朝日歌壇入選歌(後藤瑞義)

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令和二年後藤瑞義入選歌(よみうり歌壇他)

十二月号より(賀茂短歌)

自閉症の子をまた叱る手助けをせんとなしたる行為なれども

                           

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十五日 秀逸 花山多佳子 選)

(評)父の手助けをしようと思ってやったことだとわかっているのに叱ってしまう。
「また」にやりきれない気持ちが(にじ)む。一般にもあることだが比較できない難しさがあるだろう。

悪くなったのではない悪いところが見えてきたのだ良くなったのだ

                              

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月九日 入選 花山多佳子 選)

 

十一月号より(賀茂短歌)

彼岸花今年は遅し妻の亡き庭に白粉花咲くばかり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月四日 入選 花山多佳子 選)

   

生きるとは環境破壊することかわれも破壊を止めざる一人

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  十一月十一日 入選  花山多佳子 選)

 

雪を知らず逝きし子よ見よ墓原に渦巻き上げて花びらの舞う

 (静岡県短歌大会 十一月二十日 静岡新聞社賞 丸井重孝・杉本なお選者賞)

 

十月号より(賀茂短歌)

空調のなき地下室の事務室に金繰りばかりの明け暮れありき

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月二十九日 入選 花山多佳子 選)

入口の電話ボックス灯りいる高齢化のすすむ集落センター

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  十月十四日 入選  花山多佳子 選)

 

九月号より(賀茂短歌)

砂丘をうおーと叫び下りたり初めての海に少年われは

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月二日 入選 花山多佳子 選)

皿洗う水音耳に心地よし亡き妻のごと歌口ずさむ

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月九日 秀逸 花山多佳子 選)

(評)「水音心地よし」と皿洗いを楽しんでいる風情が明るい。思わず

歌を口ずさむ。亡き妻の姿がそこに重なってくる。それも感傷的でな

く、より明るい。心持ちに透明感がある。

イノシシかスイカ畑は赤い花咲きいるごとく喰い散らされて

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月二十三日 佳作 花山多佳子 選)

(評)スイカが無惨に中身を曝している。「赤い花咲きいるごとく」という美

しい比喩が一層無惨さを強調して印象的だ。イノシシ憎し。

八月号より(賀茂短歌)

墓石に和と彫らせしはわが心子々孫々に伝えたきため

(NHK誌上短歌大会 八月五日 題詠「和」  佳作 唐津麻貴子 選)

自閉児のためと植えたるくちなしの花は匂えり妻亡き庭に

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月十二日 入選 花山多佳子 選)

 

山焼きのごとくに霧の這い上り今日も朝から暑くなりそう

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月十九日 入選 花山多佳子 選)


七月号より(賀茂短歌)(注)注書きは後藤によります。

朝なさな梅干うまし逝きてはや三年経たる妻漬けしもの

(NHK短歌コンクール 春 六月二十六日 佳作 )

 (自注)毎朝梅干しを一個づつ食べる習慣があります。妻が亡くなって満三年五ヶ月が経過します。
ただ、梅干し壺にはまだまだ妻の作った梅干しが残っています。

 

コロナ禍を過疎の里にて恐れおり都会に住める子等思いつつ

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月一日 入選 花山多佳子 選)

(自注)過疎の里に独り住んでいるわたしです。それだけなら、コロナ禍は

さほど問題にはならないのですが、やはり過密な都会に住んでいる子

等を思うと、心配でならないのです。

早苗田に獣を防ぐ電気柵鳥よけテープ張り終りたり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月八日 入選 花山多佳子 選)

(自注)現代の田植は、苗を植えて終わりではありません。田の周り

に獣を防ぐ電気柵をめぐらせ、次に鳥よけのテープをはりめぐらせて

終了となります。

無精卵またもいだける雌鶏よ早一ヶ月過ぎんとするに

 

(読売新聞静 岡版 よみうり文芸 七月二十二日 入選  花山多佳子 選)

(自注)年老いた雌鶏、雄鶏の番がおります。久しぶりに卵を産みました

のでしばらく巣箱に置いておきました。二個になったとき、抱え始めました。

一縷の望みを持ってそのままにしておきました。

二十一日はとっくに過ぎ、一ケ月以上経ちますが、孵化する様子はありませ

ん。今回も無精卵のようでした。それにしても、餌もあまり食べずに懸命に

身を丸くして卵を抱える雌鶏の姿があわれです。

六月号より(賀茂短歌)(注)注書きは後藤によります。

菜の花に紋白蝶が触れており二歳に逝きし子が遊ぶごと

(読売新聞静 岡版 よみうり文芸 五月二十七日  入選  花山多佳子 選)

新聞にわが歌載ればはばからず大きな声で万歳をせり

(読売新聞  読売歌壇  六月一日  入選  小池 光 選)

人間の絆うすれる気持ちせりウイルス除去に手を洗いうつ

(読売新聞静 岡版 よみうり文芸 六月 三日   入選  花山多佳子 選)

里中のウイルス消毒するごとく今朝一面の霧に覆わる

(読売新聞  読売歌壇  六月八日  入選  小池 光 選)

新緑の山に向かいて言うことなしただ笑いたり笑い湧ききて

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月十日 秀逸 花山多佳子 選)

(評)啄木の「ふるさとの山に向ひて言ふことなし」を「新緑」にした。ま

た「山笑う」を自分が山に笑う、として、新緑にうれしくなる気分が存分

に出ている。繰り返しの結句がいい。

新しき時代のうねりウイルスの形となりて押し寄せている

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月十七日 入選 花山多佳子 選)

(注:後藤)おおざっぱな把握であると思っていて、まさか入選するとは…、

思っていませんでした。下田市に住んでいますので、黒船来航などが頭

にあったでしょう。もちろん、台風のうねりなども…。

多少良かったと思われる点は、「うねり」のウ音、「ウイルス」のウ音のく

りかえしでしょうか…。

 

五月号より(賀茂短歌)(注)注書きは後藤によります。

父われの与える眠剤疑わず口に運びぬ自閉児わが子

(読売新聞静 岡版 よみうり文芸 五月十三日  入選  花山多佳子 選)

(注)施設から、週末帰る息子がおりますが、一番の悩みは二日間眠る気配のないことです(後藤)。

生前はインフルエンザを恐れおり透析の妻今おればいかに

(読売新聞静 岡版 よみうり文芸 五月二十日  秀逸  花山多佳子 選)

