塚本邦雄

塚本邦雄の短歌をインターネットで集めようとした私の目論見は物の見事に失敗しました。ほとんど見つけることが出来なかったのです。そこでアットランダムですが、雑誌等で私が集めたものを以下に載せたいと思います。そして、それを参考にしつつ、今年の目標である、塚本邦雄氏の短歌を解明し、少しでも氏に迫りたいと思っています。 (平成15年1月1日)

もっとも私と遠い存在と思われる塚本邦雄氏にどれだけ肉薄できるか、今年のひとつの目標としています。歌集も何もない、断片的な知識しか持たない塚本邦雄氏について少しずつ知ってゆけたらと思っています。その膨大な著書のリストを前に最初から圧倒されています。わたしは、山羊座の生まれ。山羊は目標を見つけたらまっしぐらに岩山をも登ると聞いた記憶があります。今年は、そんな山羊のようになれるように願っています。

1月5日(日) 1月10日(金)早苗饗始め 1月17日(金) 1月22日(水) 1月24日(土) 1月30日(木)早苗饗始め評 2月1日(土)水葬物語(抜粋) 2月2日(日) 2月7日(金)私の教授法、歌集「魔王」(抜粋) 2月8日(土)歌集「魔王」合評 2月14日(金)合評続き 2月15日(土)合評続き 2月21日(金)合評完了 3月1日(土)日本人霊歌 3月8日(土)日本人霊歌NO.2 3月15日(土)日本人霊歌NO.3  3月23日(日)日本人霊歌NO.4 3月29日(土) 4月5日(土)日本人霊歌NO.5経歴について 4月12日(土)日本人霊歌NO.6

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1月5日(日)

塚本邦雄について(一)

まず歌集を手に入れなくてはと思いました。なにしろ彼(敬称は省きます)についての知識はあまりありませんので。難解な彼の歌が好きになれなかったものですから。彼の歌集を買うべくインターネットで検索しまして、その膨大な著作の量と値段の高いことを知り、歌集を買うことを断念しました。氷山の一角から、たまたま目にとまった彼の一首から彼を推理するのも、わたし流でいいのではないかと勝手に納得しました。世間で彼のことを前衛歌人と言います。彼の膨大な著作リストを見て直感したことは、なみなみならない過去への執着、研究があるように見受けられ、前衛というより後衛ではないかとさえ私には思われたのですが…。しかし、これは芸術を解さない人間のたわごとでしょう。彼を気にした理由を少しお話しいたしましょう。私は大学で会計学を専攻しました。神戸大学出身の若き有能な教授であった山桝先生に教えを受けました。私は大学を卒業して十年くらいの間に三つの会社に勤めました。自動車関連の会社、食料品関係の会社、繊維関係の会社です。三つ目の会社が倒産し、四つ目のリゾートホテルに二十四年ほど勤めることになるのです。そのホテルが廃業し、残務整理をして退社するまでの間です。その長い期間勤めることができた会社で、私は彦根高商出身の上司と会いました。戦前の住友本社に就職した、有能な人でした。その会社で十数年経ったある日、私はひょんなことから山桝先生が彦根高商出身であることを知ったのです。山桝先生は彦根高商から神戸大学に入られたのでした。二人ともとても本が好きでした。よく徹夜していました。良く資料を集めていました。多くの共通点がありました。そして、二人とも彦根高商の出身だということがわかったのです。それは非常な驚きでした…。ここで塚本氏に登場してもらいます。塚本氏が彦根高商出身という説(確かそのような記事を読んだ記憶がありますが、彼は経歴を公にしなかったよです。)からすべては始まります。それも前に述べた二人と同年代ではないだろうか。これが塚本邦雄という歌人に興味をもった理由です。そして、彼は会計学を学んでいるはずだという前提、この唯一のカギでこれから私は彼を解き明かそうと思うのです。

次に、少し彼の歌を引いておきます。

(注)原文は正字であるが、当用漢字等を使用した。塚本邦雄氏の作品はすべて正字(点画の正しい文字)で書かれています。

「水葬物語」より

「装飾楽句(カデンツア)」より

1月10日(金)

角川書店「短歌」平成14年10月号より

(注)原文は正字であるが、当用漢字等を使用した。塚本邦雄氏の作品はすべて正字(点画の正しい文字)で書かれています。

早苗饗(さなぶり)始め(私のブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/28021225.html  ご覧下さい)


1月17日(金)

「水葬物語」より

聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫

海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も

廃港は霧ひたひたと流れよるこよひ幾たり目かのオフェリア

楽人を逐つた市長がつぎの夏、蛇つれかへる…市民のために

貴族らは夕日を 火夫はひるがほを 少女はひとで恋へり。海にて

王も王妃も生まざりしかばたそがれの浴場に白き老婆は游ぐ

眼を洗ひいくたびか洗ひ視る葦のもの想ふこともなき茎太き

装飾楽句(カデンツア)」より

道化師と道化師の妻、鐵漿色(かねいろ)の向日葵の()をへだてて眠る

ジョセフィヌ・バケル唄へり (てのひら)の火傷に泡をふくオキシフル

五月祭の汗の青年、病むわれは火の如き孤獨もちてへだたる

愕然と干潟照りをり目つむりてまづしき悪をたくらみゐしが

青年の群に少女らまじりゆき烈風のなかの撓める硝子

暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮しモスクワ

水道管埋めし地の創なまなまと続けりわれの部屋の下まで

硝子工くつびる荒れて吹く壜に音楽のごとこもれる気泡

イエスに肖たる郵便夫来て鮮紅の鞄の口を暗くひらけり

ひとらひそけく藁婚式の()にあるを貨車よりひきおろさるる牛の群

少年発熱して去りしかば初夏の地に昏れてゆく砂絵の麒麟

「日本人霊歌」より

日本脱出したし、皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも

突風に生卵割れ、かってかく撃ちぬかれたる兵士の眼

石鹸積みて香る馬車馬坂のぼりゆけり ふとなみだぐましき日本

平穏無事に五月過ぎつつ警官のフォークを遁げまはる貝柱

婚姻のいま世界には数知れぬ魔のゆうぐれを葱刈る農夫

われよりながくきたなく生きむ太陽に(ゐや)する父と反芻(にれが)む牝牛

少女死ぬまで炎天の縄跳びのみづからの円駆けぬけられぬ

「驟雨修辞学」

レール百條翡翠(かはせみ)色の夕明り轉轍手わが夢を違へよ

父となりて(あらたま)()しぬかるみに石油の虹みだるるを()

石榴食ふ犬歯浮くまで読みさしの「ナナ」が天然痘で死ぬまで

「緑色研究」より

あたらしき墓立つは家建つよりもはれやかにわがこころの夏至

青年よ汝よりさきに死をえらび婚姻色の一ひきの鮎

金婚は死後めぐり来む朴の花絶唱のごと蘂そそりたち

わが眼の底に咲く紫陽花を診たる医師暗室を出ていづこの闇へ

まづ脛より青年となる少年の真夏、流水算ひややかに

医師は安楽死を語れども逆光の自転車屋の宙吊の自転車

「感幻楽」より

こころは肉にかよふ葉月のうすら汗武者が髪結はるる頸の汗

馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人恋はば人あやむるこころ

言葉、青葉のごとし かたみに潸然と濡れて世界の夕暮に遇ふ

はやき死を待たるることのさはやかに三月の芹スープにうかぶ

壮年のなみだはみだりがはしきを酢の壜の縦ひちすぢのきず

「波瀾」

春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状

「黄金律」

人生いかに生くべからざるかを憶ひ朱欒(ザボン)を眺めゐたる二時間

鮮紅のダリアのあたり君がゆかずとも戦争ははじまつてゐる

こころもち寒き盂蘭盆塋域の百の茶碗がさざなみ立ちて

連雀のはたと失せたる三月のあした虚空に断崖あるか

酸漿市ひらりと前をよぎりしは少女時代の赤染衛門

「献身」

虐殺につゆかかはりはあらざれど南京櫨の実の瑠璃まみれ

「風雅黙示録」

あぢさゐに腐臭ただよひ、日本はかならず日本人がほろばす

「汨羅変」

ことばみだれみだるる今日のかたみとて茄子一籃のおそろしき藍

急速に日本かたぶく予感あり石榴をひだり手に持ちなほす

ほととぎす啼け わたくしは詩歌てふ死に至らざる病を生きむ

「青き菊の主題」

モーゼ語りける戒のほか愛されてまづ雄蘂よりかがるる罌栗

献血の血に死者の脈めざむると きさらぎ木苺の欲うしさよ

「歌人」

愛しきやし初霜童子きぞ得たる拳銃をまづ父に擬したり

1月22日(水)

