短歌研究新人賞受賞作品

ペイルグレーの海と空(嵯峨直樹)

短歌研究新人賞佳作

サーカス(後藤人徳)

施設にていかに過すか帰宅日の子供の体にあまたある痣

喜びも上手く表現出来ぬ子や喜びながらわれをつねれる

二時にはや子は起き出して帰宅日を満喫している小さな家に

朝の二時ビデオ見る子の喜びの声聞えくる襖へだてて

「おう」と言い「パパパ」と叫び喜びの声あげている言葉もたぬ子

子が帰宅する日うとまし帰園の日穴の開いたるごときさみしさ

子を託し養護施設を出ずる時職員の声明るく見送る

出勤は養護施設に子を託し透析の妻を送りたるのち

初めての電車の遠出喜びの声を上げたり二十歳の子は

素直なる少女と思うに座席にて化粧始める慣れし手つきで

化粧する座席に少女見上げたる鋭い眼(まなこ)は何に挑める

頼れるは自分だけだと言う見ればいまだ幼さ残れる少女

美しき肌もてあます少女等か携帯電話を打ち鳴らしつつ

富士山は今日は見えぬと何回も車窓に妻と言いつつ過ぎる

富士駅を過ぎるあたりかぽっかりと富士顔を出す雲の上から

帰らんと言うわが言葉聞き入れず妻は四時間待ちの列に連なる

これの世の見納めのごと四時間を待ちてサーカスを妻見ると言う

列離れ代るがわるに心障の子をあやしつつ四時間を待つ

山を越え四時間かけてロケ隊を見に行きしなり少年の日に

サーカスを見んと幾重に列作る自爆テロなどあらざる日本

悠久の時の流れよサーカスの四時間待ちに地団駄を踏む

たんぽぽの花開きおるかたわらに缶ビールの缶ひとつころがる

吹き溜る落葉の上に露ありてダイヤモンドの光り輝く

四時間を待ちて入れるサーカスも四十分が子の限界と知る

四時間を待ちサーカスを見たること良かったよかったと言いて帰れる

口少し開き電車に眠る妻四時間待ちはよき思い出として

サーカスの曲芸なみの日常を生きおる妻か透析かかえ

今日ひと日無事に過しし幸思う心障の子と透析の妻と

障害の子供得てより歌作る贈物なりきっとそうなり

良き事が明日はあらんかあるだろうあるさあるあるきっとあるある



ペイルグレーの海と空

海音にふたりの部屋は満たされてもういい何も話さなくても

髪の毛をしきりにいじり空を見る 生まれたらもう傷ついていた

垂直に合わせた羽を微動させ葉の先端にとまる紋白

「残酷な優しさだよね」留守電の声の後ろで雨音がする

空想は止(と)めようがない 夜の月昼の自転車朝のハチミツ

あいまいな笑いに何か許されてひとさし指を草木で汚す

液晶のキッチンタイマーONにしてブリーチかける夜の浴室

急(せ)くような声ある方へ振り返る 夜の空き地のどくだみ白し

午前一時の通勤電車大切な鞄ひしゃげたままの僕たち

肩先のその先はなく五月雨の商店街を傘さしてゆく

欠けているものがあるんだ霧雨と海の交わる場所のかなしさ

ガラスごし熱に浮かれた子のように海と真水の交わりを見る

寄せ返す波は黒髪 足の指からみとられるままにしている

クラッチを踏んで曲がればひらけゆくペイルグレーの海と空かも

公園にバトミントンの羽根あがり言いそびれていた一語を放つ

バイオレットグリーンのシャツの君が読む雑誌は今年の夏の特集

この先は断崖 声を涸らしつつ叫ぶよ何をたとえば 愛を

三日月は微かな息を漏らす歯のかたちで夜のしとねを照らす

われの影身体の上を動くたび眉根ははつか苦し気になる

薔薇朽ちるまでの淫雨 冷蔵庫から光りは漏れて

モデルガン押し当ててみるのけぞった頸のあたりは柔らかそうで

幾つもの制限速度の標識をくぐって君の夏に飛び込む

はしゃぎつつ過した今日の終わりには死ぬほどキレイな朝焼けを見る

自転車屋花屋豆腐屋洗濯屋シャッター降ろしたままのビデオ屋

海へいく道路の脇の自販機で買ったコーラはまだぬるかった

櫛でとく髪の匂いは広がって未だ見ぬ世界もう見た世界

Tシャツの背中の青むゆうまぐれ市民プラザは解(ほぐ)されてゆく

故意にする言い間違いで揺さぶれば複雑な影なしゆく睫

待つ側に立つ人たちの腰かける噴水広場の円形のいす

月光が濡らしはじめる駅前の放置自転車 もう来てもいい