今週の短歌NO.17

 わたしの歌歴(後藤人徳)
 昭和59年「賀茂短歌会」入会。現在編集発行人。
  歌集:「母胎」、「祈り」

以下に紹介します作品は、作ったばかりのものをそのまま書いています。推敲の手があまり入っていません。未完成の部分が多々あると思いますが、参考にしてもらえれば幸いです。...作者より


茜差す雲を頭上にミレー作「夕べの祈り」のごとく子とわれ


今年の目標は口語短歌に挑戦したいと思います。多少歌が軽くなるかもしれませんが、またまだその力がないとも思いますが挑戦したいと思います。また去年歌集を作ることを色々な理由で断念しましたが、今年はせめて三郎に関する歌だけを集めて一冊にまとめられたらと思っています。

短歌鑑賞 

大島史洋


3月31日(土)参考:日々の気持ちを短歌に(ブログ)

花びらに涙のごときしずく付けぽたりと椿の花が落ちたり

今朝見れば染井吉野のつぼみからひいふうみいよ花開きおり

モクレンもミツバツツジも桃色に咲き定まりぬ今朝のわが庭

ここはもう染井吉野が満開だわが里よりも暖かくして

朝方はちらりほらりとしていたる染井吉野が爆発してる

かくばかり複雑なるか簡単に引き受けたるがこの会計は

エクセルを使いなんとか簡単に決算書類を作らんとする

3月30日(金)

うっすらと霜が降りたるわが畑ジャガイモの芽が黒くなりたり

霜置ける今朝の寒さに負けないぞ染井吉野のつぼみふくらむ

未(いま)だ花咲かぬけれどもうす紅に染井吉野のつぼみふくらむ

毎年のことではあるがことさらに今年の桜の開花待たるる

霜置ける今朝の寒さを吹き飛ばし雲ひとつなき青空となる

3月29日(木)

高く枝空に伸ばせる椿の木今赤き花あまた咲かせる

桃色の花をたくさん咲かせたりわが家の自慢は木蓮の花

聞き聞きしたどり着きたり夫(つま)亡くしわりと元気な歌友(うたとも)の家

春休み五日となりてようやくに食欲治まり夜半静かなり

透析の妻なれば子を連れ行かんビデオショップにマクドナルドに

3月28日(水)

暖かき朝の日を浴び散歩する春の休みに帰宅せし子と

昨晩も眠りておらぬ子を連れて朝の散歩の風は冷たき

うす紅の葉はいちはやく出(い)でている山の桜も咲き初めたり

廃校となりたる山の校庭にさくらの花は満開となる

ふっくらとつぼみふくらみ待ちわびし染井吉野の花開き初(そ)む

明日は歌友(とも)の主人の葬儀なり風邪引く妻と子を残し行く

3月27日(火)

桃の花咲き始めたるひと枝を剪(き)りて一輪挿しに飾りぬ

風邪に臥す妻の助けに帰りたる子を買物に連れ出しにけり

春休みの子は退屈をしておれば明日は電車に乗ろうと話す

もう一度吉本隆明氏の話再放送で今聞いている

車椅子に乗りたる君は壇上にただ上を向き語り続ける

つぶやきの重要性を十年も前に語りし吉本隆明

3月26日(月)

春の陽を浴びて喜ぶ菜の花も水仙の花も黄の色をして

高らかに春の到来喜べりラッパ水仙頭振りふり

厳寒に耐え春の陽を浴びているパンジーあまたの花を咲かせて

うらうらと日は照れれども不意にくる風が冷たく頬を打ちたり

施設より春休みにて帰りたる子は風邪をひく妻に甘える

昨晩はとうとう眠らざりし子よ今日はぐっすり眠っておくれ

3月25日(日)

一本の茎にあまたの枝伸ばし小花かたまり咲ける菜の花

白き花天を向きたる木蓮の祈りに合わせしばし佇む

毛ごろもを脱ぎ捨てて今木蓮がこの青空に飛立たんとす

繊月が今西空に浮んでるそうだ希望を失わないぞ

施設より帰り今日から春休みどうかぐっすり眠っておくれ

3月24日(土)

つんつんとつぼみを天に捧げたる木蓮が今開かんとする

降りしきる雨の中にて木蓮のその花びらが透き通り見ゆ

降りしきる雨のなかにてワイパーが悲しきまでに身を動かせり

叔父の通夜行かねばならぬ降りしきる雨にも車ひた走らせる

独特のスマイルをする叔父なりし遺影に深く頭を下げる

3月23日(金)

暖かき春の風吹き木蓮がすっかり目覚め咲き始めたり

春来るを待ちかねるごと犬ふぐりその青き花輝かせいる

うらうらと光のどけき春の日に三団体の決算書作る

昨晩の訃報が二つ届きたり叔母のご主人歌友(かゆう)もご主人

生命の萌え来る春となりたるに近しき人の死を知らされる

3月22日(木)

墓詣りすませてほっとしておれば突然に鳴く鶯の声

歌できぬと悩みているが省みてそれが生きるということならん

青空に変りたる空日が差して濡れたる道がまぶしく光る

選抜にもれてしまった静岡の高校野球夏まではなし

原爆に原発事故に被災せし広島福島絶叫の声

3月21日(水)