「水銀伝説」

光る針魚(さより)()より食うふ、父めとらざりせばさはやかにわれ()

乳房その他に溺れてわれら存る夜をすなはち立ちてねむれり馬は

「驟雨修辞学」

父となり(あらたま)()しぬかるみに石油の虹のみだるるを()

なまぐさき夏の旅より帰り来て硼砂きらめく水に眼洗ふ

「初学歴然」

台風は冴え冴えと野を過ぎたれば()た綴るわが片々のこころ

平成8年8月号「短歌研究」

(注)原文は正字であるが、当用漢字等を使用した。塚本邦雄氏の作品はすべて正字(点画の正しい文字)で書かれています。

還俗遁走曲わたしのブログへ移しましたhttp://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/28280769.html

1月30日(木)

平成15年2月号「短歌研究」作品季評による

早苗饗(さなぶり)始めhttp://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/28021225.html 

出席者:佐々木幸綱(コーディネーター)、松平盟子、小嵐九八郎

小嵐 まず僕は、点数、すごく高いんですけど、こういう大歌人をおれが評価するなんてことは、これはそもそも恥ずかしいということぐらいは知っています。しかしやっぱり、ああ、こういうことってあっていいのかなあって(笑)。

 まず、塚本さんといえば、いわずもがな、比喩によって短歌の世界を変えたと。一人称を廃絶して架空の世界を、虚構の世界をそれとして屹立させ、その中に一つの真実性というのを出したということで、客観的にいって戦後史最大の歌人だろうと私個人は思っています。

 それで今回の歌なんですが、けっこうみなさん、採点がシビアなので、ああそうなのかなと思っていたのですが、私はまず、塚本さんが老いたかどうかわかりませんけれど、もしかしたらこれ、絶唱になるんじゃないかという気もして。それと「われ」という言葉が非常に多用されてきたというこで面白いなと思ったんです。つまり塚本さんは虚構しか作らないというので、そういう神話をずっと作ったなかで、「われ」が出てくると、この「われ」も虚構の「われ」であろうかという戸惑いがあるんですよね。そうだったらすごいなとおもったんだけど、この「われ」はどうも塚本さん自身の「われ」みたいですね。日常的な「われ」なんですよ。そう考えていくと、スーパー歌人も晩年になってきて、己について言及してくるということなのかということで、さびしいと同時に、「われ」の短歌もあっていいわけで、そういう意味では新しい技法への挑戦というの、大歌人におれが言うことはないわけだけど、ああそういう気分になってきたんだろうなというので、かなり驚いたんですね。それと、比喩に関していえばこれだけのいろんな比喩を、…ほんとうに塚本さんの比喩はもうすごいですよね。大江健三郎さんも、小説の中にいっぱい比喩をだしてきますけどね、あれは勝負の比喩じゃなくて、文章を修飾するための比喩でしょう、塚本さんの場合、比喩に命を懸けるからね。そういう意味では比喩の切れ味というのは、もういいよというぐらいにやってもまだやっぱり追い求めているという、「われ」以外の歌で、けっこう追い求めていますよね。
(続く)

 ということでおれは「死ぬるまで」の思いに頭を垂れました。特にいいと思ったのは、僕の読み方がもしかしたら間違えていると狸穴にも潜りたくなりますが、「忘れ霜降る斑鳩のあかときをわが血縁の兵士病棟」、それから、「われ」の歌ずっとそのあと続くんですが、「水は水の行方にまじりつひの日の我が声ひそめ一筋の歌」、この「我」というのは塚本邦雄だと思うのですが、その心境に達するときも、やっぱり“かっこつけて”るよね。というか、何か失わないようにして、「われ」を出していて、ああ、なかなかだなと思いますね。虚構に生きた人は最後まで、自分の「われ」を出すときにも、むしろ虚構じみてまた「われ」を描くだろうなというような、今までの塚本邦雄に騙されていく感じだったのですが。最後はこれはまた、「菊」なんか出てくるとちょっと意味深で、これはどこぞの国の象徴の比喩話かと思うんですけど、「心中の菊の無惨を過ぎたるに寒波のなかに混じりしは誰そ」、塚本邦雄の今日への幻に嵌るのか、何かと心中するというなかでやっとると敬意を表したい。で、私たちは、彼の短歌のなかでこの「われ」はいったい何なのかということを当面楽しんでいいのだと思っています。

佐々木 作中に「われ」が出てきて、その「われ」が本人と似ているというのは、今回だけではなくて、十年ほど前からですよね。「水葬物語」には「われ」が一つか二つしか出てこなかったですね。僕も今回そういう、今言われたのと近いような、作者と似ている「われ」が出ているなと思いました。それから「いちはやく修羅に遊ばむさやさやと牡丹くされてそののちの日日」「契りける日は遥かなりあかねさす月光勿忘草の上に」、このへんは上句と下句とが、つながりすぎているよね。上句から下句へ展開する際の、跳躍力が弱い感じがしました。特に最初の二首はそんな感じです。

松平 作者は、そもそも韻律の檻をいかに飛び越えていくかというところに価値を求めて来たところがありますから、その価値観や挑戦的手法として韻律性になずみすぎる歌を作らないことこそが価値であるとするならば、私はこの「韻律性に優れているか否か」に辛い点を入れたのは、ある意味で敬意を表した意味なんです。それとともに、「新しい試みへの挑戦が感じられるか否か」ですけれども、歌壇全体のなかでという意味ではなくて、一人の作者がそれ以前の作品と比べてという意味にとりますと、塚本さんの近年の作品、去年ですか、短歌研究社から「約翰傳偽書」を出されましたよね。そうした歌集の延長上あっても、そこから大きな飛躍をねらったとか、そういう作品ではない。いわゆる、塚本スタイルに徹していらっしゃる。力作であることは間違いないけれども、その塚本ワールドとしての新鮮味、鮮度のあり方、跳躍力は、近年の塚本ワールドなんだな、塚本スタイルの延長上にあるなという感じがしました。私がいいと思ったのが「鉄腕アトムの青年にいたるまでの日々合歓に馬酔木に他にもいくたり」、「渾名『アトム』の来歴と恋の殊に過去十年昔の名画」など、新しい素材を取り入れていらっしゃるところですね。「鉄腕アトム」って、れまで塚本さんがあまり…。

佐々木 ここには「アトム」が二回出てくるね。

松平 こういうふうなアニメの主人公を取り入れていく貪欲さには、さすがだなと思いました。ただし、「青梅をかじりつつある少年の耳翼うすくれなゐに透きたり」とか、「一瞬一瞬きえゆくものはその瞬の瞬きなりや脳あからむ」、このあたりはちょっとわかりすぎかなという気がしないでもない。いい歌だと思いますけれども、塚本さんらしいシニカルなひねりとか毒気とかテクニックを、これでもかと見せつける、そういう切れ味という意味ではどうかなとは思いました。テクニシャンとしての塚本邦雄さんは健在ではある、けれども少しなにかやはり、絢爛たる毒気というか、そうした彼の美意識からすると、少し素直すぎる歌があるなと思ったりしました。  
佐々木 「身体髪膚いつよりわれの身を抜けし心の沖を奔りゆくもの」ですけれども、これ「身体髪膚」で切れるんでしょうね。そうすると「いつよりわれの身を抜けし心」はいいんだけど、「身体髪膚」と「身」との関係はどうなんでしょうかね?よくわからなかった。

