刻印石

家康・秀忠・家光と三代にわたる江戸城築城石の切り出しの大部分は伊東

家康が江戸へ入った頃の城は、貧弱なものであったが、関ヶ原の戦いに勝って江戸が天下の中心となるにつれて、家康はここを壮大な城に作り替えた。その基礎となる石垣用の石の大部分は、伊豆から運ばせた。慶長10年(1605)から始まる30数年の間に、何回にもわたって全国の大名に命じて石を切り出させた。伊東はその中心的な場所にあたるので、いたる所に大名の石切場(石の切り出しを行う場所)が置かれ、村の人口の数倍にもあたる作業員が来ていた村もあった。多い時には、三千艘もの船が、月に2度ずつ江戸と伊豆の間を往復したといわれ、伊東の村々にも大きな影響があったと思われるが、具体的な内容については、よくわかっていない。現在の皇居(昔の江戸城のあと)の石垣の中にはこうして伊豆から運ばれた石が沢山入っている。

 

刻印石(こくいんせき)とは

採石された石には{刻印}が刻まれつけられる事が多く、この刻印が助役大名を決める決め手として重要である。{刻印}を{石垣にノミで刻んだしるし}で{刻印石}と称する。

駅前刻印石

上の写真は、○の中に十一と書いてあるようです。前田家なのか松平家なのか説が二つで困っています。

以上は伊東観光協会の作成したパンフレットからの引用ですが、10月15日に宇佐美のハイキングコースの石切場コースを歩こうと言う企画があります。それを機に地元の事をもっと知りたいと思い上記の刻印についてご存じの方がいらしたらご連絡ください。宇佐美観光会で刻印石の説明書き看板を作る予定です。


(2000/7/7)江戸城の幸島さんからのメールです。

こんにちわ!幸島です。お返事が遅れて申し訳ありませんでした。
写真を拝見しました。家紋とわかる物もあれば
ただの目印とか思えない物もありますね。
たしか、あの場所から石垣を運んだ大名は
殆ど、西国大名でした。中には、豪商が一家あったような
気がしますね。豊臣恩顧の大名の力を削ぐために
役を命ぜられたのです。有名な所なら加藤家、細川
福島、黒田、毛利、島津ですね。たしか合計で28家
合ったと思われます。
 もう少し、調べてみますのでお待ち下さい。
台風が近付いてますね。お気をつけ下さいね。
では、失礼します。