異文化コミュニケーション(5)
外国人用仏教体験セミナー(1)

 日本に長期・短期滞在している外国人の数は現在どのくらいいるのでしょう。その人たちは日本の社会と文化をどのように見て、日本人をどう理解しているのでしょうか。私は約10年間在日の外国人を対象とした仏教体験セミナーを企画運営していましたが、そこでの参加者からの意見は「日本人に日本の文化について質問をしてもほとんど満足の行く答えが返ってこない」でした。彼らは意味を尋ねています。「なぜ、このようなことをするのか。」「どうしてこうなっているのか。」など今の日本の宗教・文化・社会にある慣習・哲学・思想の意味を知りたがっています。しかし、日本人にとって、日常自らが行っていること、見聞きしていることは当たり前のことと考えて、ことさら何のためにしているかなど意味を考えたこともなかったため、いつの間にか形だけが残り、意味の部分がなくなってしまったようです。ガイド通訳の人たちと話したとき、日本の習俗・文化・宗教について聞かれた時どのように応えているかを質問したところ、「それは昔からある日本の習慣です。」で済ませていると聞いて驚きました。国際化を外国語と外国について学ぶことだと思っている人が大半ですが、自分の文化を学ばなくては相手とコミュニケーションがとれません。異文化交流の基本は自文化を学ぶことです。それによって、異文化の価値判断の異なる相手と討論をすることができます。言い換えれば、異文化の人たちと接触することで、自分の文化そして自分自身の理解が深まっていきます。お寺で異文化の人たちを対象としたセミナーを開くことは、参加者の仏教への理解を深めるというよりは、スタッフである僧侶の仏教理解を深めることが目的であるといっても良いかもしれません。
お寺にいると、社会との接触がかなり限られます。檀家や信徒以外の人たちとの付き合いはあまり多くありません。そしていつも顔を合わせている人たちからは、以前から同じ事をやっている限り、疑問や意見はほとんど出てきません。その意味で慣習というのは、大きな力を持っているのです。「しきたりを知らずに、聞くのは恥ずかしい」「こんなことを聞いて失礼にならないだろうか」という気持ちが檀信徒の人たちに僧侶への質問をためらわせているのです。

企画立案
場所選び
 外国人仏教体験セミナーを開くにあたり、まず考えたのが開催場所です。おそらく全国から応募してくるであろう参加者の交通の便を考えた時には、まず東京及びその周辺が望ましいと思われました。ある程度の寺院規模があり、週末に集中すると思われる法事に影響されないこと、そして昼夜通して施設内に静寂が保たれ、外の音が入ってこないことを条件としました。都会で、静かで、余裕のある施設となると、一般寺院では不可能です。開催場所は必然的に本山・大本山寺院ということになりました。そして選ばれたのが、東京都大田区にある日蓮宗大本山池上本門寺です。
スタッフ
 スタッフには日蓮宗の僧侶で、アメリカの大学院での修士号を持っている者、海外での布教経験のある者を中心に若手の僧侶を勉強させる目的でメンバーに加えました。また日蓮宗だけでなく、天台宗・臨済宗の僧侶も加え、平均年齢三十代のスタッフとなりました。セミナーでの言語は英語であるため、中心スタッフは英語で大学の講義ができる者から、片言の英会話のできる者まで、様々なレベルの語学力を持つ者が集まりました。ただし、語学力だけでスタッフを集めたわけではありません。日本人相手の言葉のごまかしが通用しない外国人を相手に、自分の宗教観を伝えることができ、自らの信仰に対する理解を深めることを目標とする僧侶がスタッフとしてふさわしいと考えました。語学ができれば、スタッフに入れるというような誤った国際化の発想からは離れるように注意しました。このセミナーは単なる外国人に対するサービスではなく、僧侶の宗教に対する理解力と思想を伝える能力の向上が真の目的であるからです。スタッフである僧侶には、自分が考えて行うことが相手に通じているのかどうかをこのプログラムの中で検証することを要求しました。
セミナー内容1 基本方針
このセミナーでは教育機関での講義とは異なり、教えと世界観、それに基づく行動哲学、実践倫理、現代社会との接点など、簡単に言えば包括的な意味での「仏教とは何か」を提示することを目標としました。ただし、伝えようとするものがあまりに広範囲に及ぶため、その一側面である実践哲学としての日蓮宗の仏教を体験してもらうことに主眼を置くことになりました。仏教では、最後の目標である悟りに様々な道が用意されています。
セミナー内容2 修行か体験か
仏教では梵行といい、修行は長く続けることが必要であるとされています。最近、いわゆる「修行ブーム」のため、1日〜3日のプチ修行が流行っています。これらは修行の「体験」であって、これが修行そのものではありません。1回滝に打たれたから、気分が晴れ晴れとした。これでは風呂に入って気分が良くなったと言っているのと同じです。座禅を1時間やった。だからなんだの世界です。修行の目的は日常生活のリズムをつくることです。1日や2日では生活のリズムを作ることなどできません。1日半日1時間の体験でできることは、自分の生活の中での生き方のヒントをつかむことです。
セミナー内容3 A Day in the Life of Buddhism?
