岡井 隆歌集「禁忌と好色」(1)から(15)
岡井 隆歌集「禁忌と好色」(昭和55年〜57年)(16)〜(26)
岡井 隆歌集「禁忌と好色」(昭和55年〜57年)(27)
「仮面と様式」
ひとりの言葉がひとつの生命を制約することを月の光のさす病室でいつの日か覚らなければならない。とメモしたのは去年の今日。
すみずみに現実(うつつ)の乳は満ちながらしかもはつかに現実(うつつ)超えたる
<金銭にかかはる春の憂かな>
参阡(さんぜん)に無限にちかく迫りつつなほわづかある欠落あはれ
<中野サンプラザは及川隆彦の輝(かがよ)ふとまでわれは言はねど>
あの裁判官のニルアドミラリをよそおったもの言いはどうだったであろう。
連れ出され攫(さら)はれてゆくたのしさの神田まで来て祝辞書きをり
<四月二十一日しづかなる雨は『正岡子規』とわれを濡らせり>
<脱稿を自祝してゐし夜の果てに父の怒りのよみがへり来つ>
様式の水をくぐりて詩は生(あ)るる着流しのわれ胡坐(あぐら)のわれに
<いふならば戦中戦後飢餓世代煮つめられつついちじく匂ふ>
わさわさと物食ふさまのいやしさをゆたかなる此の今へ織り込め
(つづく)
岡井 隆歌集「禁忌と好色」(昭和55年〜57年)(28)
「仮面と様式」
(昨日よりつづく)
農業型抒情から都市型叙景へ。
色彩は泳ぐといひて讃へたるかの批評家は背後を知らず
<よろこびを酢(す)につけてゐしおんなかな>
わが「こだま」先頭車輌の見ゆるまで彎曲ふかく靄のなかを帰る
漢音と闘(たたか)ひしのち春めいてゆく伊勢の国鈴鹿郡(ごおり)へ
<雲よ来よ わが晩霜の髪の上>
仮面こそさびしなつかし胃の重くなるまで金(かね)の話煮つめて
二月十九日夜。夢に馬の形をした母を見た。母さんは好きだよ、やって来れば自分も死ぬとわかっていても来てくれた。それにくらべて父は冷たかった。電話の向うにさえ出て来なかったよ、と文句を言っているうちに目がさめた。
朝戸出に尿(ゆまり)にもどる象(ざう)の母どどとおのれの足踏みにけり
<王制のすゑあはれなる鷹を率(ゐ)て>
青年と話して居たり青年はつめたき眼(め)してわれを見据うる
岡井 隆歌集「禁忌と好色」(昭和55年〜57年)(29)
「仮面と様式」
(昨日よりつづく)
屋内は凍らむばかり効(き)きながらはなやかに周(めぐ)る街区ありたり
静岡いでて富士をかかぐる空に遭(あ)ふみどり子の熱も落ちつつあらむ
毎夜少し早寝している。ところが妙な夢で目がさめる。なんでも枕もとにラジ・カセのようなものを持ってうすぐらい部屋に寝ていた。そこへ女たちがどやどやと来て、一せいにふとんを敷いて寝はじめたが、こちらの存在は全く無視している。それがかなしいので、おれはおれの部屋に行ってねるよと言った。
てのひらにたもてる虫をはなちやるあけぼのの様式の波間(なみま)に
建物のはずれの、自分の部屋へ行く途中で、屈強な整形外科医に会った。ひょっとすると昔つとめていた病院の外科医だったかも知れなかった。泥のような川を下る舟にのせられて、峡谷の泥流を、つるんつるんとすべって行くたびに、こちらの肝は冷えて行く。
生くるとは他者(ひと)を撓(たわ)めて生くるとや天は雲雀(ひばり)をちりばめたれど
育ちつつゆらぐ思念(イデー)の「女らは居ながらにして男手挟(たばさ)む」
とある崖の上へとびあがって、とにかく川を伝わってどこかへ逃れ出たいとおもった。売店があり、ばあさんが下手(しもて)を指して教えたところで目が覚めた。
昔見て今見えぬものあまたある否ただ一つありと思はむ
(つづく)
岡井 隆歌集「禁忌と好色」(昭和55年〜57年)(30)
「仮面と様式」
(昨日よりつづく)
父母(ふも)の亡(な)き大きな闇に包まれて咲きにつらむを行くこともなし
三月三十日夕。Oさんと熱海で会う。寒い。『人生の視える場所』という本の、最終の調整のため。梅園へ行った昔も寒く、女は胎教を信じていた。梅の香に、のっと子が出る。
女らのまどかなる老いに入らむころ歯がみ荒(あ)ら噛(が)みわれは苦しゑ
<カルダンのかばんに雨の降りかかるまだ昼飯(ひるいひ)は届けられざる>
精神のどこか汚(よご)して成りたりと思ふも暗く花群のかげ
小切手は腹巻に入れて行った。(この一行は、わたしにだけ、意味がある。)
この日ごろ庭木々肥(ふと)りあはれなる妻あはれなる夫夕まぐれ
<あのころの日記の類を焼きたるはいついづくなる庭先にして>
上(かみ)の句のどこか動くと見てあれば一輪車曳きかへり来ぬ子は
子供たちと遊び自転車転倒。膝を打った日には、さすがにわたしも不快派歌人。
いくたびか死後の世界に直(ぢ)かに視る真水(まみづ)を詰めし魔法瓶あはれ
(つづく)
岡井 隆歌集「禁忌と好色」(昭和55年〜57年)(31)
