佐佐木幸綱



 

小池 光選 50首

俵 万智選50首


佐佐木幸綱五十首選(1)   小池 光選

サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず   『男魂歌』(合同歌集)

「サキサキと」またセロリという素材の新鮮さ。愛唱性抜群。歌人出立のこの解放感をみよ。

広げた尾ビリリリリリと顫わせて欲情の孔雀雄孤立せり   『群黎』

『群黎』巻頭の「動物園抄」より。デフォルメされ風刺され、思い切り擬人化された動物群。

水と水と絡み抱き合い震えゆき大河を持たず日本の冬

繊細な急流のみの日本の河川。大河なき風土と文化。ましてこの詩型は。大河を希求する熱意。

汗のシャツを汗のサイゴンに脱ぐときに祖国への愛みだりがわしき

ベトナム戦争最中のサイゴンに旅行する。国家意志対一個の肉体のせめぎあう現場を歌った。

杭のごとき熱燗の酒のみ下す暴力(ゲバルト)と言い諾(イエス)と言いて

杭には悔いを僅かに掛ける。問答無用の熱い瞬間の呼応、歌はまたこういう危険な花火である。

夏の女のそりと坂に立っていて肉透けるまで人恋うらしき

坂は幸綱の好む場所。いかにも柄の大きな肉体の存在感が印象的。『群黎』を代表する一首。

夏草の萎(しな)えしなえて帰り来しまた翌檜(あすなろ)の列に遇えるかも

人麻呂石見長歌「夏草の思ひしなえて嘆くらむ」を敷く。古典と現代の荒々しいドッキング。

なめらかな肌だった若草の妻ときめてたかもしれぬ掌(て)は

草枕を現代に甦らせる。はすっぱな口語と万葉集が彼女の肌の上で出合う。それこそが愛。

生きのびて恥ふやしゆく 日常は眼前のカツ丼のみだらさ美しさ

学生食堂のカツ丼に「美」を見いだす。このバーバリズムが幸綱のもの。この「恥」は強い。

ハイパントあげ走りゆく吾の前青きジャージーの敵いるばかり

短歌にスポーツの肉体が躍動する。現代短歌はここにやっと『太陽の季節』を持った。

 

 

佐佐木幸綱五十首選(2)   小池 光選

 

おお朝の光の束(たば)が貫ける水、どのように生きても恥

「恥」は幸綱のキーワード。恥に耐え、照れず、俯かず、前方に歩け。この朝光の水を見よ。

直立せよ一行の詩 陽炎に揺れつつまさに大地さわげる

短歌よ一行としてどっしり突き刺さってあれ。万葉の歌がそうだったように。

かつて戦艦陸奥と呼ばれし日のありて鉄が吐き出す水をさびしむ

爆沈した陸奥が引き上げられた時の歌。硬質の剛直な感傷が鉄塊に突き刺さり、はねかえる。

君は信じるぎんぎんぎらぎら人間の原点はかがやくという嘘を

疎開体験の一連。嘘はフィクションの意味に近い。人間を支える虚構の力を、逆説的に歌う。

らんらんと眼(まなこ)、乱世の愛かとも思いつつ真夜(まよ)の犬親しもよ

犬も男もらんらんと飢えた眼を光らせながら睦み合う。見下ろしているのは信長のまぼろしか。

さらば象さらば抹香鯨たち酔いて歌えど日は高きかも

文明によって滅び去ってゆく者らへの大らかな哀歌。巨大なるものから滅ぶ。人も動物も。

あの雲のあたりか富士はみだらなる曇りの中を貫く速度

温和、湿潤の日本の風土、また和歌の風土。その「みだら」さが富士を隠す。新幹線車中の歌。

生と死とせめぎ合い寄せ合い水泡(みなわ)なす渚蹴る充実のわが馬よ

力と力がケレン味なくぶつかり合い、渦巻くところ。真実と充実はいつもその中にある。

一瞬ののちの未来へ触らむとし差し出す首ああ断たるるな

競走馬がゴールを駆け抜ける一瞬の景。その首筋の完璧な無防備さにはげしい共感がある。

目覚めゆく梅、はじめての純白の花咲かせたり驚きのごとく

単刀直入な相聞歌。通俗比喩を恐れず、剣先はまっしぐらにそれを越えて伸びる。驚く花。

 

