石垣りんの詩

「シジミ」 「子供」 「表札」 「くらし」 「夜毎」 「旅情」 「海辺」 「花」 「幻の花」 「島」 「えしやく」 「杖突峠」 「冠」 「崖」 「健康な漁夫」 「仲間」 「藁」 「貧しい町」「落語」「めくら祭り」 「海のながめ」 「土地・家屋」 「鬼の食事」 「経済」「愚息の国」 「カッパ天国」「銭湯で」「公共」「ひとり万才」「弔詞」 「唱歌」 「家出のすすめ」「干してある」「母の顔」「ちいさい庭」「童謡」「生えてくる」


「シジミ」

夜中に目をさました。

ゆうべ買つたシジミたちが

台所のすみで

口をあけて生きていた。

「夜が明けたら

ドレモコレモ

ミンナクツテヤル」

 

鬼ババの笑いを

私は笑つた。

それから先は

うつすら口をあけて

寝るよりほかに私の夜はなかつた。

「子供」

子供。

お前はいまちいさいのではない、

私から遠い距離にある

とうことなのだ。

 

目に近いお前の存在、

けれど何というはるかな姿だろう。

 

視野というものを

もつと違つた形で信じることが出来たならば

ちいさくうつるお前の姿から

私たちはもつとたくさんなことを

読みとるに違いない。

 

頭は骨のために堅いのではなく

何か別のことでカチカチになつてしまつた。

 

子供。

お前と私の間に

どんな淵があるか、

どんな火が燃え上がろうとしているか、

もし目に見ることができたら。

 

私たちは今

あまい顔をして

オイデオイデなどするひまに

も少しましなことを

お前たちのためにしているに違いない。

 

差しのべた私の手が

長く長くどこまでも延びて

抱きかかえるこのかなしみの重たさ。

表札」

自分の住むところには

自分で表札を出すにかぎる。

 

自分の寝泊りする場所に

他人がかけてくれる表札は

いつもろくなことはない。

 

病院へ入院したら

病室の名札には石垣りん様と

様が付いた。

 

旅館に泊まつても

部屋の外に名前は出ないが

やがて焼場の鑵(かま)にはいると

とじた扉の上に

石垣りん殿と札が下がるだろう

そのとき私はこばめるか?

 

様も

殿も

付いてはいけない、

 

自分の住む所には

自分の手で表札をかけるに限る。

 

精神の在り場所も

ハタから表札をかけられてはならない

石垣りん

それでよい。

「くらし」

食わずには生きてゆけない。

メシを

野菜を

肉を

空気を

光を

水を

親を

きょうだいを

師を

金もこころも

食わずには生きてこれなかつた。

ふくれた腹をかかえ

口をぬぐえば

台所に散らばつている

にんじんのしつぽ

鳥の骨

父のはらわた

四十の日暮れ

私の目にはじめてあるれる獣の涙。

「夜毎」

深いネムリとは

どのくらいの深さをいうのか。

仮に

心だとか、

ネムリだとか、

たましい、といつた、

未発見の

おぼろの物質が

夜をこめて沁みとおつてゆく、

または落ちてゆく、

岩盤のスキマのような所。

砂地のような層。

それとも

空に似た器の中か、

とにかくまるみを帯びた

地球のような

雫のような

物の間をくぐりぬけて

隣りの人に語ろうにも声がとどかぬ

もどかしい場所まで

一個の物質となつて落ちてゆく。

おちてゆく

その

そこの

そこのところへ。

旅情

ふと覚めた枕もとに

秋が来ていた。

 

遠くから来た、という

去年からか、ときく

もつと前だ、と答える。

 

おととしか、ときく

いやもつと遠い、という。

 

では去年私のところにきた秋は何なのか

ときく。

あの秋は別の秋だ、

去年の秋はもうずつと先の方へ行つている

という。

 

先の方というと未来か、ときく、

いや違う、

未来とはこれからくるものを指すのだろう?

