塚本邦雄NO.2

4月18日(金)日本人霊歌NO.7 5月3日(土)日本人霊歌完結5月10日(土)「短歌研究」より 5月17日(土)「緑色研究」より 5月24日(土)流露 5月31日(土)短歌開眼 6月7日(土) 6月14日(土) 6月21日(土) 6月28日(土) 7月5日(土)秀作を決めるもの7月12日(土)約翰傳偽書(ヨハネでんぎしょ)』(抜粋)7月19日(土)続き 8月3日(日)完了 8月16日(土)塚本邦雄について(安森敏隆) 9月29日(月)基礎訓練
花月五百年21代集名歌二百選(塚本邦雄):8月24日(日) 8月31日(日) 9月7日(日) 9月14日(日) 9月21日(日) 10月18日(土) 11月3日(月) 11月16日(日)

塚本邦雄No.1へ



(注)原文は正字であるが、当用漢字等を使用した。塚本邦雄氏の作品はすべて正字(点画の正しい文字)で書かれています。

4月18日(金)

「日本人霊歌」より(私のブログをご覧下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/14357405.html )

(「餌食」完 「死せるバラバラ」へ続く)

5月3日(土)

「短歌」平成6年1月号より

花のあたりの

父となるべしかなしき父にたたなづく青垣が酸性雨にほろぶ前

翌檜(あすなろ)一樹伐りたふさるる一刹那こゑありき「おほきみのへにこそ死なめ」

写生ひとすぢなどてふ嘘もぬけぬけと迦陵頻伽のたまごのフライ

朱欒(ザボン)ころがる四月の卓にシュールサンボリスム論じてすでにたそがれ

黒南風(くろはえ)がくれなゐに吹く幻想を一日たのしむ憲法の日ぞ

若きゲリラの一人なりしがチャイコフスキーに溺れてその後は知らず

歌よりほかに知る人もなし男童(をわらは)の菖蒲の太刀に斬られてやらう

昨日も滅びざりし世界を嘉しつつ今日の餘白に読む挙白集(きょはくしゅう)

卵食ふ時も口ひらかず再度ヒロシマひろびろと灰まみれ

紀伊国(きのくに)の翌檜林野分して花よりもさぶしきものほろぶ

近影拜送日仏戦争死者百人後列の空白(ブランク)が小生

われを思ひややありてのちわれありき瑠璃天牛(るりかみきり)が凍てつつうごく

死語としてかつ詩語として「青雲のこころざし」ほろにがき焼目刺

美丈夫の玉に(きず)ありくすぶれる雲雀(ラーク)の屍體(はす)にくはへて

「日本人霊歌」

死せるバルバラ (私のブログをご覧下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/jintoku510/14357405.html )

5月10日(土)

