*「この一枚!」過去の履歴(4)<No.46〜60>


No.46
天竜浜名湖鉄道発行の連絡・循環乗車券。自社線を全線走破し、JRで掛川に戻ってくる経路になっている。現在発行されている数少ない常備の循環乗車券である。

No.47
松山市(松山港)発行の桟橋入場券。この松山港を始め各地の桟橋では送迎用の桟橋入場券を発行している所もあった。

No.48
昭和51年2月8日の浜川崎駅構内工事の為、バス振替用に発行された連絡乗車票。区間・日付とも常備で発行駅のみ補充となっている。

No.49
往復割引異級乗車券の半券。二等級制後、片道1000キロ以上の往復が2割引となり「復割」の影文字が使用されるようになり、また異級乗車券も「異」の影文字が使用されるため「異復割」と三文字の影文字が入った稀少券である。

No.50
車内乗換準急行券。この券は三等準急行券所持の乗客が、車内で二等車に上級変更(乗換)した際に発行される特殊券。二等級制施行時に「車内上級変更準急行券」と改称されるまで使用された。

No.51
国電区間用B型異級乗車券。国電区間内用の異級乗車券にはB型券が使用されていたが、設備した駅が少なかったため稀少である。

No.52
硬券印刷式券売機券。昭和38年6月1日から東京急行大岡山・渋谷両駅で試用された券売機券で、B型硬券にその都度印刷する印刷式の券である。
他に相鉄などでも試用されたが、硬券に印刷する方式であったため、印板の劣化が早くすぐに印刷が不鮮明になる不具合があり、早晩姿を消してしまった。

No.53
国鉄経営山の家宿泊券。国鉄では大山・道後・仁山・ニセコ等に直営の「山の家」を持っており、そこに宿泊する際に発行される硬券宿泊券。上掲の常備券の他、準常備券も存在していた。

No.54 表
鉄道院漢字官割乗車券。大正7〜9年頃に使用された右書き官割断線入り乗車券で、裏面には必ず英語表記が入っているのが大きな特徴。
大正8年12月の公示で左書き・裏面英文無しに改められるため、使用期間は以外と短かった。

No.55
国鉄高速バスドリーム6号学割完全常備乗車券指定券。学割の完全常備券は稀少である。

No.56
こだま号自由席特急券代用証のグリーン車用券。特急券代用証は職員の公務等で使用される券で、この券は新幹線「こだま号」の当時存在した自由席グリーン車用の券である。
普通車用が赤地紋であるのに対し、グリーン車用は淡緑色地紋で「G」の黒活字が大きな特徴。
昭和47年の新幹線岡山開業の際に「新幹線自由席特急券代用証」と名称が変更されるため、稀少な券である。

No.57
伊豆箱根鉄道線内用一等乗車券。国鉄乗り入れ列車の一等車に自社線内だけ乗車する際に発行される券。自社線内のみの乗車は需要が少ないため常備券は少ない。

No.58
大阪駅A型赤線入り10銭入場券。大阪駅で発行されたA型赤線入り10銭入場券は、他駅と異なり注意書きが「客車内及制限した場所には立入出来ません」となっている。
その後B型でも同様の注意書きの券が発行されたが、戦中の混乱期に通常の注意書きに戻ってしまった。

No.59
万国博覧会用着札明瞭化対策乗車券。昭和45年3月10日から9月13日の間、万国博覧会対策として乗車券の着駅別色分けが実施された。
大阪(市内)着は淡黄褐色地紋・京都(市内)着は淡紫青色地紋・東京(電環・都区内)着は淡黄緑色地紋が使用された。
この券は東京電環着のため、淡黄緑色地紋となっている。

No.60
軟券1等補充片道乗車券の試用券。昭和39年2月1日から国鉄千葉支社、同年10月から各支社の1局で試用された。
昭和41年3月(東鉄では40年10月)正式採用された券と大きく異なるのは表面に「普通乗車券」の表記が無いことである。

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