(評)亡き人はもう何も恐れない。インフルエンザを恐れていた妻は今コロナにどんなに(おび)
えることだろう。「いかに」と、亡きことを安堵(あんど)のような(さび)しさで確認する。その思いに共感する。

(注)生前妻は、「インフルエンザにかかったら命の保証はないですよ」と医師に注意されたと言いました。

 

四月号より(賀茂短歌)(注)注書きは後藤によります。

その母の命危うくしたる後立春の日にわが子生れし

(読売新聞静 岡版 よみうり文芸 三月二十五日 入選  花山多佳子 選)

(注)医師より母体か子供かどちらかは諦めるよう言われました。

 

美味しいか美味しくないかとヒヨドリの最後に残すくろがねもちの実

(読売新聞静 岡版 よみうり文芸 四月 一日  入選  花山多佳子 選)

(注)庭には、千両万両の実、南天の実、山茶花が咲き、梅が咲き
ヒヨドリの天国のような感じです。ぴーと鋭く鳴き、満足を表している
ようです。あれ
、毎年「くろがねもちの実」が食べられなくて残っています。
しかし、最後の最後にその実も食べるヒヨドリ。「くろがねもちの実」は、美味
しいのだろうか、それともまずいのだろうか

ヒヨドリが最後に食べる「くろがねもちの実」

日が差せば凍りつきたる枯草がかすかな音をたてて葉を上ぐ

(読売新聞静 岡版 よみうり文芸 四月 八日  入選  花山多佳子 選)

(注)今、世の中は、コロナウイルスの脅威により凍り付いたような状態です。
冬が終わり、春になるように、凍り付いた世の中もかすかな音をたてて、動き

出すでしょう。

綿帽子かむりひとつの結論をつけたる形たんぽぽの花

(読売新聞 読売歌壇 四月十四日 入選  栗木京子 選)

(注)たんぽぽは、発芽して花となり、花がしぼんで、綿毛をつけます。

これがたんぽぽの一生といえるでしょう。綿毛はたんぽぽの最後の

形です。それとともにそれが風に飛ばされ別の地に定着し、そこで発

芽するわけです。綿毛は、たんぽぽにとって最終の形であり、また新

しい一生の初めの形でもあるのです。それを、結婚式での白無垢花嫁

の綿帽子に掛けました

トイレットペーパー売場かくばかり広かりしかと無くなりて知る

(読売新聞静 岡版 よみうり文芸 四月二十二日  入選  花山多佳子 選)

(自注)三月の初め頃だったでしょうか、行きつけのスーパーマーケットに出掛
けた時の嘱目です。今は、トイレットペーパーとかティッシュペーパーは戻って
きましたが、マスクとか、アルコール消毒液、ハンドソープとかウェットティッシ
ュ等々見当たりません。


三月号(賀茂短歌)

人混みを先へ先へと家路ゆく施設に暮す子は喜びて

(読売新聞静 岡版 よみうり文芸 二月二十六日 入選  花山多佳子 選)

NHK第六回誌上短歌大会(日本歌人クラブ共催)

自由題

轟音の闇のなかより流れくる牛馬鳴く声助けての声

(佳作  押山千恵子 選)

(注)高校一年の狩野川台風の記憶です。

題詠「道」

点滅をするに渡りて来たるわれ死出の道をもかく急げるや

(佳作 足立敏彦 選)  

静岡県歌人協会主催 東部短歌大会

涯もなく空に澄みゆく子のけむり雨となりまたわれにもどれよ

( 最優秀賞  選者賞君山宇多子選 )  

ノムさんの顔に似ている月が出て暗きわが家の庭を照らせり

(読売新聞 読売歌壇 三月十七日 三席  小池 光 選)

(選評)丸顔だったノムさん。今日は満月だ。惜しい人から先に

いなくなる。それが世の中。わが家の庭をノムさんの笑顔が照

らす。  

強風に(せな)を押されて老いわれの危うき歩み駆け出しており

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  三月十日  入選  花山多佳子 選)

二月号(賀茂短歌)

妻逝きて花の乏しき庭隅に野菊の花が丈低く咲く

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 一月二十九日 入選  花山多佳子 選)

耕してやるぞというがに猪ら休耕田を掘り返しおり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  二月 五日  入選  花山多佳子 選)

炊出しの訓練すると火吹き竹吹きて浴びおり子等の視線を

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  二月十一日 入選  花山多佳子 選)

廃業をしたるガソリンスタンドの床の隙間にススキ穂を垂る

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  二月十九日 秀逸  花山多佳子 選)

(評)廃業したガソリンスタンドは多く見かける。その床の隙間に生えるススキ。
取り合わせは荒涼とした現代風景だが、そこに惹きつけられるものがある。着
目の良さが光る。

一月号(加茂短歌)

雲もなく風のない日はただひとり枯れたススキに(さわ)りつつ行く

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 一月二十二日 秀逸  花山多佳子 選)

(評)雲もなく風もない初冬の日。晴天のいい日なのだが、何か空虚でもある。スス
キに「触りつつ」というところに、よるべなさがうまくでている。ここに居ることを確かめ
るように触る。

詳細なる地番頼りに七万の多磨霊園に師の墓見付く

(NHK全国短歌大会  一月二十五日   入選 )

令和元年後藤瑞義入選歌(よみうり歌壇他)

十二月号より(賀茂短歌)

台風の傷跡残る山々をいたわるごとく霧のおおえり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十七日    秀逸  渡 英子 選)

(選評)日本の各地に激甚な被害をおよぼした台風が過ぎて、山々の傷跡もふかい。
声をあげることのない山々の傷跡を隠すように、いたわるように乳色の霧が降りる景がいとおしい。

濁流の迫れる屋根に一本のロープ空より揺れつつ降ろさる

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月四日     入選 渡 英子 選)  

高齢化進むわが里にただ一つ残れる電話ボックス灯る

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月十一日 秀逸 渡 英子 選)

(選評)日本の各地で公衆電話や電話ボックスが姿を消してゆく。携帯

電話の普及によるものだが、ケータイを持たない高齢の方には電話ボッ

クスは必需品。夜道を照らすひとつの灯(ともしび)だ。

耕して見ろというがに泡立草休耕田を黄の色に染む

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月十八日     入選 渡 英子 選)

