斉藤茂吉










斎藤茂吉の短歌が私の心に沁みます。子規の写生の理論を身をもって実践した歌人ですが、とくに「写」よりむしろ「生」に着目したところに大変惹(ひ)かれます。
ランダムになりますが、好きな歌を少しずつ書き取ってゆきたいと思います。…後藤人徳


百首選(岡井隆選)(1) (2) (3) (4) (5) (6)

更新平成17年1月10日

『赤光』(改選版による)より

死にたまふ母(大正二年作)  地獄極楽図(明治三十九年作) おくに(明治四十四年作) をさな妻(明治四十三年作) 冬来(大正元年作) 或る夜(大正元年作) 口ぶえ(大正二年作) 悼堀内卓(明治四十三年作) 木の実(大正元年作) 七月二十三日(大正二年作) 折に触れて(大正元年作) 悲報来(大正二年作) おひろ(大正二年作) 雪ふる日(大正元年) 


7.死にたまふ母大正二年)

(其の一)

ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なし

白ふぢの垂花(たりばな)ちればしみじみと今はその実の見えそめしかも

みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん一目みんとぞただにいそげる

うちひさす都の夜にともる灯(ひ)のあかきを見つつこころ落ちゐず

ははが目を一目を見んと急ぎたるわが額(ぬか)のへに汗いでにけり

灯(ともし)あかき都をいでてゆく姿かりそめの旅と人見るらんか

たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや

吾妻(あづま)やまに雪かがやけばみちのくの我が母の国に汽車入りにけり

朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり

沼の上にかぎろふ青き光りよりわれの愁(うれへ)の来むと云ふかや

上(うえ)の山(やま)の停車場に下り若くしていまは鰥夫(やもを)のおとおとを見たり

(其の二)

はるばると薬をもちて来(こ)しわれを目守(まも)りたまへりわれは子なれば

寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば

長押(なげし)なる丹(に)ぬりの槍に塵は見ゆ母の辺(べ)の我が朝目には見ゆ

山いづる太陽光を拝みたりをだまきの花咲きつづきたり

死に近き母の添寝のしんしんと遠田(とおだ)のかはづ天に聞ゆる

桑の香の青くただよふ朝明に堪へがたければ母呼びにけり

死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな

春なればひかり流れてうらがなし今は野(の)のべに蟆子(ぶと)も生れしか

死に近き母が額を撫(さす)りつつ涙ながれて居たりけるかな

母の目をしまし離(か)れ来て目守(まも)りたりあな悲しもよ蚕(かふこ)のねむり

我が母よ死にたまひゆく我が母よ我(わ)を生まし乳足(ちた)らひし母よ

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

いのちある人あつまりて我が母のいのち死(し)ゆくを見たり死ゆくを

ひとり来て蚕(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり

(其の三)

楢(なら)若葉てりひるがへるうつつなに山蚕(やまこ)は青く生(あ)れぬ山蚕は

日のひかり斑(はだ)らに漏りてうら悲し山蚕は未(いま)だ小さかりけり

葬(はふ)り道すかんぽの華ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや

おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我ら行きつも

わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし

星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり

さ夜ふかく母を葬りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも

はふり火を守りこよひは更けにけり今夜(こよひ)の天のいつくしきかも

火を守(も)りてさ夜ふけぬれば弟は現身のうたかなしく歌ふ

ひた心目守(まも)らんものかほの赤くのぼるけむりのその煙はや

灰のなかに母をひろへり朝日子(あさひこ)ののぼるがなかに母をひろへり

蕗の葉に丁寧にあつめし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に入れしまひけり

うらうらと天に雲雀(ひばり)は啼きのぼり雪斑(はだ)らなる山に雲ゐず

どくだみも薊(あざみ)の花も焼けゐたり人葬所(ひとはふりど)の天(あめ)明けぬれば



(其の四)

かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ

ほのかなる通草(あけび)の花の散るやまに啼く山鳩のこゑの寂しさ

山かげに雉子(きじ)が啼きたり山かげに湧きづる湯こそかなしかりけれ

酸(すゆ)き湯に身はかなしくも浸りゐて空にかがやく光を見たり

ふるさとのわぎへの里にかへり来て白ふぢの花ひでて食ひけり

山かげに消(け)のこる雪のかなしさに笹(ささ)かき分けて急ぐなりけり

笹原をただかき分けて行き行けど母を尋ねんわれならなくに

火のやまの麓(ふもと)にいづる酸(さん)の湯に一夜(ひとよ)ひたりてかなしみにけり

ほのかなる花の散りにし山のべを霞(かすみ)ながれて行きにけるかも

はるけくも峡(はざま)のやまに燃ゆる火のくれなゐと我(あ)が母と悲しき

山腹にとほく燃ゆる火あかあかと煙はうごくかなしかれども

たらの芽を摘みつつ行けり山かげの道ほそりつつ寂しく行けり

寂しさに堪へて分け入る山かげに黒々と通草の花ちりにけり

見はるかす山腹なだり咲きてゐる辛夷(こぶし)の花はほのかなるかも

蔵王山(ざわうさん)に斑(はだ)ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨(そば)ゆきにけり

しみじみと雨降りゐたり山のべの土赤くしてあはれなるかも

遠天(おんてん)を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき

やま峡(かひ)に日はとつぷりと暮れゆきて今は湯の香の深くただよふ

湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゅんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり

山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ

2.地獄極楽図(明治三十九年)

浄玻璃(じょうはり)にあらはれにけり脇差(わきざし)を差して女をいぢめるところ

飯(いひ)の中ゆとろとろと上(のぼ)る炎見てほそき炎口(えんく)のおどろくところ

赤き池にひとりぼつちの真裸(まはだか)のをんな亡者(まうじゃ)の泣きゐるところ

罪計(つみはかり)に涙ながしてゐる亡者つみを計れば巌(いはほ)より重き

にんげんは牛馬(うしうま)となり岩負ひて牛頭(ごづ)馬頭(めづ)どもの追ひ行くところ

をんな児(ご)の積みし小石を打くづし紺いろの鬼見てゐるところ

もろもろは裸になれと衣剥(ころもは)ぐひとりの婆(はば)の口赤きところ

白き華しろくかがやき赤き華赤き光を放ちゐるところ

ゐるものは皆ありがたき顔をして雲ゆらゆらと下(お)り来るところ

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(参考)

正岡子規(明治三十二年)

絵あまたひろげ見てつくれる歌の中に

なむあみだ仏つくりがつくりたる仏見あげて驚くところ

もんごるのつは者三人(みたり)二人(ふたり)立ちて一人坐りて盾(たて)つくところ

岡の上(へ)に黒き人立ち天(あま)の川(かは)敵の陣屋に傾くところ

木のもとに臥(ふ)せる仏をうちかこみ象蛇どもの泣き居るところ

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2.おくに(明治四十四年)

なにか言ひたかりつらむその言(こと)も言へなくなりて汝(なれ)は死にしか

はや死にて汝はゆきしかいとほしと命のうちにいひにけむもの

終(つひ)に死にて往(ゆ)かむ今際(いまは)の目にあはず涙ながらにわれは居るかな

なにゆゑに泣くと額(ぬか)なで虚言(いつはり)も死に近き子に吾(あ)は言へりしか

うつし世のかなしき汝に死にゆかれ生きの命も今は力なし

もろ足もかいほそりつつ死にし汝(な)があはれになりてここに居(を)りがたし

ひとたびは癒(なほ)りて呉れよとうら泣きて千重(ちへ)にいひしがつひに空(むな)しき

この世にし生きたかりしか一念も申さず逝きしをあはれとおもふ

何も彼(か)もあはれになりて思ひづるお国のひと世(よ)はみじかかりしか

せまりくる現実(うつつ)は悲ししまらくも漂ふごときねむりにゆかむ

やすらなる眠(ねむり)もがもと此の日ごろ眠くすりに親しみにけり

なげかひも人に知らえず極(きは)まれば何に縋(すが)りて吾(あ)は行きなむか

しみ到(いた)るゆうべのいろに赤くゐる火鉢のおきのなつかしきかも

現身(うつしみ)のわれなるかなと歎(なげ)かひて火鉢をちかく身に寄せにけり

ちから無く鉛筆きればほろほろと紅(くれなゐ)の粉(こ)が落ちてたまれり

灰のへにくれなゐの粉落ちゆくを涙ながしていとほしむかも

生きてゐる汝(なれ)がすがたのありありと何に今頃見えきたるかや

2.をさな妻(明治四十三年)