「短歌研究」より

平成6年12月号より

虹の片脚地にとどきをり半世紀事実無根の歌に与して

飛魚燦然 それですむならわが余生伊達と狂気で過してみせう

世もすゑのすゑのすゑなるキオスクに嬰児の甘露煮をならべよ

新生薑に口ひひらげど割腹と断腸は根本的にことなる

銀杏のみどりうすうす死ののちの生もたかだか十四、五年か

平成7年12号より

一握の韮清水に放ちたりこの葷われの膏肓に入る

刺さむか沈めむか逃がすかともかくも下京区魚棚を過ぎたり

椿一枝ぬつと差出し挙手の礼嚇かすなこの風流野郎

花水木空を劃れり通夜の座に人つらなりてなにをか笑ふ

ほととぎす啼け わたくしは詩歌てふ死に至らざる病を生きむ

平成8年12月号より

露の世に血の雨降ると欧州の地図ひろげつぱなしの厨房

アポリネールの弾痕のある頭蓋骨白罌栗一茎挿しておきたい

酒場「葱花輦」店びらき二十一世紀の言語警察官のために

髪そよぐガザ美容院十人の人妻が電気椅子に目つむり

再診を再審と早合点してあゝ出藍の山ほととぎす

平成9年12月号より

日本脱出しそこなひたり坪庭に帝王貝細工水浸し

世界畢る夕映薔薇色にわれの太陽神経叢くろこげに

処女林を恋ふる望月六郎太郎峠で殺されて来い

たしか昔「憲兵」と呼ぶ化物がゐて血痕と結婚したが

憲法一千条の余白には国滅びたののちの論功

平成10年12月号より

処女林てふ約一アール 鴎外のための箒木群に霙す

方寸の地にたたずめど立志など記憶の外に冬菫濃し

ぬばたまのクロパトキンに私淑せし伯父がをとつひ牡蠣中毒死

なれのはてとはいへど棟梁 たわみつつ反る胸板に檜のかをり

「天壌無窮の幸運」とこそ聞きゐしか 卯の花腐し人間腐し

平成11年12月号より

戦争勃らざるも怖ろし青麦の禾が病後のくちびるを刺す

世の終焉、否、身の涯 慄然と巴里北駅の塵芥箱のリラ

ぱらりくづれたり紫木蓮いつはりの今の世に生き生き徹さむず

母ありしいつの春夜か蛤の潮汁かすかに血のにほひして

敗戦忌 天使梢上にむらがりこの濁声の黒衣の天使

平成12年12月号より

一生は薄墨色の絵巻と観ずるに一夜にて落ちつくしし侘助椿

汨羅さながら水を湛へて慄然たりゾルゲとゾリンゲンの間は

われの孤りの最期のために一頭の馬飼はむその名こそ橘花騨

バッハ管弦組曲二番ロ短調死後にし聴かばふたたび死なむ

河骨一茎あたりしきりに昏みつつ卒然たり「八月十五日」

平成13年12月号より

暑中見舞の十数名が身辺にちらばれり 暑はいつまで続かむ

霜月まで咲き続きたる曼珠沙華 遥かに見をり夙く消えうせよ

八百玄の主人はパッハ愛好者とぞ 耳聾ひて十年と聞くに

しばらくこのまま聴かせておいてくれ夜半「死と少女」第二楽章続く

紅葉一ひら残さず散れり昨日一昨日卓上に貼りつきゐしは何ぞ

平成14年12月号より

庭に招きてほぼ五、六年それなりに蕾は見せつつ丈低きまま

西王母は花乏しらに但しまづ三、四輪色冴えゐつあはれ

かくて年々必ず淡きくれなゐを示せども花はわれを恋はむ

切株一枝と控へ目に告ぐる邸には西王母椿一株あるのみ

薔薇三株南北に植ゑ三年経つ急きつつ後れつつわれらの快楽

5月17日(土)

『緑色研究』(昭和40年第四歌集)より16首

雉食へばましてしのばゆ()た娶りあかあかと冬も半裸のピカソ

サン・セバスチャン絵の中にひらすらに水欲し水の上ゆく椿

鵞鳥卵つめたしガルガンチュアの母生みしパルパイヨ国の五月雨

馬は睡りて亡命希ふことなきか夏さりわがたましひ滂沱たり

夏至のひかり胸にながれて青年のたとふれば錫のごとき独身

アヴェ・マリア、人妻まりあ、八月の電柱人のにほひに灼けて

体育館まひる吊輪の二つの眼()ひて絢爛たる不在あり

金鉱貨車かたへ過ぎつつ 喫泉に口づくるわれはかりそめの死者

揚雲雀そのかみ支那に耳斬りの刑ありてこの群青の(ひる)

暴動塩のごとくあたらし剛毛のツェッツェ蝿棲む国の処女(をとめ)

婚姻のいま世界数知れぬ魔のゆうぐれ葱刈る農夫

医師は安楽死を語れども逆光の自転車屋の宙吊り自転車

五月来る硝子のかなた森閑と嬰児みなころされたるみどり

出埃及記とや 群青の海さして乳母車うしろむきに走る

花伝書のをはりの花の褐色にひらき 脚もていだかるるチェロ

たましひの夏いくたびか影()れてプールの底までの鉄梯子

5月24日(土)