十一月号より(賀茂短歌)

この夏を越えし大地の喜びの声のごとくに彼岸花咲く

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月三十日    秀逸  渡 英子 選)

(選評)カミソリバナ、シビトバナの別称もある彼岸花のマイナスイメージを「大地の喜びの声」
と捉え直して新鮮。猛暑の夏が去り、息を吹き返した大地に咲く彼岸花の生命力が眩しい。
 

石けんの泡立つように日に向きて白さるすべり花さかせおり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月六日     入選 渡 英子 選)

西空に晩夏の光消えゆきて何かが終るごとき静寂

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月十三日   入選 渡 英子 選)  

先頭を走りていたる自閉児がテープを切れず立ち止まりたり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十日 秀逸 渡 英子 選)

(選評)同送の「子の通う養護施設の運動会小雨降るなか決行をする」の歌から運動会の場面が
浮かんでくる。一着の晴れがましい瞬間を前にたじろぐ下二句の描写に胸を衝かれた。

十月号より(賀茂短歌)

舗装路の継ぎ目に生きる場所を得て一列に咲く鶏頭の花

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   九月二十五日 入選 渡 英子 選)  

遺されしノートの歌稿読みおれば妻亡きことを忘れ時過ぐ

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   十月 九日   入選 渡 英子 選)  

復旧は夜半もなされず月かげのおだしき光里をおおえり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   十月十六日   入選 渡 英子 選)  

山影の小さくなりてようやくにわが家に光差し始めたり

(日本歌人クラブ東海ブロック 十月二十七日 佳作 小塩卓哉 選)

九月号より(賀茂短歌)

その昔松陰漕ぎし湾内を水上スキー波しぶきあぐ

(読売新聞  読売歌壇  八月二十六日  入選  小池 光 選)  

住職の唱える和讃聞いている母に抱かるる赤子となりて

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   八月二十九日 入選 渡 英子 選)  

一日の命を惜しみ朝咲ける木槿の花を花瓶に挿せり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   九月 四日   入選 渡 英子 選)  

コンクリの上を歩けるわが影の陽炎となりゆらめいている

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   九月十一日   入選 渡 英子 選)  

廃線となりたるレールはすでに錆び夏草覆う中に消えおり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   九月十八日   秀逸 渡 英子 選)

(選評)生活の足として機能していた鉄道が廃止され、鉄路と呼ばれたレールも
錆を深めている。一つの時代の過ぎた感慨を情景描写のみで表現されて余韻の
残る作品となった。

八月号より(賀茂短歌)

天に向き身の潔白を晴らさんと泰山木は大輪開く

(読売新聞  読売歌壇  七月二十九日  三席  小池 光 選)

(評)タイザンボクの大きな真っ白い花。あたかも身の潔白を晴らすごとくである。この
比喩が大胆で気持ちが良い。
 

信長の弟というその名前有楽町に有楽椿に

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   七月三十一日 入選 渡 英子 選)

緑濃き山に向かいて息吸えり大きく吸えり精気もらわん

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   八月 七日   佳作 渡 英子 選)

 一晩を茂みにひそみ明かしたる雄鶏露に濡れてかがやく

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   八月十四日   入選 渡 英子 選)

 無沙汰わび師の奥津城に額ずけば黒御影石小雨に光る

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  八月二十一日  佳作 渡 英子 選)

 七月号より(賀茂短歌)

 機関銃撃つごと草を刈りてゆくカエル、バッタの逃げまどうなか

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   六月二十六日  入選 渡 英子 選)

 落ち水がとくとくとくと音たてて月の光に響く早苗田

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   七月  三日   佳作 渡 英子 選)
(評)稲の苗を植え終ってみずみずしい緑がそよぐ水田。「落ち水」は水路から田に注ぐ
水だろうか。それとも水田から落ちる水かもしれない。第二句の擬音語が月明りに響く
初夏の早苗田。

 朝なさな泡白くぬり髭を剃る職退きてはや十年経つも

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   七月 十日    入選 渡 英子 選)

 二時間に一本通るバス停に雨に打たるる時刻表あり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月二十四日 佳作  渡 英子 選)
(評)マイカーを持つ人が増え、過疎化が進む時代を反映した「二時間に一本」のバス。
住民の生活を支えるバスの時刻表を打つ雨に作者の深い思いが籠もる印象深い一首
となった。

六月号より(賀茂短歌)

菜の花に紋白蝶が触れており二歳に逝きし子が遊ぶごと

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   五月二十九日    入選 渡 英子 選)

 うぐいすとなりてわたしを慰めんと鳴いてくれるや亡き妻の来て

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   六月 五日    佳作 渡 英子 選)

(評)春告鳥、歌詠み鳥、なつかし鳥などの異名を持つ鶯の啼き声はのびやかに春を知らせて
くれる。甘美な鶯の声がふと亡き妻の声を引き寄せる。鶯は妻の魂を運んでくれたのだろう。

 今宵無事夜警の仕事なし終えてまぶしみ仰ぐ朝の光を

(佐佐木信綱祭短歌大会   六月 八日   静岡県歌人協会賞 )

 妻在りし日は気付かずに過ごしたりわが家の庭の蛇イチゴなど

(読売新聞   読売歌壇   六月十一日   入選  小池 光 選)

 やわらかき若葉おおえる山々に吐息の如き霧のかかれり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   六月十二日   入選 渡 英子 選)

 機械にて植えたる苗は小さくて皆水中に沈み揺れおり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   六月十九日   入選 渡 英子 選)

 生みたてのたまごをにぎり思ひ出づ死にしばかりの吾子の温もり

(NHK短歌大会 於:伊香保 六月二十五日(題詠 温) 特選 沖 ななも 選)

(評)生みたてのたまごと死にゆく吾子。命というものには温みがある。悲しい歌だが、吾子の命が
たしかにあったという実感んが甦ったのだろう。温かさとは生命につながってゆくものなのである。

五月号より(賀茂短歌)

一休みして万歩計のぞきたり四千五百七十一歩

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   五月 一日    入選 渡 英子 選)

 今日ひと日歌を作らず過ぎにけり(しに)びとのごとく布団に入りぬ  

(読売新聞   読売歌壇   五月 六日   一席     小池 光 選)

