わたしの歌歴(後藤人徳)
昭和59年「賀茂短歌会」入会。現在編集発行人。
平成6年「作風社」入会現在に至る。
歌集:「母胎」、「祈り」
以下に紹介します作品は、作ったばかりのものをそのまま書いています。推敲の手があまり入っていません。未完成の部分が多々あると思いますが、参考にしてもらえれば幸いです。...作者より
今年は歌集を完成させたいと思います。今年のコンセプトというか、短歌に対する心構えは、勿論自分の気持ちをいかに現せるかが永遠のテーマですが、「明るさ」を目標にしたい、明るい歌がどれだけ詠めるか、明るい前向きの生き方が出来るか、それを気に掛けてゆきたい。
今年どれだけ気に入った歌が詠めたか疑問です。どうぞつたない歌を作る私ですが、来年もよろしくお願いいたします。
12月31日(金)
裏切りはペテロもマルコも ユダだけでなかったという 人間だもの
どんよりと曇った師走の空に向け 焚き火の煙 いくつも上がる
木蓮は黙黙として春を待つ 毛皮のような 皮をかぶって
犯罪の報道のたび その心理われもないかと 心を覗(のぞ)く
一年のホコリ流すと 家々の屋根に冷たい雨 降り続く
幕の間(ま)を笑わせピエロ隠れたが ピエロは何に慰むのだろう
サーカスのピエロ気に入り帰りても子はビデオにて繰り返し見る
12月30日(木)
再び父のことなど
一年がもう過ぎてゆくあと一日まるで津波が引き去るように
口語で短歌を作ってゆこう文語短歌はもういいだろう
「や」で切ってその情景を浮かべよと俳句のコツを父は教えた
酒飲みで頑固な父を持った父父にも祖父にも似てないわたし
愉快になる酒飲みだった父飲むと歌い踊って笑いが起こった
飲まないと無口で虫も殺さないたとえのよな父思い出す
12月29日(水)
父のことなど
声調は文語でなくちゃでないと言う言文一致は明治時代よ
ひさびさの餅つきもちに杵とられ突きては付きて引き上げがたき(12月28日)
なにかこうこころのなかにわだかまるものを短歌に作るだけです
この古い体質抱えている詩型牧水もまた崩そうとした
青空に幾筋残る飛行機雲天を犯せるわけではないが
久々に朝よりの雨草や木に恵み与える冷たき雨が
俳優になろうとしたことがあった二十三四のころだと思う
偽(いつわ)って高卒と書き劇団の試験を受けた恥ずかしくって
亜土さんや亜星さんなど所属する未来劇場という劇団だった
ターザンの小林修のりまき先生の内海賢二声優が多い劇団でした
ドナドナを英語で歌った劇団に入団をした新年会で
賢二さんは京浜国道車飛ばし送くってくれた「辞めるな」と言い
歌踊りに人気のあった父だった運動会や村の芝居で
一晩で百首を作りし啄木と競争をする訳でもないが
12月28日(火)
新しき今日が始まる新しきわれが始まる夜明けとともに
親の恩恩師友人上司部下数え切れない人々の恩
その恩に報いえる日は何時来るや死んではならず生きねばならぬ
さてなにからすれば良いのかその恩に報いるために今出来ること
自分のホームページを持つことを偉いとでも思っているのか
阪神も関東大震災も今年同様五黄の年ぞ
黒雲よ黒雲たちよいつまでも光隠すか隠せるものか
陽(ひ)の当たるところに早く行きたくてアクセル強く踏む霜の朝
12月27日(月)
いっせいに空室ありの看板が並びていたり渚のホテル
バス一台隣のホテルに止まれどもわがホテルには客が少なし
わがホテル隣のホテル共どもに賑わうことの少なくなりぬ
二駅のことにあれども電車乗るを喜びて子の眠られぬらし
二駅を電車に乗るを喜ぶ子前の日朝より確認をする
サーカスを覚えているか夜半(よわ)に起き子はサーカスのビデオ見ている
12月26日(日)
たばこ吸う若き母親幼稚園の壁に貼られる禁煙の紙
一年の総決算と白き穂を師走の風に薄(すすき)まかせる
遠山に向かい羽ばたくカラスたち力いっぱい羽(はね)を動かす
葉を落とし春待つ木々のごとくにも寒風の中にしばし立ちたし
備忘記録NO.2
会社精算
伊勢海老が社員食堂に出てきたりホテルを閉める日は近づきぬ
あらかたの通路は封鎖されにけり残務整理にホテルを歩く
うす暗く静まるホテル清算の帳簿整理を独りつづける
清算の残務整理は空調のすでに切られし地下の事務室
信号の点滅をするこの道も清算ののちは通ることなし
くり返しのきさざる一世(ひとよ)すでにしてもみずる齢となりたるわれは
ひたぶるに二十五年を勤めたりいま清算をわれも迎える
職探しさ迷うわれか炎天に蚯蚓一匹干乾びている
舗装路に潰されている蝸牛こころやさしきもののごとくに
職あぶれベンチに座るわがかたえたどきなく子猫一匹寄り来
近寄れる子猫にサンドイッチ投ぐ昼のベンチに独り座りて
海見える小公園のベンチにて昼を眠れる職のなきわれ
皎皎(こうこう)と月の光の降りそそぐふる里の川夢に見ている
幾千の花に忙(せわ)しき蜜蜂を羨(とも)し見ている職のなきわれ
一枚の枯れ葉は今し散りにけり葉の元いまだ青味帯びつつ
ひたぶるに打ちては散れる波を見に来しわれなるか断崖に立ち
潮風をまともに受ける断崖の磯菊の花石蕗の花
潮風に揺れるをむしろ喜ぶや陽に水仙の歌声がする
黒雲の覆いたる空うっすらと朝の光が割りて漏れくる
嘆くまい泣きごと言わず逃避せず生きん生きゆく生き抜いてやる
12月25日(土)
二千年経るも戦(いくさ)の絶えぬ世に言霊(ことだま)となりキリスト生(あ)れよ
いっさいの人間の罪一身に負い十字架に果てしキリスト
マルコ伝に「わが神われを見捨てしか」叫び逝きたるイエスを思う
一粒の麦となれるや 地に落ちて死にて多くの実を結べるや
嘆くまい泣きごと言わず逃避せず生きん生きゆく生き抜いてやる
備忘記録NO.1
姉さんが歌いてくれし童謡の月の砂漠も破壊されたり
童謡の月の砂漠のラクダたち地球を逃(のが)れ月を歩むか
12月24日(金)
わが歌に傍観者たるわが影がくっきり見えるクリスマスイブ
キリストの降誕祭の前夜にてつくづくとわが正体を知る
