
2日目・FUJIYAMA組(その1)
宿泊したホテルの部屋からのロビーに降りると「FUJIYAMA組」の踊り子の何人かが身支度を整え待っていた。それぞれが頭に巻いた手ぬぐいを巻き直してみたり、草鞋のひもを締め直してみたり、鏡に向かって何度も身支度を改めている。その姿には気負っている様子が見受けられた。
2日目の今日は、原田オヤブンの指示で「FUJIYAMA組」の裏方に廻ることになっていた。
宿泊したホテルを出て集合場所なっている別のホテルに向かう。
「FUJIYAMA組」の踊り子は3つのホテルに分宿していた。チームのメンバー全員が同じホテルに泊まろうと思うならば、かなり前から予約しておかないとこの4日間に限っては難しいようだ。「FUJIYAMA組」も3、4ヶ月前に高知に行く準備を始めたハズだが、来る時も全員の切符を一度に手配できずバスと新幹線と飛行機に別れた。
集合場所のホテルに着き、ロビーに全員が揃うまで踊り子達から昨日の一日目の様子を聞く。
最初の踊り始めが「帯屋町筋」で、静岡では経験した事のない長い長い距離を踊り続けた事。暑さと疲労で途中で倒れるんじゃないかと思ったそうだ。その話をしていた踊り子はまだ若かったが「FUJIYAMA組」にはかなり年輩の人もいるから、その人たちからすれば「帯屋町筋を踊りきる」という事はかなりの試練だったのではないだろうか。
その話をしていた若い踊り子は、バテて「もう駄目だ!」と思うと両脇に並ぶ観客の誰かが必ず近寄ってきて「がんばれ〜!」と言いながらウチワで煽ってくれた。その声援を受ける度に不思議と元気を取り戻し何とか踊りきれたと言っていた。
「FUJIYAMA組」の踊り子は、県内の東部、中部に在住の子供からかなりの年輩まで幅広い年代で構成されたチームで、結成されるまで面識のない人の方が多かった。
使われている曲は、静岡民謡の「ちゃっきり節」を原曲として、リズムを強調したドラマティックな編曲がされていたが、踊りは正調でゆったりとした動きが多く、正調を基本としていながら凛々と動き廻る高知のチームと比べると何か物足りない気がする。流し踊りも遅々としてなかなか進まなかった。
静岡から輸送してきた地方車にしても、静岡で音出しした時には「こんなに大きな音で周りから苦情が来るのではないか・・・」と心配したほどだったが、いざ高知に来て地元の地方車に混ざってみるとまだ足りなかった。
自分のチームに自信が持てないまま、全員が揃ったところで2日目の踊り出し「上町競演場」に向かう。
上町は、歩道の両脇に観客が1列2列に並ぶのが精一杯の狭い競演場だった。
踊り始めた「FUJIYAMA組」の後ろを、ボクの今日の役目になっている「静岡茶」の袋をカゴに積み上げて観客に配りながら付いて行く。
何人かに配ったところでおばあちゃんから話しかけられる。おばあちゃんの孫もどこかのチームの踊り子だそうで、孫が踊っていることは、おばあちゃんにとっても自慢らしかった。
チームから取り残されたまま長々と立ち話をしていると次のチームがやって来て混ざってしまった。あわてておばあちゃんに別れを告げると「暑いから水を飲みながら行くように・・・」と注意をうながされる。
上町では、何人もの人に話し掛けられて気が付くと、いつでもボク一人が取り残されていた。別れ際には、誰もが同じように「水を飲みながら行きなさい」と注意をうながしてくれた。後になってみれば、上町が一番たくさんの人に話掛けられたのではないだろうか。観客には地元の住人が多い心温かい競演場だった。
しばらく休憩を入れた後、帯屋町筋に入る。
昨日の話にも出た、とにかく長い長い距離を踊る演舞場だった。ここでは、すでに観客もひしめき合っていた。
再び静岡茶を積み上げたカゴを持ってチームの後を付いて行くが、踊り子達はどんどん進んで行く。お茶を配りながらでは到底付いて行くことが出来ず次第に小走りになっていく。
上町ですでに気付いていたのだが、「FUJIYAMA組」は高知に来てからずいぶんと変わった。今まで、ちょっとやそっと立ち話をしたぐらいで取り残されるという事はなかったハズだったが、昨日一日、一緒にいない間に確かに何かが変わっていた。
静岡で練習していた頃には、あちらこちらから寄せ集められたメンバーだったせいなのか、どことなく一体感に掛けているような気がしていた。「みんなで踊る」というより「先頭の踊りに後ろが合わせている」といった感じで、歯切れが悪かった。
帯屋町筋を突き進む踊り子達に、先頭の踊り子が背中を向けたまま踊りながら掛け声を掛ける。
「みんな行くよー!」
掛け声に呼応した踊り子達の全員の腕が、一斉に真っ直ぐに空に向かって突き上げられる。
前かがみに片足立ちになった踊り子達は鳴子を打ち鳴らしながら見る見るうちに遠ざかって行った。