墓はらのとほき森よりほろほろと上(のぼ)るけむりに行かむとおもふ

木のもとに梅はめば酸(す)しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり

をさな妻こころに持ちてあり経(ふ)れば赤小蜻蛉(あかこあきつ)の飛ぶもかなしき

目を閉づれすなはち見ゆる淡々し光りに恋ふるもさみしかるかな

ほこり風立ちてしづまるさみしみを市路(いちぢ)ゆきつつかへりみるかも

このゆうべ塀(へい)にかわけるさび紅(あけ)のべにがらの垂りをうれしみにけり

嘴(はし)あかき小鳥さへこそ飛ぶならめはるばる飛ばば悲しきろかも

細みづにながるる砂の片寄りに静まるほどのうれひなりけり

水(み)さびゐる細江(ほそえ)の面(おも)に浮きふふむこの水草はうごかざるかな

汗ばみしかうべを垂れて抜け過ぐる公園に今しづけさに会ひぬ

をさな妻ほのかに守る心さへ熱病(や)みしより細りたるなれ

14.冬来(大正元年)

自殺せる狂者をあかき火に葬(は)ふりにんげんの世に戦(おのの)きにけり

けだものは食(たべ)もの恋ひて啼き居たり何(なに)といふやさしさぞこれは

ペリカンの嘴(くちばし)うすら赤くしてねむりけりかたはらの水光(みづひかり)かも

ひたいそぎ動物園にわれは来たり人のいのちをおそれて来たり

わが目より涙ながれて居たりけり鶴(つる)のあたまは悲しきものを

けだもののにほひをかげば悲しくもいのちは明(あか)く息づきにけり

支那国(しなこく)のほそき少女(をとめ)の行きなづみ思ひそめにしわれならなくに

さけび啼くけだものの辺(べ)に潜(ひそ)みゐて赤き葬りの火こそ思へれ

鰐(わに)の子も居たりけりみづからの命死なんとせずこの鰐の子は

くれなゐの鶴のあたまに見入りつつ狂人守をかなしみにけり

はしきやし暁星学校(げうせいがくかう)の少年の頬(ほほ)は赤羅(あから)ひきて冬さりにけり

泥(どろ)いろの山椒魚(さんせううを)は生きんとし見つつしをればしづかなるかも

除隊兵写真をもちて電車に乗りひんがしの空明けて寒しも

はるかなる南のみづに生れたる鳥ここにゐてなに欲しみ啼く



3.或る夜(大正元年)

くれなゐの鉛筆きりてたまゆらは慎(つつま)しきかなわれのこころの

をさな妻おとめとなりて幾百日(いくももか)こよひも最早(もはや)眠りゐるらむ

寝(い)ねがてにわれ烟草(たばこ)すふ烟草すふ少女(おとめ)は最早眠りゐるらむ

いま吾は鉛筆をきるその少女安心をして眠りゐるらむ

我友(わがとも)は蜜柑(みかん)むきつつしみじみとはや抱(いだ)かねといひにけらずや

けだものの暖かそうな寝(いね)すがた思ひうかべて独(ひと)り寝にけり

寒床(さむどこ)にまろく縮まりうつらうつら何時(いつ)のまにかも眠りゐるかな

水のべの花の小花の散りどころ盲目(めしひ)になりて抱(いだ)かれて呉れよ

5.口ぶえ(大正二年)

