*「この一枚!」過去の履歴(7)<No.91〜>


No.91
寝衣券。寝台車サービス向上のため、昭和9年10月25日から1等・2等寝台に浴衣が用意され、1回10銭で貸し出された際に発行された券。
昭和15年8月に浴衣貸し出しが廃止されるまで使用された。

No.92  表  裏
新地紋入りひらがな官割券。明治末期頃から、網目模様やベタと呼ばれるものから、現代の様式に近い「IGR・てつだうゐん」地紋が使用されるようになった。
これはその新地紋が採用された初期の券で、且つひらがな・官割表示の券。裏面にローマ字表記があるのも大きな特徴。
大正元年〜8年頃迄発行され、以降は漢字表記となったため、ひらがな表記券としては末期の券である。

No.93
立席特約常備急行券指定席券。所謂「立席急行券」で、急行券指定席券の席番指定の所に「立席特約」の表示がある。

No.94
京浜急行電鉄バス・航路連絡乗車券。京浜急行には航路連絡券が各種有るが、この券は線内各駅〜浦賀〜浦賀港〜伊豆大島の券で、赤線横一条が入っている。

No.95
国鉄関東支社A型汽車区間用両矢印式乗車券。昭和33年1月23日から関東支社管内で試用された両矢印式券で、電車(電特)区間はB型、列車(汽車)区間はA型で発行された。(この券は列車区間用のA型)
試用券の特徴として、「3等○○円」表示、「(裏面注意)」表示の他、初期の試用券は発駅が括弧でくくられていた(後期の物は四角枠)。昭和33年10月1日から両矢印式が正式採用された際に「○○円3等」表示、裏面注意表示なし、発駅四角枠となったため、試用様式は短命に終わっている。

No.96
C型二等並型寝台券。寝台券は大正7年から冊子式軟券となっていたが、能率向上の為、大正14年2月から甲乙片付きのC型硬券となった券。
(実際に発行された券の為この券には存在しないが、右半分側に乙片がある。)
大正末期には乙片なしのA型となった為、発行期間は短い。
また、「並型」寝台表示は「大型」寝台(旧「二人床」寝台、つまりWベット)に対するもので、この表示も昭和初頭に無くなっている。

No.97
特定都市内発着の普通列車用グリーン券。普通列車グリーン券の常備区間としては最長の部類に当たる。

No.98
大正初期弐銭入場券。大正初期頃から使用された弐銭入場券で、ダッチングも含め右書き、表券番の様式となっている。
大正7年8月に東京・上野・大阪が十銭。他駅が五銭に値上げするまで使用された。

No.99
軟式特殊乗車券の硬券。昭和19年に戦時特例として、東京近郊で金額式軟券(軟式特殊乗車券)が使用された。基本的には軟券だが、一部高額券は硬券で発行されていた。
この初期様式硬券の発行数は少なく、稀少な存在である。

No.100
罹災者乗車整理票。太平洋戦争時、空襲等の罹災者に対し発行された整理票。各地区で様々な様式が存在するが、この券は東京鉄道局で使用された券でB型硬券となっている。

No.101
乗車券連綴式の縦3本入り「急行券」。昭和40年10月から赤縦線が廃止されたが、昭和41年3月の運賃改正で急行料金が100・200・400・1000・1001キロ以上の五地帯制となった。
その際、余剰となっていた赤縦線入りの券紙を急行券に流用、100キロ用縦一本、200キロ用縦二本、400キロ用縦三本で使用された。
この券は、乗車券特急券連綴式の余剰券紙を乗車券急行券連綴式に流用した稀少券。


No.102
新潟印刷所D型こだま号自由席特急券。列車指定のないこだま号自由席特急券は昭和40年から発行された。昭和44年のモノクラス制施行後、新潟印刷場のみが赤地紋D型券となった。
昭和47年の新幹線岡山開業以降はA型券となったようである。


No.103
万国博会場ゆきハイウエイバス乗車券。万博開催中にドリーム7号名古屋行きを万国博会場まで延長して運転された。
東京発の券には、青地紋(7月頃から淡黄緑色地紋)に赤刷りで万博マークが加刷されていた。


No.104
C型補充往復券の戦時特別運賃券。復路片に「特別運賃、税共」表示がある。
混乱期の為、このような状態で残っている券は少ない。

No.105
札幌印刷場次回要求券。印刷場に券の請求する際に使用する券。この券は無地のボール紙に赤影文字で「次回要求券」と印刷されている。

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