角川書店「短歌」平成15年3月号より

流露

波は神の手(さかな)流露(りうろ)いつの日も水晶の光濃き香の何か

皐月待ちゐる日々の彼方に深緑をつらねて森も林も香る

森の深みに果物と花、今すこし待たうと言へば花も香にたち

皐月待つ花たちばなの香を聴くや昔の人の言葉ぞさやぐ

たちばなの香を聴く時ぞわが夢にその香を知れり心澄みつつ

わが明日は何を聴き入る一時(ひととき)の芳香を是非芳香を

守護神の背後にかかげ給へるは光輪、檳椰子(びんろうじゅ)の照葉なり

口腔を経てその後に燈をつけし人誰あらむ 杳かなる語り見む

迷ふことなき守護神のその光り背にうけて男の心つねにあこがれ

鳴く鳥の巣は森の中 冴え冴えと歌ふは明日の茴香の香か

短歌総合新聞「MUSES」より

「塚本邦雄の老いから見えてくるもの」 林 和清

 最近、お会いする機会があまりなくなってから、師の塚本邦雄の夢をよく見る。さまざまな過去の場面であったり、これから起るであろうできごとの予兆みたいな夢であったりする。

 師のことを考えると、心の一番弱い部分をきゅっとしめつけられたみたいで、たやすく涙出てします。そういうウェットな部分を極力排除して人間関係を築かれてきた師であるが、それは誰より自分がウェットな性格であることを熟知しておられるからであろう。

 角川短歌三月号の巻頭に最新作「流露」十首が掲載されている。

     波は神の手魚の流露いつの日も水晶の光濃き香の何か

塚本邦雄の作品は難解であっても、読み解くためのキーが用意されており、知恵ある訪問者には作意の扉は必ず開かれるようになっていた。それを思うと、この作のつかみどころのなさはあきらかに異色である。幾度読んでも理解の手をするりと抜けて、おさまりきらない部分がのこる。

 「波は神の手」はすばらしいフレーズだと感嘆するが、神という言葉へ順接的な心理の投影にも驚かされる。神への逆説的な見解というのが塚本世界を構成するキーワードであったことを思えば、光に満ちたある種の神秘性に心を添わせる詠み方は、塚本の最近の傾向だといえる。

 そして、神秘性に順接であるかぎりは、作者は世界を制御しきれずに、「何か」という不可知の境地にいきつくのも当然ということになる。

 魚の泳ぐさまを思い描き、波を神の手だととらえる時、そこには澄みきった輝く光があふれる。その神々しい瞬間、不可思議が恍惚に歌人は身をゆだねている。

 不可知、不可思議、無意識の領域、そういったものを塚本は歌の中で認めようとしなかった。言葉で構築された世界を制御しきることをつねに自らに強いていた。いまは違う。

     皐月待ちゐる日々の彼方に深緑をつらねて森も林も香る

   二首目におかれたこの歌は、『緑色研究』の「五月来る硝子のかなた森閑と嬰児みなころされたるみどり」を連想させるが、世界の違いは一目瞭然である。これが流れた月日の嵩というものだろうが、その違いをよく見てみると、塚本が何を拒否してきたかわかってくる。

 反リアリズムの旗手といわれてきた塚本だが、単純にリアリズムを拒んだのではない。むしろ、ウェットなロマンティシズムに陥ることを自ら拒否してきたのだ。それが図らずも、最近の歌には露出してしまっている。

 五月を待つ日々の心、思い描く森の木々の香り立つ緑、歌にあらわれている世界は、批評性や風刺性の苦味をもたない甘やかな叙情性である。

     たちばなの香を聴く時ぞわが夢にその香を知れり心澄みつつ

この歌は、内容よりも文体、韻律が初期のものと酷似している。「かなしみのすゑに澄みゆくいのちぞと霧冷ゆる夜夜の菊にむかへり」というような処女歌集以前の作。塚本短歌の出発点である、伝統的な韻律をもつ叙情的な歌群へ見事に還っている。

 『水葬物語』以降、塚本が封印したものは、ウェットな叙情性であったことがわかる。それは堅固な塚本世界の城壁にとっては、写実や生活などよりも、もっと危険な溶解液であったのである。しかし、いまはもうその時期ではない。