ときかれる。

返事にこまる。

 

では過去の方へ行つたのか、ときく。

過去へは戻れない、

そのことはお前と同じだ、という。

 

がきていた。

遠くからきた、という。

遠くへ行こう、という。

「海辺」

ふるさとは

海を蒲団(ふとん)のように着ていた。

 

波打ち際(ぎわ)から顔を出して

女と男が寝ていた。

 

ふとんは静かに村の姿をつつみ

村をいこわせ

あるときは激しく波立ち乱れた。

 

村は海から起きてきた。

 

小高い山に登ると

海の裾は入江の外にひろがり

またその向うにつづき

巨大な一枚のふとんが

人の暮らしをおし包んでいるのが見えた。

 

村があり

町があり

都がある

と地図に書かれていたが、

 

ふとんの衿から

顔を出しているのは

みんな男と女のふたつだけだつた。

「花」

夜ふけ、ふと目をさました。

 

私の部屋の片隅で

大輪の菊たちが起きている

明日にはもう衰えを見せる

 

この満開の美しさから出発しなければならない

遠い旅立ちを前にして

どうしても眠るわけには行かない花たちが

みんなで支度をしていたのだ。

 

ひそかなそのにぎわいに。

「幻の花」

庭に

今年の菊が咲いた。

 

子供のとき、

季節は目の前に、

ひとつしか展開しなかつた。

 

今は見える

去年の菊。

おととしの菊。

十年前の菊。

 

遠くから

まぼろしの花たちがあらわれ

今年の花を

連れ去ろうとしているのが見える。

ああこの菊も!

 

そうして別れる

私もまた何かの手にひかれて。

 「島」

姿見の中に私が立つている。

ぽつんと

ちいさい島。

だれからも離れて。

 

私は知つている

島の歴史。

島の寸法。

ウエストにバストにヒップ。

四季おりおりの装い。

さえずる鳥。

かくれた泉。

花のにおい。

 

私は

私の島に住む。

開墾し、築き上げ。

けれど

この島について

知りつくすことはできない。

永住することもできない。

 

姿見の中でじつと見つめる

私――はるかな島。

「えしやく」

私は私をほぐしはじめる。

おさない者に

煮魚(にざかな)の身を与える手つきで

 

風の中で薄れて流れる雲の方向で

種子(たね)を播(ま)く畑の土を鋤(す)き返す力で

青いりんごが季節を迎え

熟れてゆくあの頃合いで

 

亡母の手編みのセーターを解いてゆく

古いちいさい形への愛惜で

 

満ちた月はその先どうするか

飽きることなく教えつづけてくれた

あの方のほうへ会釈して

 

いまは素直にほぐしはじめる。

「杖突峠」

信州諏訪湖の近くに

遠い親類をたずねた。

 

久しぶりで逢つた老女は病み

言葉を失い

静かに横たわつていた。

 

八人の子を育てた

長い歳月の起伏をみせて

そのちいさい稜線の終るところ

まるい尻のくぼみから

生き生きと湯気の立つ形を落とした。

 

杖突峠という高みに登ると

八ケ岳連峯が一望にひらけ

雪をまとつた山が

はるかに横たわつていた。

 

冬が着せ更(か)えた白い襦袢(じゅばん)の冷たさ、

衿もとにのぞく肌のあたたかさを

なぜか手は信じていた。

うぶ毛のようにホウホウと生えている裸木

谷間から湧き立つ雲。

 

私は二つの自然をみはらす

展望台のような場所に立たされていた。

晴天の下

鼻をつまんで大きく美しいものに耐えた。

「冠」

奥歯を一本抜いた

医者は抜いた歯の両隣り

つごう三本、金冠をかぶせた

するとそのあたり

物の味わいばつたり絶え

青菜をたべても枯葉になつた

ああ骨は生きていなければならない

けだものの骨

鳥の骨

魚の骨

みんな地球に生えた白い歯

それら歯並びのすこやかな日

たがいに美しくふれ合う日

金冠も王冠もいらなくて

世界がどんなにおいしくなるか。

「崖」

戦争の終り、

サイパン島の崖の上から

次々に身を投げた女たち。

 

美徳やら義理やら体裁やら

何やら。

火だの男だのに追いつめられて。

とばなければならないからとびこんだ。

ゆき場のないゆき場所。

(崖はいつも女をまつさかさまにする)

