山中智恵子

平成18年3月9日急逝された山中智恵子の歌を特集します。難解歌では塚本邦雄と双璧をなす彼女の、言わばスピリチュアル(霊的)な歌に接するのもいいんじゃないかと思いました。

山中智恵子自選五十首 
森岡貞香選3首 岩田 正選3首 前 登志夫選3首 岡井 隆選3首 馬場あき子選3首 前川佐重郎選3首 尾崎左永子選3首 北沢郁子選3首米満英男選3首 石川不二子選3首 藤井常世選3首 三枝ミ之選3首 日高堯子選3首 河野裕子選3首 道浦母都子選3首 永田和宏選3首 小池 光選3首 栗木京子選3首 米川千嘉子選3首 水原紫苑選3首
山中智恵子 秀歌五十首抄  百々登美子選


山中智恵子自選五十首(角川書店雑誌「短歌」平成18年2月号より)

『紡錘』(昭和38年不動工房)

声しぼる蝉は背後に翳りつつ鎮石(しづし)のごとく手紙もちゆく 

水甕の空ひびきあふ夏つばめものにつかざるこゑごゑやさし

山藤の花序の無限も薄るるとながき夕映に村ひとつ炎ゆ

昏れおちて蒼き石群(いはむら)水走り肉にて聴きしことばあかるむ

夏の血をあつめて飛べる蜜蜂とひともいま綺語にやつれむ

いづくより生まれ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘

眠らざる眼は岩にみちあゆめるを希望とや三月に樹を植うること

絲とんぼわが骨くぐりひとときのいのちかげりぬ夏の心に

まぼろしを語れるまでに心病みプラネタリウムに星祭るとぞ

黙(もだ)ふかく夕目(ゆふめ)にみえて空蝉の薄き地獄にわが帰るべし

わが生みて渡れる鳥と思ふまで昼澄みゆきぬ訪ひがたきかも

日ののちの秘色青磁を瞻(まも)りゐつこころほろぼすことばを生きて

ゆき疲る駅の昼顔生の緒のあまれるかたへまた急ぐべし

夕は雲雀つばさのこゑに虚空うつはつはつにひと若きかな

きびたきのきてついばむはあらはなるまひるのことば早瀬の恋

杳き罪あるかたより雁のこゑわたりまなうらのあかるみねむる

『みずかありなむ』(昭和43年無名鬼)