     森の深みに果物と花、今すこし待たうと言へば花も香にたち

     わが明日は何を聴き入る一時の芳香を是非芳香を

通常の老境のタームがないからと言って、老いがきていないわけではない。「今すこし待たう」とういのは何か。明日というすぐ近い未来に是非と求める「芳香」とは何か。ばらばらに寸断され、統御する意志も見出せない一連ではあるが、ここには塚本が拒否してきた特徴が、無防備にあらわれている。

これらの歌にはある切なる祈りの心は、読む者の最もウェットな部分に訴えかけてくる叙情の力がある。残念ながら、わたしにはそれを拒否しきることができそうもない。

塚本は、斎藤茂吉の最終歌集『つきかげ』を高く評価している。その境地を一口に軽みなどと言えないとし、いつかその華やぎと凄みをわがものにしたいと述べている。

おそらく今後斎藤茂吉との対比で語られることも多くなるだろうが、『つきかげ』の持つぬけぬけとした諧謔性とは、塚本の老いはまったく違った形であらわれた。

長いあいだ言葉の鎧に隠されてきたロマンティズムが見えてきていること、それが塚本の老いの様相であり、すべてを失ってなおも歌おうと、口を開いたときに表出した原初の姿でもあったのだ。それは塚本にとって、不本意なことであるかもしれない。しかし、仕方のないことである。

短歌の多様化は、まっさきに師弟関係などという、コンサバティブな意識の領域から変えてしまったようである。生涯ひとりの師につく、というようなことは奇跡に近く、その恩寵を感じるのもわれわれが最後の世代になるかもしれない。

現在、ずっと塚本自らが最後の歌集に予定してきた『神変』も、出版社の方で準備がはじまり、まもなく上梓されることになる。                    

5月31日(土)

短歌開眼「短歌研究」平成12年1月号より

杉原一司による友情の鞭をうけて。(晴盲感涙)

 第一歌集『水葬物語』は1951年8月版。但しこの書には扉に「亡き友 杉原一司に献ず」と記されている。

 杉原は私の師にして刎頚莫逆無二の親友だった。杉原は1926年8月27日鳥取県八東川畔丹比の生れ、50年5月21日故郷にて永眠。23歳9ヶ月弱の夭折であり、28歳の私を当時既に、むしろ弟分扱いでいたわり、かつ守ってくれた。逝去の年、天理外語で仏文に専念し、当時倉敷在住だった私の寓居を頻々と訪れて、参考資料などを「拝借」して帰った。映画脚本仏和対訳の何冊かを驚くべき速度で読みこなし、中の一冊、デュヴィヴィエが演出したルナール原作の「にんじん=Poil de Carotte」など遂に還って来なかつた。

 鳥取私立病院で重症の身に鞭打って、私の近作に友情の鞭を試みてくれたからこそ、私の晴盲は視えるようになった。前川佐美雄の門を叩いたわれわれ二人共に、その圏内に棲む限り、視力0.1から飛躍瞠目は望みなしと、彼はほろ苦い笑みをたたへて言った。

 確かに近代から現代への疾風怒涛的流行のさ中で、現代詩から直輸入の不消化新風に帰依しかねない「新人」中、杉原くらい醒めて、今一つの窓からの未来展望を敢行していた歌人は他にいない。

 彼が、1946年創刊の「われらの同人誌」と」互いに自認していた試作発表タブロイド判紙(誌)「メトード」に、彼が私を先導するかに発表したものに左のごとき作があまたある。

硝子器の罅を愛すとあざやかに書けばいつしか秋となりゐる

                   杉原一司

曼珠沙華咲く散歩道ゆくとてもきらびやかなる悪はねがはず

                   同  上

向日葵の烈しき色やかたちなどつよくはげしく蘇り来よ

                   同  上

獣肉をつるせる店の前ゆくと罪の意識の消し去りがたき

                   同  上

瞬間の描写をよしとする歌人アキレスは亀にまだ追ひつけぬ

                   同  上

射倖心、ルーレット、自棄、思惟に今絡みつく人体骨格模型

                   同  上

『水葬物語』がこれらの作に後ろから押され、手を貸してもらい、しかも熱に浮かされたごとく独走しはじめたものであることは論をまつまでもない。とは考えつつも、自身が未開拓、未踏の新しい世界へ踏み入ったことに、ひそかに快哉を叫んでいた。