松平 ところどころわかりにきさはつきまとっている気がしますね。それから少し驚いたのですが、「末っ子の坊や『明日は早苗饗』と三度飢饉の先触れなりや」。こうした、上句の非詩語と呼んでいい言葉の使い方はどうなんでしょう。それは「鉄腕アトム」にも通じる試みなのかどうか。

小嵐 この歌、完全に日常詠だな。自分の末っ子の坊やですか?あ、自分って、他人の末っ子の坊やだな、主人の末っ子の坊やだろうけど。

松平 だれの末っ子でもいいんだけれども。幼い子どもの直感力や、一種、神懸り的に穿った言葉を発する現象を、上手く調理したようにも見えますね。こういう持っていき方というのが、狙いなのか…。

小嵐 狙いじゃないですよ。塚本さん、老いただけだよ、これは。いいじゃない、それはそれで。

松平 それをよしとするかどうかは別として、ときどき、すごく緊張感のある、張りがあって凛とした歌と、そうじゃない歌が、正直なところ混ざっちゃってる気がする。

佐々木 『日本人霊歌』にずいびんこういう現実に向け積極的な「飢饉の先触れなりや」みたいな歌があったけれど、それからやめたんだよね、あれは失敗だったって。しかしまたこういうふうな、戦争の歌とか現実にかかわる不吉の歌を出すようになった。僕はこの「末っ子の坊やが『明日は早苗饗』と三度飢饉の先触れなりや」はいいとおもいます。

小嵐 でも「三度飢饉の先触れなりや」って、ちょっと大げさじゃないかと思いますけど。

佐々木 いや、切れるんだよ。「末っ子の坊やが『明日は早苗饗』と・三度・飢饉の先触れなりや」、坊やが三度言った。「三度」で切れるんだと思うんだよね、これ。

小嵐 この飽食の時代にね。いや、もちろん飽食がバンバン崩れていくって時代でもあるんですけどね。

佐々木 だって野坂昭如さんはもっと言ってるじゃない。野坂さんと井上ひさしさんね。塚本さんより下の世代が、絶対飢饉が来る、食糧難の時代が来るって言うわけだよね。

松平 三度言ってされが飢饉の先触れであるってことは理解できますけれども、それがそれほど呪的な力をもった内容かどうか。あと三十年か四十年で地球の食糧資源が枯渇して食糧難が来ると予想されてくらいですから。「末っ子の坊やが」という日常語的なもっていき方はどうでしょうか。

小嵐 もうちょっと塚本さんらしい何かあってもいいよね。

松平 もっとヒリッと言葉の際立つ表現方法はあると思う。

佐々木 「葡萄の房重しわが友蓮田から細き水路に竿たてて来つ」のイメージはたいへん面白いけれども、上のほうの「葡萄」と「蓮」の関係があんまりうまくいかないんだな。

松平 これまでだと、ねじれの部分をねじれとして際立たせながら、ぎりぎりのところで言葉のイメージを接着させる手法が見えたと思うんですけども、ねじれつつきわどく結んでいく部分が少し計算通りに収まっていないかな、と。

小嵐 逆にいえば今までよく計算してやってきたよねと思うんだよな、おれ。言語芸術っていうのは、何歳くらいが普通、平均的ピークなんですか?

佐々木 いや、わからないけどね。坪内稔典は、俳句はかえってぼけたほうがいいと、加藤楸邨の例を挙げてしばしば言ってるね。俳句はぼけ始めてからよくなるらしい(笑)。

松平 ぼけ方が難しいですね。でも九十代でいい俳人、いっぱいいますものね。

佐々木 うん。永田耕衣なんかそうだった。ただ、短歌はね、なかなかむつかしい。塚本邦雄の歌は着地で勝負するわけじゃないか。着地がよろよろっとするとすると様にならないというきどいところを若いころからずっとやってきた。着地のよろよろがかえって愛嬌になったり、それが深みになっていく新しい世界を発明して、そちらに移行していかないとだめだね。

松平 いつもウルトラCをねらって、パッと立って、という完全無欠を狙うだけのスタイルじゃないものがあってもいいですね。

佐々木 着地のよれよれが様になるという短歌をね…。まだ発明されていない。

2月1日(土)

第一歌集「水葬物語」(抜粋)ブログに移しましたhttp://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/10585692.html


雑誌「短歌」掲載年月日不明(昭和60年頃か?)

悲愴遁走曲 ブログに移しましたhttp://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/28399899.html

2月2日(日)

短歌研究平成5年1月号より

昼夜楽

今年戦争なかりしことも肩すかしめきて蝋梅の香の底冷え

ひるがえって徴兵令の是非を念ふ 蜜壷の底の黒蟻

夜咄に参ぜむとして突然に裏くれなゐのマントーが欲し

蝉しぐれ銀をまじへてたばしるや「源実朝性生活論」

二十世紀越えむとしつつたゆたへる春夜わが幻のうつせみ

短歌研究平成5年5月号より

眺めてけりな

身体髪膚しきりに(さむ)しわれは子に一閃の憤怒のみを伝へむ

エミール・ガレ蜻蛉文(かげろふもん)の痰壷が()られをりさがれさがれ下郎ら

うるはしき間投詞たち あいや、うぬ、いざや、なむさむ、すわ、されば、そよ

「身共は(はじかみ)売りぢゃによってからからと笑うて()なう」若月蒼し

たまかぎる言はぬが花のそのむかし大日本は神国なり・き

エッセイ(同号)

生き物との対話

ウリセス(海石榴)

飼犬百合若逝いて九年家中のどこにも彼の肖像がない

われさしおいて人こそ老ゆれきさらぎを乏しらに加茂本阿弥椿

 十七年間身辺に侍ってくれた百合若が老衰死したのが九年前、二度とふたたび動物は飼ふまいと、まづ妻が泪ぐみながら言った。妙なもので思ひ出の種になる写真さへ、アルバムの中に止め、日常目に触れるところにはおかない。「愛犬ウリセスの不始末を元旦の新聞で始末してしまつた」(「黄金律」)のやうな想ひ出さへ思ひ出すのが辛いのだ。ちなみにウリセスはユリシーズのラテン()みであり、ユリシーズは百合若、という次第。さういへばガルシア・マルケスの『エレンディラ』の恋人、妖婆めいた祖母を殺す青年の名もウリセス。

その前から、狭い庭もバルコニーも椿々々々になりつつある。三十年前友人に、種々

の椿を蒐めても、とどのつまりは藪椿に還るよと言はれたが、いまごろになってやつとその言葉が身に沁みる。しかも、私は白椿が好きで、殊に白藪はその一樹に、百ばかり花が犇いてゐる。その梢上にひらひらするのは、私の手製の鳥威し。

二分咲き前後になると、鵯が蕾の横つ腹を突いて蜜を吸ひ、見るも無残。彼奴は白、淡色を狙ひ、真紅は比較的被害些少。侘助の蕾は年から花季に入るが、松の内には次々と疵物にされ、その上、テラスに淡紅の糞を点々と撒いて飛び去る。妻が二、三日先の茶の間用にと狙ひをつけておいた一枝二枝が、剪らうとすると見事に孔だらけ、それが

鵯の仕業と会得するのに、二、三年かかったのだから、われながら鈍かつたと寒心。

 苗を入手して、存分に花を見るには、どうしても十年はかかる。その存分(・・)が今は五本ばかり。鉢植ゑの白寿、西王母、胡蝶侘助、祝の盃(香気あり)等を露地植ゑにしたいのだが、さてその土地が…。廃屋の周りに凝血色の椿の花盛りになる日が必ず、ある。「()ににじむ二月の椿 ためらはず告げむ他者の死こそわれの盾」

「短歌研究」昭和62年6月号より再録

鼎談「言霊としての枕詞」

佐々木幸綱、岡野弘彦、塚本邦雄

塚本 佐々木幸綱さんにはオーソドックスに、まともに使って生きている枕詞があるんですよ。『直立せよ一行の詩』の中の歌、「あしびきの山の夕映えわれにただ一つ群肝一対の足」という歌ね。「あしびき」と「群肝」と一首の中にふたつ枕詞を使っている珍しい例です。現代短歌で、この例のゆにアナクロニズムを感じさせずに使えないものかなあと思うんです。岡野さんの作品の中には枕詞じゃないんですけども、序詞的な用法はたくさんありますね。おのずから教養その他のしからしむるところだと思うんですが。