このやうに何に頬骨(ほほぼね)たかきかや触(さや)りて見ればをみななれども

この夜をわれと寝(ね)る子のいやしさのゆゑ知らねども何か悲しき

目をあけてしぬのめごろと思ほえばのびのびと足をのばすなりけり

ひんがしはあけぼのならむほそほそと口笛ふきて行く童子(どうじ)あり

あかねさす朝明ゆゑにひなげしを積みし車に会ひたるならむ


3.悼堀内卓(明治四十三年)

堀内はまこと死にたるかありの世かいめ世かくやしいたましきかも

信濃路(しなのぢ)のゆく秋の夜のふかき夜をなにを思(も)ひつつ死にてゆきしか

うつそみの人の国をば君去りて何辺(いづべ)にゆかむちちははをきて

早はやも癒(なほ)りて来(こ)よと祈(の)むわれになにゆゑに逝(ゆ)きし一言(ひとこと)もなく

いまよりはまことこの世に君なきかありと思へどうつつにはなきか

深き夜のとづるまなこにおもかげに見えくる友をなげきわたるも

霜ちかき虫のあはれを君と居て泣きつつ聞かむと思ひたりしか


2.木の実(大正元年)

しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな

赤茄子(あかなす)の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり

満ち足らふ心にあらぬ渓谷(たに)つべに酢をふける木の実を食(は)むこころかな

山遠く入りても見なむうら悲しうら悲しとぞ人いふらむか

紅蕈(べにたけ)の雨にぬれゆくあはれさを人に知らえず見つつ来にけり

山ふかく渓(たに)の石原しらじらと見え来るほどのいとほしみかな

かうべ垂れ我ゆく道にぼたりぼたりと橡(とち)の木の実は落ちにけらずや

ひとり居て朝の飯(いひ)食む我が命は短かからむと思(も)ひて飯はむ


10.七月二十三日(大正二年)

めん鶏(どり)ら砂あび居たれひつそりと剃刀研人(かみそりとぎ)は過ぎ行きにけり

夏休日(なつやすみ)われももらひて十日(とをか)まり汗をながしてなまけてゐたり

たたかひは上海(しゃんはい)に起り居たりけり鳳仙花(ほうせんくわ)紅(あか)く散りゐたりけり

十日なまけてけふ来て見れば受持の狂人ひとり死に行きて居し

鳳仙花かたまりて散るひるさがりつくづくとわれ帰りけるかも


18.折に触れて(大正元年)

くろぐろと円(つぶ)らに熟(う)るる豆柿に小鳥はゆきぬつゆじもはふり

蔵王山(ざわうさん)に雪かも降るといひしときはや斑(はだら)なりといらへけらずや

狂者らはPaederastieをなせりけり夜しんしんと更(ふ)けがたきかも

ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕(やまこ)殺ししその日おもほゆ

をりをりは脳解剖書読むことありゆゑ知らに心つつましくなり

水のうへにしらじらと雪ふりきたり降りきたりつつ消えにけるかも

身ぬちに重大を感じざれども宿直(とのゐ)のよるにうなじ垂れゐし

この里に大山(おほやま)大将住むゆゑにわれの心の嬉しかりけり


12.悲報来(大正二年)

7月三十日夜、信濃国上諏訪に居りて、伊藤左千夫先生逝去の悲報に接す。すなはち予は高木村なる島木赤彦宅へ走る。時すでに夜半を過ぎてゐたり。

ひた走るわが道暗ししんしんと怺へかねたるわが道くらし

すべなきか蛍(ほたる)をころす手のひらに光つぶれてせんすべはなし

ほのぼのとおのれ光りてながれたる蛍を殺すわが道くらし

氷室(ひむろ)より氷をいだし居る人はわが走る時ものを云はざりしかも

氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり

死にせれば人は居ぬかなと歎かひて眠り薬をのみて寝んとす

赤彦と赤彦が妻吾に寝よと蚤(のみ)とり粉(こな)を呉れにけらずや

罌粟(けし)はたの向うに湖(うみ)の光りたる信濃のくにに目ざめけるかも

諏訪(すは)のうみに遠白(とほじろ)く立つ流波(ながれなみ)つばらつばらに見んと思へや

あかあかと朝焼けにけりひんがしの山並の空朝焼けにけり

ひつそりと心なやみて水かくる松葉ぼたんはきのふ植ゑにし

しらじらと水のなかよりふふみたる水ぐさの花小さかりけり



6.おひろ 其の一 (大正二年)