 

それがねえ

まだ一人も海にとどかないのだ。

十五年もたつというのに

どうしたんだろう。

あの、

女。

「健康な漁夫」

天空に海苔シビのようなものが並び

家ごとにテレビのアンテナが並び。

 

光や風や水滴の中の

おりのような

こけのような

かすのような

人間の映像がひつかかり

少しづつたまり。

 

いまや季節の当来。

晴れた日、

寒冷に舟をやつて、

アンテナに生えた海苔のようなものを集め。

 

人間が食糧として好む、

有名

光栄

満足

等を。

簀(す)にうつすらのべて

干しあがるのを待つている。

 

向う岸で

赤銅色に焦げている漁夫とその家族。

「仲間」

行きたい所のある人、

行くあてのある人、

行かなければならない所のある人。

それはしあわせです。

 

たとえ親のお通夜にかけつける人がいたとしても、

旅立つ人、

一枚の切符を手にした人はしあわせです。

明日は新年がくる

という晩、

しあわせは数珠(じゅず)つなぎとなり

冷たい風も吹きぬける東京駅の通路に、

新聞紙など敷き

横になつたり 腰をおろしたりして

長い列をつくりました。

 

この国では、

今よりもつと遠くへ行こうとする人たちが

そうして待たされました。

 

十時間汽車に乗るためには、

十時間待たなければ座席のとれないことをわきまえ

金を支払い。

 

でも、

行く所のある人

何かを待ち

何かに待たれる人はとにかくしあわせ。

 

かじかんだ手の浮浪者が列の隣りへきて、

横になりました。

大勢のそばなので

彼は今夜しあわせ。

ひとりぽつちでない喜び

ああ絶大なこの喜び。

彼は昨日より

明日よりしあわせ。

何という賑やかな夜!

 

目をほそめて上機嫌の彼。

やがて旅立つ  誰よりもさき

誰よりも上手にねてしまつた  彼。

「藁」

午前の仕事を終え、

昼の食事に会社の大きい食堂へ行くと、

箸を取りあげるころ

きまつてバックグラウンド・ミュージックが流れはじめる。

 

それは

はげしく訴えかけるようなものではなく、

胸をしめつける人間の悲しみ

などでは決してなく、

働く者の気持をなごませ

疲れをいやすような

給食がおいしくなるような、

そういう行きとどいた配慮から周到に選ばれた

たいそう控え目な音色なのである。

 

その静かな、

ゆりかごの中のような、

子守唄のようなものがゆらめき出すと

私の心はさめる。

なぜかそわそわ落ち着かなくなる。

そして

牛に音楽を聞かせるとオチチの出が良くなる、

という学者の研究発表などが

音色にまじつて浮んでくる。

 

最近の企業が、

人間とか

人間性とかに対する心くばりには、

得体の知れない親切さがあつて

そこに足の立たない深さを感じると、

私は急にもがき出すのだ。

 

あのバックグランド・ミュージックの

やさしい波のまにまに、

溺れる

溺れる

おぼれてつかむ

おおヒューマン!

「貧しい町」

一日働いて帰つてくる、

家のちかくのお惣菜屋の店先きは

客もとだえて

売れ残りのてんぷらなどが

棚の上に  まばらに残っている。

 

そのように

私の手もとにも

自分の時間、が少しばかり

残されている。

疲れた  元気のない時間、

熱のさめたてんぷらのような時間。

 

お惣菜屋の家族は

今日も店の売れ残りで

夕食の膳をかこむ。

私もくたぶれた時間を食べて

自分の糧(かて)にする。

 

それにしても

私の売り渡した

一日のうち最も良い部分、

生きのいい時間、

それらを買つて行つた昼の客は

今頃どうしているだろう。

町はすつかり夜である。

「落語」

世間には

しあわせを売る男が、がいたり

お買いなさい夢を、などと唄う女がいたりします。

 

商売には新味が大切

お前さんひとつ、苦労を売りに行つておいで

きつと儲かる。

じや行こうか、  と私は

古い荷車に

先祖代々の墓石を一山

死んだ姉妹のラブ・レターまで積み上げて。

 

さあいらつしやい、  お客さん

どれをとつても

株を買うより確実だ、

かなしみは倍になる

つらさも倍になる

これは親族という丈夫な紐

ひと振りふると子が生まれ

ふた振りで孫が生れる。

やつと一人がくつろぐだけの

この座布団も中味は石

三年すわれば白髪になろう、

買わないか?