佐々木 「塚本邦雄湊合歌集」の索引の「あかねさす」というところと「あしびきの」、「ぬばたまの」というところを見てきました。「あしびき」はひとつもないですね。「あかねさす」が、四首。で「ぬばたまの」が、三首ある。

塚本 忘れました(笑)。

佐々木 「ぬばたまの」も「あかねさす」も早い頃の歌集にはない。

岡野 同じ枕詞でも「あしびきの」というのと「あかねさす」「ぬばたまの」とは、ちょっと感じが違いますね。

塚本 古いですよね、あの「あしびきの」というのは。語源的には、足が痛いとかいう意味があると聞きましたが、何とはなしに、「あしびきの」を聞くと、日本武尊の、膝が三重になるという神話ね、あれから、病的な暗いイメージが浮んで、なかなか使えなかったんですね。ただ、この幸綱さんの歌を読むと「山の夕映え」というところで、そのマイナスのイメージが救済されるわけです。「あかねさす夕映え」みたいな感じで。それから「群肝」があとについているところ。「群肝の」という枕詞の「の」をとってしまって「群肝」で肝臓や腎臓を、ありありと目前に浮かびたたせるところ、これは抜群だと思いましたね。

岡野 眼前に実体の浮び上がる枕詞ね。本当の枕詞の生き生きした使い方はそういうものでしょうね。

塚本 もともと枕詞な応用のきく多様性のものでしょう。たとえば「ぬばたまの」も辞典によると、黒と夜と闇と今宵と月と夢と夕べと駒と妹とにかかると書いてあるんです。現代人が見れば、夢とか妹とかにも「ぬまたまの」がつきますと、「ぬばたまの黒」が頭にありますから、夢というのが不吉な夢に感じられますし、妹というのがもう別れなければならない恋人じゃないかという観念連合も生れますね。(後略)

「短歌研究」平成5年6月号

習作から奥義へ

旧約のまねび

彼、われを携へて酒宴(さかもり)(いへ)に入れ給へり。その我が上に翻したる旗は愛なりき。請ふ汝ら乾葡萄をもてわが力を補へ。林檎をもて我に力をつけよ。我は愛によりて()み患ふ。

                          「雅歌・二ノ五」

てのひらの傷いたみつつ裏切りの季節にひらく十字科の花   『水葬物語』

つひにバベルの塔、水中に淡黄の燈をともし…若き大工は死せり   同

卓上に旧約、妻のくちびるはとほい鹹湖の(あけ)の睡りを

 手許に二冊の「旧新約聖書」と一冊の「新約聖書」がある。新約は二、三度補修改装してゐるが、捲り傷もなく書き込みも傍線もない。奥付きに昭和四年六月十日二十三版・金七十五銭とあり、発行所は英国聖書協会。旧新約の一冊は満身創痍、擬革装が変質して表紙の四隅は磨耗、背は補強の粘着レーザーテープが乾いて、本は中央から裂けそうになつてゐる。聖書協会連盟と謳つてゐるが、発行年月日記載無し。但し裏表紙に「一九四八年五月 吉之介叔父上より餞らる」とあり、一九七五年八月・一九七九年十月と二度補修の記録が認められる。今一冊の三方金の旧新約は一九八五年一月九日夜購入の覚書記入がある。

 一九九三年四月十五日木曜、復活祭の四日後、亡母の弟、倉敷民芸館長外村吉之介が永眠した。一八九八年生れの九十五歳であった。母の弟妹はなほ三人、八十代後半で健在、私の母のみが五十四歳で早世した。父の顔を知らぬ私にとって吉之介叔父は幼時から父以上の存在であつた。昭和四年刊の袖珍本新約をくれたのは、その二、三年先の小学三、四年の頃で、当時、柳宗悦に心酔、民芸運動に挺身してゐた彼は、一方神学専攻のキリスト教徒で牧師、年に数度近江の生家に還り、甥の私を殊に注目、特訓してくれた。小学生にバイブルと、岩波文庫版の『ブレイク抒情詩集』寿岳文章訳昭和六年六月初版本をあてがひ、次に帰ってきたら感想を聞かせてくれたまへと、宿題を残して姿を消す、そのやうな師を私は有つてゐた。

 私は一方で『神州天馬峡』に溺れ、亡父の蔵書の生田長江訳ダヌンツィオ『死の勝利』を判らぬままに味はひ、村井弦斎の『食道楽』に舌鼓を打ち、かつはまた姉や兄の漢和辞典や英和辞典のお古を貰って画数の多い字や綴りの長い言葉を選り出して暗記、独り悦に入つたり、先生を試してスリルを味はふ、実にいやあな父ちゃん小僧になつてゐた。

 古い方の旧新約の受贈日付、一九四八年五月は私の結婚した年月、十日に華燭、翌々日、倉敷市前神町の、後の民芸館前にある外村邸に寄寓した。日曜はいやでも教会へ赴き、牧師としての叔父の説教を聞いた。すべてを善意に解釈し、イエスの狂気や錯乱まで、曲げに曲げ迎へに迎へてありがたがる「牧師節」など私は大嫌ひで、独り、文学としての聖書を耽読した。創世記・イザヤ書・伝道の書・詩篇はつとに享受、このたびはサムエル書の前・後、そして殊に雅歌にわれを忘れた。

 向ひの大原美術館にはギュスターヴ・モローの傑作「雅歌」があつた。毎週一、二時間の暇を得て通ひ、この絵の前にたち尽し、シャヴァンヌの「愛国」やグレコの「受胎告知」を凝視した。やがて畏友杉原一司と相識り、相互に美学を披瀝して蒙を啓きあふ。太宰治の『駆込み訴へ』がヨハネ伝第十三章をユダの眼で活写してゐることに、頂門一針の快感を味はつた。私のみのイエス把握は、この後の創作にとって大きな糧となり、『眩暈祈礼書』等数種の歌書を纏め得、小説『荊冠伝説』を上梓するに至る。叔父にはこれらの書を見せなかった。

 「多磨」の末席に連なり、歌を志しつつ挫折した実兄が、蔵書のはとんどを送って来たのは敗戦前のこと、『新風十人』『大和』『天平雲』『魚歌』『桜』『荒栲』『歩道』『白描』等は「メトード」発刊以前に卒業してゐた。

 三鬼・赤黄男・槐太・波郷・草田男に没頭するのもこの頃である。「金雀枝や基督に抱かると思へ」(『雨覆』)に、三十四歳の作者と三十四歳のイエスを重ね、抱かれるべきイエスが逆に波郷を抱くといふ奇妙なパラドクスに、波郷の天才を見た。そして岡井隆の『海への手紙』で、キリスト教に関しても、彼が私の一歩先を歩むんでゐることを知ったのはこの頃である。「釘・蕨・カラーを買ひて屋上にのぼりきたりつ。神はわが櫓」を賛美歌二七六番から借りたのは、この後であつた。

2月7日(金)

短歌研究平成5年7月号より

私の教授法

指導前

(1)  秋の庭金に匂へる木犀に凭りつつわれのこころ悲しき

(2)  父の()は冷えつつ炎えつきて風にまぎれよ父なる花粉

指導後

(1)  木犀一樹黄金微塵 うつしみを托さむとしてよろめくわれは

(2)  ちちのみの父のなきがら灰と化すその一抹の風媒花粉

 六百番歌合の六条家の顕昭さながら、二言目には万葉礼賛の辞をぶちまくり、やがてどこで習ったのやら、例の妙な節まはしで臆面もなく、朗詠とかを披露する困った仁がゐる。夫唱婦随で歌会をかきまはすこともあり、皆眉をひそめつつ遠巻きに眺めてゐるが、当人は畏れ入つての別あつかひと錯覚してゐるのだから、始末におへない。