(評)すごい歌。この方は毎日歌を作ると決めて、たゆまず実行している。今日は遺憾ながら一首もで
きなかった。まるで死びとのように寝る、まさに頭が下がる思いだ。

 廃校となりたる庭に子等おらずつくしん坊が列を作れり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   五月 八日    入選 渡 英子 選)

 毛衣(けころも)を脱ぎ一斉に喜びの声あげるごと木蓮の花

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   五月十五日    入選 渡 英子 選)

 やわらかき葉をまといたる山々のおおきなあくび赤子のあくび

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   五月二十二日   入選 渡 英子 選)

(評)冬の季語の「山眠る」を重ねて読ませて頂いた。春の訪れに若葉が萌え出した山々
が眠りから覚めてもらす大あくび。無心な赤子のあくびへの連想も楽しい春の讃
歌である。


四月号より(賀茂短歌)

紅梅の花ほの白き霜置けり少女のごとくかすかにゆれて   

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   三月二十七日   入選 渡 英子 選)


柚子の実のあまた浮かべる湯のなかにゆっくり心温まりゆく


(読売新聞静岡版 よみうり文芸   四月 三日    入選 渡 英子 選)

温泉の捨て湯のけむり早咲きの三分咲きなる桜をおおう 


(読売新聞静岡版 よみうり文芸   四月 十日    入選 渡 英子 選)


三月号より(賀茂短歌)


霜置ける水仙千両庭隅に朝の日差しを黙して待てり
 

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月 六日 入選 渡 英子 選)

 

便利なるレンジエヤコン冷蔵庫にそれぞれ寿命のあればいとおし

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月十三日 佳作 渡 英子 選)

(評)同送のハガキに「エアコンで快適生活送りいてわが感覚はにぶりゆくら
し」があり、読み比べると面白い。便利さを危ぶみつつ電化製品の「寿命」を
いとおしむ歌に滋味が漂う。

 

孫たちがみな帰りゆき広々と静かになりし部屋に息吸う

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月二十日 入選 渡 英子 選)


二月号より(賀茂短歌)

 

わが里に片足つけて今虹が天城の山を越えて輝く 
  

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 一月三十日 入選 渡 英子 選)

(評)虹を擬人化して「片足つけて」と表現して発想が卓抜。作者の住む
下田から天城山へむかって大きな円弧を描きながら虹が架かる瞬間を
捉えている。伸びやかな叙景の歌である。

 

一駅を乗り過ごしたる少年が寂しき夜の駅に降り立つ

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月 六日  入選 渡 英子 選)

 

工事中の電飾灯の点滅し聖夜を働く笑い声する

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月十三日  入選 渡 英子 選)

 

独り居の庭に降り立ち水仙に何か言いたき心もちする

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月二十日  入選 渡 英子 選)

一月号より

石くれのごとくなりたる野ぼとけにいまだほほえむおもかげのこる

(平成三十年度 NHK全国短歌大会 一月十九日    秀作   伊藤一彦 選)

飾り置く子育て地蔵の風車かぜのなければ息ふきてやる

(平成三十年度 NHK全国短歌大会 一月十九日     入選 )

重々(おもおも)(こうべ)を垂るるススキの穂休耕田に稲穂はあらず

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   一月二十三日    入選 渡 英子 選)

平成三十年後藤瑞義入選歌(よみうり歌壇他)

(注)同人誌「賀茂短歌」より転載

十二月号より

縄文の人の通らぬ舗装路に椎の実あまた踏みしだかれる

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十八日    佳作 梅内美華子 選)

隣地区は消滅したる老人会われらは名付く「みのりの会」と

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   十二月十二日    入選 梅内美華子 選)

叱ること多い親なるわれなるに施設に戻る日居たいと拝む

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   十二月十九日    入選 梅内美華子 選)

もの言わぬ自閉症児わが子にも「いらっしゃいませ」と自販機が言う

(読売新聞        読売歌壇   十二月二十四日   入選  俵 万智 選)

十一月号より

横向きに浮んでいたる竹竿が渦にもまれて立ち上りたり      

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   十月三十一日     佳作 梅内美華子 選)

(評)竹竿が立ちあがるほどの強風が吹いた。横向きから縦になる、それは日常が非日常
に変ったような瞬間。「渦にもまれて」も上手い。大型の台風が来た日のことだろうか。


台風を予感するがに沢蟹が用水路より這い上がりくる

(読売新聞        読売歌壇   十一月五日      入選 小池 光 選)

ふるさとの秋なつかしき穂すすきがあわだち草にまぎれずそよぐ

(読売新聞        読売歌壇   十一月十三日     入選 岡野弘彦 選)

コスモスはコスモスたちと群れている彼岸の花と少し離れて

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   十一月十四日    入選 梅内美華子 選)


十月号より

自らの病のことは触れずして楽しと農事歌いたる妻

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   九月二十六日    入選 梅内美華子 選)

俗にして俗を越えたる見事さよ美空ひばりやドストエフスキー

(読売新聞        読売歌壇   十月一日       入選 小池 光 選)

親として子へのパワハラあったかも若き日思うテレビを見つつ

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   十月十日       入選 梅内美華子 選)

もう少し上だとばかり思いおり同年齢の希林さん逝く

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   十月二十四日    入選 梅内美華子 選)


九月号より

舗装路の上に止れる揚羽蝶足踏みすれど動くともなし

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   八月二十九日    入選 梅内美華子 選)

五百円硬貨握りて自販機へ釣銭の音好むこの子は

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   九月五日       秀逸 梅内美華子 選)

(評)大人が忘れた楽しみ方を子供は持っている。五百円硬貨を入れて買った後の釣り
銭が落ちる音。それを面白がる無邪気さに、あらためて気づく作者。


壊れたる農作業小屋カタカタと屋根のトタンがめくれ鳴りいる

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   九月十二日     入選 梅内美華子 選)

早ければいいのだろうか怪物と化したる新幹線の風圧


(読売新聞静岡版 よみうり文芸   九月十九日     秀逸 梅内美華子 選)

(評)技術が進歩し利便性を追っている。その裏には危険や不安があることを気づかせる歌
である。作者の率直な疑問は「風圧」を「怪物」と感受し怖れている。


八月号より

透析の妻のノートに遺りおり心細さを訴える歌

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   八月一日       入選 梅内美華子 選)