一枚の硝子かがやき樹を隔つむしろひとに捨てしは心

遠き電話きりて海見ゆ 眼のとどく小さき島の点列ぞ濃き

心のみあふれゆき街に扇選ぶ 光る彗星のやうに少年らすぎ

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ

六月の雪を思へばさくらばな錫色に昏(く)る村落(むら)も眼にみゆ

青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて

苦しみの呼びゆく方(かた)に鳥歩みわが首祭る青きなびきを

吹雪く夜ははや荘厳の花も散ると牛馬(うしうま)放ちいづこゆかむか

立ち直る、されば愛(かな)しといひしかばすぐたてるごとわれはありなむ

その問ひを負へよ夕日に降(くだ)ちゆき幻日のごと青旗なびく

うらうらと歩みひさしき川上に石はしづくを切るところあり

忘れてはたちまち孵(かへ)る血の繭を支へて歩みわが語ること

高見山(たかみやま)青透くばかりすがた立つつくづくと今をよき咲(ゑま)ひあれ

青き旗なびくこころに水を乞ふひたぶるこへばわが髪くらし

若夏(わかなつ)の青梅選むこずゑには脳(なづき)も透きて歌ふ鳥あり

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや

朝川のなぎさよはるかあかねさす夜ごとにきみのたまふわが墓

心沁む青山なりし夕日の村夕日みぬ方ゆくだりきしかな

わがゆめの髪むすぼほれほうほうといくさのはてに風売る老婆

まつり日のをとめのうたふ雨の歌あらくさは火に麻は畑に

囀るは二月の雲雀塵中(じんちゅう)に欠けゆくものを神と呼ばなむ

たましひを測るもの誰(た)ぞ月明の夜空たわめて雁のゆくこゑ

わが額(ぬか)に時じくの雪ふるものは魚とよばれてあふるるイエス

春さむき鳥住(とりすみ)はいづこ かかる日を活(い)ける水もちてひとは歩むか

とぶ鳥のくらきこころにみちてくる海の庭ありき 夕を在りき

薮つばきうしほに沁みて空ありきひしひしと船のあつまる朝(あした)

水くぐる青き扇をわがことば創りたまへるわが夜へ献(おく)る

まこと薄き瞼と思へ一日の秋のくだものかかげゆくかな

『虚空日月』(昭和四十九年・国文社)