 素人(と自分では思ってゐない)の作品を見てゐると、えてして、「赤い夕日が西の空に沈む」「三月に桜が淡紅に咲き春の日永にうつとりと睡気を催す」式の御御御丁寧極まる修辞を披露して「くどい!」と怒鳴っても、何を叱られてゐるのか気がつかぬ人が、その辺にうようよしてゐる。

 うるさ方の今一方は二十世紀末顕昭殿でもある。(1)の歌を貶すと陳状に輪をかけたやうな反論を承らねばならぬことになるから、注意が肝要。受けて立たないと勝つた捷つたとけたたましく勝名乗りをあげて、あちこちへ触れ歩く。

  春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女

  春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも

  うらうらに照れる春日に雲雀上り情悲しも独りし思へば

 彼もしくは彼らが証歌として、いかにも得意げに示すのはこれらの家持歌である。引用の模範とすべき名歌も亦、言はずと知れた同趣用語の重なりを嫌ふのか。あなたはこれら家聖の作にも「(くど)い」と陳難を試みるつもるかと、顔色を変へて詰め寄りかねない。私は心中に微笑を浮かべる。

 顕昭が六百番の「(かはづ)」と「かひや」の季違ひを指摘された時の曲論をふと思ひ浮べる。あれは蛙は春の題、蚕の飼屋は夏のものといふ論難を、飼屋は春から作っておくものだと逃げる。彼は秋の鹿火屋を飼屋と言ひくるめるつもりが、逆に判者俊成から、万葉の証歌「朝霞鹿火屋が下に鳴く蛙」をつきつけられ、へどもどする有名なシーンであるが、上手の手からも水は洩れ、下手の手からは泥が洩れる。

 万葉和歌そのものを、むしろ万葉仮名表記で現代短歌の中に置いてみるがよい。レトリックの問題ではなく、これは、トポロジーの問題であはないのか。歌ふべきは何かを再度三度考へ直すべきであらふ。花鳥風月に心を尽くして、ひたすらに調べ上げてゐられる人は、心理・精神構造もなほ、八世紀の段階で止まってゐるのだらう。彼が(1)で「秋」と限定してゐることは、単なる不用意である。貼る咲きの金木犀はない。金木犀と言つただけで、季節は明らかだし、「匂ふ」ことは無条件に感得できる。身体が悲しいのならことわるがよい。心が悲しいのは当然だ。が、彼は改作後もなほ不満であつた。いづれ万葉の重みで圧死することだらう。

  たまのをよ絶えなば絶えねがからへばしのぶることの弱りもぞする

  忘らるる身をばおもはずちかひてし人のいのちの惜しくもあるかな

 一首に用言(特に動詞)が三つを越えると、文体は弛緩して、三十一音律は煩はしく、命取りになる場合も多い。時にはショック療法として、用言を一切省いた歌を作つてみることと、私は口が酸つぱくなるほど説いてゐる。判ってゐて改まらないのか、確固たる信念があるのか、動詞一首五つの例はあとを絶たない。さふいふ人に限つて、歌は一切三句で切つて二行書きにする。二句切れでもお構ひなし。

 その人の胸中には、百人一首の式子内親王と右近の作が控へてゐる。式子は一首に五つ、右近は四つ、いかがでせう、この歌も亦落第ですかと詰めよりたいのだらう。錯雑した心理を、身を揉むやうにして訴へる式子の歌、私は忘れられたつて構はないが、神罰を受ける貴方がお気の毒と言ひ放つ右近の畳みかけの切迫感、これらは百に三つの特殊例である。体言のみで創り上げた一首以上の、実に厄介な技法であることを納得すべきだ。(2)の原作はましな方であらう。

同号より

『魔王』(抜粋)及び合評

黒葡萄しづくやみたり敗戦のかの日より幾億のしらつゆ

山川呉服店未亡人ほろびずて生甲斐の草木染教室

生きたりずして生きいそぐ春昼を北極熊のうしろすがた

戦争が廊下の奥に立つてゐたころのわすれがたみなに殺す

不法駐車のロメオに爪を立ててゐる婦人警官のあはれ快感

歌を量産して今日もまた夕茜さすむらさきの病鉢巻

逝きしもの逝きたる逝ける逝かむもの疾風(はやて)ののちの暗き葉ざくら

殺せし者殺されし者死にし者死なしめられし者 萩蒼し

朝顔の紺のかなたに嚠喨たり進軍喇叭「ミナミナコロセ」

傾ける(よはひ)もたのししろたへの木槿が馬に食はすほど咲き

嬰児(ベビー)大学開放の日の蝉しぐれしぐれしぐれて夕暮となる

あけぼのの白魚二寸今日一日(ひとひ)人に非ざる俳にとらはる

わが歌の鮮度三日は保てよと遠方(をちかた)の氷屋を呼び返す

先代の背後霊レジ引受けてブティック山川のみせびらき

忘れ忘れて死ぬかも知れぬ秋の愁ひの杏仁豆腐

天の川地上にあらばははうへがちちうへの()に解きし夏帯

茴香畠に春の夕霜曰く言ひがたき歌境にわれさしかかる

秋草のほかなる藜もみぢせりたしか山川呉服店跡

二十世紀と言ひしはきのふゆく秋の卓上に梨が腐りつつある

爛らたる焼林檎()す二月尽 他界にはまた他界あるべし

婚後ふたつきまぶたかげりて横転のさま()しきやし響灘関(ひびきなだぜき)

(続く)

2月8日(土)

白牡丹ばさとくづれてわがこころかへざるかなかへざるかな

万緑の光うするるひとところ墓ありてわれのきのふをうづむ

笹枕旅ゆくときも出奔の足どりとなり 露の木犀

昭和十九年大寒或る真昼乾電池かじらむとせしこと

人に告げるざることもおほかた虚構にて(いろこ)きらきら生鰯雲

日清日露日支日独日日に久米の子らはじかみをくひあきつ

秋の河ひとすぢの緋の奔れるを見たりき死後こそはわが余生

ほほゑみおのづから湧く姉の愛人の一人こそおとうとの恋人

作品評

高野公彦(コーディネーター)小笠原賢二、林あまり

高野 小笠原さんに来ていただくということで、あえて塚本さんの歌集を選んだんです。小笠原さんから批判が出るだろうという期待がありますけど、私は良いと思って取り上げたわけです。歌数が非常に多い歌集で、たくさんの歌を引用する時間がかくて少ししか引用できませんけれども。まず、巻頭の歌「黒葡萄しづくやみたり敗戦のかの日より幾億のしらつゆ」。僕の読み方は、下句は「かの日より幾」で切るんですね、そして「億のしらつゆ」と続ける。つまり五七五七七で切って読んで、かつ、「あ、幾億という言葉が句跨りだ」と、こういうことを意識しながら読むんですけどね。お二人の読み方を後で聞かせていただければと思います。

 この歌は、この歌集に限らず塚本さんの手法として積極的に取り入れられている本歌取りですね。「黒葡萄」とあって「敗戦」とあれば、斎藤茂吉の「沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ」の本歌取りだということがすぐわかります。もう一つは、「しづくやみたり」という部分、これは塚本さんが意識したかどうかわかりませんけれど、僕はふと、野沢凡兆の「灰汁桶(あくおけ)の雫やみけりきりぎりす」という発句を連想しました。つまり「しづくやみたり」の部分が同じなんですけど、それもちょっと取ってるかなというふうに思うんです。そういういろいろな、茂吉のしづくがあり凡兆のしづくがあり、また、わたしは敗戦の彼の日から幾億のしらつゆを見てきた。このしらつゆは、普通の草の上におく露というふうに考えていいと思うんです。そのように幾億星霜の年月が流れたが、その中で自分は敗戦及び戦後ということを強く意識しながら生きてきている人間であるということを歌った歌だろうと思うんです。この一首が主題の上でも、この歌集一冊を代表しているというか、暗示している歌だと思うんです。戦争、敗戦、あるいは徴兵、それから天皇というような問題が繰り返し出てくる歌集ですから。