傍観をして歌を詠むわが性(さが)をとっくに人は見抜いておらん
実力がないのに祭り上げられて愛想つかされ取り残される
囚(とら)われの身ではなけれどわれはわがこころを内に押し込めている
外見は自由なれどもいか程の違いがあらん郷氏とわれと
短歌得て日日輝やかん郷さんの一坪半の獄舎(ひとや)暮らしも
今日の日は新たなる日よ幾ばくのもの身に付けて始めんとする
12月23日(木)
障害のわが子に悩み打ち明けて泣く真似したり真剣になり
障害のわが子といると正直に神様と言い祈りたくなる
夕日背にわが足の影長くなりなにか生きゆく勇気湧きくる
滝のことをダルと訛りて言う里に大滝釜滝蛇滝があり
12月22日(水)
両手つき畏(かしこ)まりいる福助の耳たぼふくれ福福(ふくぶく)しけれ
欠点がひどく気になる今日の日はわが欠点も晒(さら)されおらん
わが歌を書きなぐりたるメモ用紙花咲くようにゆっくり開く
いつまでもわれを頼れる子がおりて嬉しくもあり寂しくもある
ゆず湯には馴染めぬ子かな丁寧に洗面器へと柚子の実移す
このままでいいのだろうか自問するわれにいいよと子は言うごとき
12月21日(火)
千余年続く河津の風習は鶏肉卵酒を断つなり
山と海平地少なき地形にて貧乏村と言われし河津
クリスマス近づきくれば思い出す鶏肉卵酒断つ風習
わが里は伊豆の踊り子早咲きの桜それから河津三郎
まず絹代ひばり晴子に小百合洋子百恵まで見し伊豆の踊り子
ゆずの実よ何か言いたきことあるや柚子湯に入りてそう聞いてみる
辞めるというひとことなかなか言い出せぬ社長もわれも多忙かこちて
12月20日(月)
師の庵(いおり)取り壊されて本写真捨てられしとぞ子や孫たちに
営々と歌誌発行をなせし師に陰の犠牲のありたるを知る
顕示欲自己満足に終始してわれ妻や子を犠牲にせしか
邪(よこし)まな欲望なるかわが思いさもあらばあれ罰あらばあれ
わが歌がみな石ころに見えるとき罪深き身を祈らんとする
このごろは空を見上げること多し晴れたる日にも少し雲あり
わが里に古く伝わる風習は師走七日(ななにち)酒止(さかど)めをする
12月19日(日)
薄氷はりたるごとき空の陽(ひ)が師走の風を温めている
潮風にゆれるをむしろ喜ぶや陽に水仙の歌声聞こえる
ゆっくりと動きいるらしその雲を眺め休日の時を過せり
うす雲の師走の空の日の光翳(かげ)りてはまた穏やかに差す
金柑はたわわになりて年の瀬の穏やかな陽に包まれている
欲望のままに生きこしわれなるや川の流れを見つつ思えば
12月18日(土)
もの言わぬ川がささやくせせらぎを子は好むらし小石投げつつ
夕光に白く輝く穂すすきの恍惚として風に吹かれる
葉を無くし実をなくしたる柿の木が寒風にその枝を踊らす
年初め歌集を出すと決めたれど自己満足を諌め止めたり
嘆くまい思い通りにならぬのは我執を糺(ただ)す神のみ心
地球儀のなかに小さき日本ありそのまた小さき伊豆の下田は
12月17日(金)
人間の交わり絶えるも悲しむな孤独こそ神に近づける道
罪悔いる涙は拭かん雨上り青空にいま虹がかかれる
戸を閉めて独り密(ひそ)かに祈りたりわが姿知る神のみぞ知る
億光年いとわず地上に降り注ぐ天(あま)つ光りにこころは開く
天つ日の光り始まる今日の日にわれも新たな命頂く
海に来てただ沖を見て立ちしのみ自然の力に癒されてゆく
海原のひとつところに朝の日が固まり注ぎ輝いている
子の歌をほめられし夜は嬉しくてまた障害の子の寝顔見る
12月16日(木)
怒り
純粋な心に怒り湧くという怒り忘れて汚れしわれか
純粋の心を忘れしわれなるか浅野内匠の怒りのごとき
啄木も憤(いきどお)りしを喜びし純なる心怒れる心
真実にわれも生きんか子に孫に忌み嫌われし祖父のごとくに
柿なればわれ渋柿か渋抜くと焼酎飲まん日差しを浴びん
潮風に激しく首振る水仙を靡(なび)く如くのわれも見ている
目をつむり耳を澄ませば聞こえくる風の笹鳴り川のせせらぎ
信号を二つ三つと青のまま通り過ぎしは今日の喜び
ある時はこころの荒野を彷徨(さまよ)えり汲めど尽きざる泉求めて
人間の叡智(えいち)恃(たのま)む金銭は尊きものと思うけれども
今われはこの一瞬を生きている息をしている歌作りいる
12月15日(水)
暗き夜(よ)は眠りと共に過ぎ行きて今日が始まる今が始まり
雨戸打つ雨の音する今日の日は全てが濡れて始まっている
今日の日は陽(ひ)が差さざるか差さずともわれ傘さして勤めに向う
今日はもう始まっている五時間と三十分がすでにすぎたり
布団からなかなか外に出られないしばらく時計をながめつついる
今日の日にいかなることが起こるとも息吸ううちはわれは生きゆく
雨に濡れテルテル坊主はかわいそう首をつりたる人のごとくに
知らぬ間にサッと近づきたる車制限速度のわれを抜き去る
葉牡丹は花にはあらず葉なれども一生懸命咲く感じする
相容(あいい)れぬ雲と夕日が織り成せばかく美しき夕焼けとなる
12月14日(火)
なんなりとなるようになれと啖呵(たんか)きり開き直るは十年早い
われ願う情熱、熱意、諦めず何が何でも生きぬく力
苦しみの後に必ず楽くると経験的に知れば子に云う
わが避けしことで苦しむ子供たち必ずそれは力になろう
頭上げ分かりましたと顔向ける闇に明かりが灯りたるごと
それぞれに一生懸命作りたる歌と思えばおろそかならず
下手ぶりを自(みずか)ら認め恥も何も受け止めしとき味が生まれん
なんでこう可愛いものかもの言えぬ子なれどわれの言葉理解す
12月13日(月)
銀行で業者に会いて少しずつ改善するとかろうじて言う
お互いに景気の悪さ言い合いてその材料を数えあげゆく
業績の悪化を景気に押し付けるも給料資金はどこからも来ぬ
日常を淡々とする日常を歌に出来たら良いがと思う
障害のわが子とドライブするときにドラマのような沈黙がある
ドライブをわが子とすれば夕空はドラマのような色して染まる
空染める夕日に向かい海中のなか行くごとく走る子とわれ
なにもかも捨ててこの子と生きゆくか寝顔を見つつふいに思える