瞬きのいづべにやまむ夕ごころ樗はさきてうすく散りぬる

星涵(ひた)す庭をたまひて遂げざれば文章のこといづれ寂寞

ことばより水はやきかな三月のわが形代(かたしろ)に針ふる岬

くちびるに水のことばはあふれつつ吟遊なべて喝食(かつしき)の秋

主、きみとともに去りたるあかときをイシスの星の水葵はや

雑誌「短歌研究」平成18年5月号、6月号より

森岡貞香選3首

立ち直る、されば愛(かな)し土肥ひしかばすぐたてるごとわれはありなむ     『みずかありなむ』

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや     『同 上』

たましひを測るもの誰(た)そ月明の夜空たわめて雁のゆくこゑ     『同 上』     

岩田 正選3首

水くぐる青き扇をわがことば創りたまへるわが夜へ献(おく)る    『みずかありなむ』

ほのかなる夏見(なつみ)の空のひとところ雪降るとみて逢はずありけり       『虚空日月』

きみはいづこの海わたりゆく帆(ほ)かけ星こよひみむとて眠らずありき     『星醒記』

前 登志夫選3首

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて     『みずかありなむ』

高見山(たかみやま)青透くばかりすがた立つつくづくと今をよき咲(ゑま)ひあれ     『同 上』

春さむき鳥住(とりすみ)はいづこ かかる日を活(い)ける水もちてひとは歩むか     『同 上』

岡井 隆選3首

わが生みて渡れる鳥と思ふまで昼澄みゆきぬ訪ひがたきかも     『紡錘』

青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや     『みずかありなむ』

短歌への最短距離を生きてきてとほく日常をとほざかりぬる     『夢之記』

馬場あき子選3首

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ     『みずかありなむ』

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて     『同 上』

水くぐる青き扇をわがことば創りたまへるわが夜へ献(おく)る     『同 上』


前川佐重郎選3首

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ     『みずかありなむ』

さくらびと夢になせとや亡命の夜に降る雪をわれも歩めり     『虚空日月』

百年の孤独を歩み何が来る ああ迅速の夕焼の雲     『風騒思女集』

尾崎左永子選3首

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ     『みずかありなむ』

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて     『同 上』

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや     『同 上』

北沢郁子選3首

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや     『みずかありなむ』

六連星(むつらぼし)すばるみすまるプレアデス 草の星ともよびてはかなき     『青章』
 
月山も露もことばも晩夏光非在となして立ち去らむかな     『風騒思女集』

米満英男選3首

雪にしたゝる虹の藍色夢にみればあしたしづかに對はむと思ふ     合同歌集『空の鳥』

くれなゐの雨ふるこころ夜半のゆめ老いにけらしも 老いざらめやも     『風騒思女集』

千年の歌のちぎりの嬉(うるは)しくはた虚しきを誰か知らなむ     『玲瓏之記』

石川不二子選3首

春の獅子座脚あげ歩むこの夜すぎ きみこそとはの歩行者     『紡錘』

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや     『みずかありなむ』

いかのぼり絶えなば絶えねなかぞらの父ひきしぼる春のすさのを     『虚空日月』

藤井常世選3首

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや     『みずかありなむ』

青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや     『みずかありなむ』

玉蜻(たまかぎる)夕日にむきてこととへば焚(た)きあましたる恋もあるべし     『玉蜻(たまかぎる)』
 
三枝ミ之選3首

深沓(ふかぐつ)をはきて昭和の遠ざかる音ききすてて降る氷雨かも     『夢之記』

青人草(あおひとぐさ)あまた殺してしづまりし天皇制の修を視なむ     『同 上』

昭和天皇雨師(うし)としはふりひえびえとわがうちの天皇制ほろびたり     『同 上』

日高堯子選3首

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて     『みずかありなむ』

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや     『同 上』

青鵐(あおしとど)胸に乳房はなかりけり鳥として在るこの夕凪に     『喝食天』

河野裕子選3首

みづからを思ひいださむ朝涼し かたつむり暗き緑に泳ぐ      『紡錘』

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて     『みずかありなむ』

若夏(わかなつ)の青梅選むこずゑには脳(なづき)も透きて歌ふ鳥あり     『同 上』

道浦母都子選3首

たたかひはいづこの辻の祭ぞとをとめらいひてすべなかりけり     『短歌行』

廃墟に降りし朝の雪はも 自由の雨降りし夜はも 忘れずあれよ     『玉も鎮石(たまもしづし)』

青人草(あおひとぐさ)あまた殺してしづまりし天皇制の修を視なむ     『夢之記』

永田和宏選3首

絲とんぼわが骨くぐりひとときのいのちかげりぬ夏の心に     『紡錘』

凧(いかのぼり)凩(こがらし)風と記しゆき天なるもののかたちさびしき     『青章』

ひとなくてひぐらしをきく夕ごころあるかなきかに生きてあるむか     『星醒記』

小池 光3選首

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ     『みずかありなむ』

合歓の花こずゑにさそふ涙眼(るゐがん)にまひるはふかくすべりゆくかな     『同 上』

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや     『同 上』

栗木京子選3首

水くぐる青き扇をわがことば創りたまへるかの夜へ献(おく)る     『みずかありなむ』

きみなくて今年の扇さびしかり白き扇はなかぞらに捨つ     『星醒記』

マラルメの扇のためにひと夜醒め星をみるとぞひといひてすぐ     『夢之記』

米川千嘉子選3首          

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ     『みずかありなむ』

短歌への最短距離を生きてきてとほく日常をとほざかりぬる     『夢之記』

雨師(うし)として祀り棄てなむ葬り日のすめらみことに氷雨ふりたり     『同 上』

水原紫苑選3首

わが生みて渡れる鳥と思ふまで昼澄みゆきぬ訪ひがたきかも     『紡錘』

青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや     『みずかありなむ』

星空のはてより木の葉降りしきり夢にも人の立ちつくすかな     『青草』

雑誌「短歌研究」平成十八年六月号より

山中智恵子 秀歌五十首抄   百々登美子選

『空間格子』(昭和32年)

葡萄は皿にその深き海の酒のいろ記号の論理ここに静かなり

悲しみの姿勢のままにわがみたる食尽の月の銅色の影

うつしみに何の矜持ぞあかあかと蠍座(さそり)は西に尾をしづめゆく

『紡錘』(昭和38年)

声しぼる蝉は背後に翳りつつ鎮石(しづし)のごとく手紙もちゆく 

水甕の空ひびきあふ夏つばめものにつかざるこゑごゑやさし

いづくより生まれ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘

黙(もだ)ふかく夕目(ゆふめ)にみえて空蝉の薄き地獄にわが帰るべし

わが生みて渡れる鳥と思ふまで昼澄みゆきぬ訪ひがたきかも

紡錘絲ひきあふ空に夏昏れてゆらゆらと露の夢たがふ

なすな恋 冬なかぞらに愛しきを魂匣(たまばこ)のごと硝子泡だつ

『みずかありなむ』(昭和43年)

