
2日目・FUJIYAMA組(その3)
菜園場競演場を終わり、はりまや橋演舞場に着くと責任者から最後の演舞になると告げられる。
FUJIYAMA組は、、もともとこの高知の”よさこい祭り”で踊るために結成されたチーム故に、この演舞場が終われば後は解散するだけだった。
スタートライン近くで待機していると年輩の踊り子が近寄って来てビデオカメラを渡される。「高知に来た思い出が欲しい」と言う。その様子を見ていた他の踊り子もそれぞれが手に持っていたカメラを次々に差し出し「お願いします」と言う。
本当に、これが”FUJIYAMA組”の最後の踊りだと実感する。
半年前、まったく違った時間を歩んでいた人たちが突然集まり、時間を都合して合わせては練習を積み重ねてきた。最初は、鳴子の握り方さえもそれぞれが違っていて、持ち方、鳴らし方を統一するところから始まった。年輩の踊り子には、振り付けにカラダの動きがついて行けず腰を低く落とす訓練から始めた者もいた。途中、互いの違った意志が幾度となくぶつかり口論となった事もあった。ある踊り子は思うようにならず何度か辞める事も考えたという。それは、どの踊り子も同じだったと思う。
そんなFUJIYAMA組も、いつの間にか一つの「想い」で踊るチームになっていた。
この2日間、立っているだけで汗が噴き出す灼熱の炎天下に、日本の最高の舞台で声援に励まされながら踊り続けた。踊り終わった後の例えようのない爽快感はこの場に立った者でなければ知ることはないだろう。”FUJIYAMA組”もそれを経験した事によって知らず知らずのうちに自信に溢れたチームとなっていた。後ろに控えるフラフも生気を取り戻し、これから始まる最後の踊りを待っていた。
”チャッキリ節”が響き出す。肩から提げたビデオカメラを構える。
構えていた踊り子達の手首が返って鳴子が鳴る。半身がかえり上空に向かって片腕を振り上げると再び鳴子が鳴る。踊り子達が動き始めた。一歩前に出る。もう一歩前に出る。少しづつ進み始めた踊り子達は、次第に勢いをつけ全身で風を切りながら進んで行く。ビデオカメラのファインダーに次々と現れてはアッと言う間に過ぎ去って行く踊り子達、一人一人の表情をカメラが追う。目尻に涙が光っている踊り子もいる。
観客席からビデオカメラを構えていたボクは、こみ上げてくる熱い気持ちに任せて近くのベンチに登り直しカメラを構えた。近くにいた観客がボクを見上げ、聞き慣れない民謡に「どこから来たの?」と質問が来る。ボクは、「静岡から来ました。静岡の代表チームです。」と自信を持って答えた。
全員の踊り子が、一糸乱れず片足を踏み出しカラダを返して腕を振り上げる。その統一された動き、どの踊り子からも感じる内から湧き出すその力強さにそれぞれの想いが一つになった事を伝えてくる。
ファインダーから遠ざかるが踊り子達の後ろ姿は過ぎて行くほど大きくなって見える。
高知に集まったたくさんの素晴らしいチームに紛れて精彩を放つ事はなかったかも知れないが、ボクにとっては今まで見たどんな踊りも及びつかない最高の踊りだった。
はりまや橋商店街のアーケード西口から差す夕陽に向かって飛び出して行く踊り子達の後ろ姿が、ボクの目に焼き付いた。
忘れられない一瞬となった。
チャッキリ節が終わると空を舞っていたフラフが地に降りる。踊り終わった。
ただ立ちすくむ者、肩を組む者、抱きしめあう者、様々なそれぞれの感動は、高知に来て言葉にならぬ答えを見つけて、一つになった”想い”を再び”思い出”に変えてそれぞれの心に返していった。
いつしか、はりまや橋商店街には拍手が鳴り響いていた。今まで受けていた拍手とはまた少しちがった優しさとかあたたかさとかそういった”想い”を感じさせる拍手だった。
