
| 第3回よさこい沼津まつりを見て |
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よさこい狂、前夜 もう「友達が居るから観に行く」という次元ではなかった。 さっきの黄色の河童たちを何としてでも、もう一度観たかった。 夕方の仕事をいそいで済ませると、今度は前夜祭会場の狩野川演舞ステージに向かった。 会場に着いた時はちょうど始まったところだった。 司会者が舞台に上がる団体を「今度、踊っていただきますチームは・・・」と紹介している。「団体」の事を「チーム」と呼ぶ事はその時に初めて知った。 まだ、何もかも知らない事ばかりだった。 どこかのチームが舞台に登るたび、司会者のアナウンスをかき消すほどに会場中から大きな歓声が上がり鳴子が響く。 司会者の話で高知をはじめ札幌や仙台、東京からもチームが来ている事を知った。 招待されて来たチームという事だった。 札幌から来た「新琴似天舞龍神」、仙台から来た「逢聚」、そして昼間のパレードで見た黄色の河童たちが「須賀よさこい連」。 不思議な事に、どのチームもまったく違う踊りをしていた。 新琴似天舞龍神は踊りもさることながらその出で立ちが美しかった。踊りの大きさは見ているボクに舞台が狭すぎる事を感じさせた。 逢聚は”粋”だった。歴史の舞台に出てくる奥州のサムライを思い起こす、そんな力強さを見せてくれた。よさこい沼津が開催されている間、何かにつけて一番目立っていたチームでもあった。祭りの楽しさというモノをボクはこのチームから教わった。 次々と披露される招待チームの踊りが喧噪に拍車をかけていった。 いつもの沼津の祭り 沼津の祭りは、いつでも大勢の人は集まるが歓声が上がるという事はなかった。 年間で一番大きな祭りである「夏の花火大会」でも、それぞれが仲間内で騒ぐ程度で大きな声を上げるのは酔っぱらいと相場が決まっていた。 ボクは、そのシラけた様子を傍観して「本当に楽しいのだろうか」という疑問がいつでも湧いた。 それでも毎年、その祭りの時になればまた集まってくるのだから、たぶん楽しいのだろうと、そう思う事しかできなかった。 それほど沼津の祭りは反応が鈍い。 異彩を放つ踊りに興奮した観客は誰もが熱くなっている。 会場すべてが熱気を帯びて舞台も観客席もなくなっていた。 互いが何らかの共感を持ち会場が一体となっている。 会場の片隅に離れて見ていたハズのボクも、その会場の雰囲気に吸い込まれていった。 よさこいの効能 実行委員会にいる友人は、以前からよさこいが踊る楽しさの他に社会的に目を向けるべき事象がある事もよくボクに話してくれた。 「学び座」の上映や「よさこい沼津」の参加チーム勧誘に走りまわっていた彼は、「今、学校教育では校内暴力が問題になり、社会では酷い犯罪が増えている。人と人とのふれあいが少なくなり、隣人が亡くなっても何ヶ月も気がつかないなどという事件も新聞に載ったりする。よさこいは、ただ単に「踊り」と言うだけではなく、一年に一度のよさこいのために毎日みんなで考えながら練習を積み重ねる事が必要で、それが人と人との強い結びつきを生み、それらの社会問題も自然に解決できる。」そう言っていた。 健全な彼の言葉も、ひねくれたボクには「みんなが集まって踊りをすれば、そりゃー交流もできるだろう。」ぐらいの簡単な受け止め方しかできなかった。 けれども、その時の彼の言葉が突然、今、現実になってここにあった。 今、この会場で互いに鳴子を打ち鳴らし称え合っている彼らは、知人より全く知らない人の方がはるかに多いはずだった。 それなのに、これだけ一体になれるのは不思議というよりほかなかった。 ボクは、ハッキリとした理由を言葉にできないまでも「よさこい」がこの町に必要だと感じた。 |
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