梅が散りさびしくなったわが庭に桃木蓮が咲き始めたり

固き殻破りてやっと木蓮がひとつふたつと咲き始めたり

一本の河津桜を庭に植え里の名前を楽しんでいる

やわらかき頭をもたげつくしんぼ希望のごとく老い庭に出る

原爆に原発事故にこの被害広島福島民の絶叫

3月20日(火)

木蓮ももう咲く頃と思いおれど今年なかなか咲く気配なし

木蓮のあまたの莟がいただきにたしかに一つ開きかけおる

あきらかに狸一匹轢かれおる婆沙羅峠(ばさらとうげ)を下りたる道

鉢植えの木瓜(ぼけ)にも春のおとずれか真赤な小花みな開きいて

原爆に原発事故にこの悲惨ヒロシマフクシマ泰樹(やすき)絶叫

3月19日(月)

一面に霞ただよう今朝の里河津桜を淡くつつめり

ああここの木瓜(ぼけ)はしっかり咲いているわが家はいまだ蕾なれども

黄の蘂を赤き花びらつつみいて蕾を開くやぶの椿は

小雨降る中を一つの傘を差し子と三十分歩いて帰る

施設にて運動不足となれる子か息荒ければ軒借り休む

3月18日(日)

この梅は花梅なんだ散りている今が一番美しいんだ

朝(あした)から雨が激しく降っているこれから子供を迎えに行こう

この雨で紅梅の花散り尽し枝より白きしずくが落ちる

さるすべり春遠ければ枯れ枝に数多のしずくを飾りているか

雨に濡れ子は佇(た)ちておりわが迎え今かいまかと待っていたのか

3月17日(土)

早咲きの桜ほどではなけれどもここもようやく咲き始めたり

霜置ける野の道くればつくしんぼすっくと立てり冷たき風に

ジャガイモの芽のまだ出(い)でぬ畑なり遅霜白く覆いていたり

子の通う施設の名前すくすくと伸びゆくようにつくし学園

通帳が見つからないと立ち寄りし場所をつぎつぎ溯(さかのぼ)りおり

感性を磨くことだと熱っぽく語りてくれぬ詩人の友よ

3月16日(金)

蟻にして身の丈(たけ)すぎる餌(え)を引くをわれの心を見るごとくいる

紅梅の花はあらかた散りにけり盛りの時をよく見ぬうちに

贔屓する高見盛が勝ちたれば夕食までも美味しくなりぬ

子のわれの幸せ願い死にたるにわれはわが身を傷つけ来(きた)り

ようやくに木瓜(ぼけ)の蕾が開きたりひとつふたつと春に近づく

3月15日(土)

歌会へ行く道すがら満開の河津桜を見つつ歩けり

寒桜河津桜も咲き盛る伊豆の河内のこの温かさ

再びの寒さに震え起きたればああ一面の霜景色なり

ああここが凍っているか彼岸までなかなか寒さおさまらぬなり

百歳の歌友(かゆう)のために来てくれぬ詩吟の教師朗々の声

詩吟なら教わることが出来るんだ心動きて家路を急ぐ

朗詠は自由でいいと言われたがそれがさっぱり分からないんだ

3月14日(水)

ようやくに畑耕すことが出来明日ジャガイモを植えんと思う

南天は難を転ずといわれおり早く去年の難を転ぜよ

十字架をしみじみとして見ておればプラス思考が湧き上りたり

十字架はプラスの文字の象徴か心に深く十字架建てん

マイナスをプラスにせんと十字切るまず横棒をそして縦棒

3月13日(火)

対岸に朝の日は差し二本ある河津桜を照らしていたり

対岸の河津桜が風に乗りわが家の庭に舞い降りてくる

ようやくに東部歌会やり終えて少し空虚な思いに過す

作者名伏せられおれば役員の歌と知らずに講評をする

会長の歌と知らずにわりあいと好意的には講評したり

3月12日(月)

わが庭の南天の実を食い尽くしひよどり今朝は姿を見せぬ

山の駅登るわが影屈(くぐ)まりて重荷を負いて行くごとくなり

朝方の雨は上りて山の駅冷たき風が吹くばかりなり

五年ぶりいや十年になる友かいまだ電車に通いていたり

歌会の席上なれど「マイウエイ」歌いてしまう歌いたければ

3月11日(日)

また冬に戻りしごとき寒さにも河津桜はすでに満開

その花を閉すことなど出来ないで河津桜は寒風に揺れる

友人が見に行くからと電話あり東部歌会緊張をする

今晩は組の寄り合い深酒は謹(つつし)み明日の会に備えん

施設より帰り昂奮してる子よ今夜はぐっすり眠っておくれ

3月10日(土)

氷雨降るなかをけなげに咲いている河津桜の桃色しずく

ようやくに満開となる河津さくら雨降る空を桃色にする

日曜の東部歌会体調を整え行かん自信なけれど

温かき昨日(さくじつ)去って寒くなるコントロールのきかぬか地球か

完璧な宇宙法則円満な球体として浮ぶ地球は

3月9日(金)