佐佐木幸綱五十首選(3)   小池 光選

噴き出ずる花の林に炎えて立つ一本の幹、お前を抱く

「抱く」という行為を肉体化するために一本の幹を立たしめる。言葉が対象を呼び込む典型。

目つむりて鋭きお前、みずからに研がれて細き早春の川

「お前」はわが想う人、そしてまた一筋の早春の川。自然化された愛、愛に照らされた自然。

竹は内部に純白の闇育て来ていま鳴れりその一つ一つの闇が

竹の節の間の闇、焚火の中でまたひとつはじけ、純白の内部をさらす。このいさぎよさ、惨めさ。

断定する鉄の言葉を求めては梯子を担ぎ行く男なる

自画像の歌。木の梯子ではない鉄の梯子。たわむ梯子でない堅い梯子。梯子を運びみずから昇る。

「荒野」とはいかなる野ぞとふいに思うカレーの残る皿の前にて

この歌集から身辺の素朴が多くなる。カレー残飯のどきつさ。寺山修司への返歌とも読める。

賛歌なき現代短歌、抜歯せし穴より出ずる血のにがさかな

戦後短歌が捨てたもの、その核心に「賛歌」あり。「火を運ぶ」ように賛歌を運べよ。歌えよ。

逆光に跳ねてやまざる魚が見ゆ渚まで来て苦しむ魚か

渚に跳ねる一匹の魚の、孤立無援の栄光にさいわいあれ。「苦しむ」に年輪の陰影が映る。

楠(くすのき)であり続けたる千年を想いてぞゆく旅の心に

短歌もそしてこの楠も、百年の継続でなく、千年の継続。空間の旅は、また時間の旅である。

一国の詩史の折れ目に打ち込まれ青ざめて立つ柱か俺は

「柱」この垂直感は幸綱を貫く感覚の基調。歴史が自覚されるとき現在はいちも折れ目。

注ぎやるミルクの小滝(おだき)、土色のわれの徳利を傍らに寄せて

子供のミルクを与える。ごく平凡な光景だがこう歌われると豪快無比。武者人形のごとし。

 

佐佐木幸綱五十首選(4)   小池 光選

 

かすかなる切符を指に挟みてぞ帰る家ある吾(あ)をし悲しむ

あるかなきかのかすかな紙片、それを頼りに酔客の帰宅。なぜ人は家に帰るのか。家とは何か。

朝風も夕風もなき曇り日の今日も終らん庭に穴を掘る

何事もなくまた日は暮れる。男は怒ったように庭に穴を掘る。ただ埋め返すだけの穴を。

感傷として俺は食う、好んで食う、鯨の南蛮焼きという奴

感傷の復権を希う。ひ弱でめそめそした感傷でなく、鯨の南蛮焼きのようなぶっといそれを。

若きエルヴィスギターを抱きて傾(かし)ぎ居き、荒魂(あらたま)に哭(な)き尖り居たりき

動詞が六つもある。プレスリーのびりびりしたリズムのように歌を刻む。「荒魂」の新鮮さ。

本郷は雨の菊坂くだり行く父五十歳、死の年の春

映画のワンカットのようなシーン。本郷菊坂の固有名詞がいかにもいい。父の歳を越える感慨。

父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色(こんじき)の獅子とうつれよ

主題にわが子をおく作品が増える。父性のイデアを率直に歌いあげてひるむことがない。

傘を振り雫はらえば家の奥に父祖たちか低き「おかえり」の声

子を見る視線は、同時に子として見られる視線を促す。歴史の過程としてのわれという現象。

ぎりぎりまで動機の車輪駆りにしや水際の薄き痕跡あわれ

石川一成を悼む歌。ぎりぎりまで動き続けてそれでもこの世に薄い痕跡を刻んだに過ぎない。

しゃぼん玉五月の空を高々と行きにけり蚯蚓(みみず)よ君も行き給え

柄の大きな、ゆったりしたユウモア感覚もまた幸綱独特のもの、しゃぼん玉とミミズの対比。

霧雨をくぐり来たるを叩きたる金属バットはにぶき手応え

一日一首連続して作った連作。ソフトボール試合の歌。いかにも重たいものを打った感触あり。

佐佐木幸綱五十首選(5)   小池 光選

 