なげかへばものみな暗しひんがしに出づる星さへあかからなくに

とほくとほく行きたるならむ電燈を消せばぬばたまの夜も更けぬる

夜くれば小夜床(さよどこ)に寝しかなしかる面(おも)わも今は無しも小床(をどこ)も

かなしみてたどきも知らず浅草の丹塗(にぬり)の堂にわれは来にけり

あな悲し観音堂にらい者(しゃ)ゐてただひたすらに銭欲(ほ)りにけり

浅草に来てうで卵買ひにけりひたさびしくてわが帰るなる

はつはつに触れし子ゆゑにわが心今は斑(はだ)らに歎きたるなれ

代々木野をひた走りたりさびしさに生(いき)の命のこのさびしさに

さびしさびしいま西方(さいほう)にゆらゆらと紅(あか)く入る日もこよなく寂し

紙屑(かみくづ)を狭庭(さには)に焚けばけむり立つ恋(こほ)しきひとは遥(はる)かなるかも

ほろほろとのぼるけむりの天にのぼり消え果つるかに我も消(け)ぬかに

ひさかたの悲天(ひてん)のもとに泣きながらひと恋ひにけりいのちも細く

放(はふ)り投げし風呂敷包ひろひ持ち抱きてゐたりさびしくてならぬ

ひつたりといだきて悲しひとならぬ瘋癲学(ふうてんがく)の書(ふみ)のかなしも

うづ高く積みし書物に塵たまり見の悲しもよたどき知らねば

つとめなければけふも電車に乗りにけり悲しきひとは遥かなるかも

この朝け山椒(さんせう)の香のかよひ来てなげくこころに染(し)みとほるなれ


おひろ 其の二

ほのぼのと目を細くして抱(いだ)かれし子は去りしより幾夜か経たる

愁(うれ)ひつつ去(い)にし子ゆゑに藤のはな揺(ゆ)る光さへ悲しきものを

しらたまの憂(うれひ)のをみな我(あ)に来り流るるがごと今は去りにし

かなしみの恋にひたりてゐたるとき白藤の花咲き垂りにけり

夕やみに風たちぬればほのぼのと躑躅(つつじ)の花は散りにけるかも

おもひ出は霜ふる渓(たに)に流れたるうす雲の如くかなしきかなや

あさぼらけひとめ見しゆゑしばたたくくろきまつげをあはれみにけり

しんしんと雪ふりし夜に汝(な)が指のあな冷たよと言ひて寄りしか

狂院の煉瓦(れんぐわ)のうへに朝日子(あさひこ)のあかきを見つつなげきけるかな

わが生(あ)れし星を慕ひしくちびるの紅きをみなをあはれみにけり

わが命つひに光りて触(ふ)りしかば否といひつつ消(け)ぬがにも寄る

彼(か)のいのち死去(しい)ねと云はばなぐさまめ我の心は云ひがてぬかも

すり下(おろ)す山葵(わさび)おろしゆ滲(し)みいでて垂る青みづのかなしかりけり

啼くこゑは悲しけれども夕鳥(ゆふどり)は木に眠るなりわれは寝なくに


おひろ 其の三

愁へつつ去(い)にし子ゆゑに遠山(とほやま)にもゆる火ほどの我(あ)がこころかな

あはれなる女(をみな)の瞼恋ひ撫でてその夜ほとほとわれは死にけり

このこころ葬(はふ)らんとして来(きた)りつる畑に麦は赤らみにけり

夏されば農園に来て心ぐし水すましをばつかまへにけり

藻(も)のなかに潜むゐもりの赤き腹はつか見そめてうつつともなし

麦の穂に光のながれたゆたひて向うに山羊は啼きそめにけり

この心葬り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも

わらじ虫たたみの上に出た来(こ)しに煙草(たばこ)のけむりかけて我(わが)居り

念々(ねんねん)にをんなを思ふわれなれど今夜(こよひ)もおそく朱(しゅ)の墨するも