12月12日(日)
黒雲の覆いたる空うつすらと朝の光が割りて漏れくる
雲覆う空に出来たるわずかなる青空を行くひとつ飛行機
わが命生かされているほんとうに生きてゆくって大変なんだ
へたくその相田みつおの文字を見るこんな短歌をわれも詠みたし
純粋の遊びごころを忘れたか子供の頃のベイゴマ、メンコ
親鶏(おやどり)が殻を突っつく雛(ひよこ)もまた殻を突っつくそして生まれる
12月11日(土)
再び祖父のことなど
対岸の山に差す陽(ひ)が一時間のちに巡りて来る冬の朝
葉牡丹をさ庭にひとつ植えてあり妻の正月準備始まる
フリーズをしてばかりいるパソコンをなだめなだめて打ち終わりたり
建前の釘を打つ音晴れし空犬の鳴き声休日の朝
既製品はすぐに切れると山仕事せし人祖父のズボン求めし
口(くち)コミで祖父のズボンを買いに来し木を伐(き)り橇(そり)で運ぶ山人(やまびと)
祖父酔いてズボン出来ねばまた来ると半日掛けて帰り行きたり
12月10日(金)
祖父のことなど
つくづくとよく晴れたると眺めおりトンビもゆつくり旋回をする
運転の事故なきことに感謝せん妻三十年われは三年
運転は運をば天に任せるとひとり思いて恐ろしくなる
わが祖父も戦後一時期山小屋に籠もりてひとり生活をしき
かなしみのはけ口として酒飲みし祖父を思える歌作りつつ
独学でミシン覚えし寡黙なる祖父の戦後の懐かしき音
晩年の祖父の孤独よひたすらにミシン踏みおり浪曲など聞き
独学でミシンを覚えリュックサック乗馬ズボンなど作りし祖父は
酒を売りリュックサックやズボンなど作りてもいし戦後まもなく
自らの体で試作繰り返し膝も丈夫な祖父のズボンは
なせばなる口癖なりし祖父なれど酒断つことは出来ず逝きたり
父と祖父争いしとき負けそうな祖父を庇いし少年のわれ
12月9日(木)
名は消えて作品残るいにしえの詠み人知らずや道綱母(みちつなのはは)
助手席に妻を乗せれば教官のごと運転のミスをチェックす
穴倉の生活はもう止めにせん地下で事務とり三十年ぞ
歌ひとつ浮かばぬときは目をつむり三郎のこと思い浮かべる
三郎は石投げが好きいつまでも一人で川に石投げをする
石投げをする子の姿淋しそういや楽しそう時をわすれて
これからも施設暮らしが一生涯続いてゆくかわれの三郎
帰宅日は寝る間惜しむや二時に起き同じビデオを繰り返し見る
かなしさやさみしさ言葉に出来ぬ子が指で涙の出るまねをする
12月8日(水)
自転車をバイクが抜いてそのバイクを軽自動車のわれがぬきたり
信号が黄色になるも突っ込んで胸の騒ぎを今日も感じる
信号が青となれるを注意さる色づく山のもみじ見ていて
公園にある駐車場エンジン掛けて気持ちよく眠る人おり
空を見る雲見つからず海原は叫びたきほど輝いている
こんな日は早く眠らんわがこころ得意となっている気がすれば
わが祖母の志げの養母は母のとらその母のまさその母うめぞ
わが家は女系の家族うめの子のまさの子とらの子志げが祖母なり
長男に生まれしわれは家捨てぬキリスト教のためにあらねど
むこうより近づきし女(ひと)わが前で向き変えもとに戻り行きたり
役人の規則ですからという強さ結局子供のように喚(わめ)きし
12月7日(火)
一対(いっつい)の木彫りのアイヌ人形の太き眉かな眼(まなこ)なきほど
こんな家買いてやれたらと思いたり東京に子を訪いし帰りに
もの言えぬ子が強引に連れてゆく『幾山河…』と言えるテレビに
曇りたる師走の朝(あした)小綬鶏(こじゅけい)の高鳴き聞ゆ休耕田に
曇りたる師走の朝のわが庭は千両万両豊かに実(みの)る
のんびりと田舎暮らしも良きものぞ今わが庭を雉がよぎれり
静かにと妻が静止す今まさに一羽の雉が庭を横切る
強風に煽(あお)られている木の枝よ怒れるごとく諌めるごとく
茜色(あかねいろ)になりたる庭のもみじ葉が大雪(だいせつ)の日の朝を賑(にぎ)わす
頑張ってお気をつけてと言うようにミモザアカシヤが枝振りている
晴れた日は気持ちよきなり伸びをしてまた空見上げ深呼吸する
人のため人のためだと言いきかせ給料資金の捻出(ねんしゅつ)をする
青空に向い大きな伸びをする何か良いことありそうな今日
12月6日(月)
子がわれを力まかせに連れてゆく『幾山河…』とテレビが言うに
信号が青になれども右(みぎ)左(ひだり)見て渡るなりいつよりの癖
なにとなくこころさみしき心地して啄木の歌口づさみたり
新幹線こだまを熱海で待つ間ひかり数本上下に通る
神の愛を償いきれぬわれゆえに終生債務者なるを覚悟す
あのあたり子の勤めいる新宿か高層ビルをつつむスモック
赤羽に着きたる頃は空の色青くなりたり雲は黄金(こがね)に
川ふたつ越えて着きたる川口の子の借家訪う初めてに訪う
京大の博士課程に進みおり伊藤衛君六十にして
六男の中学校のP.T.A会長をする中山泰浩君
出張の帰りと来たる稲村君北海道でクラス会したいと
顔上げよ前を向けよと声がする山の上より茜空(あかねぞら)より
東京の喧騒の中に暮らす子ら無事を祈らん遠く離れて
短歌鑑賞
コスモスの花が明るく咲きめぐり私が居らねば誰も居ぬ家 「家」平12 河野裕子
清楚な明るいコスモスの花が家の周りを取り囲んで咲いています。穏やかな秋日和を感じます。非常に平和な家庭のイメージです。
上の句の明るさが下の句で一転します。ガランとした家、うす暗さも感じます。そこに作者は一人、夫からも子供からも取り残されているという感じです。家自体も同様でしょう。
上の句の明るさゆえに下の句の作者の孤独が強調されます。「私が居らねば誰も居ぬ家」とは、言い得て妙です。技巧さえ感じます。
12月5日(日)
東京へ(2)
次の駅宇佐美を告げるアナウンス女性の声は爽(さわ)やかにして
海(うな)ばらの浮かぶ小岩に釣り人が幾人(いくたり)か見ゆ黒く小さく
宇佐美駅春楽しみに通りたる大き桜の木も倒れたり
台風のなごりはいまも倒木が山の斜(なだ)りに並び晒(さら)さる
台風の傷跡二ヶ月経ちてなお青きシートの覆いたる屋根