「仮面と様式」
(昨日よりつづく)
<歳月の垣をくぐりてぬつと来る想ひ出したくない顔ひとつ>
たたなはりうからは寝(い)ねつ月光(つきかげ)や深し今戦後と思ふまで
「熔けたる巌の山腹を流れ下るさま、血の創より出づる如し。」(「即興詩人」)
愚昧なる歌びとかなと歎かひて手をひとつ拍ち許したまひき
手をお出しわれも両手をさし出さむ水いろの如月(きさらぎ)の花の上(へ)
二十七年ぶりに『即興詩人』を読む。鴎外は十年を費やしている、この甘い小説の翻訳に。
一冊の手帖に金を積み上げて悲苦は集約されつつしづむ
<核兵器廃(や)めよとせまる女声あり家裁をいでて歩める吾に>
くらがりに夏柑(なつかん)の実と在るわれはさびしきわれは政治を嫌ふ
右であれ左であれ、多数(マス)による熱狂を、わたしは好まない。
反核といふうとましき略語さへ熟れて巷に夏は来むかふ
(つづく)
岡井 隆歌集「禁忌と好色」(昭和55年〜57年)(32)
「雨と日本人」
六月の初め札幌へ行く。鼻汁のやまぬ鼻をさげて行ったのである。折りしも冷雨また冷雨。
中空に禁忌の解けてゆく音を雨かも降ると思(も)ひて仰ぎつ
北国の雨の迅さにいらいらと咽喉(いんこう)ふかく病みて歩めり
リラに降る雨のさなかを裾ぬれて行きゆくわれは 賛美してをり
久しくもわれを縛(しば)りて年へたる禁制ひとつ解けてゐたりき
「暖かい雨」は巨大海塩核を芯とする凝結によって降るのだと、ある学者は推論している。
耿々(かうかう)と或る女過ぎ行きにけり蕗の繁りにふる夜の雨
しづかなる水波(みづなみ)の北島(きたしま)ありて疲れふかまれば来たりぬわれは
岡井 隆歌集「禁忌と好色」(昭和55年〜57年)(33)
「雨と日本人」
(昨日よりつづき)
いひがたき勢威をもちてわれを喚(よ)ぶ北国のこの水象(すいしやう)あはれ
二つ三つ気にかかるかな書き上げし書きのこしたるごちやごちや燃えて
札幌では「日本人のHLA」を聴いた。HLAとはなにか。それはともかく、雨雲にも遺伝子はひそむのである。
あぢさゐに大かたつむりみどりごにはじめての歯のあはきよろこび
はしり梅雨(つゆ)きみならばわがくるしもを言ひあつるらむ嗄声(させい)しづかに
さつぽろのあめに目ざめて「狂ほしき羊群」といふ比喩ひらめきぬ
ふたたびを女を憎むことなかれライラックから言葉を採(と)れば
(つづく)
岡井 隆歌集「禁忌と好色」(昭和55年〜57年)(34)
「雨と日本人」
(昨日よりつづき)
(雨ふれば今日いとまあれ札幌の大き通りを下駄はきあゆむ 千樫)は大正九年の雨。
さはいへど男女(をとこをみな)はうつろなる蜜房の辺(へ)にたぬしきものを
なほ北を脅かしつつ邦(くに)ありといふといへども現(うつつ)はみどり
朝々を薬草園に沿ひてゆく沈鬱にしてあたらしき青
梅雨(つゆ)のなき国といへどもおのづから西から晴れて、人は辛辣(しんらつ)
「日本の雨は、その総量が多いだけでなく、短時間に多量降るという点で特徴的である。」(倉嶋厚)
北五条西十三をよぎるころはや余裕なきこころとなりつ
たてよこにかはす美称のあいさつのいぶせき宵となりにけるかな
(つづく)
岡井 隆歌集「禁忌と好色」(昭和55年〜57年)(35)
「雨と日本人」
(昨日よりつづき)
運命ののろふことばをつくしてぞ呪ひし声は水に刺さりつ
よろこびと悲嘆のあひを割りながら青にごりゆく若葉の大樹
<氷解けて水の流るる音すなり 子規>
金銀のはかなき幸(さち)をいふ人は北辺(ほくへん)に居てわれに鏡を
桑園といふ小駅の陸橋をうれひてのぼりうれひてくだる
すきとほるビニールに容れ膝に置く傘はブルーの昨日また今日
わが歌を編みたる人は妻君(つまぎみ)とありつつもとな憂愁の人
(つづく)
岡井 隆歌集「禁忌と好色」(昭和55年〜57年)(36)
「雨と日本人」
(昨日よりつづき)
雨づたふ大会堂のたうたうと日本人のみ持つ遺伝子座
六月の重きからだをふり切つて楡の木立に風と来てゐる
花束を抱きてリフトにのるわれは二昔来(ふたむかしらい)錯誤にみちて
不細工に傘をたたみて聴くときも説く夕べにも激語はあらず
「無言貿易」あるいは「鬼市が立つ」ともいう。夜来の雨の置いていったものを芝から拾っている。わたしは鬼めに、なにを返せばいいのだ。
鬼市に昨夜(きぞのよ)置きて来しものを繊(ほそ)き鬼らは食(は)みつつ行かむ
人の生(よ)を旅に見立てし妄誕の妄誕ゆゑになつかしきかな
あたたかき雨さむき雨、東方の海港へゆく噂はまこと
交易は麦のさびしさ運つよく生きのこりたるのちに想へば
日本人の雨には四季の別がある、とおどろく人があった。
あたらしき禁忌の生(あ)るる気配していろとろどりの遠き雨傘
岡井 隆歌集「禁忌と好色」完結