この雨はさみだれならむ昨日(きのふ)よりわがさ庭べに降りてゐるかも

つつましく一人し居れば狂院のあかき煉瓦に雨のふる見ゆ

瑠璃(るり)いろにこもりて円(まる)き草の実は悲しき人のまなこなりけり

ひんがしに星いづる時汝(な)が見なばその目ほのぼのとかなしくあれよ

19.雪ふる日(大正元年)

かりそめに病みつつ居ればうらがなし墓はらとほく雪つもる見ゆ

現身(うつしみ)のわが血脈(けちみやく)のやや細り墓地にしんしんと雪つもる見ゆ

あま霧(きら)し雪降る見れば飯(いひ)をくふ囚人のこころわれに湧きたり

ひさかたの天(あめ)に白雪ふりきたり幾とき経ねばつもりけるかも

枇杷の木の木(こ)ぬれに雪のふりつもる心愛憐(あわれ)みしまらくも見し

さにはべの百日紅のほそり木に雪のうれひのしらじらと降る

天つ雪はだらに降れどさにづらふ心にあらぬ心にはあらぬ



佐藤佐太郎秀歌50首  佐藤志満選(解説:香川末光)

 

をりをりの吾が幸(さいはひ)よかなしみをともに交へて来たりけらずや

 

二十八歳作、自注に「青春を回顧して泪をながした」とある、主観直叙の哀歓切実、語韻が限りなく美しい。

 

とどまらぬ時としおもひ過去(すぎゆき)は音なき谷に似つつ悲しむ

 

空しさ「音なき谷」と形容したのは感情のひらめき、こう言って抽象的感情を生動させている。

 

連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音

 

客観に徹して重い対象を見ている。その中に言い難い機微のある歌境が新鮮である。

 

椎の葉にながき一聯の風吹きてきこゆるときに心は憩ふ

 

背景には貧困の現実がある、その苦を越えた純粋な詩境、述べた言葉に沁むような感情がある。

 

おもむろに四肢をめぐりて悲しみは過ぎゆくらんとわが思ひゐし

 

全身で悲しみに耐えているその形容を述べた一、二句が憂愁を極めている。捉え難い生の律動吐露である。

 

魚のごと冷えつつ思ふ貧しきは貧しきものの連想を持つ

 

上句は佐太郎独自の譬喩、悲哀を象徴して深切、下句は「理でなく詠嘆である」と自註している。

 

階くだり来る人ありてひとところ踊場にさす月に顕はる

 

前後を言はず写象の中核のみに視点を据えている、現実客観へ作風の移行してゆく変化が見られる一首。

 

北上の山塊に無数の襞見ゆる地上ひとしきり沈痛にして

 

俯瞰する北上山塊の重厚なさまを沈痛と観た冷徹な気魄に力が漲っている、雄豪な歌境への進展である。

 

いのちあるもののあはれは限りなし光のごとき色をもつ魚

 

美しい魚を見ていのちのあはれに思い至るその主観の飛躍に佐太郎短歌の秘奥を見る思いがする。

  

白藤の花にむらがる蜂の音あゆみさかりてその音はなし

 

自註に「夢幻の中を通り過ぎたようだった」とある敏感で豊かな感受が人の気付き得ない現実を捉えている。

 

青々と晴れとほりたる中空に夕かげり顕つときは寂しも

 

あるか無きかの現象の移行に鋭く即応した感傷のゆらぎが見ごと、抑揚のある言葉のながれがまた素晴らしい。

 

ひろびろと浜の常なる寂しさかわが真近くの浜はとどろく

 

伊良湖岬の外洋の浜、足元に間を置いて大きな波が崩れて轟く、広く空しく寂しい海に接した無機質への感動。

 

ただよへる雲の境がけじめなくにごりて暑き午後となりたり     

 