友の家車窓に探し台風の被害の有無を調べんとする
網代駅見回し探す台風の被害はなきか変わりはなきか
網代より見放(みさ)くる先に勤めいしわがシャトーテル赤根崎立つ
伊豆多賀の駅に着きたりトンネルをくぐりひらけし高台にあり
単線の憂いはここの伊豆多賀の駅にもありて七分を待つ
この多賀に二年余りを借家せし二十数年経(た)ち思いいる
多賀を出てトンネルひとつくぐりたり着きたる駅は来ノ宮(きのみや)の駅
来ノ宮の大楠(おおくす)の木は台風で障(さわ)りあらずや車窓には見えず
一時間三十分経(へ)てとうとうに熱海の駅に着きにけるかも
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
結局は妻に任せること多し障害の子を歌には詠(よ)めど
迎え日を遅れて行けば三郎は散髪をした頭で待てり
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
12月4日(土)
東京へ(1)
下田駅蓮台寺駅を通過してわが乗る電車稲梓(いなずさ)に着く
河津川師走の土手の早咲きの桜のなかに狂い咲くあり
クラス会向う車窓に大島はかすみていたり三宅島見えず
稲取の駅の構内みかんの木たわわにみのる黄金(こがね)色して
熱川(あたがわ)の湯の源泉は滾(たぎ)ちおり湯煙のぼる片なびきつつ
高台の駅北川(ほっかわ)の遠方に大室山がほっかり見える
大川の駅とあたりを見回せど大川らしき川はあらざり
車窓より見渡す伊豆の高原の紅葉(もみじ)はいまだ赤み帯びざり
城ヶ崎駅の構内思おえず楓(かえで)ほんのり赤み帯びおり
富戸(ふと)という駅はおだやか露地植えのアロエは紅(べに)の花かかげおり
車窓より見えるみかんは金色(こんじき)に輝き緑の葉に埋まれり
川奈より見える初島半分を占めるかに立つま白きホテル
街上をかたまりて舞うかもめ鳥白く輝く南伊東に
ようやくに伊東駅にと着きにけり稲梓駅より約一時間
12月3日(金)
俯(うつむ)いて歩みいるとき思おえず顔を上げたり夕焼けの空
無意識に互いに胸に手を置けり受胎告知の天使とマリア
エレミヤのごとくこの世を憂いるか受胎告知のなき青年は
12月2日(木)
ミレー作落ち穂拾いのごとくして子はあますなくゴミ拾いゆく
エレミヤの悲哀をわれは悲しまず真理のための敗北もあらん
大刀を大地に立てて握りたる松陰の像海を振り向く
縁ありて松陰の像伊豆の地の柿崎の海飽きず眺める
海に向き横向きとなる松陰の銅像の前われも横むく
12月1日(水)
寒き朝舗道の上を音たててペットボトルがころがりてゆく
ちんちんと背黒鶺鴒(せぐろせきれい)尾を振りて舗道の上を足早(あしば)やに去る
俯(うつむ)ける眼(まなこ)をあげて眺めたり薄曇る空浮かぶ日輪
世の中の諸々(もろもろ)の苦が雲となり天(あま)つ光をさえぎるらんか
曇り日の雲に透きたる日輪にわがたましいは癒されゆかん
縁ありて松陰の像伊豆の地の柿崎の海飽きず眺める
ミレー作夕べの祈り頭(こうべ)垂(た)る農夫の鋤(すき)も地に立ちており
茜(あかね)差す雲を頭上にミレー作夕べの祈りのごとく子とおり
11月30日(火)
積読(つんどく)も読書のうちか二三枚たまにめくりてまた積んで置く
今月は凌(しの)ぎきれぬと思いしになんとかなりて師走迎える
11月29日(月)
好物のフライトチキン買わんとて列に並んで子が長く待つ
穂すすきは頭を垂れていたりけり浅瀬の音を聞けるかたちに
紅葉(こうよう)の山に囲まれこの里はうす靄たちて朝の日を浴ぶ
日曜は紅葉(もみじ)狩りとはゆかねども車窓に眺む赤字忘れて
われのみを頼るかたちに縋(すが)りつく障害の子よ生涯の子よ
雲少しある空を行く飛行機のその行く末を見届けている
海に向き横向きとなる松陰の銅像の前われも横むく
11月28日(日)
容易(たわやす)く倒産させてなるものか無心に働く人を思えば
枝すべて幹より切らるる銀杏(いちょう)の木ひこばえの葉のあわれ色づく
闇よりの声はサタンの囁(ささや)きか先へ先へとわれを悩ます
たわむれに庭に植えたるバラの木が根付きて冬の花を咲かせる
日本刀立てて握れる松陰の銅像古りて潮風に向く
侵食のしるき巌を背にもちて松陰隠せしみ堂小さし
松陰の潜(ひそ)みしみ堂にかかげらる空穂の歌をここにわれ読む
無骨なる手に渡される今月の手形決済出来る資金を
女房の退職金と照れながら会社を救う金渡される
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
人質と籠もる犯人遠き地の出来事のごとテレビ見ている
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
11月27日(土)
潮風をまともに受ける断崖の磯菊の花石蕗(つわぶき)のはな
農協も国民公庫にも断らるわが正直な決算書あわれ
災害の救援融資も断られ先は思わずひと日(ひ)がいのち
ひとしきり風雨荒(すさ)びし夜半(よは)にして嘘のごとくに静寂もどる
あくまでも天に向かいて生きゆかんこの木蓮の莟(つぼみ)のように
よく晴れた空を見上げるしみじみと空を見上げる久しぶりなり
今日一日力の限り生きゆかん明日は明るい日とならんから
11月26日(金)
木蓮の莟はすべて天を向き葉の落ちし木に春を待ちいる
潮荒き岬に立てる牧水の歌碑は神子元島(みこもとじま)に向きいる
無人なる神子元島(みこもとじま)の燈台を守れる友を牧水は訪う
結局は粟立草も枯れゆけり諸行無常の風のまにまに
正直に決算すれば内容が悪いと融資断わられけり
正直が神のもっとも好物と知れば酔いたし酔い痴(し)れるまで
正直なこころが歌にも必要と子規は写生を唱(とな)えしならん
結局は神におのれを晒(さ)らさんと思いて歌を詠(よ)むにやあらん
赤裸々に己の心歌いたる茂吉こいしや赤光(しゃっこう)読めば
前を向きただ一心に進みたるわが若き日を悔いることなし