 あとは、もうちょっと軽い面白い歌がありまして、前の「波爛」という歌集にも「春の夜の夢ばかりあんる枕頭にあっあかねさす召集令状」という歌がありましたが、テーマは深刻な筈なんですけれども面白く歌う。要するにコミックという要素ですね、そういう要素ば幾つもありまして、例えば適当かどうかわかりませんが、「婚後ふたつきまぶたかげりて横転のさま愛しきやし響灘関」。響灘という相撲取りが結婚してふた月になったけど、まぶたがかげって、つまり新婚でぽおつとなっていて、それで横転して相撲に負けたと、こういう歌ですけどね。響灘というのは架空の相撲取りなんですけど、そういう面白い歌、何かを批判しているのでなくて、要するにコミックな歌。僕、ちょっと『歌の前線』で書きましたけど、織田正吉という作家が笑いを三つに分類しているんだけど、ユーモアとコミックとウイットですね。その中で、塚本邦雄はウイット、つまり諧謔の作家だったんですけどね、最近はコミックというのが入ってきている、そういう歌が印象的で面白いと思うんです。

 もう一つの要素として、数は余り多くないんですけども、お父さんとかお母さんを歌った非常にリリカルな歌が混じっています。例えば「天の川地上にあらばははうへがちちうへの辺に解きし夏帯」。これは、天の川というものがもし地上にあるならば、それは例えば母上が、父上のほとりで秘めやかに解いた夏帯、それが地上の天の川である。お父さんとお母さんの新婚の頃を嘉している歌ですね。こういう珍しい歌もまじっていますけれども、全体にウイットの要素が大きいと思うんですえど、ウイット+コミックという、そういう作品がメインだと思います。塚本作品について小笠原さんはいろいろ批判もなさっていますけども、わたしは、歌としていい歌はたくさんあるように思いました。

小笠原 僕はとりたてて高野さんの読みに異を唱える必要を感じません。高齢ながら前衛を実践している(笑)塚本さんには圧倒されました。例えば「秋の河ひとすぢの緋の奔れるを見ありき死後こそはわが余生」という歌などには、自分には「余生」などといっているゆとりはないぞ、というすさまじいほどの覚悟をひしひしと感じました。でも今日は、塚本さんへの批判の方をあえて強調したいと思います。

 さっき、戦争、敗戦、戦後を強く意識しているということをおっしゃいましたが、確かにそうなんですね。立川飛行第五連隊をはじめ、何々連隊とかいう言葉非常にたくさん出てくる。それから原爆記念日、野戦病院、機関銃掃射、東洋艦隊とか軍曹とか、在郷軍人会、空襲、戦友会、被爆、敗戦、軍歌、憲兵、もうとにかく挙げだすときりがないぐらい、戦争にかかわる名詞が出てくるんです。言葉のフェティシズムという印象さえ受けました。戦争に関しては、跋でもしきりに強調しているんです。「そういうことを自分は意識しているし、かつてしてきたし、また現在もそうだ」ということを言っているんですね。そういう部分と、高野さんが諧謔、コミック、あるいはウイットと指摘された側面がどうつながるのか、はなはだ疑問です。もちろん歌集にはいろいろな要素があってもいいわけですけれども、ことさら戦争や自分の体験を強調しすげているような気がするんです。そこにやはり塚本さんの想像力の衰弱があるのではないか、と思います。「俺は戦争体験を捨てないぞ」、と強調した分だけ、却って弱りを感じるのです。もちろん以前から塚本さんの歌には戦争体験は出ているんですけれども、この歌集には特に多いんですね。軽味、諧謔、コミック、ウイットの言葉遊びもやりたいが、戦争体験も特に強調したいという姿勢には、不自然さも感じます。「自分は年取ってないぞ」ちうことを強調したい塚本」さんのこわばりが却って目についたという印象なんです。

高野 確かに、例えば過去の歌集で言うと『感幻楽』というふうな歌集では、戦争体験はほとんど出てこない、そういう時代があったわけです。

(続く)

2月14日(金)

 そうですね、そういうことは考えてこなかった。ただ、歌集の作為は見え見えであるというようなことがあると思うんですけど、見え見えであるというようなことがあると思うんですけど、見え見えでも作品が非常にプロフェッショナルであるために非常に面白く読ませるわけなので、私はそういうふうにはあまり気にならなかったんです。私が思ったのは、全然違うことなんですけれど、例えば「生きたりずして生きいそぐ春昼を北極熊のうしろすがた」、それなんか読んでいると私は穂村弘さんの『シンジケート』の「ひとはこんなに途方に暮れてよいものだろうか シャンパン色の熊」という歌を思いだします。それから『魔王』の「不法駐車のロメオに爪を立ててゐる婦人警官のあはれ快感」、婦人警官もよく穂村さんの歌に出てくるんですね、それで内容とか歌のトーンは全然違うんですけれども、出てくる登場人物であるとか小道具であるとか、そういう部分で非常に、二十代後半から三十代ぐらいの人たちのつくっている歌と共通しているものが出てくるというのが面白いなぁと思ったわけです。それから「ほほゑみおのづから湧く姉の愛人の一人こそおとうとの恋人」というのがあるんですけども、これを読んでいて、桜沢エリカさんという漫画家の「わたしに優しい夜」という漫画があるんですけれども、まるでそのままの内容なのですごいおかしかったんですけれど。その漫画は、女の子が好きになった男の人というのがゲイで、女の子の弟もゲイで、その二人は恋人同士なんだけれども、最後に弟とその恋人は別れて、女の子もすべてを知って恋人を忘れるという話で、それで弟がお姉さんをやさしく慰めるというような漫画なんですけれども、そんなようなことを思い当たったり。読んでいると結構いろいろ若い人たちの…そういういろいろな、サブカルチャーみたいなことに出てくるものとかが感じられる歌が結構ありまして。それは作者が、別にそれらを意識的に出しているわけではないと思うんですけども、出てくるものが非常に共通するのは面白いなぁというふうに思ったのが、一番思ったことです。

高野 何かいろいろ歌ってますね、シュワルツェネッガーもあったし。

小笠原 たくさん出てくるんです。それは遊びということで。戦争の語彙が多いということと同時に、エリック・サティとか、セザンヌとかボッティチェリとか蕪村とか、たくさん出てくるんですね。塚本さんは前から名うてのクロスオーバーの歌人でありましてね、非常に貪欲に他分野からいろいろな素材を仕入れて、わかる人にだけわかるという形で仕掛ける。それは今、林さんがおっしゃた歌にも、そういうところがはっきり出ていると思うんですね。非常に貪欲。岡井隆さんと双璧だと思うんです、その点は。そしてまたさっきの、高野さんが言われたウイット、コミックというのも確かにこの歌集の大きな要素だろうと思うんですね。あるいは自己批判というか自分を笑い飛ばすとうか、そういう歌だってあるわけですよね。「歌を量産して今日もまた夕茜さすむらさきの病鉢巻」や「わが歌の鮮度三日は保てよと遠方の氷屋を呼び返す」。こういうような歌は、何かに自分は入れ込んでいるようだけれども、実はしらけて見ているんだぞ、と言っているように読めます。こういう自己客観化は確かにあると思うんです。

 よりどりみどりを盛りこむことによって塚本さんはむしろ、終末を遊んでいるんじゃないかという気がするんです。終末を遊ぶというとちょっと言い過ぎですけれども、頻繁に「終末」という言葉も出てくる。終末は塚本さんが初期から言ってきていることで、徹底した姿勢だと思うんですね。ところが、長い間終末を言い続けて来た塚本さんの想像力は、本ものの世紀末がやってきた現在、終末を通り越して空転し始めたのぢはないかと思えるふしもあるんです。例えば「二十世紀と言ひしはきのふゆく秋の卓上に梨が腐りつつある」「万緑の光うするるひとところ墓ありてきのふをうづむ」「爛れたる林檎食す二月尽 他界にはまた他界あるべし」。こういうように、何か終末を通り越して、その先から現在を見ているんです。SF的な面白さとも言えますが、塚本さんの想像力は、逆立状態になってしまって空転していると私には見えます。

