今日の短歌NO.10
 わたしの歌歴(後藤人徳)
 昭和59年「賀茂短歌会」入会。現在編集発行人。
  歌集:「母胎」、「祈り」「わが家の天使」(3月出版予定)

以下に紹介します作品は、作ったばかりのものをそのまま書いています。推敲の手があまり入っていません。未完成の部分が多々あると思いますが、参考にしてもらえれば幸いです。...作者より
この先は楽観論に基いて生きゆくことを始めんとする

短歌は、三十一音からなる小さな世界です。その中に自分の思いを込めます。ですから、時間はなかなか織り込めない。今の一瞬、一瞬を歌うしかないのではないでしょうか。そう思います。また、そのように作っています。

短歌と私:高野公彦 田井安曇 五島美代子 五島 茂 岡野弘彦 田谷 鋭 塚本邦雄 土岐善麿 福島泰樹 前 登志夫 前川佐美雄 安永蕗子

短歌鑑賞:石川啄木(1) 大野誠夫 塚本邦雄 岡井 隆 前田夕暮 上田三四二(1) 上田三四二(2) 宮 柊二 斎藤茂吉(1) 斎藤茂吉(2) 

斎藤茂吉(3)

短歌鑑賞(発見ということ)(1)


3月31日(木)参考:日々の気持ちを短歌に(ブログ)

霜置ける物干し竿も日が差せばうれし涙をたらし始める

穂を飛ばし精一杯に生きたりとすすきすっきり頭を上げる

白塗りのトタンの屋根に赤赤と椿の花が落ちているなり

生きようとしているんだよ結局は木蓮が今花咲かすのは

チューリップの硬き莟を見るたびに子の命日を思い出すなり

3月30日(水)

木蓮も花散る時となりたるか生きるというは今のこの時

神の愛受けてこの子は生きている祈る言葉を持たぬけれども

木蓮ももぐらももちろん生きている黙(もだ)し言葉を持たぬ子もまた

雲開き冬の光が差して来ぬ生かす力は温かきなり

太陽を愛しておればたんぽぽは真似しまあるく輝いている

3月29日(火)

生きるんだ伊豆半島で生きるんだ火山地震は神に任せん

コンクリの上に迷いてもぐらおりどこからやって来たか分からず

生きているこの柿の木は生きている枝に新芽の角が出ている

ありがたき朝の光を受けながら霜の鉄橋しずくをたらす

日本を守りて生きし青年のこの苔むしし魂の墓

3月28日(月)

対岸は光りを浴びて輝けりあと二時間を忍ぶわが庭

木蓮はわれの心を清めたりその上向きの半開きの花

木蓮が咲き当分はわが家を訪ねる人の目印となる

一日の命となればなんとする悔やんでいても仕方あるまい

木蓮もひよどりもみな生きている今日一日を悔やむことなし

3月27日(日)

一年がまた始まるか施設には染井吉野がもう咲いている

母親の旧姓なれば相馬の地この惨状を思い見ている

伊豆の地も万全などとは言えないが何時でも帰れ生まれし場所ぞ

おだやかな日差しを浴びて木蓮が梢こずえに目を開きたり

ルカ伝のイエスのことばの「あなたがた」今日も貧しいこころに響く

3月25日(金)

スーパーも電気店にも単一の電池なきなりすざまじきまで

友よりの魚のヒラキ持ち行けば実家に単一電池ありたり

ウコッケイの卵がヒラキそのヒラキ今度は電池に変身をする

世の中は巡り回れる舞台なり善意が善意を引き寄せてゆく

金額が一番少ない寄付なれど持てるすべてを差し出しにけり

3月23日(水)

展示会終了するも期間中東日本大震災あり

百歳の歌友(とも)を迎えし展示会その当日に震災起きぬ

死の灰と言い放射能を恐れたり少年の日の特に雨の日

春告げる小鳥のごとく嘴を天に向けたり木蓮の花

沈黙を破り木蓮開きたり空に祈りの声あげるごと

3月18日(金)

悪夢にはあらず瓦礫の街並みが現れてくる夜が明ければ

抜けるごとき今日の青空仰ぎつつ津波の恐怖よみがえりくる

地に赤き花をたくさん咲かせおり震災のこと知らぬ椿は

震災となれば長蛇の列ならん山の湧き水一人汲みいる

冬なれば生温かく感じたりこの湧き水に救われている

生きるんだ何がなんでも生きるんだそう思いてか百歳の歌友(とも)

伊豆にてもかくも冷たき風吹けば被災地東北の人々いかに

福島は福の島なり必ずや試練は幸をもたらすだろう

福島は福の島なれば災害を幸いとなし立ち上がるべし

3月17日(木)