マチス作「夢」の女性は妻に似てアンモナイトのように眠れり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   八月八日       入選 梅内美華子 選)

機関銃の重さのごとき草刈機持ちて夏草薙ぎ倒しゆく

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   八月二十二日    入選 梅内美華子 選)


七月号より

わが体作れるあまたの水たちよ水田のごと天を映せよ  

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   六月二十七日    入選 梅内美華子 選)

自販機にのどのあたりをふるわせてぴったりカエルが貼りついている

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   七月十一日      入選 梅内美華子 選)

極楽はかくのごとしかゆりの花山一面に色とりどりに

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   七月二十五日    入選 梅内美華子 選)

六月号より

石のせてベンチに帽子置かれおり忘れたる人見つけたる人

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   五月三十日      佳作 梅内美華子 選)

(評)忘れ物の帽子、それが風にとばされないように石がのせてある。気づかう人の存在
が見えて、作者は感心したのだ。ベンチに生まれた小さな物語。着目した歓声から歌が生まれた。


やわらかき葉におおわれる山々よわれも今日から始めんとする

読売新聞静岡版 よみうり文芸   六月十三日      入選 梅内美華子 選)

喜びを上手く伝えること出来ず自閉児わが子が強くつねれる

(NHK伊香保短歌大会 六月十一日 特選 黒木三千代選 佳作 林田恒浩 選)


 (評)言語に問題があるお子さんが、「つねる」ことでお母さんに気持ちを伝えようとしています。「強く」
つねるのは「喜び」が大きいのでしょう。子の母への信頼、母の子への深い理解が読者にも伝わって
きます。

五月号より

話し掛けてくれたる妻の亡くなれば水仙なども寂しかるらん  

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   五月二日        秀逸 梅内美華子 選)

(評)妻が先に旅立った悲しみと喪失感は日常のいろいろな場面でわいてくることだろう。早春の水仙の
花を見ても思い出すのだ。花に「話し掛けて」いた妻。水仙に呼びかけるのは自身の寂しさである。

 

妻愛でし木蓮の花咲き始む空に向いて見てというがに

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   五月十六日      入選 梅内美華子 選)

 

倒れ伏す子象を鼻でなでながら叫び声上ぐ死を知るごとく

 (読売新聞静岡版 よみうり文芸   五月二十三日    佳作 梅内美華子 選)

 

一子の死一子の知的障害を嘆くことなく亡くなりし妻

(明治神宮春の大祭短歌大会       五月六日       佳作   岡野弘彦 選)

四月号より

躓くは先を見るため足元を見つめて歩く一歩また一歩

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   三 月二十八日    入選 梅内美華子 選)

 

北陸の友より受けし福寿草伊豆のわが家にその数を増す

 (読売新聞静岡版 よみうり文芸  四 月  四日     入選 梅内美華子 選)

 

芸終えるつど餌をやる調教師イルカの口もさりげなく開く

(読売新聞静岡版  よみうり文芸  四 月十八日      佳作 梅内美華子 選)

 (評)イルカショーでは芸の合間にイルカの口に何かを与えている。ごほうびをもらうことが芸の
モチベーションになるだろう。「さりげなく開く」口にイルカの賢さを見ている作者。

三月号より

結構に話し相手をしてくれる今年小学二年の女孫(めまご)

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   二月二十八日    入選  梅内美華子 選)

 

少しずつ葉を重ねゆく白菜よわれが初めて植えし白菜

 (読売新聞静岡版 よみうり文芸  三月十四日     入選 梅内美華子 選)

2月号より

生きること罪と思うや死を望む若き女性のいくたりもいる

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   一月三十一日    入選  梅内美華子 選)

 

穂を飛ばし役目果ししススキらは枯れたるその身風に躍らす

 (読売新聞静岡版 よみうり文芸    二月 七日    入選 梅内美華子 選)

 

富士を背にくらげがあまた浮けるごとパラシュート隊訓練続く

(読売新聞静岡版  よみうり文芸    二月二十一日  秀逸  梅内美華子 選)

(評)自衛隊の演習を見ている。パラシュートの傘の広がりを「くらげ」にたとえて、異様感を表現
している。富士山とたくさんの「くらげ」の出会いはシュールだ。

 

「ただよふ」を「ただ酔ふ」などと解したり酒好きわれを許せ牧水

(NHK全国短歌大会 一月二十三日  佳作  三枝昂之 選)

1月号より 

紅葉をしたる山々うるおいて湯気のごとくに霧立ちのぼる

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   一月十七日    入選  梅内美華子 選)

 
平成二十九年後藤瑞義入選歌(よみうり歌壇他)

(注)同人誌「賀茂短歌」より転載

十二月号

 それぞれに障害持ちて走りおり車椅子の子知恵遅き吾子

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   十二月 六日   入選  秋山佐和子 選)

 

耳遠くなりたる母に声高に話せるわれは叱るにあらず

(読売新聞静岡版  よみうり文芸  十二月二十日   入選  秋山佐和子 選)

(評)年老いた母は耳が遠く、息子の自分が話すとき、自然と声が大きくなる。決して
叱りつけてはいないのだが。切ない母子の歌。共感する人も多いだろう。

 

十一月号

 

生きおれば日照不足を嘆くらん野菜作りを愛せし妻は

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  十月二十五日   入選  秋山佐和子 選)

 

コンクリートの上に転がる黄金虫土に還れぬかなしみのあり

(読売新聞静岡版  よみうり文芸  十一月 一日   入選  秋山佐和子 選)

 

一歳に父失いし渡辺さん百六歳の命さずかる         

(読売新聞静岡版  よみうり文芸  十一月二十二日 入選  秋山佐和子 選)

 

十月号

 

缶潰しビーズ通しが施設での自閉症なる息子の仕事 

 (読売新聞静岡版 よみうり文芸  九月二十七日  入選  秋山佐和子 選)

 

枝々に雪の積れるごとくして咲きさかりたるさるすべりの花

(読売新聞静岡版  よみうり文芸  十月四日     入選  秋山佐和子 選)

 

妻の亡き時の流れてわれのみが影のごとに留まりている

(NHK生涯学習フェスティバル横浜短歌大会 九月二十六日 佳作 岡井 隆 選)

 

九月号

子を預け施設を去るとき職員の明るき声が見送りくれる 

 (読売新聞静岡版 よみうり文芸  八月三十日     佳作  秋山佐和子 選)