遅咲きのつばきの花がわが庭に春待ちかねて咲き始めたり

十五首の選評せんと読み込めどどうも分からぬ二三首があり

土曜日に寄り合いがあり翌日に歌会があり子も帰り来る

歌会の親睦会に出席のはがき出ししも欠席するか

今朝もまた布団のなかで祈りたり子らの健康妻の健康

3月8日(木)

ひよどりが南天の実をいつのまに食いつくしおりこのさ庭辺に

また雨が降るかもしれぬ曇りたる空を見上げる祈る形に

桃色のうすももいろの花咲かせ河津桜は満開となる

農道を軽トラックが走り行く尾灯はすでに赤くともりて

早々と雨戸を閉(とざ)す音聞ゆ一人住まいは無用心なれば

八十になれば映画も好きなだけ見てもよかろうあと十余年

3月7日(水)

耕すと思えばまたも雨となる何時になったらジャガイモ植えん

選評の歌稿を今日も読んでいるやはりこの「も」は「を」がいいだろう

占いに凝りたることも若き日のことと笑って今は過せり

生きること自信なければ占いに賭け事に身を淫(いん)せし日もあり

雨のあとイヌノフグリが青々とその花びらを日に輝かす

岡井氏の「わが告白」のその表紙まずその黒き色に驚く

ストーカーの被害のことを医師の目で書かれていたり歌人ではなく

3月6日(火)

ゴミ出しを好む子なれば小雨降るなかを重たき袋持ち行く

月曜は今日も食いだめせぬように監視するのをわが子許せよ

施設へと預ける今朝ももの言えぬ子が眼(め)を見詰め訴えている

五十二歳君逝きたるか今日もまた道に会わぬと思いていたに

天上の神も悲しみあるように今日の大雨降り止まぬなり

3月5日(月)

わが庭に育ち動かぬ紅梅よ静かに花を散らしつつあり

雉の鳴くかなしき声が電柵に囲みし畑の方に聞える

竹薮を背にもつ大き寺の屋根今日も静かに輝いている

竹薮にひと本生えしやぶ椿竹に負けじと背を伸ばしおり

一面のススキが原によく見れば根方にすでに青き葉が出る

曇りたる空を見上げてこの雲を晴らすことなど出来ないんだよ

満開の梅に負けじとようやくに河津桜が見ごろとなれり

クウクウと空腹なるか山鳩が訴えるごと今日は聞える

小綬鶏のちょっとこいちょっとこい呼ぶ声すそこの茂みに何あるらんか

もっこりと土盛り上がるもう春がモグラのなかにうずいているか

3月4日(日)

倒産の会社に給料得しことを布団に思いいつしか眠る

なにかしらわが給料も役立たん債権者会議欠席をする

倒産の会社の社長は自死をして社員のわれが生きていられる

経営者を恨む気持ちはさらになし彼らは死をも掛けていたんだ

経営者労働者の区別ありゃしない共に苦しい今の時代に

神おるとその実体を問うなればこのただ今の幸(さち)にこそあれ

子と二人歩いておれば夕暮はロマンチックな心になれり

穂を飛ばしすっくと立てるススキらは風に吹かれてすがすがとする

3月3日(土)

その枝を天に伸ばせて紅梅は見てくださいと満開になる

白梅は枝を横へと伸ばしゆき香(かおり)をあたりにふりまいている

雨に濡れ頭を垂れる菜の花はうれし涙をながしているか

暮れかかる山の稜線霧隠し今日という日に幕を下ろせり

枯れ枝は葉がなきゆえにあらはなり雫とまりて輝いている

3月2日(金)

今日ひと日心の底から笑えたと布団に思い目をつむりたり

枝先に今日も止まりて縄張りを見張りているかひよどり一羽

吸いあきて枯木にいたるひよどりが目白が来れば戻り威嚇す

ひよどりの去りたる枝に目白二羽落ち着きのなく花の蜜吸う

今日ひと日笑い過ごさんもうなにが今後起るも驚くまいぞ

3月1日(木)

目薬を差しつつ思うほんとうの涙を最近流していない

また今朝も輪禍にあいし獣(けだもの)を小雨のなかに烏啄む

小雨ふるなかに行きたる河津桜少し咲いてる枝もあるなり

雨上がる昼の光を身に浴びて公孫樹の白き肌輝けり

轢かれたるけものの処理する職員に黙礼をして通り過ぎたり



大島史洋の短歌鑑賞

本当の自由を知らないという声のいくたび吾を打ちて過ぎしか

思索的な歌とでも言いましょうか。青年の思いが吐露されている感じです。
戦後誤った自由意識が、特に若者の間にありました。そのことを「本当の自由を知らない」と言ったのでしょう。
作者もいくたびかそのことを年長者に言われ、批判されました。しかし、作者にはいまひとつ本当の自由の意味が分からない感じがするのでしょう。自分は自由の意味を履き違えていないだろうかの反省が常に心を襲うようです。