茄子色の鏃乗せたるてのひらは少年のてのひらは差し出されたり

高柳重信の句を挟む連作。茄子色の鏃がいかにも鮮やか。読者は自由な想像に身を任せていい。

頭から湯をかけてやる、泣くな泣くな男の夢の淡き夕ぐれ

『金色の獅子』巻末歌。子供の頭を風呂場で洗ってやる。こどもは男の夢か。それも可なり。

ああこんな処に椿 十年を知らず気づかずこの坂を通いぬ

嘘いつわりのない詠嘆。一輪の赤い椿の花。時間への哀惜はだれにもこんな具合にやってくる。

爆発するな爆発するなポケットにカナリアと二十年前の残夢

二十年のあいだポケットにカナリアを潜ませて歩いている男。つぶしちゃいけない。爆発する。

前世は鯨 春の日子と並び青空につぎつぎ吹くしゃぼん玉

鯨が好き。こどもが吹くしゃぼん玉の中に一頭のマッコウ鯨が入って青空に消えてゆく。

素麺に胡瓜の車輪 夏過ぎてわずかなれども子の背丈伸ぶ

キュウリの輪切り車輪のごとし。天の車輪に乗ってずんずん子供は成長する。まわれ、車輪よ。

わが罠にかかりて童せきあぐる涙に耐えている二、三秒

時に父は怒ったふりをする。父の罠にかかって涙の溢れる数秒、なんて魅力的な表情だろう。

おぼえなきアンモナイトが本棚の奥より出て来 本は海原

万巻の書はふかいふかい海のようだ。何でもすの中には生息している。太古の闇でさえも。

どんぶりに酒を注げば若き日の紫陽花の花溢れ出ずるも

そこにある材料にそのまま酒をつぎ、歌に作る。ほっと顕つ紫陽花の鮮やかさ、火のかなしみ。

秋風の奥に立ったる白刃を見せんときもを抱きよせにけり

秋風一閃、書物の文字を薙ぎ払う。まずまざと白刃の気配。生きて出会った愛しき者たちよ。

 

佐佐木幸綱五十首選(1)      俵 万智選

 

サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず   『男魂歌』(合同歌集)

上の句、S音の響きが爽やかさを、K音の響きが若々しさを演出。直球の魅力を持つ恋歌。

見つめあう視線がつくる<今>のようになまぐさくあれつねにあなたは

目と目を見つめあう時に生まれる緊張感。言葉をこえた本能的ともいうべき愛がここにある。

肥り気味の黒豹が木を駆け登る殺害なさぬ日常淫ら   『群黎』

動物園ですっかり野性を失った黒豹のだらしなさは淫らでさえある。豹はある種の人間の比喩とも。

月下の獅子起て鋼(はがね)なす鬣(たてがみ)を乱せば原点の飢え

獅子の中に眠る野性へ呼びかけた歌。獅子は作者自身か。月光との取り合わせ、命令形が効果的。

吊皮の環の白き列 宙吊りの日常の手の群を射とめよ

都会に生きる現代人の日常が「宙吊り」と捉えられた。吊革と手のクローズアップが印象に残る。

ゆく秋の川びんびんと冷え緊まる夕岸を行き鎮(しず)めがたきぞ

晩秋の夕暮れの川岸。冷たい川の流れとは対象的に、作者の中に熱い何かが滾っている。

あじさいの花の終りの紫の濡れびしょ濡れの見殺しの罪

上の句が「濡れ」を引き出し、また「見殺しの罪」というもののイメージをきりきりと提出。

ジャージーの汗滲むボール横抱きに吾駆けぬけよ吾の男よ

ラクビーのボールを抱えながら作者は、自分自身の中の「男」に語りかける。疾走は男の理想かも。

なめらかな肌だったけ若草の妻ときめてたかもしれぬ掌(て)は

口語調のなか、若草という古風な枕詞が効いている。「かもしれぬ」にユーモアとペーソスが漂う。

君こそ淋しがらんか ひまわりのずばぬけて明るいあのさびしさに

作者に珍しい自由律で、それが印象を鮮やかにしている。向日葵の明るすぎる明るさの中の孤独。

 