3日間のセミナーの間、参加者に何を見せて、何を体験させるべきか、議論がありました。特別に見せたり、普段の生活と違うものを見せるのでは、実際の寺での生活を体験することにはならないのではないか。いつもと変らぬ生活に参加させればよいのではないかという意見もありました。しかし、寺の生活一年間365日の一日だけを切り取って見せてそれが仏教ですというやり方は誤解を受けることにつながるのではないかと考えました。
修行場として外界と隔絶されている寺での生活と、檀家や信徒とのつながりのある寺、地域住民や一般参拝者の多い寺での生活とではその内容が全く異なります。多くの修行僧が集まり、自己の修行を一番に考える寺では、僧侶は外界と遮断され、一般社会との接触が全くあるいはほとんどなくなります。生活のリズムは毎日ほとんど変らず、365日の中の一日を切り取って見せても、ある程度は参加者が寺の生活を体験したと言えます。これに対し、一般の寺で檀信徒との関係を持ち、布教をしながら、それを修行として一日を過ごす僧侶の一日は全く異なります。一日中掃除をしている日もあります。檀家周りをしている日もあります。地域の集会に出ている日もあります。一般を相手に法話や講演をしている時もあります。そのように内容が全く異なる日常から1日だけを抜き出して「これが仏教です。」は誤解を招くだけであるという考えから、365日を3日につめて行うための特別なプログラムが必要であると判断しました。
セミナー内容4 質疑応答
セミナーの中で最も時間をとりたかったのが質疑応答です。私が外国人を対象とした講演会やセミナーで話しをする時は、全体の三分の一は質疑応答に当てていましたが、それでも足りないくらいでした。質問の内容も私の話に関連することばかりではなく、仏教全般さらには日本文化全般に関することまで多種にわたっていました。日本人に日本文化のことを聞いても答えられる人がほとんどいないので、聞きに来たというのが参加者の出席動機のひとつと聞いて納得しました。確かに現代の日本人で自分の文化について、その意味を理解している人は少ないでしょう。(ただし、自国の文化の意味を理解していないのは日本人だけではなく、万国共通です。人間自分のすぐそばで、日常的に起こっていることには関心を払いませんから。)そこで、最終日に2時間質疑応答の時間をとり、足りない人は質問用紙に質問を書いていってもらい、後日答えを郵送することにしました。
セミナー内容5 食事
寺の食事と言えば精進料理。しかし、この精進料理、一般に誤解されていることもあります。まず仏教は肉を食べることを禁じていると思っている方が非常に多いようです。正確に言いますと、これは正しくありません。仏教では原則として肉食を禁じているわけではありません。仏教では縁を大切にします。良い縁を作ること、悪い縁を取り除くことが仏教の修行の目的です。日常の生活もその点から考えていきます。食事も縁です。動物・植物の命をいただくことになります。菜食は動物の命を奪わないから殺生ではないのではありません。植物も生き物です。菜食も生物である植物の生命を奪うことから、殺生であることに変りはありません。大切なことは、私たちはそのように他の犠牲のもとに自分を支えることができるという、ある種残酷な縁によって存在していることを認識することです。精進料理はそのことを確認するための行であると考えます。托鉢で一般の家庭から施されたものはすべて食します。つまり、一般家庭と同じものを僧侶は食べているわけです。一定の期間、菜食を続けることは、食についての考え方を確認することが目的であると考えます。