(評)子供を施設に預けて去る親。一、二句の事実のみの表現がかえって心情を伝える。
職員の明るい声や見送る気遣い。どんなにか救われたことだろう。

 

揚羽蝶ふわりふわりと舞いて来て妻の好みしダリアに止まる

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十三日      入選  秋山佐和子 選)

 

いつまでも起こさないでねあおむけにおだやかな顔妻の死顔

(全国短歌フォーラムイン塩尻  九月二十三日  題詠「顔」 奨励賞  )

 

八月号

 

歌人より詩人の方が苦しまん定型のなき不自由により

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月二十六日      入選  秋山佐和子 選)

 

あじさいの花に流るる雨のつぶ妻を亡くしし海老蔵の顔 

 (読売新聞静岡版 よみうり文芸  八月十六日    佳作  秋山佐和子 選)

(評)あじさいの花に雨の粒がこぼれ落ちる。それは、癌の治療を続けていた妻の死を語る
歌舞伎俳優の頬の涙のようだ、と歌う。映像に涙した人も多いだろう

 

七月号

 

ほのかにもももいろなせる骨拾う癌に苦しみ逝きし弟   

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月五日         入選  秋山佐和子 選)

(評)上の句から美しい花のことかと思って読み進み、下の句の事実に粛然(しゅくぜ

ん)とする。二人に一人が癌を患う現在。「苦しみ」の語が胸に迫る挽歌である。

 

新しき墓に入りて長男とやすらぎてあれ妻の魂

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月十二日       入選  秋山佐和子 選)

 

六月号

 

苗床に育ちし苗よこれよりは大地に深く根を張りてゆけ     

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月三十一日      入選  秋山佐和子 選)

 

逝きし児のたましい宿す蝶なるかいつまでもわが(あと)をつきくる

(新聞静岡版 よみうり文芸  六月十四日      入選   秋山佐和子 )

 

五月号

 

早咲きの桜を待たず逝きし妻置いてけぼりを受けて見上げる

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  五月十日       入選  秋山佐和子 選)

 

おぼつかなきうぐいすの声四十九日過ぎしばかりの妻かも知れぬ 

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  五月二十四日    秀逸 秋山佐和子 選)       

(評)うぐいすのおぼつかない初音。それを、四十九日が過ぎたばかりの亡き妻に重ねる。
互いにすごした歳月とその後の日々。「うぐいす」が哀切だ。

 

四月号

 

枝先の先へさきへと咲き登り紅梅は今満開となる  

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月二十九日      秀逸  秋山佐和子 選)

(評)紅梅の蕾がふくらみ、枝の先へもっと先端へと咲き登り、今ようやく満開になった、と歌う。
ひそかに応援していたのか、春のよろこびが伝わる。

 

福寿草咲いていますと言いし妻聞き流ししを今悔みおり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  四月十九日      入選   秋山佐和子 )

 

三月号

 

施設より帰り夜中に叫ぶ子よ山犬よりもさびしその声

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  三月一日       入選  秋山佐和子 選)

 

どこやらか柚子のかおりがただよえり手足かじかみ歩いておれば

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  三月十五日     入選  秋山佐和子 選)

 

被爆せし久保山さんにかたことの手紙書きたり九才のわれ

(全国短歌大賞 題詠 静岡新聞社賞  田中章義 選 )

 

二月号

 

消え残る氷のような半月が一人歩めるわれを照らせり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  二月二十三日   秀逸  秋山佐和子 選)

(評)あかつきの空に消え残っている半月。「氷のような」の比喩が、半月の冴えた光や早朝
の引き締まった空気を伝える。下の句の情景描写も巧みだ。

 

一月号

 

歩道越え車道をこえてころころとどんぐりひとつ庭先に着く

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 一月十八日    佳作 秋山佐和子 選)

(評)たったひとつのどんぐりが、歩道も車道も越えて庭先に来た。「着く」とある

ので小さな旅をしてきたようだ。物語性がありリズムも楽しい晩秋の歌。

28年後藤人徳(瑞義)の入選歌

(注)同人誌「賀茂短歌」より

十二月号

華やかに休耕田を(うず)めおり泡立草の黄の色の花

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月三十日   入選  花山多佳子 選)

 

施設にて今日も仲良く暮らせたか今宵も吾子を思い寝につく

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月二十一日  入選  花山多佳子 選)

 

十一月号

われのためどれだけ汗を流ししや日に焼け熱き父の墓石

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月二十六日    秀逸  花山多佳子 選)

(評)父の墓石が日に熱くなっている。汗をかきそう、と思って、生前の父の思いが及んだのだろう。

自分のために汗を流して働いた父。父への思いに味わいがある。

障害者の自立促す法律よ子にもわれにも圧力となる

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二日      入選  花山多佳子 選)

 

汗ながし缶潰しおり施設にて暮す息子の得意な仕事

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十三日   秀逸  花山多佳子 選)

(評)息子さんが施設に入っておられる。出来る仕事は缶を潰すこと。出来るだけでなく得意なのだ。

汗を流してその仕事に取り組んでいるさまが真っ直ぐにつたわってくる。


十月号

頭上にはサルスベリ咲き地上にはサルビアの咲く赤あかとして

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月二十八日  入選  花山多佳子 選)


稲田にも電柵回し守りおり山と里との区別なくなる

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月十二日    秀逸  花山多佳子 選)

(評)ついに稲田にまで電柵をめぐらせて獣から守る。かっては在った山と里の境界がなく

なってしまった。現状の深刻さをストレートに詠んでいる。


九月号

滝のことだると言うなりそのだるが七か所ありて河津七滝   

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月三十一日     入選  花山多佳子 選)


泣き上戸と自ら言いて涙拭く友の言葉は心に沁みる   

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十四日      入選  花山多佳子 選)

 

滝のことだると言うなりそのだるが七か所ありて河津七滝   

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月三十一日     入選  花山多佳子 選)


泣き上戸と自ら言いて涙拭く友の言葉は心に沁みる   

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十四日      入選  花山多佳子 選)

 

八月号

 

半年とこともなげに余命言う電話の声は凜としており   

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月三日     入選  花山多佳子 選)

 

久々に増水となり乾きたる河原の石の面を洗う

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十四日  入選  花山多佳子 選)