 杉原の批評は冷静であった。その裏側に溢れるような友情がきらめき、私をこの方向で自立し、みずからの砦を築けと声援してしてくれているのが、その都度の手紙等によって痛く快くひびいて来た。時々自己嫌悪に落ちることもあった。私はそれでも杉原に未来をゆだねていた。

     革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化するピアノ

     聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫

     虹見失ふ道、泉涸るる道、みな海辺の墓地に終れる

     赤い旗の翻る野に根をおろし下から上へ咲くジギタリス

     春きざすとて戦ひと戦ひの谷間に覚むる幼な雲雀か

     海底に夜毎しづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も

     卓上に旧約、妻のくちびるはとほい鹹湖の(あけ)の睡りを

     優しき歌選りれ教ふる日日の吾子よブリキの喇叭を厭ひ

すべて試作であり、自己陶酔と自己嫌悪の間を往復していた。この背後にはほぼ同数の試作あり、勿論杉原には悉皆見せている。

 彼の目は冴えていた。彼に賛意を表してもらえれば、私はたちまち自信を蘇らせ、批判は批判でまた今一つの活力を招いてくれた。

『「語の有つ属性をそろそろ切り捨てること、近作にひそむあの<エッセイ性>は重んじてよい、が、頼るべからず。参考に、ガートルード・スタインの純粋詩理論を読んでみてはどうか。この度の歌が「創作」であることは、私にもありありと判る。イマージュを切捨てるよりも再確認することが重要。」「貴兄の歌が<売れる>ようになったら、僕が第一番に、貴兄の『作歌論』を書きます。現在の作に雑然たる広さを見せて下さい。雄飛する日ために、お互いに実力を養いましょう。」「貴兄はやや懐疑的だが、万一貴兄の歌が誤っていたら、私を明日も明後日も感動させないはず。自信をもつって更に更に、作り創って下さい。私はゆるがぬ期待を有ち続けます」…杉原一司…』

上記は1948年末の音信である。今、繰返し読むほどに故人の友情がひしひしと迫って来る。頬を伝う涙はとめどもない。さらば!

6月7日(土)