このセミナーを開くにあたり、食事をどのようにするかを考え、菜食の精進料理とすることにしましたが、前述のような意味を明確に説明することにしました。
セミナー内容6 日程
セミナーを何日間行うかについても検討されました。最終的な結論は、金曜日の夕方集合し、日曜日の午後まで二泊三日で行うことになりました。ここでのポイントは、セミナーで朝起きてから寝るまで丸一日寺の中で過ごすようにすることです。一泊二日では、2日間とも半日ずつで、個別のプログラムを体験することはできるのですが、寺での「生活」を体験したことにはなりません。「生活」にはリズムがあります。緊張感を持つ時間、ほっとする時間、一人静かに考える時間、人と話し合う時間、それらがバランスよく組み合わされて一日の生活ができあがります。それぞれの時間は個別に存在するのですが、つなげてみると時間の流れに抑揚・リズムがあります。一見単調に見える寺での修行・生活もその中に絶妙なリズム感があり、それが修行している人間の持続力維持につながっています。また異なる修行を連続して体験することで、それぞれの特徴を感じることもできます。それには丸一日の生活を体験することが必要であることから、セミナーを二泊三日にし、中日に丸一日体験する日をつくりました。
受付開始
実施が決まると次は広報です。広く一般に集めるため、ジャパンタイムズを使い全国に広報しました。またICUや上智大学など留学生の多い大学にも案内を送りました。そして新聞に載った翌日から問い合わせの電話がかかってくるようになりました。ここで問題が生じました。今回のプログラムのスタッフは責任者である私を含め、大半が外部の人間です。本門寺には英語のできるスタッフが一人しかいません。その人間が事務所を離れている時は、英語での応対ができません。電話がかかってきて「はい、池上本門寺でございます。」と言うといきなり「Hellow! I would like to **O&$¢♀∞#?」これで電話に出た人間はパニックです。英語のできるスタッフが事務所にいればすぐ代わって応対しますが、いない時は誰かに代わろうと周りを見回します。すると英語の電話であることを察知して、周りから人間がすぅ〜っといなくなります。しばらくの間「Hellow!」を恐れて、電話が鳴っても誰も出ようとせず、事務所の全員が電話恐怖症にかかったようでした。
日程
セミナーの日程は金曜日の夕方集合、日曜日の午後二時解散と決められました。申し込みは九州から北海道まで、文字通り全国から入ってきました。参加申込者の大半がJETプログラム、つまり日本の学校で英語を教えている外国人講師の人たちでした。日本の学校で教えていても、日本の文化・宗教について学べる機会がないようです。このセミナーは十数回続けて行われましたが、毎回多数のJETの講師たちが申し込んできました。各地方の寺で日本の宗教文化について意味を説明できるセミナーが開催されれば、多くの関心を持つ在日の外国人が申し込んでくるでしょう。
料金
このセミナーの目的は様々なプログラムを行い、参加者の理解を認識して、布教伝道についての知識の向上を図ることにありました。その点からすると、参加者にモニターとして参加してもらうという意味もあるため、参加料を無料にしてもよいのではないかという意見もありました。しかし、宗教関係の無料のセミナーは「何か隠れた魂胆があるのではないか」「教団に入れるつもりで行っていることではないのか」というように考えられがちです。もちろんセミナーに参加してから、仏教に興味を持ってくれればありがたいのですが、すくなくともこのセミナーでは入信に誘導するようなことは考えていませんでした。そのため、あくまで体験であるということをわかってもらうために、一定の金額を徴収することにしました。