東北の津波の余波はわが家の妻の透析治療に及ぶ

本日の計画停電中止すと広報の声山にこだます

いつか乗ることもあろうかたくさんの路線で電車運休となる

震災で右往左往をしてる間(ま)に木蓮の莟開き初(そ)めたり

木蓮の莟開きて天に向き真白き祈りの手を合わせいる

3月16日(水)

神仏(かみほとけ)この世にあるかと叫ぶときわが信仰が始まらんとす

信仰の炎の中に身を捨てて人暖める一助としたい

数千とも数万ともいう犠牲者の一人ひとりの尊き命

やり残す君の分まで長生きし闇に迷える人を照らさん

丈(たけ)低きたんぽぽの花踏まれてもふまれてもまたここに咲きたり

絶望のなかに目覚めし宗教よ神におすがりする外になし

天地(あめつち)の山海自然のこの力そこに微力のわれは住みいる

八百万(やおよろず)の神捨て畏敬の念を捨て思い上がりて暮していたり

西洋の思想科学に頼り過ぎ自然を征服すると嘯(うそぶ)く

3月14日(月)

伊豆にても霜置く今朝や東北の被災の人等いかに過ごすや

枯草の霜に足元すくわれて尻餅をつく今日の始まり

政治家は一寸先が闇というその闇照らすが君らの役目

よく晴れし夜間は放射冷却に冷え増さるなり被災地もまた

一万の人の命は父であり母でありまた子供たちなり

3月13日(日)

報道のヘリコプターが飛び交えど皆救出のためにはあらず

視察というヘリコプターもよけれどもまず救出をすることだろう

このような大災害に会いしこと心に刻み生きゆかんとす

昔より言われていたる恐ろしさこれがそうなり津波押し寄す

伊豆の空かくおだやかなもとにしてただ祈ることわれの出来るは

他人事にあらずマグマを秘め持てる伊豆半島に今住みている

空襲の恐怖にも似て一瞬に廃墟と化せり津波の街は

人間の尊厳叫ぶ現代に津波は万の命を奪う

早咲きの河津桜は散りおるに桜に遠き陸奥(みちのく)の人

3月12日(土)

下田でもゆらりゆらりとゆれてます思わず外へ飛び出している

現実の映像なるや大津波街を畑を呑み込んで行く

携帯が通じなければとりあえずメールを送る大丈夫だと

広報の声こだまして聞きにくく再びの声心して聞く

海沿いは通行止めか天城山へ向けて数多の車が登る

また一つ冥土の土産が出来たると百歳となる媼は言うか

3月11日(金)

霜置きて静もる朝の道を踏む今日という日は未(いま)だ白しも

まっすぐに朝の日に向き直立す石となりたる若人(わかびと)の霊

死にたいと君は言うのか死は今の永遠の今の始まりと思う

この今を大切にせん今こそは生でもあるし死でもあるかも

友の歌批評をすればうんうんと深い深いと頷ずきくれる

3月9日(水)

霧深きなかに聞ゆるうぐいすのいまだ初音と言えぬ鳴き声

閉ざしたる己が心をもてあます友のあふるる情け受けつつ

真剣に心の中を披瀝せん選歌も歌評も自信はないと

朝の影前へまえへと伸びてゆくやっぱり私は早朝が好き

まっすぐに朝日に向きて立ちている石になりたる若者の霊

3月6日(日)

百歳に三十二年ありわれも何かを成せるまだ時間あり

貧しさに心を付けしマタイ伝ルカ伝よりも親しく感ず

物質も心も体も貧しさがあると順々諭されている

貧しさが幸せとなる道なれば富者には針の穴より狭い

聖書には天の言葉が書かれれば地上の知識役に立たざり

3月5日(土)

展示会明日に控えて雪積もる婆娑羅峠(ばさらとうげ)を友と越え行く

展示会明日に控えて書き違う色紙一枚見つかりにけり

怯えたり怒りたりするこの性(さが)よ心貧しき者幸いか

天国に迎えられるやこの心心貧しきわが性ゆえに

若きより悩みていたるわが性が天に入れる資格なりとは

3月4日(金)

久々の寒き朝なり霜柱踏みつつ日課の散歩始める

山道をスリップしている後から押すから運転してくれという

ふらふらと散歩している私を神のごとくに拝みて去りぬ

山道でスリップしたらそれっきり人が通るか分からないから

運転に自信なきゆえわたくしはほとんど市内だけ乗っている

3月3日(木)

わが内にアダムがおりて十三の年(とし)にリンゴを食べたと思う

二十五の息子はいまだ幼くていや純粋で言葉を持たぬ

話せない話さない子もだいたいの私の言葉を理解するらし

友のため救いたまえと祈りしは十一歳の頃かと思う

人のため身を捨て走りまわりしは小学生のころかとおもう

青々と草萌える地に土盛りてもぐらたちまで燃えているのか

こころなし梅の散るのが遅いかも三月入り花保ちいる

3月1日(火)