 それからもう一つ気がついたことで言えば、“山川呉服店シリーズ”の「秋草のほかなる藜もみぢせりたしか山川呉服店跡」という歌があります。“山川呉服店シリーズ”は、『詩歌変』あたりから始まっています。現在の山川呉服店が破産し、さらに店主が死んで密葬、葬儀が行われる。店主の戒名も詠まれます。それから町の地図から山川呉服店が消し去られる。『魔王』になると、「秋草のほかなる藜もみぢでりたしか山川呉服店跡」と、跡形もなく消えて、草木が生茂っているというイメージになっている。これなんかも、塚本さんの想像力が終末を飛び越えてしまった例じゃないかという気がしたんですね。塚本さんは本当に、今の時代と相渉っているでしょうか。

高野 僕は“山川呉服店シリーズ”は、過去からずっと物語的に展開して非常に面白いと思うのです。今回は「秋草のほかなる藜もみぢでりたしか山川呉服店跡」という歌のほかに、たしか、「山川呉服店未亡人ほろびずて生甲斐の草木染教室」というのもある。つまり主人は死んだけれども、未亡人はまだ生きていて草木染教室をやっている。それからその後ですね。「先代の背後霊レジ引受けてブティック山川みせびらき」、呉服店がこんどはブティック山川となって、新しい展開をみせる。終末観云々というよりも、二、三年おきに出される歌集の、その部分を読みついでいくと一つの物語がずっと続いていて、次の歌集をまた楽しみにどうぞという感じでね、読者を楽しませる要素として、これは今後の歌集にも登場するんだと思うんですね。だから、各歌集の中に或る部分だけが嵌め絵のように、“山川呉服店シリーズ”がつづくんじゃないかと、こういうふうに予想して、僕なんかは読者として楽しいところなんです。

小笠原 その点では塚本さんは終末を楽しんでいる。ついでに戦争をも楽しんでいる、ということになるのではないでしょうか。

高野 終末観は確かにありまして、そういう歌が多いんですけど、いい歌だと思って僕もメモしてきましたけれど、さっき小笠原さんが挙げた歌ですね、「爛れたる林檎食す二月尽 他界にはまた他界あるべし」、それから「秋の河ひとすじの緋の奔れるを見たりき死後こそ余生」という、こういう歌は、塚本さんの個人的にプライベートなことは余り歌わないんですけれども、実際には「老い」というものが徐々に迫っているという意識があって、それを普通歌わないで、生の空間、死の空間というものがどうなっているかというような形で歌っている。「老いてしまって寂しい」とかいうようなことは言わない、死の恐怖も歌わない、だけど生と死というものがどういうふうにつながっているか、あるいはどういうふうに断絶しているかというようなことを歌った歌として、僕なんか面白いと思うんです。死んで他界に行く、そこにはまた他界があるだろうという多重構造の宇宙観ですね。そこから「死後こそわが余生」の歌は、例えば六十とか七十を過ぎたらあとは余生とかんがえるのが普通ですけどね、それを、生きている間は余生じゃないと、死んでからが余生だというとらえ方が、非常に面白いと思いました。終末観の歌は別にあるんですけどね。プライベートな老いとか死ということを、こういうふうにちょっと転換して歌っているのじゃないか、そういう意味で僕なんか非常に面白いなと思った。

小笠原 例えば岡井隆さんが、短歌研究文庫「塚本邦雄歌集」の解説で、「塚本の歌には私性の伝統回帰がみられること、それから共同幻想への発言が減って、詩歌の運命への言及および歌人としての自己の覚悟の表明がふえている」と言っているわけです。そういう面はこの歌集にもたしかにあると思うのです。それで、専門家の高野さんに質問したいんですけども、岡井さんはそれに続けて「これらのことと、結句の名詞止めの増加とが関係あるかどうかは、今後、もう少し詳細に他の歌集もあわせて検討すべきところであろう。」というふうに言っているのです。この塚本短歌の結句の名詞止めという問題は、高野さんから見るとどういう解釈になりましょうか。

高野 そうですね、佐々木幸綱さんも言っていますけれども、基本的には塚本邦雄さんは「名詞型の歌人」ですね。名詞で世界を提示する人…僕の言葉でいうとそういう言い方になるんですけどね。だから、何がどうしたと叙述するのではなくて、事柄なりイメージなりを提示するタイプ。だから必然的に名詞止めも増えるんじゃないかと、僕は解釈しています。佐々木さんなんか動詞型の人ですし、岡井さんもどちらかといえば動詞型だろうと思うんですよね、塚本さんは名詞型で、これは最初から一貫してるなという感じです。

小笠原 つまり、言葉のエピキュリアンというか、言葉に対する好みが非常に強いですね。別な言葉でいうとフェティシズムです。名詞止めの多用は、想像力の停滞をも意味しているのではないでしょうか。

高野 いや、フェティシズムの人かもしれません(笑)。

(続く)
2月15日(土

高野 いや、フェティシズムの人かもしれません(笑)。そのことはご自分も自覚していらっしゃるでしょうね。林さん、女性から見るとどういう感じですか。

 私は、すごく寺山修司に憧れて短歌を始めたので、何か寺山修司の目を通して塚本さんのものを読むという感じの読み方をしてきてしまったものですから。確かに名詞型の歌人というお話、そうかもしれません。私自身は動詞がどうしても多くなってしまう方なんですが。選んできた歌の中で、「百合鴎にあ百合の香あらざればその寂しさをさびしみて死ぬ」なんかは、本当に塚本さんの言葉に対する、言葉優先みたいなところが非常に出ていて面白いなと思ったんですけども。

小笠原 もう一つ、気のついたことですけれど、例えば「嬰児(ベビー)大学開校の日の蝉しぐれしぐれしぐれて夕暮れとなる」「白牡丹ばさとくづれてわがこころかへらざるかなかへらざるかな」「逝きしもの逝きたる逝きける逝かむもの疾風(はやて)ののちの暗き葉ざくら」「殺せし者殺されし者死にし者死なしめられし者 萩蒼し」「忘れ忘れて死ぬかも知れぬ秋の愁ひの杏仁豆腐」という歌があります。こういう言葉のひっくり返しとか繰り返しが非常に目についたんです。リズムは確かに塚本さん一流のものがあると思いますが、やはり饒舌ではないかという印象をどうしても抱くんです。三つほど前の歌集からそんな傾向が増えたような気がするんです。

高野 そうですね、語呂合わせなんかもありますし…。

小笠原 「茴香畠に春の霜曰く言ひがたき歌境にわれさしかかる」という歌がありますけれど、塚本さんの歌は、悪く言えばワンパターンになって久しい。しかし一方では、『魔王』という、非常に力の入った歌集名の付け方にもうかがわれるように、曰く言ひがたい前例のない歌境に、いろいろなレベルで入り込んだんじゃないかということは言えると思います。

高野 そういう歌を作るというのは、やはり自信があるからじゃないんですか。本当に自信がないと、そういう歌つくれあにでしょうね。

小笠原 『湊合歌集』をまとめて以降の『歌人』あたりから非常に自信満々の思いをこめた歌集名が増えてきたような気がするんですね。

高野 そうです、ええ。

小笠原 『歌人』それから『不變律』とか、『黄金律』とか。それで今度は『魔王』ですね。何か読者としては、ちょっと尻込みしちゃう(笑)、と同時に虚勢のようなものも感じるのです。

高野 そうですね。

2月21日(金)

 よく歌集の中には、歌を作っている自分というのが出てくる歌がありますね、それで、さっきも出た、「歌を量産して今日もまた夕茜さすむらさきの病鉢巻」もそうですけれども、ほかの歌人と違うのは、やはり塚本さんは歌を量産する、歌を作っている自分というのもまた自信満々な登場人物であって、自分がそれを監督している立場でもあり、どちらもすごく自信に溢れている感じがあって、その辺が本当にすごいなと思います。これ第十九歌集ですから、第二十は何がくるんだろうって感じを持たせますよね。