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ

六月の雪を思へばさくらばな錫色に昏(く)る村落(むら)も眼にみゆ

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて

その問ひを負へよ夕日に降(くだ)ちゆき幻日のごと青旗なびく

若夏(わかなつ)の青梅選むこずゑには脳(なづき)も透きて歌ふ鳥あり

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや

秋の日の高額(たかぬか)、染野(そめの)、くれぐれと道ほそりたりみずかなりなむ

水くぐる青き扇をわがことば創りたまへるわが夜へ献(おく)る

まこと薄き瞼と思へ一日の秋のくだものかかげゆくかな

『虚空日月』(昭和49年)

道徳の玄(はるか)なるかな雲雀の火走れる空に忘じがたきを

星涵(ひた)す庭をたまひて遂げざれば文章のこといづれ寂寞

いかのぼり絶えなば絶えねなかぞらの父ひきしぼる春のすさのを

続く

岩の上に魚解かれをり昼顔の海の石垣昏れそめにけり

ただよひてその掌(て)に死ねといひしかば虚空日月(こくうじつげつ)夢邃(ふか)きかも

ゆふぐれの硝子の底をはつはつに琴弾きわれも去りやまざらむ

われらことばの肉を恃まず一陣の夢に散り敷く沙羅の花はも

『青章』(昭和53年)

星空のはてより木の葉降りしきり夢にも人の立ちつくすかな

夕合歓のわが等身をねむりゆくかりそめにひとはあはぬものゆゑ

あはれこの冷えゆく星の一地点日没は石榴もつとも愛(かな)し

潮みちぬ 常世の雁の風の書を見すべききみがありといはなくに

夏の声澄みてわたれば人のなか鳥獣くらく立ち隔つらむ

凧(いかのぼり)凩(こがらし)風と記しゆき天なるもののかたちさびしき

さくらばなかなしみ思(も)へば朝の髪よぎりもゆくか翡翠(かはせみ)のかげ

『短歌行』(昭和56年)

道の辺に人はささめき立春の朝目(あさめ)しづかに炎えやすくゐる

刃の如くつめたくあつくわれらまたひるがへり秋のつばさを洗う

星肆(ほしくら)にいくそのことを夢みむかものくるはしとひとのいふ身を

円方(まとかた)の海の渚にわれ在りて思ひしことは人知らざらむ

たたかひはいづこの辻の祭ぞとをとめらいひてすべなかりけり

『神末』(昭和60年)

この世にはまたもあはざるひとのため夕日に向きて鳥はゆあみす

続く

『夢之記』(平成4年)

短歌への最短距離を生きてきてとほく日常をとほざかりぬる

一生(ひとよ)あそびてわれは過ぎなむたはれめのごとくにあれといひしひとはも

歌はこころを超えゆくらむかあかときの楽欲(げうよく)として一さじの蜜

われはいま虚無にかたりて風吹くと父には告げよ 黒き翁よ

青人草(あおひとぐさ)あまた殺してしづまりし天皇制の修を視なむ 

『風騒思女集』(平成7年)

ロゴズこのいつくしきものもたらして蛇ありここに月山は顕つ

勾玉のかたちに露のしづくする月山に来て荒(すさ)ぶむらぎも

『玲瓏之記』(平成16年)

まことの稚児はあかときにこそ 夢の庭至上の夢をあそぶときあり

うるはしき猫日和(ねこびより)かもこともなく白猫(はくべう)抱き歩みゆかなむ

かなめあやふき扇幾本ありしことひとに知られで一生(ひとよ)経にける

くれなゐは深みゆくかもひとときを水想観(すいそうくわん)の合歓の睫毛や

あやまちのごとく花散るきららかに星の光にあやまたぬ身を