時代の券ですっきりとした地図となった。


モノクラス後の券。久我山・高尾山口の券の用に発駅名縦書きの券はこの時代では希有な存在であろう。


・小田急電鉄

省電区間連絡用の初期券。省線のA型地図券と同様の地図が使用されている。
稲田登戸は現、向ヶ丘遊園(昭和30年改称)。



上段は三等級制時代の券で赤地紋、新原町田の券は二等級制時代で青地紋になった以外は大きな変化はない。
代々木八幡の券ははモノクラス制施行後で着駅の丸が大きくスカスカしたデザインになっている。
登戸多摩川は、現、登戸(昭和33改称)、新原町田は現、町田(昭和51年改称)。


サーマル式券売機券の国鉄連絡券。藤沢接続の山手線内向けの券である。


・東京急行電鉄


上段は三等級制時代初期の券で戦前B型地図券に酷似している。その後下段の様に線も太く見やすい地図となった。
都立高校は現、都立大学(昭和27年改称)、自由ヶ丘は現、自由が丘(昭和41年改称)。



二等級制時代の券。有効区間のみがクローズアップされており、当時の国鉄券に合わせた様式になっている。
北千束の券には着駅区間外の品川が表記されている。



モノクラス直後の券。東急は接続駅が多くかなりの種類が存在する。


・京浜急行電鉄


上段は三等級制時代。鮫州の券は初期の券で南馬場の券と国鉄の有効区間が異なる。学校裏は後期の券で運賃の次に等級表示となっている。
下段は二等級制時代の券で、青地紋になり地図が若干大雑把になっている。
学校裏は現、平和島(昭和36年改称)、北馬場・南馬場は現、新馬場(昭和51年統合)、逗子海岸は現、新逗子(昭和60年京浜逗子と統合)。


モノクラス直後の券。二等級制時代と大きな変化はない。
京浜大津は現、京急大津(昭和62年改称)。


・相模鉄道

左は二等級制時代の券、右はモノクラス後の券でかなりの高額券。
いずれも全体的に丸みを帯びたデザインの地図になっている。


京浜急行電鉄連絡券。左と中央は二等級制時代の券、右はモノクラス後の券だが様式に大きな変化は無い。
中央の地図がV字型に配置されているのは、京浜新子安(昭和62年、京急新子安に改称)の表記に帳尻を合わせている為と思われる。


小田急電鉄連絡券。モノクラス後の券で取り立てて特徴のないあっさりとした様式となっている。


・湘南モノレール

左はは初期の青地紋券、右は後期の赤地紋券で国鉄の区間だけ小児運賃が併記されている。


・江ノ島電鉄

左は社名が「江ノ島鎌倉観光」時代の券。中央・右はJR化後の券。赤地紋で、初期の新潟印刷場発行券の様な極細・極小の着駅表示になっている。
現社名に改称されたのは昭和56年である。


・秩父鉄道

国鉄時代の券。直線的な地図で券面全体に対し地図が小さい。また、有効区間以遠の山手線内表示が点線になっているのは他に例がない。


・富士急行

国鉄時代の券(左)とJR化後の券。現在も発売している数少ない券の一つ。
ハイランドは現、富士急ハイランド。


・京阪電気鉄道

二等級制時代初期の券。発駅から連絡駅まで自社線が書かれており、また国鉄線の表記のされ方が特徴的である。(二枚とも表示は異なっている)


二等級制時代後期の券。国鉄線表示が極端に簡略化され雰囲気が一変している。


モノクラス後の券。地紋は赤地紋となり、国鉄線表示はさらに簡略化され途中駅表示もなくなった。


・南海電気鉄道

モノクラス直後の券で新今宮接続(左)と天王寺接続(右)の券。発駅から連絡駅まで自社線が書かれているのが大きな特徴。
右の今池町は天王寺支線の駅で、平成5年に天王寺支線廃止により廃止されている。


その後、社紋変更に伴い新地紋となった。接続駅枠が楕円になっている以外には変化はない。


大阪市営地下鉄連絡のA型連絡乗車券。国鉄連絡と同様に発駅から連絡駅まで自社線が書かれている。


・福岡市

姪浜で発行された博多接続の国鉄・JR連絡券。
初期の券(左)はA型・小児断線付きであったが、後期の券(右)はB型・断線なしで発行されている。


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