 

七月号

 

連休にレクレーションと都会より田植えに来る子等の声する   

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月二十九日  入選  花山多佳子 選)


日々卵を産みくれし鶏(とり)ケダモノに食べられたれば小屋のみ残る

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月六日    秀逸  花山多佳子 選)

(評)毎日、卵を産んでくれた鶏。「ケダモノに食べられた」という言い方が生々しく、口惜しさが滲む。

「小屋のみ残る」にもう姿もない虚ろさが伝わってくる。

 

中学へ坂道登る通学路いま栗の花匂いておらん   

(読売新聞 読売歌壇     七月十三日     入選   小池 光 選)  

 

空に向きちいさき花を掲げいるこの草の名をわれは知らざり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月二十日  入選  花山多佳子 選)

 

六月号

雪知らず逝きし子なれば雪柳たわわに咲ける枝を供える   

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月一日  秀逸  花山多佳子 選)
(評)小さいときになくなったお子さん、雪もまだしらなかった。雪のような「雪柳」
に、そのことを思ったのではなかろうか。哀切な抒情性がある。

何事か成し遂げたりというように大の字となり蛙死に居り     

(読売新聞 読売歌壇     六月六日      入選   小池 光 選)  

(評)カエルは時々こんな具合にして死んでいるもの。見事な死にっぷりに思わず感

動。にんげんはこういうふうにはいかない。上句の比喩が堂々としてユーモアたっぷ

り。

 

逝きし子の命日四月十五日モンシロチョウの飛び始めたり  

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月十五日  入選  花山多佳子 選)

 

五月号

 

言い過ぎを悔む言葉が何回も闇にうごめき寝返りをする

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月十一日  入選  花山多佳子 選)

道下に木蓮の花咲く家とこの時期わが家はなやぎている    

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月十八日  入選  花山多佳子 選)

四月号

年だから妻は言えどもそのうちに産むよと言いて鶏に餌やる   

(読売新聞静岡版 よみうり文芸 四月十三日   佳作  花山多佳子 選)
(評)夫婦のやりとりに味がある。妻のほうは、もう卵は産まない、とあきらめている鶏
に夫はまだ期待しつつ餌をやる。うまくまとめ目に浮かぶようだ。


三月号

施設にて正月迎えるわが息子せめてと床屋に連れて行きたり
(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月十五日   入選   花山多佳子 選)

木蓮の枝先にはや銀色のしずくのごときつぼみかがやく
(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月八日    入選   花山多佳子 選)

孫どもの眠りに付きしひと時よこの安らぎを知らず過ぎにし
(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月一日    秀逸   花山多佳子 選 )

(評)子どもが寝付くとほっとする。父親だったときは、このひと時の思いを知らないで過ぎてきた、
という感慨。祖父になって初めて味わう思いの発見である。

                                 

まじまじとわれを見つめて幼子がどうして頭に毛がないか問う

(読売新聞 読売歌壇     三月十四日      入選   小池 光 選)  

 

二月号

山茶花の花が根方に積りおり雪には早き霜月の朝
(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月 九日   入選  花山多佳子 選)

このままで終われないぞというごとくもみじに染まる山の渓谷    
(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月二十三日 入選  花山多佳子 選 )


平成28年6月6日(月)読売歌壇 小池 光選 に入選する

小池 光選 二席入選

何事か成し遂げたりというように大の字となり蛙死に居り    下田市 後藤瑞義

(評)カエルは時々こんな具合にして死んでいるもの。見事な死にっぷりに思わず感

動。にんげんはこういうふうにはいかない。上句の比喩が堂々としてユーモアたっぷ

り。

 

平成28年6月1日(水)

よみうり文芸(静岡版) 花山多佳子選 秀逸 に入選する

雪知らず逝きし子なれば雪柳たわわに咲ける枝を供える   
    


(評)小さいときになくなったお子さん、雪もまだしらなかった。雪のような「雪柳」


に、そのことを思ったのではなかろうか。哀切な抒情性がある。



(読売新聞静岡版 よみうり文芸   六月一日  秀逸  花山多佳子 選 )


平成28年5月11日(水)

よみうり文芸(静岡版) 花山多佳子選 に入選する


言い過ぎを悔む言葉が何回も闇にうごめき寝返りをする
    


(読売新聞静岡版 よみうり文芸   五月十一日  入選   花山多佳子 選 )



平成28年4月20日(水)

よみうり文芸(静岡版) 花山多佳子選 秀逸 に入選する

年だから妻は言えどもそのうちに産むよと言いて鶏に餌やる   
    


(評)夫婦のやりとりに味がある。妻のほうは、もう卵は産まない、とあきらめている鶏に、


夫はまだ期待しつつ餌をやる。うまくまとめ目に浮かぶようだ。

.


(読売新聞静岡版 よみうり文芸   四月二十日  秀逸  花山多佳子 選 )



平成28年3月29日(火)

よみうり文芸(静岡版) 花山多佳子選 に入選する

両眼を入れられダルマ積まれおり節分待てる寺の境内
    


(読売新聞静岡版 よみうり文芸   三月二十九日  入選   花山多佳子 選 )




平成28年3月15日(火)

よみうり文芸(静岡版) 花山多佳子選 に入選する

施設にて正月迎えるわが息子せめてと床屋に連れて行きたり
    

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   三月十五日  入選   花山多佳子 選 )


平成28年3月14日(月)読売歌壇 小池 光選 に入選する

まじまじとわれを見つめて幼子がどうして頭に毛がないか問う  下田市 後藤瑞義



平成28年3月8日(火)

よみうり文芸(静岡版) 花山多佳子選 に入選する

木蓮の枝先にはや銀色のしずくのごときつぼみかがやく
    


(読売新聞静岡版 よみうり文芸   三月八日  入選   花山多佳子 選 )



平成28年3月1日(火)

よみうり文芸(静岡版) 花山多佳子選 に秀逸に入選する

孫どもの眠りに付きしひと時よこの安らぎを知らず過ぎにし
    


(読売新聞静岡版 よみうり文芸   三月一日 秀逸    花山多佳子 選 )

(評)子どもが寝付くとほっとする。父親だったときは、このひと時の

思いを知らないで過ぎてきた、という感慨。祖父になって初めて味わう

思いの発見である。



平成28年2月23日(火)

