終わりに(雑感)
11月12日、「よさこい沼津まつり」が終わった。
夏の高知から帰って来てそのまま休む間もなく「よさこい沼津まつり」の準備に入ったので、ボクの中では高知での「よさこい祭り」から先日の「よさこい沼津まつり」までが一つの祭りとして成り立っている。
夏の高知で頭に上り詰めた体中の血液が少しも下がる間もなく、そのまま先日の”よさこい沼津まつり”で体中を駆けめぐったような感じだった。
それから3週間経った今日になって、やっと「日常」に戻れたような気がする。

「よさこい」とは不思議な祭りで、時が過ぎれば過ぎるほど記憶が鮮明になっていく。全国大会が終わった追手筋、最後の総踊りで街中に響きわたった歓喜の声が、3ヶ月経った今でも自分の内側からにじみ出てくるように耳の奥底に響いている。その一瞬に凝縮された人々のエネルギーの大きさはボクのカラダには納まりきれず、ボクを包む周りの空気さえもエネルギーの固まりに変えて、今も生命の原動力としてボクの周りに凛々と満ちている。

「よさこい」は、ただ単に踊る祭りと言うだけでは語りきれない見る人すべての心を揺さぶる何かが確かにある。1年前の「よさこい沼津」で「須賀よさこい連」を初めて見た時に感動のあまり全身に鳥肌がたったのは、今にして想えば踊りが素晴らしかっただけではないような気がする。もっと奥底の人間の本能の部分を、その時にグッと掴まれてしまったようだ。

「よさこい」をもっと知りたい一念にとり憑かれたそれからの1年間、どこかで鳴子踊りの祭りがあると聞けば、無理にでも時間を作ってどこまでも見に行った。最初は訳も分からずにいたが、見て廻るに連れて踊りの見方も変わってきた。もともとHIPHOP系のダンスが好きだったボクは、鳴子踊りにも大きく激しく動くことを求めてきた。日本の伝統的な和の動きを基調とする正調な踊りは退屈でしかなく、どこの鳴子踊りの会場でも無視していた。

今年の夏、初めて高知に行き、「よさこい祭り」を見て帰ってきたとたんに手のひらを返し、「正調が理解できていない者には、本当に人を魅了する踊りはできない。」と言うようになった。

高知の正調な踊りが特別に激しい動きだった訳ではない。どこかの町のよさこい祭りと同様にゆるやかに練り踊り過ぎて行くだけだった。ただ、その動きの一つ一つが格段に違っていた。文中に「鳴子を鳴らす」と度々表現したが、高知の踊り子に限っては、「鳴子を打つ」と表現するのが本当だと思う。鳴子の持ち方や鳴らし方についてはまた別の機会に話すが、鳴子の扱い方から足の運び、指先の表情に至るまで本当に細かいところまで神経を行き渡らせていた。

最近になって思う。「よさこい」とは、音を造り、振り付けを考え、練習を積み、地方車を装飾して、衣装を作る。それらのすべての行為が「よさこい」なのではないかと思う。また、それを観る行為も「よさこい」だろう。
高知で見た地方車の装飾にも、音質にも、踊り子達の振り付けにも、鳴子の持ち方にも、それが昨日今日用意されたものでなく、永年に渡り練りに練られ積み重ねられてきた想いとして今日がある事を、観る者にひしひしと伝えてくる。踊る指先の一つ一つにまでもくっきりとにじみ出るその想いには、人間の英知、あるいは、欲望といった相反した様々な本能が込められている。
それぞれの「想い」と「想い」が交叉しあい最後にはその場に居るすべての人、踊る人、観る人、すべての「想い」が一つとなって、「よさこい」になる。

ボクの「よさこい」は、まだ始まったばかりだけれど、「よさこい」を語る以上は、鳴子を持って民謡で踊るよさこいの形式ばかりに気をとらわれる事なく、その根底に流れるよさこいの魂のようなものも大切にしたいと思う。

最後に、今夏の「よさこい祭り」に始まり先日の「よさこい沼津まつり」まで、よさこい祭り競演場連合会長・岡崎氏をはじめ高知の皆様、「よさこい沼津まつり」運営委員長・原田オヤブンをはじめ関係者の皆様に、好き勝手に行動させていただいた事にお詫びを申し上げると共に類い希な経験をさせていただいた事にお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

 駿河屋市辺衛
surugaya@po2.across.or.jp 

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