佐佐木幸綱五十首選(2)      俵 万智選

 

無頼たれ されどワイシャツ脱ぐときのむざむざと満身創痍のひとり

初句は、自分自身へむけられた決意と励ましの言葉だろう。男の孤独と、やせ我慢の美学が光る。

竹に降る雨むらぎもの心冴えてながく勇気を思いいしなり 『直立せよ一行の詩』

竹に雨というしっとりとした情景に秘められた、地下に根をはるような力強さが、勇気なのかも。

立っていることま淋しきポプラ二本しいんと立ちいて二本影をひく

一本よりも、二本が交わることなく平行の影をひくところに、生きることの淋しさが的確に。

直立せよ一行の詩 陽炎に揺れつつまさに大地さわげる

やさしく寝そべるのでなく、直立しているような歌を、という作者の短歌観をドラマチックに表現。

天下国家の事など言いて深々と酔いたるはてに抱く、許せよ

豪快な話と酒の後に、女を抱こうとする、男の含羞。「許せよ」には女への愛と敬意が感じられる。

在りざまのぐわーんと広き男心(おごころ)を愛(かな)しみてまた人と別れぬ

ぐわーんからは、少年が駆ける野原のような、無垢で不器用でひたむきな男心。それゆえの別れか。

雨の荒く降り来し夜更け酔い果てて寝(いね)んとす友よ明日あらば明日

結句は、投げやりなのでない。こういう思いがなければ、今日をとことん生きられない。

言葉とは断念のためにあるものを月下の水のきらら否定詞  『夏の鏡』

言葉を遣うことへの深い絶望を示す上の句。にもかかわらず下の句では、言葉そのものが輝く。

わが夏の髪に鋼(はがね)の香が立つと指からめつつ女(ひと)は言うなり

 

生と死とせめぎ合い寄せ合い水泡(いなわ)なす渚蹴る充実のわが馬

生と死とがせめぎ合うような渚を、充実しきって駆け抜ける馬。それは作者の人生観そして短歌観。

 

佐佐木幸綱五十首選(3)      俵 万智選

 

噴き出ずる花の林に炎えて立つ一本の幹おまえを抱(いだ)く

女性の持つ生命感と美しさと情熱とが、渾然一体となった見事な比喩。結句には、対する男の決意。

泣くおまえ抱(いだ)けば髪に降る雪のこんこんと我が腕(かいな)に眠れ

映画に一シーンのような上の句が「こんこん」を引き出す序詞ともなっている。技巧の冴え。

夕立ちの激しく生きし一日終え妻開くとき月照りそめつ

夕立のような激しい一日の終りに、妻を抱く。おだやかな月光。「開く」がさりげなく官能的。

火を運ぶ一人の男、あかねさす真昼間深きその孤独はや

明るさの中で際立つ孤独。古代からのリレーのバンドのような火は作者にとっては短歌の喩だろう。

世田谷区瀬田四丁目わが家に帰りて抱かな妻と現実

細かく番地まで示したところに現実味が漂う。表現に軽みをともないつつ、この現実は、重い。

一国の詩史の折れ目に打ち込まれ青ざめて立つ柱か俺は

千年を越える短歌史のなかで、自分の位置づけをかんがえる時の歌人のおののきを、卓抜な比喩で表現。

うすれゆく樹の輪郭を戦(そよ)がせてしばらくは闇と闘うごとく

夕闇に樹の輪郭が溶け込む様子が、丁寧に描かれている。闇に取り込まれまいという微かな意志。

河上へ矢印なして雁は行く、帰らんために行くも喜び

あるがままの生を充実して飛ぶ雁の姿。古典和歌でもおなじみの雁だが、「矢印なして」が新しい。

俺らしくないなないないとポストまで小さき息子を片手に抱いて

マイホームパパをしている自分への、戸惑いと照れと。第二句がリズムの上で効いている。

月光から切り出して居り氷屋は氷を我は青き沈黙を

冷たく透き通る月光から生まれた、美しい幻想的な一首。光から氷や沈黙を切り出してくる想像力。

佐佐木幸綱五十首選(4)      俵 万智選

 

