「世界樹」創刊号・郷隼人特集より

 

郷隼人の歌 〜人間性を保つ磁針として〜

                               美帆シボ

                            

海外にいて短歌を学ぶことは難しい。とりわけ日本の伝統詩には無関心で、短歌といえば、石川啄木のように三十一文字を三行に書き分けるものだと思っていた私である。短歌や俳句に興味を持ち始めたときは、すでに四〇代の終わりであった。が、流麗なフランス語の詩の響きに値する五七調の韻律の美しさを、今さらのように発見した喜びは大きかった。引き込まれるように、見よう見まねで歌を詠みはじめたころ、オランダの歌人・合田千鶴さんに朝日歌壇への投稿を勧められた。けれども、新聞に掲載された入選作計四十首を目にしても、初心者の私に理解できたのはせいぜい三分の一程度で、多くの歌の意味や入選歌の良さがまだよくわからなかった。そんな中で、一首、とりわけ私の関心を引いた歌があった。

 

あちこちに集う囚徒の息白く背中にやさし冬日が注ぐ

 

一九九九年一月の紙面である。耳を切るような冷気と、幾分まるまった囚人たちの背に差す日の光。それらが実感として伝わってきた。誰が詠んだのだろう、アメリカからの投稿とは……アメリカの監獄に勤めている日本人なのだろうか。それまであまり朝日歌壇を読んだことがなかった私は、この作品が殺人罪で終身刑を言い渡された人のものだとは知らなかった。私はこの一首を記憶にとどめたまま、それ以後、新聞歌壇を読まなかったばかりか、短歌を続けるべきかどうか迷いはじめていた。

そんな私が渡辺幸一著『イエロー』を読んで、ロンドン在住の著者が朝日歌壇への投稿によって鍛えたことを知った。ならば私も、となんとか朝日歌壇を手にいれて読み、投稿するにつれ、常連である郷さんの歌に出会う機会も増えた。とうとう、ある日、郷さんに手紙を出した。しばらくして届いた返信には、私の朝日歌壇初入選の歌が書き写されていた。

 

とりたての野菜を並べる巻き毛のジャン歌えば雨の朝市はなやぐ

 

フランスの朝市を歌った私の拙い歌を、ちゃんと覚えていてくれたのだ。郷さんと私は同じ年に生まれ、同じ年の夏に彼はアメリカへ、私はフランスへと旅立っていたことがわかった。

私はふたたび手紙を出した。だが、郷さんからの返答はなかった。もしかしたら、何か傷つけるようなことを書いてしまったのだろうか、と気になった。そのままほぼ一年が過ぎたころ、ある月刊誌に紹介された海外詠の記事をコピーして送ってみた。その記事には郷さんや私の歌の評価も載っていたからだ。思いのほか早く、長い返信が届いた。それによると、私の住所を紛失したのだという。ことの始まりは、所内で起きた殺人事件だ。一挙に大掛かりな監房検査が行われた。その折、看守が郷さんの独房に可燃性危険物が多すぎると、本やノート・手紙のすべてを三箱に詰め、断りもなく在米の郷さんの知人宅に送ってしまったのだ。その中には住所録も含まれていた。しかも、職場である所内の図書館のデスクに、私のアドレスを控えてなかった。そのために、アドレスを無くした人々からの手紙をひたすら待つしかなかったのだ。

こうした出来事を語る手紙に獄中の一週間のメニューが同封してあった。当然のことながら、アメリカの監獄のメニューには和食らしいものは一切ない。そのメニューを見ながら、切ない思いに誘われた。和食よりも洋食好みだった私が、和食を食べられない苦しみにあがいた時期があった。妊娠していたときである。口にしたものは何もかも吐いてしまった。当時、フランスの地方では日本の食品を手に入れることはできなかった。塩っ辛い中国の醤油に違和感をおぼえて、ため息をついたものだ。あげくの果てに、雑誌で見つけた和食の写真を、穴のあくほど見つめて過ごした。郷さんはそのときの私以上に、和食と無縁な生活をしている。

 

 空腹に寝つけぬ夜半の獄の床 親子丼の幻浮かびて

 

記事に見る七種粥(ななくさがゆ)のぬくもりや遠き故郷の母を想いぬ

 

郷さんの満たされない和食の欲求にたいし、その旺盛な知識欲は図書館での仕事によって、いくらか慰められているかもしれない。日系新聞で、私の拙著『フランスの空に平和のつるが舞うとき』の刊行を知ったという便りが届き、早速、郷さんに寄贈した。すると丁寧に読んで、ページを示しながら、書かれた内容に対する感想を記してくれた。また驚いたことに、インターネットを利用して印刷した、パリの地図も同封されていた。しかし、メールで監外の者と直接通信することは不可能だ。たとえ情報収集の手段を得ても、時には閉鎖状況のなかでさらなる欲求をかき立てられ、獄中で年老いてゆく苦しみを逃れることはできない。

 

外界より孤立する我はガラパゴスの生物のごと退化するのか

 

郷さんは自分が犯した罪の重さをよく自覚している。それゆえにこそ、どんな事情があったのか決して語ることはない。その繊細な感性をもってして、獄中で見ることができる数少ない生き物、つまり野良猫や鳥、こっそり飼育した魚グッピーなどの命を語るとき、自らのうちにあふれる命を感じるとき、彼は同時に拷問をうけるような苦虐にも襲われ、またその成長ぶりを目にすることができない娘への思いに悩まされるだろう。そんな彼のほんの少しの救いは、自分の歌によって、自殺を思いとどまった人が何人かいることだ。

私が感嘆するのは、自分以外には一人も日本人がいない世界で短歌を詠みつづけ、立派な散文を書きうる郷さんの力である。彼の著書『ローンサム隼人』に描かれているように、わずか三畳ほどの独房に二段ベッドとトイレ、ロッカーと衣料ハンガー二人分がひしめき、しかも本来一人で寝泊りする場所に、囚人二人が押し込められているのだ。その同居人は日本語を話すことができない。しかも、自分をとりまく環境にあふれる言葉は、嫌がうえにも鼓膜にひびき、脳髄に進入する。

 

無意識に我の英語にしみてゆくプリズン卑語に気付き憂える

 

言葉は私たちの精神を支えることも、破損することもできる。時には節電のために読書もままならず、また独り静かに瞑想する余裕のない独房で、郷さんが詠いつづけることができたのは、短歌によって自らを鍛えようとする強い意志の賜物であろう。彼は歌を詠むことによって、人間としての尊厳をたもっているのである。

 

人間性(ヒューマニティー)失いがちな獄中に磁針のごとき短歌の役目

 

 

l       『世界樹』はロンドンに在住する歌人・渡辺幸一氏が個人で編集・発行する雑誌です。

それ以前に発行していた同人誌『欧州短歌』20号を終了し、さらに発展した形で世界各地で短歌を書いている人たちの作品を掲載する季刊雑誌を目指しています。『世界樹』は毎号、日本の実力ある歌人の招待作品を載せる方針で、創刊号には沢田英史氏、第二号には本田稜氏を予定しています。