*「この一枚!」過去の履歴(5)<No.61〜75>


No.61
バス駅発行の異級乗車券。国鉄バス2等、青函連絡船1等の異級乗車券で、酸ヶ湯温泉〜(国鉄バス)〜青森〜(青函連絡船)〜函館と乗り継ぐ為、鉄道線を通らない珍しい券である。
No.62
国鉄経営山の家宿泊券の準常備券。通常は常備券で発行されるのが一般的だが、稀にD型準常備券も使用されていた。

No.63
帝都高速度交通営団「区」表示乗車券。昭和39年3月25日に従来の地図式・相互式に代わり、「区」表示付きの金額式乗車券が発行された。
が、同年7月の日比谷線中目黒延伸時に「区」表示が廃止されたため、非常に短命な様式である。(実際には残券を売り尽くすまで使用されていた)
No.64
4月1日らしく(?)珍品を…
大阪高島屋お好み食堂の硬券食券。もちろん鉄道の切符ではないし、お笑いコンビの名前でもない(笑)。
No.65
国鉄バス駅発行私鉄連絡乗車券。国鉄バス天竜線遠江西川〜西鹿島経由〜遠州鉄道新浜松となっており、国鉄バスから社鉄道線へ直接連絡する珍しい券。
No.66
営団地下鉄線別均一制乗車券。昭和38年2月の荻窪線(現、丸ノ内線新宿〜新中野・中野坂上〜中野富士見町間)開業に伴い、銀座・丸ノ内線と荻窪線で線別均一料金制が実施された。
その際、各線内用は地図式だったが、各線相互間は相互矢印式が採用された。同年3月には日比谷線が加わり、銀座・丸ノ内線←→荻窪線は赤線縦一条、銀座・丸ノ内線←→日比谷線は赤線縦二条、荻窪線←→日比谷線は赤線なしとなっていた。
同年11月に線別均一料金制が廃止されたため、短命に終わった様式である。
No.67
進駐軍専用乗車券。進駐軍専用車用のローマ字入り乗車券で、日本語表記よりローマ字表記の方が大きく「○進」または「(進)」の表示がある。一般的にはA型黄地紋券だが、青地紋券やB型券も稀に存在する。
何れにせよ大変稀少な券である。
No.68
常備国鉄連絡異級乗車券。社線内が2等、国鉄線が1等となっている異級乗車券。連絡券の場合、異級常備の補充式で設備される事はままあるが、このような常備券は少数派である。
No.69
新幹線指定席特急券と季節列車の乗継連綴式券。昭和47年12月から帰省客輸送に便利な新幹線指定席特急券と季節優等列車等を連綴式の一葉化券で発行した。
D型緑色地紋で47年以降・48年12月・49年7・12月と発売され、新幹線博多開業時に廃止された。
また、この券は東京発行の帰り用常備券で、発時刻及び発駅は裏面に列記されている珍券である。
No.70
A型列車指定券。太平洋戦争激化に伴い、昭和19年4月に「輸送戦時特例」として優等・普通列車に関係なく100km以上の乗車券に発売制限が実施された。
さらに、同年10月より列車指定制となり、その際に交付された券。
各地区で様式の統一性は無く、大部分が無地紋の粗末な様式であった。

No.71
羽越本線「今川信号場」入場券。国鉄の一部の信号場では客扱いを行い、乗車券類の発売も行われていることがあった。
中でも今川信号場(現在は駅に昇格)では入場券も設備されていた。流石に常備券の設備はされず、隣駅「越後寒川」の2番窓口扱いとした上で、「今川信号場」のゴム印を押して発行している。
このような例は極めて希で、稀少な券となっている。

No.72
斜線入り湘南準急行券。昭和24年から東京〜熱海・伊東間に「いでゆ」「いこい」「伊豆」など準急列車が多数運行された。
これらは「湘南準急」とよばれ「列車名・発駅・発時刻」が指定された準急行券が発行された。
が、週末臨などごく一部に列車名が無い準急があったため、通常は「○○号準急行券」と表示されるが、当該列車用に「湘南準急行券」と表示された準急行券が発行されていた。

No.73
三社連絡券。新潟交通のバス駅相川(佐渡島内)発行の券で、自社バス→佐渡汽船→国鉄の三社連絡となっている。
バス→船→鉄道を乗り継ぐ珍しい券。

No.74
国会議員特別急行列車座席指定票。国会議員が国会議員用鉄道乗車証使用し、特急に乗車する際に発行される。
裏面の注意書きに「割当座席が満席となつているときは、お求めに応じかねます」(原文まま)とあるのは至極当然の事だが、券の特殊性を考えると苦笑せざるを得ない。

No.75
初期の自動改札機対応国鉄定期券。昭和48年武蔵野線開業の際、合理化モデル線区として自動改札機が導入された。
府中本町・西国分寺・南浦和・新松戸に電気式(光学式)定期券印発機が設置された。
この券は南浦和・新松戸に設置された三菱製の湿式印発定期券で、券紙にフイルムから露光→現像液で現像する為券面に汚れが出るのが特徴。
また磁気部分は券紙と独立しており(券紙より大きい為、表側から見える)、磁気カードに券紙を貼り付けたような券である。

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