今日の短歌NO.15
 わたしの歌歴(後藤人徳)
 昭和59年「賀茂短歌会」入会。現在編集発行人。
  歌集:「母胎」、「祈り」

以下に紹介します作品は、作ったばかりのものをそのまま書いています。推敲の手があまり入っていません。未完成の部分が多々あると思いますが、参考にしてもらえれば幸いです。...作者より
マイナスはプラスへの道/艱難(かんなん)は歓喜(かんき)への道/今日からの道

短歌は、三十一音からなる小さな世界です。その中に自分の思いを込めます。ですから、時間はなかなか織り込めない。今の一瞬、一瞬を歌うしかないのではないでしょうか。そう思います。また、そのように作っています。

 


1月7日(土)参考:日々の気持ちを短歌に(ブログ)

何もない冬の畑に降りていてカラスは何をしておるならん

一羽二羽三四五羽とたくさんのカラスが冬の畑を歩く

三が日過ぎ対岸の大師堂静まりかえり朝の日を浴ぶ

ヒヨドリの鋭き声は何もなき竹藪あたり鳴き交しおり

山々に囲まれているわが里の空にアメリカ大陸が浮く

1月6日(金)

凹凸も戦争もあるこの地球全(まった)き丸き衛星にして

宇宙より吹きくる風に吹かれつつ地球人われ着脹れている

乾燥は体に悪いほんとうだなんだか風邪にやられたみたい

ほんとうに今日は早めに寝に付こうなんだか風邪にかかったみたい

透析を帰れる妻も熱あると言ってすぐさま横になりたり

色々なことがあるなり人生は玉子酒でも飲んで眠らん

1月5日(木)

一瞬に君の使った十万はわが一ヶ月の命支える

正月の終りし寒き朝空にぼあんぼあんと雲が焼けおり

おみくじに凶を引いたとおどけたる友のメールに心やすまる

鉄骨にすがりパタパタ鳴っている廃屋知らぬビニールたちは

末枯れたる土手に咲きいる水仙よ冷たき中に春を見つけて

上手いとかそういうことにあらずして共に生きゆくことと知りたり

腹いっぱいおいしいものを食べて寝て食べてまた寝る極楽じゃないか

透析の仲間が一人亡くなった風呂よりあがるわれに告げたり

1月4日(水)

おだやかな年を清めるごとくにも正月三日一面の霜

霜置ける伊豆の下田に思いたり今朝の箱根路いかにあらんか

龍のごと箱根の山を駆け登る柏原竜二まさに名のごと

清商も今日で終りか勝ち過ぎは過ぎたることは及ばぬごとし

何かないわたしに出来ることはない湯舟につかりふと思う

人のため何か出来ることないか思いは湧くが実行出来ない

1月3日(火)

平凡がどんなに心やすらげる性質なるかを君は知らない

平凡がいかに貴いことなるかわれもつくづく知らされている

時世とはいえどかなしい公民館お飾りもなく年を越したり

銘銘(めいめい)が自分のことでいっぱいで神を敬うこと薄れるか

初めてにじじと書きたるおとしだまぢぢだったかと戸惑っている

半分で満足するや淡あわとして半月が青空に浮く

土手に咲き寒きひと日を過したり水仙は今人生の春

1月2日(月)

新しき年が明けたりあらたまの改まる年まさきくあれな

元旦の朝空席のバス上るなくてはならぬ路線バスなり

新しき年を迎えて幸願い初詣の人多い気がする

曇りても元旦の空風なくておだやかな年の始めとはなる

正月といえどのんびりしておれぬまずニワトリに餌を与える

1月1日(日)

大晦日今日一日を健やかに過せるように祈り迎えん

末枯れたる土手と思うに水仙が一群咲きて香りただよう

ひよどりも何か忙(せわ)しく鳴き交わす大晦日とは関わりなくも

清商(きよしょう)はいかに初戦を戦うや勝負にあらずすがしくあれな

清商(きよしょう)が初戦勝ったかロスタイム奇跡のような一点なのか

12月31日(土)

朝焼けのうさぎのような龍のような雲がゆっくり分解をする

色々なことがありたりあくまでも傍観者として今年も暮れる

ボランティアすることもなく一人(いちにん)の傍観者として余生を送る

鉄骨にビニール千切れしがみつくこの廃屋も年の暮れなり

おだやかな光が差せばしみじみと波乱の年を思い浮かべる

お墓へは花を供える食べ物はカラスの餌食(えじき)みな荒らされる

お飾りを公民館に飾るほど余裕はなきやご時世なれど