 

金の値打ち

品物の値打ち

卒業証書の値打ち

どうしてこの界隈(かいわい)では

そんな物ばかりがハバをきかすのか。

無形文化財などと

きいた風なことをぬかす土地柄で

貧乏のネウチ

溜息のネウチ

野心を持たない人間のネウチが

どうして高値を呼ばないのか。

 

四畳半に六人暮す家族がいれば

涙の蔵が七つ建つ。

 

うそだというなら

その涙の蔵からひいてきた

小豆は赤い血のつぶつぶ。

この汁粉  飲まないか?

一杯十円、

寒いよ今夜は、

お客さん。

 

どうしたも買わないなら

私が一杯、

ではもう一杯。

「めくらの祭り」

人は持っている

ふたつの顔。

顔には見鼻だち

からだにも

ひとくみの目鼻だち。

(そのひとくみを

いつからか、人はかくした)

両方の乳房は

見えない眼、

めくらは知っている

みえなくとも何かが在る。

 

何があるのだろう

ふれながらたしかめる。

ある日

たいかめたものの喜びと悲しみに

女の眼はうるみ

白い涙をとめどなくこぼした。

白い涙で育つ子。

 

おなかのまんなかにあるちいさいくぼみは

原初の鼻、

鼻は

遠い日母胎の中から

不思議なものを吸い上げてしまつた。

そこから花の匂い

潮の香り

風も光も吹き込んできた、

あのはじめての記憶を

やわらかいヒダのおくに

深くたたみこんでいる。

 

鼻のしたはくさむら、

女も男も

古い沼のほとりに羊歯(しだ)類を生やし

そのかげで鳴く虫

燃えているたくさんの舌。

 

舌は知つている、

海のようなテーブルの上に

やがてととのえられるご馳走について。

 

どこの国にも

ふたつとない果実

どんな料理人もつくりかたを知らない

華麗な晩餐

火の酒。

 

世界中の人たちが

すべての衣裳を捨てて

その食卓に向かう。

 

めくらの祭り

祭りの太鼓

熱も色もないかがり火。

「海のながめ」

海は青くない

青く見えるだけ。

 

私は真紅の海

海には見えないだけ。

 

生まれたときから皮膚は

からだ全体をおしつつみ

いつも細かく波立つていた。

そして自分の姿

私をとりかこむすべて

岸辺という岸辺に

打ち寄せ打ち寄せてきた。

 

けれどどんなことをしても

私の波立つ血が私を離れて

あの陸地、

と呼ぶ所にあがることは出来なかつた。

 

太陽にあたためられる表皮

つかの間の体温

内部にひろがる暗い部分は

冷えた祖先の血の深み。

 

もういわない、

私が何であるか

食卓でかみ砕いたのは岩

町で語りかけたのは砂

森で抱きしめたのは風

それだけ。

 

両手を顔にあてれば

いつかはげしく波立ちはじめる、

落日の中

暮れてゆく

みえなくなる

女。

「土地・家屋」

ひとつの場所に

一枚の紙を敷いた。

 

ケンリの上に家を建てた。

 

時は風のように吹きすぎた

地球は絶え間なく回転しつづけた。

 

不動産という名称はいい、

 

「手にいれました」

という表現も悪くない。

 

隣人はにつこり笑い

手の中の扉を押してはいつて行つた。

 

それつきりだつた

あかるい灯がともり

夜更けて消えた。

 

ほんとうに不動のものが

彼らを迎え入れたのだ。

 

どんなに安心したことだろう。

「鬼の食事」

泣いていた者も目をあげた。

泣かないでいた者も目を据えた。

 

ひらかれた扉の奥で

火は

矩(く)形にしなだれ落ちる

一瞬の火花だつた。

行年四十三才

男子。

 

お待たせいたしました、

と言つた。

 

火の消えた暗闇の奥から

おんぼうが出てきて

火照(ほて)る白い骨をひろげた。

 

たしかにみんな、

待つていたのだ。

 

会葬者は物を食う手つきで

箸を取り上げた。

 

礼装していなければ

恰好のつくことではなかつた。

「経済」

買ってきた一束の花を

紐でくくつて逆さにつるす。

流通のいい所、冷房の風が吹きぬける天井の近くに。

 

彼女は笑いながら言う。

こうして乾くのを待つの、

すると――

するとどうなる?