茫洋とした天象の具体を見て其処に重苦しい時の移りを感じている、晴れ晴れとせぬ心の暗示もあるだろう。

 

空わたり来る鶴のむれまのあたり声さわがしく近づきにけり

 

出水の鶴、自註に「胸さわぐような思いを下句は言い当てたように思った」とある、三句がそれを生かしている。

 

身辺のわづらはしさを思へども妻を経て波のなごりのごとし

 

佐太郎は外に対しては穏かで無口であったが夫人には我儘でよく怒ったと言う、その反面の心である。

 

白鳥の群れとびたちてひとしきり雪山の上ゆれつつわたる

 

瓢湖の白鳥、鶴の場合もそうだったがわざわざ見に行っている、見て真実を詠む以外架空で歌を作らなかった。

 

限りなき砂のつづきに見ゆるもの雨の痕跡と風の痕跡

 

シナイ半島上空から見た砂漠、この一連の歌は代表作のひとつ、人煙を断った壮凄絶な荒寥の世界である。

 

憂(うれひ)なくわが日々はあれ紅梅の花過ぎてよりふたたび冬木

 

主客均衡し佛語のような安らかな響がある、下句は人の見て注意し得なかったものを見た、と自註にある。

 

生まれたるばかりにて危険を知らぬ蝿われのめぐりをしばらく飛びつ

 

この些事が身にしみて感じられた背後に生れたばかりの孫があったと、自註している、連想が俗を越えている。

 

(つづく)

佐藤佐太郎秀歌50首(三)  佐藤志満選(解説:香川末光)

 

冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝見ゆ

 

この歌に就いては種々論議があったが本人は沈黙していた、滝が風に傾くのは偶然な幸運であった。

 

波さむき汀(みぎは)の砂はあなあはれ雪にほとびて踏みごたへなし

 

白一色の積雪と荒海の間の渚を歩いての感触、思いがけない現実に自然の節理の妙をみている。

 

寺庭は消(け)のこる雪をぬきいでて紅梅一木(ひとき)さく偈頌(げじゅ)のごとくに

 

永平寺での作、雪の上に立つ紅梅の花を見て偈頌の中味即ち賛嘆を直感した。

 

夕光(ゆうかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝きを垂る

 

杜甫と李白に似た詩語があるが共に誇張、この歌は華麗を極めているが写実二年続けてこの歌が成った。

 

あるときは幼き者を手にいだき苗のごとしと謂(い)ひてかなしむ

 

孫の幼女を憐れんだ歌「苗のごとし」と言った憐愍は体感から来ている。

 

海の湧く音夜もすがら草木と異なるものは静かに眠れ   少女喘を病む

 

同じ女児の歌「この頃はおもむくままに赴いて歌に遠韻が添う」と自註してをり着想も形容も自在闊達。

 

衡動のひとつ悔しみのわくこともありて来たる可き睡りをぞ待つ

 

想念が去来しつつそれも淡くなって眠りが来る、その間さへもやすらかなことばかりではない、それが生である。

 

鳥雀のごとたわいなく秋の日のいまだ暮れざるに夕飯を待つ

 

六十歳の作、昭和四十一年鼻出血で入院以来体調に気を止め摂生している、その哀感の自照である。

 

崩壊のあとの石塊にしばし立つ虚しきものは静かさに似る

 

アンコールワットでの作品、密林の中に崩壊した石塊に立つて感懐、下句の観入に清澄な影を感じる。

 

六尺の牀によこたへて悔ひをつむための一生(ひとよ)の如くにおもふ

 

年齢と体調から来る悔悟の情、その嗟嘆はとり返しの利かない残念に満ちている。凡そその人はかうしたもの。

 

佐藤佐太郎秀歌50首(四)  佐藤志満選(解説:香川末光)

 

沼の辺の村のしづかさ残汁を護る蜆(しじみ)も風に乾けり

 

青森県尾駮沼での歌、閑散な村の店に盛られた蜆、乾いているさまがあはれである「残汁を護る」は蘇東坡にある。

 

草焼きし跡のゆゑよしもなき静かさやその灰黒く土かたくして

 

