夕張炭田の大部分を所有していた北海道炭砿汽船(北炭)は、輸送力の増強と自社系輸送によるコストダウンを目論み夕張鉄道を設立、大正15年10月14日栗山(室蘭本線栗山)〜新夕張(後、夕張本町)間、
昭和5年に野幌(函館本線野幌)〜栗山間を開業し夕張から室蘭・函館本線への短絡ルートを完成させた。
「夕張神話」とまで呼ばれた良質の夕張炭輸送により飛躍的に盛業し、昭和27年には道内の国鉄線に先駆け気動車を導入、また夕張本町〜野幌間に有料急行列車も運転された。
しかし、昭和30年代後半にさしかかると石炭産業に陰りが見え始めると、国の政策により生産性の高い大炭鉱に採掘・近代化が集約され、採算性の悪い炭鉱は閉山に追い込まれはじめる。
夕張鉄道沿線の炭鉱は国の近代化政策から外され、石炭輸送量・旅客輸送量も減少し昭和46年11月14日に鹿ノ谷〜夕張本町間を廃止、残された野幌〜鹿ノ谷間も昭和49年3月31日限りで旅客輸送を廃止する。
旅客廃止に合わせて、全線が北炭に譲渡されるも僅か一年後の昭和50年3月31日に全線が廃止された。
北 中 海 央 鉱 営 夕 野 鋼 上 下 晩 南 双 北 農 栗 角 継 新 錦 平 業 夕 若 林 鹿 末 張 機 江 の 長 試 二 所 製 所 ノ 本 幌 前 別 月 翠 幌 葉 沼 前 山 田 立 岐 沢 和 前 前 菜 前 谷 広 町 ○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○−○ の ほ か し ば な ふ き ち く か つ し に へ こ ゆ わ え し す ゆ っ っ み も ん ん た た ゅ り く ぎ ん し い う う か い か え う ぽ か え の す ぽ ば な う や た た ふ き わ ぎ せ な り の ひ ば ろ い べ つ い ろ が お ま て た ざ ょ い ん た ろ り こ つ き ぬ う ま わ う ま し に ほ う ま の た し え ょ ん き う ょ ま ち ま し ま え ょ え ま え う え
夕張鉄道では相互式が広く使用されている。夕張本町と錦沢の券は二等級制時代の券で、錦沢の券には社名に括弧が付いていない。
栗山の券モノクラス後の券で、相互矢印が太くなっている。
両矢印式券も一部で使用されていた。こちらは二等級制・モノクラスで様式に変化は感じられない。
A型券は一般式が主流である。自社線内でも乗車区間が長いと二日間有効となっている。
右のモノクラス券は発行駅が「谷ノ鹿」となっているミス券である。
A型券よりも一回り大きい軟券乗車券も使用されていたようである。
地図式券は鹿ノ谷・営林署前兼用のため、地図上では発駅が判別できない。
4日間有効のD型往復乗車券と、二日間有効のB型往復乗車券。
夕鉄バス連絡乗車券。北海鋼機前接続で自社バスを札幌まで運行していた。
若菜の券は二等級制時代、上江別の券はモノクラス後の券で、表の様式が異なるほかに裏面(右)に札幌大通と印刷されている。これはバスのワンマン対応であろう。
国鉄連絡乗車券。上段は戦前、3等級制時代、2等準常備券。下段はモノクラス券。
南幌向(みなみほろむい)は昭和38年に南幌(当時の読みは「みなみほろ」、43年に読みを「なんぽろ」に改称)に改称。
有効当日限りの券は自社線内同様B型の相互式が多く使用されていた。
軟券補充片道乗車券。控片がついたままの廃札。
社線内の急行券。上段左の券は「急行券」の赤影文字があるが、この券は脱色が酷く殆ど判別できない。
上段左は乗車券急行券連綴式券で、全国的にも社線での設備例は少ない稀少券。
下段は車内用急行券。
通学定期券と通勤定期券。若菜発行の券は国鉄連絡常備。
戦前の冊子式回数券。左は表紙で、右は表紙をめくった冊子内の様子。
新夕張は昭和29年に夕張本町に改称。
錦沢発の入鋏式軟券乗車券。バス連絡の札幌大通まで発行できる。
この券は乙片(控片)の為無地紋となっている。
車内乗車券。各駅相互間で簡単に発行できるよう階段状の表となっている。
車内片道乗車券。発駅が有る程度固定されている。
太枠内は当日限り有効で太枠の外は2日間有効となっている
夕鉄バスの車内で発行される鉄道・バス連絡乗車券。
手回り品切符。
国鉄からの連絡乗車券。