花はしぼまない、

花は色あせない。

咲いている花の姿のままで

いのちだけが吹きぬけてゆく。

いま流行の

キレイで経済的なドライフラワーが

どつさりできる。

 

熱気に満ちた外界の夏をよそに

そこは本当に設備のととのつた

涼しい

 

大会社の

女子社員控室の

頭の上のあたりで

やがてすつかり乾き

目的通り出来あがつた花が

通常の位置に返り咲くと。

 

こんどは逆さにぶるさがり、

揺れながら笑っているのは彼女たちだ。

あの新しい花をつくつた

手先きをヒラヒラさせて。

「愚息の国」

あなたはどなたでいらつしやいますか。

 

ロケットが、もう月の世界にとどいている

一九六〇年の一月一日

新聞をひらけば

我が子を「日の御子(みこ)」と呼んで

その結婚をことほぐあなたの歌がのせられている。

 

元来つつしみ深い日本の庶民たちは

賢い子供も愚息と呼び

トン児などと言い捨ててきた。

 

正月気分で街に出れば

年令はこの国の皇太子がらみ

丈高く面影うつくしい若者がいて

片手に大きなプラカードを持ち

さあいらつしやい、遊んでらつしやい

おたのしみはこちら。

 

指さす戸口にはパチンコ屋の騒音が

チンチンじやらじやらとあふれでている。

これはどなたの御子、か。

 

晴着を持たないひとりの女が外から帰り

すり切れた畳の部屋で

「ついこの間

一杯の塩もない新年があつた」

と呟きながら

餅焼網で餅を焼けば

白い餅よりもたいかな手ざわりで

喜びはかなしみに

愛はいかりに 裏返され。

 

しかも家族はめでたくて

地続きに住む雲上人の御慶事に

目を輝かせているばかり。

 

日、とは抽象。

御子、は尊称。

 

そこぬけに善意の御方とうかがえば

善とは何でありましょう。

 

あなたはどなたでいらつしやいますか。

「カッパ天国」

そこで、お勤めのほうはいかがですか

と、きた。

 

「重いですよ、月給が」

 

多すぎて重いですか、とはさすがに

きかなかつた。

 

無い、と生きてゆけない

その重たさ、だ。

 

どれはごく、うすでの枯葉色の

紙製品で、私の生活をつつむ

ただ一枚の衣裳で

いわば、かっぱの背にはりついているアレ。

 

精神の恥部はまるだしで

顔に化粧するご愛嬌。

このへん、みんなカッパだから

まあいいや。

 

(ひよつとすつと人間は、どこかの寓話の川のほとりに、すんでいる

かもしれないな)

 

私はにつこり笑つて

いつた

とてもいい所なんです。

 

ある日、遠くからきた新聞記者に答えたこと。

「銭湯で」

東京では

公衆浴場が十九円に値上げしたので

番台で二十円払うと

一円おつりがくる。

 

一円はいらない、

と言えるほど

女たちは暮らしにゆとりがなかつたので

たしかにつりを受け取るものの

一円のやり場に困つて

洗面道具のなかに落としたりする。

 

おかげで

たつぷりお湯につかり

石鹸のとばつちりなどかぶつて

ごきげんなアルミ貨。

 

一円は将棋なら歩のような位で

お湯のなかで

今にも浮き上がりそうな値打ちのなさ。

 

お金に

値打ちのないことのしあわせ。

 

一円玉は

千円札ほど人に苦労もかけず

一万円札ほど罪深くもなく

はだかで健康な女たちと一緒に

お風呂などにはいつている。

「公共」

タダでゆける

ひとりになれる

ノゾキが果される、

 

