*信越本線(碓氷峠)*

日本有数の鉄道難所として知られた「碓氷峠」は、建設当初より最大の難関とされ、ループ線・スイッチバック等様々な方法が検討され、その中から「アプト式」が採用される。
明治17年開通の高崎〜横川間、明治20年開業の直江津〜軽井沢間に遅れること数年、明治26年にようやく横川〜軽井沢間が開通した。
開業当初は蒸気機関車だったが、明治44年に電気機関車を導入、大正10年に全面電化される。
戦後、輸送量の増大や高速化に対応する為、アプト式→粘着式への変更と複線化のため新線が建設され、昭和38年に新線が開業し国鉄唯一のアプト区間は廃止された。
全国各地の鉄道難所が改善され、補機を必要とする区間が消えていく中、碓氷峠はEF63による協調運転が続いていたが、
長野冬季オリンピック開催が決定され、長野新幹線の建設が開始、並行区間の篠ノ井〜軽井沢間は第三セクター化が決定したが、急峻な横川〜軽井沢間は当該区間の乗客が少ないことも相まって廃止が決定、平成9年9月30日に廃止された。
平成9年10月1日から軽井沢〜篠ノ井間は「しなの鉄道」に移管され、現在に至っている。


<路線図>(●途中廃止、(信)は信号所)※軽井沢〜篠ノ井間はしなの鉄道として現存

  (信)(信)(信)  中 信
 横 丸 熊 矢 軽 軽 濃 御 平 小 滋 田 大 上 西 坂 戸 屋 篠
     ノ ヶ 井 井 追 代             上       ノ
 川 山 平 崎 沢 沢 分 田 原 諸 野 中 屋 田 田 城 倉 代 井
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 よ ま く や か な し み ひ こ し た お う に さ と や し
 こ る ま が る か な よ ら も げ な お え し か ぐ し の
 か や の さ い か の た は ろ の か や だ う き ら ろ の
 わ ま た き ざ る お   ら           え       い
     い   わ い い               だ
     ら     ざ わ
           わ け


碓氷峠唯一の途中駅、熊ノ平の入場券。新線切り替え後の昭和41年1月31日限りで信号所に格下げされた。





JRに残った軽井沢・小諸・上田を除いた各駅の入場券。



等級制時代の乗車券。上段は戦前券で沓掛は後の中軽井沢。
下段左の券の着駅に熊ノ平がはいっている。



モノクラス以後の国鉄券。下段左は滋野の委託券、中央はその簡易委託券。



JR券。下段は滋野の簡易委託軟券。転換前の9月28日頃に販売を取りやめている。



軽井沢〜信濃追分間では硬券地図式乗車券が発行されていた(上段は国鉄券、下段はJR券)


熊ノ平発行の急行券。熊ノ平から乗車する人は少なかった為、乗車駅は補充となっている。





碓氷峠を越えていった数々の優等列車の券。坂城発行のJR券以外は全て完全常備券である。


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