かったるい脂肪沈めて口赤き玩具の鰐と向き合う湯槽(ゆぶね)

日常の埃にまみれた自分を「かったるい脂肪」と大胆に表現。下の句ではさらに、戯画化の冒険。

帆のごとく過去をぞ張りてゆくほかなき男の沼を君は信じるか

男とは、己の歴史を帆として進む一艘の舟。その舟がゆくのは、どろどろの現実や退屈の日常の沼。

政治の季節過ぎつやつやの感性の過剰の時代ビニールの傘

若者が政治に賭けた時代は過ぎ、今や感性の花盛り。軽さ明るさそしてうすっぺらさの象徴がビニ傘。

身体の落ちるかたちをもう一度もう一度ビデオ・テープは映す

本来は一回性のものを、淡々お再現する機械。そこに潜む残酷さへの思いが「もう一度」に滲む。

父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色(こんじき)の獅子とうつれよ

強くたくましく輝く父親でありたいという願い。百獣の王を堂々ともってきたところに作者の潔さ。

傘を振り雫はらえば家の奥に父祖たちか低き「おかえり」の声

初句二句は、何かを振り切るイメージ。血縁というものの逃れがたさを、からみつく幻の声で表現。

こめかみに人さし指を突き刺せば右も左も中年の崖

中年という時間の生きにくさ。壁でなく崖という語の説得力。自殺のポ−ズには哀愁が漂う。

打ち乱れ打ち乱れつつかにかくにわがたてまつる白菊の花

石川一成への追悼歌。やっとの思いで、花を奉る作者。シンプルな言葉に深い悲しみが響く。

昨夜(きぞ)の酒残れる身体(からだ)責めながらまるで人生のごときジョギング

ジョギングのごとき人生では平凡。其の逆であるところがミソ。人生を走る辛さは、大前提なのだ。

一輪とよぶべく立てる鶴にして夕闇の中に莟のごとし

夕闇に白く浮ぶ鶴を、莟を冠した花ととらえた。その見立ての冴えに、息をのむ一首。

 

佐佐木幸綱五十首選(5)      俵 万智選

 

二日酔いのまなこ閉じても開きても人満ちいる早稲田大学

二日酔いの鬱陶しい感じと、人だらけの早稲田の感じが、双方の響きあいによって、実感される。

のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ

坂は、人生の比喩なのだろう。説教臭くないのは、勢いのある会話体が巧みに生かされいるため。

火も人も時間を抱くとわれはおもう消ゆるまでだく切なきものを  『瀧の時間』

火は、人間が古代から運んできたものの象徴か。永遠の流れの中で一瞬を充実しきろうという決意。

若草はひばりを隠しはつなつの心にわれは鶺鴒を飼う

空に向かって羽ばたく鶺鴒を、心の中にそっと飼うとは、なんと爽やかに希望に満ちたイメージ。

黒猫が影率て過ぎし炎天の地平は待っている次の影

黒猫の後に、さらなる不吉を待っているかのような地平。不気味という目に見えないのを描く手腕。

雨の鮫洲に女形(おやま)の顔の男立ちお帰りに血をと繰り返し呼ぶ

自動車免許の交付場所。風景はきわめて日常的なのに、そこに潜む薄気味悪さが引き出されている。

肌の内に白鳥を飼うこの人は押さえられしかしおりおり羽ぶく

白く柔らかい女性の肌と、その内側にある意志の強さと。女性の美と謎とを讃えて気品のある一首。

水時計という不可思議ありき ひとと逢う瀧の時間に濡れては思う

彼女と逢う時間は、垂直に落ちるような激しい瀧のよう。その感覚と水時計とが重なり合う妙味。

白墨の粉はらい研究室の窓に浮く白雲を着てひとに逢いに行く

白墨は日常にまみれた白、白雲はこれから始まる非日常の時間の象徴。二つの白の対比が効果的。

夜の椅子に脳死というを思い居たりたとえばその後に生き継ぐ目玉

脳死の後に目玉が見たものはどうなるのか。時事的な問題を、みごとに詩へと昇華した一首。