トナリの人間に

負担をかけることはない

トナリの人間から

要求されることはない

私の主張は閉(し)めた一枚のドア。

 

職場と

家庭と

どちらもが

与えることと

奪うことをする、

そういうヤマとヤマの間にはさまつた

谷間のような

オアシスのような

広場のような

最上のような

最低のような

場所。

 

つとめの帰り

喫茶店で一杯のコーヒーを飲み終えると

その足でごく自然にゆく

とある新築駅の

比較的清潔な手洗所

持ち物のすべてを棚に上げ

私はいのちのあたたかさをむき出しにする。

 

三十年働いて

いつからかそこに安楽をみつけた。

石垣りん

「ひとり万才」

新年!

と言つてみたところで

それは昨日の今日なのだ。

別段のこともあるまいと

寝正月を決めれば

蒲団の衿のあたりから

新年らしいものがはいり込んできて

何となくそんな気分になつてしまう。

 

習慣とか

しきたりとか

常識とか

それらは木や石でこしらえた家より

何倍かがつちり仕組まれていて

人間共の心の住処(すみか)になつている。

 

だから

正月といえば

正月らしい気分になり

今夜は是非とも良い初夢を見よう、などと

夢のような期待を

自分にかけたりする。

 

それ、

それほどの目出度(めでた)さで

新年という

あるような

ないようなものがやつてくる

地球の上の話である。

「弔詞」

職場新聞に掲載された105名の戦没者名簿に寄せて

 

ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる。

 

ああ あなたでしたね。

あなたも死んだのでしたね。

 

活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。悲惨にとぢられたひとりの人生。

 

たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。一九四五年三月十日の大空襲に、母親と抱き合って、ドブの中で死んでいた、私の仲間。

 

あなたはいま、

どのような眠りを、

眠つているだろうか。

そして私はどのように、さめているというのか?

 

死者の記憶が遠ざかるとき、

同じ速度で、死は私たちに近づく。

戦争が終つて二十年。もうここに並んだ死者たちのことを、覚えている人も職場に少ない。

 

死者は静かに立ちあがる。

さみしい笑顔で

この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発(た)とうとしている。

 

私は呼びかける。

西脇さん、

水町さん、

みんな、ここへ戻つて下さい。

 

どのようにして戦争にまきこまれ、

どのようにして

死なねばならなかつたか。

語つて

下さい。

 

戦争の記憶が遠ざかるとき、

戦争がまた

私たちに近づく。

そうでなければ良い。

 

八月十五日。

眠っているのは私たち。

苦しみにさめているのは

あなたたち。

行かないでください 皆さん、どうかここに居て下さい。

「唱歌」

みえない、朝と夜がこんなに早く入れ替わるのに。

みえない、父と母が死んでみせてくれたのに。

 

みえない、

私にはそこの所がみえない。

               (くりかえし)

「家出のすすめ」

家は地面のかさぶた

    子供はおできができると

    それをはがしたがる。

 

家はきんらんどんす

    馬子にも衣裳

    おかちめんこがきどる夜会。

 

家は植木鉢

    水をやつて肥料をやつて

    芽をそだてる

    いいえ、やがて根がつかえる。

家は漬け物の重石

   人間味を出して下さい

   まあ、すつぱくなつたこと。

 

家はいじらしい陣地

   ぶんどり品を

   みなはこびたがる。

 

家は夢のゆりかご

   ゆりかごの中で

   相手を食い殺すかまきりもいる。

 

家は金庫

   他人の手出しはゆるしません。

 

家は毎日の墓場

   それだけに言う

   お前が最後に

   帰るところではない、と。

 

であるのに人々は家を愛す

   おお、愛。

 

愛はかさぶた

   子供はおできができると

    ………。

 

だから家をでましょう、

みんなおもてへでましよう

ひろい野原で遊びましよう

戸じまりの大切な

せまいせせまい家をすてて。

「干してある」

私の肩にかかる

ふんわりとやさしいものが

よせてくる波打ち際(ぎわ)