よみうり文芸(静岡版) 花山多佳子選 に入選する

このままで終われないぞというごとくもみじに染まる山の渓谷    

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   二月二十三日     花山多佳子 選 )


平成28年2月9日(火)

よみうり文芸(静岡版) 花山多佳子選 に入選する

山茶花の花が根方に積りおり雪には早き霜月の朝    

(読売新聞静岡版 よみうり文芸   二月九日     花山多佳子 選 )

平成27年12月19日(土)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 に入選する

電柵がだんだん高くなってゆくここにも鹿の害が及ぶや    

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  十二月十九日     篠   弘 選 )

平成27年12月1日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 秀逸に入選する

ふかぶかと腰折りお辞儀する子らを神事の席に見直している    

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  十二月一日  秀逸  篠   弘 選 )

(評)おそらく大人にならって「二拝三拍手一拝」の作法をした子どもたち。

予期しなかった事実に、目を丸くしている作者。



平成27年11月25日(水)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 に入選する

認知症になりたるごときかなしみか今日も一首も作れずにいる

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  十一月二十五日    篠   弘 選 )


平成27年11月7日(土)

第二十七回 葉桜短歌賞 佳作 入選

カリュウムが増えると言いて透析の妻干し柿をわが手に返す    後藤瑞義

(第二十七回 葉桜短歌賞  十一月七日  佳作  大口玲子 選 )

(評)「カリュウム」「干し柿」という具体が印象深い。妻の自制心が切ない。

平成27年11月3日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 佳作に入選する

決壊の土手にも群れていしならん怒れるごとく彼岸花咲く    後藤瑞義

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  十一月三日  佳作  篠   弘 選 )

(評)鬼怒川の決壊した堤を思いやった一首。目の前に大きく咲く彼岸花

からの着想。「怒れるごとく」の直喩が説得力を持つ。


平成27年10月27日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 佳作に入選する

西空の晩夏の光消え去りて何か終りしごとき静寂    後藤瑞義

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  十月二十七日  佳作  篠   弘 選 )

(評)この下の句のドラマチックな寂寥(せきりょう)感の表現が鋭い。いち日の終り

に、このような終末感を味わうこともあろうかと思う。



平成27年10月15日(木)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 に入選する

大の字になりて幼き孫眠るただそれだけの風景なれど

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  十月十五日    篠   弘 選 )


平成27年9月29日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 に入選する

ゆったりとその身を風にゆだねつつ炎天に盛る百日紅(サルスベリ)は

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  九月八日     篠   弘 選 )


平成27年9月8日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 秀逸に入選する

一声が二声三声うぐいすの声はたちまち山にこだます

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  九月八日  秀逸  篠   弘 選 )

(評)単純化された表現が、みごとに迫力をもつ。うぐいすの美しい声に

酔いしれた瞬間をいとおしむ。じつに鮮明な表現。


平成27年9月1日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 に入選する

東京のペースにやはりなじめないエスカレーター駆け下る人

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  九月一日  入選  篠   弘 選 )


平成27年8月18日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 に入選する

ブルーベリー今年は採ると早々に防鳥ネットを張りているなり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  八月十八日  入選  篠   弘 選 )


平成27年7月28日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 に入選する

夏草の覆い繁れる休耕地ひときは高く桑の木伸びる

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  七月二十八日  入選  篠   弘 選 )


平成27年7月6日(月)読売歌壇 小池 光選 二席に入選する

プルターク英雄伝は本棚に埃にまみれ立ちつくしいる    後藤瑞義

(評)こういう本の数冊、多くの人は持っていることだろう。いまさら読み直す
とも思えない。しかし、捨て切れない。『プルターク英雄伝』という書名がいか
にも生きている。


平成27年6月27日(土)

NHK学園 短歌コンクール平成27年春 佳作に入選する

小走りにナース去りたる長廊下冷たき風が顔にかかれり

平成27年6月23日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 秀逸に入選する

機械化をされし水田変らざる四方の山と空を映せり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  六月二十三日  秀逸  篠   弘 選 )

(評)田植えする直前の「水張田(みはりだ)」。豊作の祈りをこめて見守る美しい水田。

簡潔な描写が、一層明るい心もちをきわだたせる。


平成27年6月16日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 に入選する

かしましき選挙カーさえなつかしき再び過疎の里に帰れり

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  六月十六日  入選  篠   弘 選 )

平成27年6月2日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 に入選する

廃屋のトタンの屋根を春風がぱくりぱくりと口開けて吸う

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  六月二日  入選  篠   弘 選 )

平成27年5月12日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 秀逸に入選する

天に向き花を開ける白木蓮歌うごとまた訴うるごと

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  五月十二日  秀逸  篠   弘 選 )

(評)華やかな白木蓮の開花をとらえた上の句描写が的確。さらに下の句は、いきいき生きたい

己が祈りを喚起するものとなる。

平成27年4月29日(水)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 入選する

老木も梢の先より咲いている夕焼け空にくれないの梅

平成27年4月21日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 入選する

思いきりペタルを踏んで缶潰す施設の息子の激しさを知る

平成27年3月17日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 入選する

家継がぬわれに代わりて弟は継ぎたり父の膵臓癌も

平成27年3月16日(月)

読売歌壇 俵 万智選 に入選する

一生涯知らず過ぎても不便なき伊勢物語今読まんとす


平成27年3月3日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 入選する

透析をつづくる妻がひっそりと食事の後に薬飲みおり


平成27年2月24日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 秀逸に入選する

冬はなぜかくもやさしくなれるのか枯れ草原に立ちて思える

(読売新聞静岡版 よみうり文芸  二月二十四日  秀逸  篠   弘 選 )

(評)この一首背景には、自然の光景との一体感がある。穏やかに休息する草木のいのちを

感じ取っている。簡潔な詠みぶりが魅力。


平成27年2月3日(火)

よみうり文芸(静岡版) 篠  弘選 佳作に入選する

待ちつづく診察室の壁にある貼紙なども読みつくしたり

(評)ながらく診察を待たされている作者。類歌は多いが、壁に貼られる物を読み尽くしたと嘆くところに、

じつに説得力がある。

平成27年1月23日

平成26年度NHK全国短歌大会 入選

持つところすれている杖昨日よりガードレールに立て掛けてある

大玉のスイカを抱え持ちているまるで命を運ぶごとくに