明(あ)かあかと闇に灯(と)れるわが家の灯(あか)りのもとに死児(しじ)横わる
ろうそくのともしびのもとあおじろく死にしわが子の横たわりおり
11月25日(木)
友よりの喪中のはがき逆縁をしるせる文字をしばし見つめる
友よりの喪中のはがきは長男の三十歳の死亡を記(しる)す
慟哭(どうこく)の分だけ君は神よりの同情を得ん幸いを得ん
石蕗(つわぶき)は丘の斜(なだ)りに咲き初(そ)めて厳しき冬を黄の色に染(そ)む
11月24日(水)
悩みても何になるかと嘆けども神知るすべと知れば哀しも
太陽のごとくに神も太古より動かぬものと思い定める
絶望の果(は)たてにありて微笑(ほほえ)まん神を知りたる人のごとくに
茂吉にも光太郎にもいやむしろ乃木大将に似ていたる祖父
偽善よりむしろ酔いどれを選びしか祖父のひと世に光差し込む
11月23日(火)
角川の予選通過を知りし日にわれは哀しく風邪ひきにけり
10代の子らとも競(きそ)えるわが性(さが)を哀れに思うあやしくも思う
11月22日(月)
給料
汝(な)れがいま出来ることなせ大(だい)それたことにはあらず唯(ただ)に真面目に
西行の歌を勧(すす)めし師の言葉三年を経て山家集読む
習作や旧作まとめて庭に焚(た)く赤き炎となりて燃えゆく
葉の落ちてはっきりとせり木蓮に春を育(はぐく)む莟(つぼみ)付きおり
一ヶ月近く遅れし給料を妻に渡せば喜びの声
給料を渡せば素直に喜べりこの妻と経(へ)し二十九年
11月21日(日)
斎藤茂吉の歌を読むとやはり一本の道を思わざるをえません。
一本の道
一本の赤き道あり夕映えの彼方に立てる茂吉の虚像
キリストに至る道あり細ほそとその血塗られし一本の道
混沌としたるこの世に生まれきてこの道のみと心を注(そそ)ぐ
混沌としたるマグマのほの見えて茂吉の歌は原始の香ぞする
マチスの絵どこが良いかは分からねどマグマのごとき力感じる
静まれる深夜の闇に聞こえくる神のか細き声かと思う
頼れるはもはや神のみ心底に思い至れば哀しかりけり
11月20日(土)
11月14日(日)の賀茂短歌会の席上で今年の角川短歌賞(50回目の節目の年)の受賞者が話題となった。芥川賞同様18歳の小島なおさん(母親は歌人小島ゆかり氏)が受賞した。会員のひとりが雑誌を持っていてあれこれと話し合っていた。私は雑誌「短歌」を購読していないので見せてもらった。応募総数491篇で、編集者の予備選考によって選ばれたのが32篇で、そのリストがタイトル、氏名、所属結社、生年の順に記載されていた。そこであっと驚いたのです。わたしの名前(タイトル名「会社倒産」)が載っていたのでした。応募は4月か5月ごろのことで、なんの連絡もなくすっかり忘れていました。そのときは、一気に80首まとめて短歌研究社の新人賞へ30首、角川の短歌賞の方に50首送っていたのでした。短歌研究の方は佳作になり知らせてくれた人がいたのですが、角川の方は全然自信がなく、すっかり忘れていました。角川書店の編集者の目を通っただけで、たいしたものだとその後励まされ、自分もそんなものかと、うれしくなるとともに多少自信をもった次第です。
禿(は)げし頭(ず)にひと本(もと)伸びる髪の毛をいとおしみつつなにか哀しき
彼女とは別れたという子のメール簡単にして明瞭なれど
結婚する同棲すると送りきて今日は一行別れたとあり
雑魚寝(ざこね)して虱(しらみ)潰(つぶ)しし遠き世のことにはあらずわが幼年期
わが庭のコスモス哀し折れ曲がりなお上を向き花を咲かせる
11月19日(金)
うつうつとしたるこころを受け入れる三十一(みそひともじ)は神のごとくに
自(みずか)らの給料延ばし金繰りすわが家(や)の暮らし顧(かえり)みるなく
もう良いと夜を更(ふ)かせば真夜の床激しく咳に襲われにけり
狡猾なるわれの姿の立ち上がり公募の原稿破り捨てたり
もの言えぬ子の発したる叫び声こころのこもることばのごとし
もの言わぬ自閉症児と暮らしきてわれの言葉の軽さを思う
幼子(おさなご)のごとくに神の前に出て大泣きをせんわれの願いは
11月18日(木)
亡くなられた原 昇先生がよく多作しなさいと言われた。確かに、作れない周期みたいなものがあります。なにはかまわず作ることが必要なのでしょう。心の奥から歌うためには。そんなことを思いながら心に浮かぶことを書き付けておきます。
むずかしくないよこころを無理せずに五七五にのせて歌えば
風邪ひきて曇れる街を歩みいるマスクを通し風の冷たき
金のない業績悪化の会社にて狂人守(も)りのごと金繰りす
(注)「狂人守り」のことばは茂吉の短歌からの借用です。
資金なく業績悪化の金繰りを狂人守りと茂吉は呼ぶや
わが性(さが)をさげすむなかれさわやかな秋の日差しにさざ波光る
11月17日(水)
11月15日の朝日新聞の朝日歌壇に次のような歌が載っていました。佐々木幸綱選です。作者はフランス在住の人か、美帆 シボさん。
月あかり大きポプラを照らしつつ遥か砂漠にさし渡るかも
というのです。わたしはこの歌を読んで、にわかに歌心を刺激されました。
姉さんが歌いてくれし童謡の月の砂漠も破壊されたり
童謡の月の砂漠のラクダたち地球を逃(のが)れ月を歩むか
以上二首を得ました。
11月16日(火)
ネアンデルタール人
旧人の言語機能の劣性を頭蓋骨にて説明される
氷河期をひしと耐えしやネアンデルタール人言語少なく
旧人の絶滅したる原因は言語機能の劣性によるや
花添えて死者を埋葬せしという旧人言語機能劣るも
花を添え埋葬をせし旧人の心はいまに受継がれいん
氷河期を耐えたるのちに滅びたるネアンデルタール人のこほしき
寝(い)ねがてに寝がいり打ちて思いいる毛の深きネアンデルタール人
毛深きはこころ細やかき性(さが)と聞くネアンデルタール人思いいる
滅びたるネアンデルタール人思う判官贔屓というになけれど
11月15日(月)
テレビでネアンデルタール人について解説していた。