しづかさと言って暗示するのは「侘しさだ」と自註にある、冬枯れの野の人為の跡にはしたしさもある。

 

暁の海におこりて海を吹く風音寂しさめつつ聞けば

 

三重県答志島に於いて夜明け方聞いた海の風音、海におこりて海を吹くが確かで至った把握、遠韻がある。

 

いちはやく若葉となれる桜より風の日花のニ三片とぶ

 

自註「自然の推移の実際をみている」で付言することは無い、好んで奇を見たのではない。

 

老鈍の心ゆらぎて北磁極いま過ぎたりといふ声を聞く

 

昭和四十九年欧州旅行の途次磁力のはたらかない北極通過の瞬間の感動、老鈍の心に即発した万感が解る。

 

北極の半天を限る氷雪は日にかがやきて白古今なし

 

目に満ちて輝く半天の氷雪、凄い情景、白古今なしが感銘の絶唱、蘇東坡に「青天無古今」がある。

 

収めたる冬野を見つつ行くゆうべひろき曇に天眼移る

 

悠々として気宇の沈潜した寂寥、階律の美しい声調、歌境の極に達した歌、蘇東坡に「坡雲見天眼」がある。

 

生死夢の境は何か寺庭にかがやく梅のなか歩みゆく

 

六十六歳、会葬に行った鎌倉東慶寺での作、生に対する自意識への問いかけで、老いの孤独を暗示している。

 

もてあそび難き余歳とおもはんか鹿島港のあたり寂しく帰る

 

脳血栓で死と対面した後機能恢復の散策が始まる、不安と緊張のない述懐に注目したい。

 

ただ広き水を見しのみ河口まで来て帰路となるわれの歩みは

 

銚子に於ける散策の歌は四十三首に及ぶ、この歌もその中の一首、緩和で滋味の深い老いの歌境が開かれてゆく。

 

佐藤佐太郎秀歌50首(四)  佐藤志満選(解説:香川末光)

 

春ちかきころ年々のあくがれかゆふべ梢に空の香のあり

 

老境というには余りにもみずみずしい、あこがれと言い、梢の空の香と言い、衰えることのない感覚が新鮮である。

 

隣室の夜半に聞こゆる鼾声は少女かその母かいづれも愛し

 

こう言う日常聞き馴れた気息にもしみじみと愛惜の情がうごく、老に伴いもろくなった情感が思われる。

 

来日の多からぬわが惜しむとき春無辺にて梅の花ちる

 

純化された老の詩境、其処には概念も常識もなく、しなやかに冴えた真実の直感があるだけである。

きはまれる晴天はうれひよぶならん出でて歩めば冬の日寂し

 

老境の作品はそれぞれ未踏の境地にある、見て感じることの窮極は無に響く嘆声であるだろう。

 

わがごときさへ神の意を忖度す犬馬の小さき変種を見れば

 

特殊なものを見て考えている、考えたのは対象ではなく其処に動いた自身の心の動きであった。

 

杖ひきて日々遊歩道ゆきし人この頃見ずといつ人は言ふ

 

蛇崩で同病の杖つく人をよく見たが長くて一、二年のうちに見なくなった、それを自身の上に置いた自己客観。

 

いまわれは老齢の数のうちにありかつて語らぬ人の寂しさ

 

五句の「人」がややむずかしい、が歌は合理のみで現せられぬことがある、この歌奥行にその混沌がある。

 

むらさきの彗星光る空ありと知りて帰るもゆたかならずや

 

ハレー彗星に巡り合えた充実感、そのロマンを詠んで悠揚と思いを述べた胸ひらかれる思いの歌。

 

たちまちに過ぎし命をいたむなく順序よく死の来しをたたへん

 

大切な仕事を為し遂げた人を詠んだ歌、道を述べた歌ではなく、潔い生を賛嘆して格調がある。

 

夜更けて寂しけれども時により唄ふがごとき長き風音

 

佐太郎の歌には純粋な詩質の響きがあり、自在に駆使する日本語の美によって多様な真実が限りなく輝いている。