小笠原 しかし、たくさん歌集を出されますよね、斎藤茂吉が十七歌集までですから、もう二つ超えたんですね。

高野 ただ、全体の歌数ではまだ及はないでしょう。塚本さんは、各歌集が早いサイクルで出されていますが、斎藤茂吉は歌集の間隔が長いし、一冊の収録歌数が多い。茂吉は合計一万五千首とか二万首作っているんです。発表歌の数では塚本さんの方がまだ少ないでしょうね。

小笠原 塚本さんがこの『魔王』に収録したのは七百首と書いていますけれども、茂吉はもっと多いんですか。

高野 ええ、千首以上の歌集が幾つもありますからね。

小笠原 今日採り上げる玉井清弘さんの『麹塵』も七百幾首ですね。この二つの歌集は最近ではやはり、収録歌数が非常に多いということになりますね。

高野 多い方です。最近、短歌雑誌が増えたこともあるんでしょうけど、歌数が昔より多いんじゃないですか。僕なんかもそうです。『水行』が六百から七百首ぐらいありましてね、これはいかんなと思うんですけども、いつの間にか多くなっている。昔より歌数が多くなっている人が多いんじゃないかと思います。

 わたしなんかいつも一冊がすごく少ない歌数のものですから、歌数をすくなくして、早く出したいという感じなんです。

高野 その方がいいですよ。佐藤佐太郎さんなんか、四年か五年に一冊ずつきちんと出して、一冊の歌数があまり多くなかったですよ。塚本さんのはそれをさらに推し進めたかたちで、たぶん二年に一冊という感じです。

 毎日必ず十首作っているなんて、すごいですよね。

小笠原 勤勉なんですね、岡井さんのように不まじめでない。(笑)

高野 勤勉だし、やはり歌が好きなんでしょうね。まだ言いたいことはたくさんあるんですけれども、例えば、塚本さんの歌の本歌取りについて付け加えますと、僕が気がついたんはまだ一部分なんだけど、本当にいろんなものが取り込まれている。塚本さんは、僕らより数倍知識がある人ですから、僕なんかが読んで気がつくのはほんの一部なんでしょうね。例えば「戦争が廊下の奥に立ってゐたこのわすれがたみなに殺す」、これはそのまま渡辺白泉俳句を引用してあるんです。また、「朝顔の紺のかなたに嚠喨たり進軍喇叭『ミナミナコロセ』」も石田波郷の俳句を踏まえているんですよね。「傾ける齢もたのししろたへの木槿が馬に食はすほど咲く」、これは「木槿」とあって「馬」とありますから、「道の辺のむくげは馬に食はれけり」という芭蕉の句が隠されている。そういうふうに、多くの歌に何かが隠されているんですね。「あけぼのの白魚二寸今日一日人に非ざる俳にとらはる」、これも明らかに芭蕉です。それから、「笹枕旅ゆくときも出奔の足どりとなり 露木犀」、これは「笹枕」と「出奔」という言葉がありますから、丸谷才一さんの『笹枕』を連想しますね。ほかに「昭和十九年大寒或る真昼乾電池かじらむとせしこと」という歌もあります。この歌は要するに、徴兵拒否をしたという歌ですよね。乾電池という有毒なものをかじって体を壊して、徴兵検査を逃れようとしたという、そういう歌があります。『笹枕』は徴兵拒否をするという話ですし、やはり「笹枕旅ゆくときも…」の歌は丸谷才一の小説をふまえているということになると思うんです。「日清日露日支日独日日に久米の子らはじかみをくひあきつ」、これは明らかに古事記歌謡ですね。これで全部ではないんですが、複雑にうたって、結局のところは楽しませてくれているんだと思います。わかる人はわかってください、わからなければ、それでいいですよというような態度でしょうね。楽しい感じで読めるんですけど、ただ、それ以外の歌でも本歌取りをしているんじゃないかと思うとちょっと心配になる面もあるんですが、それはしょうがないというわけで。

小笠原 初期から一貫してそうでしょう、塚本さんは。

高野 『水葬物語』の頃は本歌取りの歌はあまりなかったと思うんですけど、ある頃から本歌取りもしくは何かを引用して、それを歌全体にダブらせて読ませようとする傾向が出てきた。

小笠原 塚本さんの引用は領域も広いし、時代も昔から現代までと時空ともに広大な範囲なのでちょっと太刀打ちできないんですね。しかし、それを再三批判をくり返すようですが、一人よがりにも見えてしまうのです。

高野 十人くらいで、よってたかって本歌を調べないとわからない。一人だと間に合わない。

小笠原 国文学者、文芸評論家、英米文学者、フランス文学者、ドイツ文学者、とかね。(笑)

高野 ほかにシュワルツェネッガーなんかも出てくるから…。

小笠原 映画ですね。音楽もありますね。とてもかないません。

 ただ、私は、さっきも言いましたけれど、意識的に取りこんでいる歌群より、自然に今の時代とシンクロしているような歌にひかれました。

高野 リズムの面では、五七五七七ではなくて、五七五七六という形の歌、つまり結句が一音足りない歌を、意識的に何年も前から作っていらっしゃいます。面白い試みですね。

 五七五七八の字余りは他の方でよくありますけど。

高野 「七六」っていうのは塚本さん独特のリズムですね。

小笠原 言葉がなめらかですね。さっきのコミックとかウイットということとも関係あるんでしょうけども、あまり引っかからないで読めたんですね。だからこの歌集に関する限り、あまりリズムとか字余りが気にならなかった。だからまた、言葉に陰影がないということも感じるんですよね。それは、くまなく引用で組み立てられているということも関係があると思うんです。言葉のエピキュリアン、フェティシズムが、ほとんど爛熟状態に達していますね。歌人だったら多かれ少なかれ誰にでもあることでしょうけど、特に塚本さんの場合は、独特としかいいようがない形で出ていると思うんです。

高野 だらだらしたリズムの歌がないんです。非常にきっちりしている。初句が字余りというのは結構あるんですけど、二句目の七音がだらだら八音になったりするのはほとんどないんですよ。凄いですね。僕は四・四のリズムが嫌いで、それに過敏になっているんですけど、塚本さんの歌はそういうのはゼロでしたね。

 四・四のリズムは、うーん…、私は拒否するより、そこから何が見えるのか、ということを考えたいとは思っていますが。

小笠原 生き方もそうじゃないですか(笑)。「文は人なり」ですね。

高野 うん、そうかもしれません。そうですね。塚本さんは、きっちりしてて、まじめですよね。岡井さんの韜晦してるような歌は、意味ありげに見えて、何か、意味ありげに読もうとしちゃうんですよ、無意識のうちにね。だけど歌からはっきりそうだとはわからない。弟子たちだって、本当はわからないでしょう。岡井さんの歌は、誰でもがわかる歌じゃないんですよ。

さっき、何人かの歌人で言いました「言葉遣いがおかしい」という点では。岡井さんは言葉遣いがおかしいんじゃないんですよ。事柄をぼかしているんです。歌の中でわからない部分があるんですよ、例えば主語がわからないとかね。表現力のある人が、ある部分をわざとぼかしているような歌い方だと思います。

小笠原 柔構造の最たるものですよ、岡井さんは。無名志向なんて言ってるでしょう、『宮殿』の「あとがき」で。あれどうしてもわからないんです。自己弁解でしょう、要するに。歌会始選者就任の件にしても、あれだけ評論やエッセイを書くことが好きな人が、いまだに納得のいくことを書いていない。インタビュー程度では納得できません。

高野 ある部分から韜晦してるんでしょうね。塚本さんの歌は、一首一首を個別にとり上げて鑑賞した人がいると思うんですけど、岡井さんの場合、全体の論はあっても、ある一首、もしくは何首かをとり上げて「これはこういう歌だ」、「これはここがいい」などと書いたものはあまり例がないんですよね。書けないんじゃないですか。この部分がわからないとはっきり書くのは、結構難しいですよね。

(完)


3月1日(土)

歌集『日本人霊歌』(私、人徳のブログをご覧下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/14357405.html


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