脳容積は現代人よりむしろ大きかったという。その絶滅の原因を言語機能の劣性にもとめて解説していた。
絶滅のネアンデルタール人かなしかり言語機能の劣性なれば
歌と言えるかどうか、ぎりぎりのところでしょう。しかし、私にとっては、自閉症児、言葉を話さない障害の子を持つ親としてやはり見逃すことが出来なかったのです。そこでテレビを見ながらメモしておきました。
11月14日(日)
今日は温度が下がっています。伊豆の地であってもぐっと寒くなった感じです。わが家の庭に梅の木が一本あります。いつもは気にとめない梅の木に今日は目が止まりました。葉はすっかり落ちています。よく見ると青い枝が何本もまっすぐ空に伸びています。まだ、もちろん蕾はありません。なぜ今日梅の木に注意が向いたのかよく分かりませんが、歌が出来ました。
葉を落とし虚空(こくう)に青き枝伸ばすいまだ蕾もあらぬ梅の木
ただそのままを歌いました。しかし、『青空に鋭(と)き枝伸ばす』でも、『天に静かに枝伸ばす』でも、あるいは梅の古木などという歌い方もあるでしょう。なぜ今日は梅の木に目が止まったのか、「寂しさ」なのか、「希望」のようなものなのか、そういったことがはっきりしなければやはり歌は、ほんとうは作れないのかもしれません。あまりにも作りっぱなし、鬱憤晴らしのような感じもある私の歌い方、反省の時期に来ているのかもしれません。しかし、茂吉も「心の衝迫を歌う」と言っていますように、あるいは啄木が歌は「悲しい玩具」と言っているように、歌にはそういった心のはけ口という側面もあることも事実だと思います。思いつくままに作り捨て、気が楽になる、そういう歌い方も許されるのでしょう。しかし、歌を作る以上ただ自己満足だけでなく、人にも分かってもらえる、同感される歌を作りたいと願っているのも事実です。なにかまとまりがありませんが、そんなことを思ったのでした。
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松崎町に住む長谷川静逸氏九十五歳、奥様喜久さま九十一歳はこのほど句集「あゆみ」を出版されました。こころからお祝い申し上げます。ご本を頂きましたときの即詠です。
九十(ここのそじ)過ぎしご夫婦編み給う句集「あゆみ」の有難きかな
以下ご夫婦の作品を少し掲載いたします
あゆみこし 九十年や 走馬灯 静逸
九十の 坂越え五つ 尚生きる 来し方愚鈍に 長し短し 静逸
夏の果て 九十の坂 五つ越ゆ 静逸
九十一歳 俳句一筋 夫とともに 喜久
霜夜かな 夫の補聴器 ピピと鳴り 喜久
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11月13日(土)
君だけじゃない
君だけじゃないんだという慰めを何度も聞きぬこころ閉ざして
君だけじゃないと言う慰めになぐさめられぬ生きたきわれは
君だけじゃないんだという慰めを言うほかはなし人間なれば
空席の目立つ列車が連なれり空気を運ぶことも虚しき
11月12日(金)
たばこやめ何年だろう寂しさのなごりかこれは独りガムかむ
天国はあの世にあらず三郎が無心となっていま喜んでいる
冬に向け希望のごとく咲き始む石蕗(つわぶき)の花黄なるその花
11月11日(木)
今月を今日一日を凌(しの)げるか一年先を君は語るも
芝のある広き庭欲し三郎と手足を伸ばし大の字とならん
どんよりと曇りたる日はどぶ川の臭い激しくあたりを侵す
また暗き歌を作りているわれか障害の子は泣きごと言わぬ
11月10日(水)
キリストのみ名を何度も聞かせたり障害の子にわが後(のち)のため
天国と地獄の差なり今日の日の手形落として3時過ぎたり
われよりも神に愛され障害をもちてこの世に子は生まれたり
わが知らぬ世界のなかで障害の子は神様と遊びいるらし
11月9日(火)
神を目差して
人間は愚かな知恵に踊らされ大事な大地を汚染して来た
歯型付け施設を帰る子に思う噛まれるもよし神の随意(まにま)に
障害を負うて生まれし三郎は傷つき生きる神目差すがに
最悪を知りたる後の喜びが最高ならん最悪よ来(こ)よ
11月8日(月)
廃業をしたるハウスはたちまちに泡立草の棲家となれり
11月7日(日)
新年を思う
災害の多き申年去りしあと富む年となれ今年酉年
ヒヨコなるわれと思わん還暦を過ぎて二度目の年を迎える
11月6日(土)
もの言わぬ子とドライブをするわれのこのやすらぎよ何にもとづく
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何故こうもこだわるならん香田君われの心に問うものは何
死の刹那イラクの地より君の魂(たま)飛び来(きた)るかやわれがこころに
今日知ったクリスチャンだということを奇(く)しき縁(えにし)ぞ君を歌うは
カトレアのうす紫に花咲けりうつむきている少しふるえて
身をもってテロ集団の残酷さを世に知らしめて君は逝きたり
11月5日(金)
百聞は一見にしかずと乾きたる荒野を目指し君は行きしか
無法なるテロの集団 日本の若き命は散りゆきにけり
11月4日(木)
二十四に証生(しょうせい)君は逝きたれどわれのこころに住み生きゆかん
11月3日(水)
囚(とら)われの身にしあれども取り乱すことはなかりし香田青年
11月2日(火)
道端に香田君の首ころがるか三島由紀夫のよみがえりくる
サッカーはアラブの民に負けるまじこの悲しみを晴らさんがため
11月1日(月)
香田くん君を見ている被災地に奉仕している青年の中に
香田君は殺されたのだクレーン車虚空(こくう)に高く拳(こぶし)を上ぐる
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結局は山が漁場を守ると言う漁師の君に酒くみて聞く
森林が河川を守り海守る漁師の君の話聞きいる
10月31日(日)
金繰りの土日はわれの安息日銀行からの電話もあらず
土曜の夜久しぶりなる穏やかさ越路吹雪の歌など聞きて