なんべんも溺れて解けて

消えて生れる。

意識というもの

記憶というもの

あたたかい波の

きれぎれの海岸線に沿つて、

夫婦という町

兄弟という町

親子という町

恋人という町

その入江にひろがる

夜の深さ

夜明けのうすあかり。

ふとんはひろがる

いのちの半分

こころの半分

世界の半分

太陽が月にかぶせる

あの遠い半分の影のように。

浅く深く

かたくおもく

やがて呑む、

うめたくはげしく

全部の町

全部の人

ふとんの中の魚

ふとんが打ち上げる貝殻

たえまない饒舌

白い歯。

 

ふとんが空にいちまい。

「母の顔」

家は古い

死んだ母親が住んでいる。

 

どの新しいと呼ばれる家庭にも

母親がひとり。

 

働き者で

料理好きで

掃除好きで

洗濯好きで。

 

若い嫁がシチューをつくるそばで

赤ん坊の指を伸ばしたりしている

死んだ母親。

 

私は見た。

廊下を拭くため

人間のハラワタをしぼつているのを。

 

少年の肌は

死んだ母親が洗つている間に黄ばんでくる。

 

うつかりしていると

みんな片付けられて

その辺がせいせいしている。

 

やさしく、残酷な

生きている母たちの本当の母親。

死んだ母親。

 

家はどこもたいそう古い。

「ちいさい庭」

老婆は長い道をくぐりぬけて

そこへたどりついた。

 

まつすぐ光に向かつて

生きてきたのだろうか。

それともくらやみに追われて

少しでもあかるい方へと

かけてきたのだろうか。

 

子供たち――

苦労のつるに

苦労の実がなつてだけ。

(だけどそんなこと、

人にいえない)

 

老婆はいまなお貧しい家に背をむけて

朝顔を育てる。

たぶん

間違いなく自分のために

花咲いてくれるのはこれだけ、

青く細い苗。

 

老婆は少女のように

目を輝かせていう

空色の美しい如路(じょろ)が欲しい、と。

「童謡」

お父さんが死んだら

顔に白い布をかけた。

 

出来あがつた食事の支度に

白いふきんがかけられるように。

 

みんなが泣くから

はあん、お父さんの味はまずいんだな

涙がこぼれるほどたまらないのだな

と、わかつた。

 

いまにお母さんも死んだら

白い布をかけてやろう

それは僕たちが食べなければならない

三度のごはんみたいなものだ。

 

そこで僕が死ぬ日には

僕はもつと上手に死ぬんだ

白い布の下の

上等な料理のように、さ。

 

魚や 鶏や 獣は 

あんなにおいしいおいしい死にかたをする。

「生えてくる」

私の家はちいさいのに暮らしが重い。

二本の足で支えているのに

屋根がだんだんずり落ちてくる。

 

しかたがないので

希望とか理想とか

幸福とかいうもの

それらの骨格のようなものを

ひとつずつぬき捨て

ついに背景までひきぬいていまい

わたしのからだはぐにゃぐにゃになつていまい。

 

どうぞこの家、

過去のしがらみ、

仏壇ばかりにぎやかに

仏壇の中に台所まであり

毎日の料理もそこでつくられる

その味わいの濃さ

血の熱量に耐えられますように

と両手のなかで祈るうち。

 

私の同体からは

タコみたいな足が生え

四本も五本も生え

八本にもなって。

さあこれでどうやら支えられると安堵したら

その足を食べにくる

見たような顔をした不思議な人間。

 

あなたは?

と聞けば

親だという

誰々だという

忘れたの?

という。

 

私は首をふつて涙をこぼす、

いいえ

私の同族ではない、

私はタコです、人間ではない。

 

けれどタコの気持は人間に伝わらなくて

八本の足が食べられる

きのう一本、今日一本。

 

悲しまぎれに

六本足をたべられた、

と言いふらしたら

人間の足はもともと二本

二本足の人間なら

言つてならないことがある。

 

と、私を愛する家族がいう。

口をとがらせてみても

吸いこんでみても

広い、深い

正真正銘の愛というものが

 

海のようにとりまくので

かぎりなくとりまくので

私の足は減つたところから

またどうにか食べられそうな恰好で

生えてくる。

石垣りん詩集「表札など」完結