10月30日(土)
自販機でジュースを買うと百円の硬貨を固く子が握り行く
薄氷の上に生きいるごときわれはっきりと知る冷静の意味
10月29日(金)
金繰りを思えば寝てはおれぬぞと夜中の二時に必ず目覚める
イラクにも台風地震の被災地にも無力のわれが遠く見ている
金繰りをつけ給料を支払わん三十人の従業員に
10月26日(火)
金繰りに行き詰まりたり気に入りの背広を着込み街に出かける
銀行の悪態をつきおさまれば諦めのごと互いに黙す
限りなくわれを愛する神がいて障害の子をわれに授けし
10月24日(日)
薄野(すすきの)に泡立草の黄が増せり中越地震のこと思い見る
前触れの地鳴りのたびに怯えたり伊豆沖地震のこと思い出す
新潟地震に思う(16.10.23.17:56)
震災も五黄の年と言いし父台風地震災害多し
10月23日(土)
自動販売機
のんびりとのどかに暮らすこの里を厭(いと)いて出(い)でし十五の折に
のどかなる自然の暮らしこの里も仕事となれば修羅場と化すか
地下事務所出(い)でて大型台風の前の静けき街を急げり
自販機でジュースを買うを覚えたる子は眠りおり硬貨にぎりて
10月22日(金)
囚われの身と自(みずか)らも思うらし郷隼人氏の歌を好みて
病身を夏日に晒(さら)し手入れせし海老根も蘭も枯れ果てにけり
10月21日(木)
時折に襲う鈍痛これさえもわが命ある喜びとせん
10月20日(水)
あてにせし四十人の団体が台風のためキャンセルとなる
余裕なき金繰りなるにこれでもか鞭振るうがに台風荒れる
ワイパーは激しかれども雨脚の強さにライトが滲んで見える
生きゆくは醜きことと思いきや若者たちの集団自殺
生きること醜きこともあるなれどわれは生きゆく生きねばならぬ
10月19日(火)
十時間停電したり台風を思えばキャンセル料は求めず
大型に超をつけたる台風にキャンセルの電話ファックスあまた
老朽化したる施設を思いやる伊豆は福祉の後進国と
官のする仕事にあらんなにもかも福祉施設も民営化する
10月18日(月)
三郎をさぶころちゃんところを付け妻も呼びたりこころ親しく
潜(ひそ)みいる恐怖の念は虎と化し夢に表れわれを襲えり
10月16日(土)
東京に熱出(い)で娘の伏すという親孝行な健康のわれ
悲しみの嵩(かさ)だけ幸(さち)を授けるや神はバランスの法則造りて
10月13日(水)
前世は金を粗末にせしわれか来る日もくる日も金に苦しむ
自らの給料を下げパートとし赤字会社の金繰りをする
10月12日(火)
金繰り
眠りてもすぐ目覚めたり夜半の床金繰りのことまたも思いて
収入と支出のバランス崩れおりわが金繰りは先を当てにす
連休の伊豆に台風上陸しあまたの被害与え去りたり
連休の収入あてにせしものを伊豆直撃す巨大台風
災いは転じて福となる譬え台風のためと払いを伸ばす
10月11日(月)
わが家の天使
屋根のなき家を目にしていまさらにわが家の無事を思い知らさる
わが家(や)には天使がおれば台風も避けてくれたりそう妻に言う
厄(やく)背負(しょ)ってくれる子なれば大事にと母の言葉を思い出しおり
10月10日(日)
停電
停電でテレビは見えず米炊けずパソコン打てず闇に伏すだけ
停電の闇に伏したるわが耳にほそほそと鳴くひとつコオロギ
停電にひと夜明けたり蝋燭を立ててひとまず顔洗いたり
何ごともなかりしごとく晴れし朝ケイトウは地に頭付け伏す
台風に吹きちぎられて枝や葉のあまたが地上を緑に覆う
帰宅日は川で遊ぶを常とする子が二階より濁流を見る
10月8日(金)
職業を問われてまたも言われけり銀行員の顔しておるや
生きゆくは重荷加えてゆくことか思いますます聖書乞いゆく
一日のいのちを燃やし花びらを結び散りおりむくげの花は
10月6日(水)
天使のWEB
障害児持つ親作るホームページ天使のWEBというサイトに集う
障害の子を持つ親のホームページ読まぬうちより込上てくる
切々としたる思いが込上げる障害児持つ母親の手記
10月2日(土)
養護施設の運動会
透析の時間ずらして妻が子の運動会を今年見に行く
子の植えし銀杏色づく施設にて十五年間子は過したり
妻の顔見つけて子供の喜べり運動会は久しぶりにて
行進の際もしばしば振り返る子は母親の姿探して
それぞれに障害を持つ子供たち行進をする精一杯に
振り返り振り返りして行進をする子のあとに車椅子続く
緊張をしたる子供が自らの顔叩きつつ聖歌を点火す
子供たち一人ひとりに向うごと養護施設の校長話す
親も子も養護施設の広場にて歌うよ「大きな運動会」を
開会の挨拶終わりに近づくに雲間の光急に差し込む
疎らなる見物人の運動会小綬鶏の鳴く声聞こえくる
大人しく選手の席に座している子の成長を遠く見ている
歩くさえやっとの子供が一歩づつ足運びゆく運動会に
覆いたる雲ゆっくりと動きいて養護施設の広場晴れゆく
競うなく歩めることを誇るごと養護施設の運動会に
昨年は歩めざりし子ゆっくりと今歩きいる運動会に
障害者の運動会を帰り来てイチロー選手の大記録知る
10月1日(金)
失敗
競争に敗れ会社を替わりしと実相を子に語りつつおり
千億の脳細胞のあるというこの幸いに気づかず過ぎぬ
失敗を繰り返しつつ失敗を悔いるなかりしわが青春期
子は親の鏡なりといえる格言をいまさら思うわが子を見つつ
かにかくに失敗多きわれすらや生きながらえて日々を迎える
9月29日(水)
地を這いてビニール袋が命あるもののごとくにわれを追い越す
黒雲の彼方にありて太陽が微動だにせず輝いている
9月23日(木)
スト回避!土曜、日曜待ってるよイチロー選手のようなプレーを
9月21日(火)
今の世にストする幸を持ちており野球選手は高給なれば
生活に苦しむ二軍三軍の選手の声を聞きたいわれは
9月18日(土)
高給の野球選手もストをせり赤字会社のわれらは出来ぬ
9月14日(火)
父さんは家族の不幸を歌にすと子の糾すそば妻がうなづく
9月11日(日)
台風
弓なりの日本列島縦断し各地に爪痕残し去りたり
甘柿もあまた落せり台風が利率の低い日本襲いて
9月9日(木)
ハリケーン
ハリケーンの猛威にも似て飲む打つ買う若き衣服を剥ぎ取らんとす
ハリケーンの猛威にも似て若者の衣服剥ぎ取る誘惑のあり
ハリケーンに吹き飛ばされてなるようになれと木(こ)の葉が舞い上がりゆく
ハリケーンに襲われしなう枝枝になおも耐えいる木の葉とならん
ハリケーンの過ぎし朝(あした)の日の下に吹き千切られし枝の残骸
短歌鑑賞
夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん 「雪鬼華麗」昭54 馬場あき子
「夜半」がくり返され強調されています。人間界の活動が静止している時間帯の夜半。そんな夜半であってもしらじらと桜が散っている。それに作者は気が付きました。そして、それは止まることのない自然の営みなのです。その自然界の一部である作者自身にとってもこの営みは例外ではなく作用しているのです。
落花の哀しみを歌うなかに自ずから作者の心情が読者に伝わってきます。リズミカルな調べにも注意したい作品です。
平成十六年度「短歌研究新人賞」佳作(後藤人徳)
施設にていかに過すか帰宅日の子供の体にあまたある痣
喜びも上手く表現出来ぬ子や喜びながらわれをつねれる
二時にはや子は起き出して帰宅日を満喫している小さな家に
初めての電車の遠出喜びの声を上げたり二十歳の子は
今日ひと日無事に過しし幸思う心障の子と透析の妻と
8月24日(火)
さばさばと室伏選手は語りたりなすべきことをなしたる感じに
百五十センチの体躯マラトンを駆け抜けにけり勝利者として
紫に瞼をはらし勝利せし浜口京子の笑顔涼しき
8月22日(日)
産土の地
洞(うろ)抱えふた分れしたる椎の木は産土(うぶすな)の地に深く根を張る
灼熱の光を浴びてひっそりと咲きおり白き金柑の花
8月21日(土)
未明
目覚めれば未明に結果決まりたる金メダルの報テレビ伝える
柔道のメダルダッシュの陰にあり井上康生選手の敗退
早ばやと敗退したるサッカーに寂しさもありアテネ・オリンピック
いい汗を皆流しおり熱帯夜に負けず見ておりアテネ・オリンピック
8月15日(日)
野村忠宏選手
オリンピック三大会を連覇せし野村選手のはにかめる顔
柔ちゃん二首
シドニーはいま春という八年を待ち柔ちゃん金メダル得る(シドニー・オリンピック)
金メタル取りたる歓喜に顔覆うヤワラちゃんの手は包帯だらけ(アテネ・オリンピック)
8月14日(土)
アテネ・オリンピック
紛争のイラクの平和祈りつついま開幕すアテネ・オリンピック
出場者一人の国あり三宅島に満たぬ国ありアテネ・オリンピック
団扇持ち日本選手団入場す今日本の風を起こすや
宇宙より宇宙船よりメッセージ地球はひとつと団結を言う
8月9日(月)
友が皆われより偉く見える日とわれが心を啄木うたう
7月26日(月)
引越し
東京の子の引越しの手伝いと朝5時に起く妻とわれとは
居眠りて電車のなかに目覚めれば二日酔いせしごとき頭痛す
幾たびもトンネルくぐり気づきたり闇より出づる喜びぞこれ
大きなる観音菩薩立像は若竹伸びる竹群を背に
何故かくも眠たきものか冷房のききたる電車に眠り落ちゆく
熱帯夜の眠れぬつけを冷房の朝の電車に解消させる
引越しの荷物に埋まる部屋内に二十八歳の娘座れり
結婚をせずに仕事に明け暮れる娘はすでに二十八歳
少しづつ歌集作ると蓄えし金も子供のために降ろせり
わが父はカツラ作るというわれに五十万くれし母に内緒と
7月20日(火)
無人島で生活するとして、誰を選ぶか(歌人を一人あげよ)というアンケートがあった。戸崎早苗(結婚して後藤早苗)と会っていなかったら、多分短歌を作っていなかったと思う。
無人島に妻と二人で暮らすこと想い思わず笑いこみ上ぐ
7月12日(月)
サブとよび三郎と呼びあるときはサブコロなどと言いて愛する
古代蓮今年も咲けり紅(くれない)に頬を染めたる少女(おとめ)のごとく
7月8日(木)
失敗
失敗をわれもせしなりいやむしろ失敗だらけのわが青年期
子は親の鏡なりという格言をしみじみ思う子の失敗に
かにかくにわれは生きおり必ずや子も生きゆかんわれのごとくに
7月6日(火)
良い子
一瞬に息子の悩み見抜けども声を掛けざり掛けてどうなる
心障の弟を持ちわが目には良い子を演じ成長せしか
心障の弟に常に目が移りまともに向きしこともなかりし
病身の妻に子預け単身の赴任長かりし今に思えば
結婚の資金も徐々に貯まれると言いしは一年前にあらずや
7月4日(日)
上京
施設の子の帰宅延ばして早朝に東京の子に会うと出掛ける
電車にて詫状を書く揺れ動く文字の乱れを気にかけながら
薄雲に覆われている大島を見つつ心は子のこと思う
薄くもる空の下にて伊豆の海ただ平板に横たわりおり
自らの意志にてもはや逃れまいいかなる道にわが進もうと
子にわれにいかなる定め来ようとももはや逃れぬわれは逃れぬ
トンネルの多い伊豆急行線の時おり見える海は平らか
踏切りで電車の通過を待ちいたる青年眼鋭く下向く
テレビにて見し評論家携帯にあらずホームで受話器持ちいる
生き難き苦脳の色を顔に見す子の前でわれおどけていたり
わが定めいかなることになろうとも笑いを持ちて生きんと思う
薄氷を踏み歩けるは同じなり汝(なれ)よりあるいは辛き立場ぞ
自主性を尊重したると思えどもほったらかしていたにあらずや
生き難き悩みの果てに瘠せし子を東京に残し帰るほか無し
生きること辛いけれども生きゆかん与えられたる寿命尽くまで
6月25日(金)
競争に敗れて会社を替わりしと誇らかに子に語りつつおり
6月22日(火)
郷隼人氏
牢獄を終(つい)の棲家と定めたる郷隼人氏は歌を詠みたり
牢獄も住めば都か歌を詠む郷氏にとりてひとつの宇宙
空調のなき事務室も楽しかりモーツアルトのCDを聞き
息吸える物考える脳を持つこの幸せを思わず過ぎぬ
6月20日(日)
生きろ!
嘆くまい泣きごと言わず逃避せず生きろ生きろと己励ます