「短歌」昭和61年2月号より

人血羮

紅葉渓行きの車掌のバス・プロフォンド他界へはどこで乗り換へるのか

姉に死なれてむりにかなしむ姉婿がかはゆし上賀茂蝉ヶ垣内町

われの生と彼の死の間五、六歩に蛇の鬚の実のラピスラズリ

支那料理鳳凰文の鉢割ってこの世しびるるばかりうるはし

四条畷のつりがねにんじん瑠璃冴えて今業平の単身赴任

ゆかばくらやみの燧灘すみやかにわれらがたましひは干つつあり

陰陽博士(おんみやうはかせ)尾羽うちからし晩秋の柿原鮮魚店右どなり

老いてはじめてうつくしき父秋風の吹きぬくる雪隠におもへば

銀碗は人血羮を盛るによしこの惑星にゐてなに惑ふ

余寒ゆふぐれあはきひかりに佇つわれや魂魄は金箔のたぐひか

前略 拝受の牡丹苗その翌晩の出火にて行方不明に候

シラノは美貌の友に殉じき立春のわが口中に峨々たる歯

枇杷の汁股間にしたたれるものをわれのみは老いざらむ老いざらむ

「短歌」平成6年1月号より

花のあたりの

父となるべしかなしき父にたたなづく青垣が酸性雨にほろぶ前

翌檜(あすなろ)一樹伐りたふさるる一刹那こゑありき「おほきみのへにこそ死なめ」

写生ひとすぢなどてふ嘘もぬけぬけと迦陵頻伽のたまごのフライ

朱欒(ザボン)ころがる四月の卓にシュールサンボリスム論じてすでにたそがれ

黒南風(くろはえ)がくれなゐに吹く幻想を一日たのしむ憲法の日ぞ

若きゲリラの一人なりしがチャイコフスキーに溺れてその後は知らず

歌よりほかに知る人もなし男童(をわらは)の菖蒲の太刀に斬られてやらう

昨日(きそ)も滅びざりし世界を嘉しつつ今日の余白に読む挙白集

卵食ふ時も口ひらかず再度ヒロシマひろびろと灰まみれ

紀伊国の翌檜林野分して花よりもさぶしきものほろぶ

近影拝送日仏戦争死者百人後列の空白(ブランク)が小生

われを思ひややありてのちわれありき瑠璃天牛(るりかみきり)が凍てつつうごく

死語としてかつ詩語として「青雲のこころざし」ほろにがき焼目刺

美丈夫の玉に瑕ありくすぶれる雲雀(ラーク)の屍体(はす)にくはへて

6月14日(土)

「短歌研究」平成8年7月号より

共通項としての孤独…塚本邦雄

冬ならば氷雨もそそげ風も鳴れ冷たく暗き土に還らむ  明石海人「白描」

 歌集中の悲痛な最高音部「気管切開」の前に置かれた「帰雁」八首中の第五首。病苦の迫真的な詠唱ならば、病状・病床・病院に即したものがおびただしく存在するし、「新万葉集」に採られてその名を知られたのも、おおよそはそのたぐいである。

 昭和14年1月現在、同病に苦しむ人は「全国に猶三万余」と、歌集跋文に内田守人国手の言がある。天変地異に似て、この病に罹り、臥し、命を絶たれるのは、全くの偶然であり、災厄は無差別に突然に襲ってくる。その理不尽さへの呪詛に読者も暗然とするが、短歌作品として人の魂を揺するのは、まず「帰雁」であり、掲出の一首に併せて「曼珠沙華くされはてては雨みぞれそのをりふしの羽かぜ囀り」にとどめを刺す。この、神に祈ることすらできぬ孤独感と絶望は、暗然たるものあり、無残という他はない。そしてこの惨憺たる次元から、明石海人を救出したのは、第二部「翳」の、絶体絶命のサンボリスム(象徴主義)の花であった。

「短歌研究」平成8年11月号より

望月六郎太

日本脱出しそこなひたり坪庭に帝王貝細工水浸し

世界畢る夕映薔薇色にわれの太陽神経叢くろこげに

処女林を恋ふる望月六郎太暗峠(くらがりとうげ)で殺されて来い

道にふける思ひはさして深からずあかつきもみくちゃの酔芙蓉

たしか昔「憲兵」と呼ぶ化物がゐて血痕と結婚したが

憲法第一千条の余白には国滅びてののちの論功

つひに還らず空の神兵、銀蝿を連れておほきみの負けのまにまに

赤軍の赤褪する間の胸騒ぎつひに世界の夏も過ぎたり

一国一城のあるじが露草の花もて満たす夏至の雪隠

桔梗一網打尽の野分 さりながら父なる敵のとどめは刺すな

菊科植物みるかげもなく「汝臣民」てふ猫撫声のそらみみ

薔薇戦争・阿片戦争・核戦争 ああいくさそのゆくへも知らぬ

ロドルフォのアリア歌つて殴られし護国の鬼の六十回忌

琵琶行一首以外の記憶喪へる晩年の父を宥してやらう

返信に恋句書きさし掻き消せる彼奴(きゃつ)のほほゑましき勇み足

みどりごの顳?(こめかみ)、そこに第六次元の発信基地などあらぬ

象の鼻を筒切りにする料理法(レシビ)等メモさせて鸚哥経(いんこけう)の施餓鬼

朝酌(あさくみ)秋鹿(あいか)美談(みたみ)楯縫(たてぬひ)、出雲にて水飲めば新珠のあぢはひ

聖書を共に読まむと寒の門前に女立つ、きみひとりよみたまへ

味酒(うまさけ)身は文弱の徒に過ぎずル・ジダンを日がな一日ふかす

天国瓦斯株式会社決算書「欠損」以下吹っ飛んで跡無し

伊東静雄『春のいそぎ』に伴林光平の「梅一枝」のかたみ

鶯の飛ぶさま見しや土木技師横光梅次郎長男利一

「冠省」と書き始めをり恋文にいかなる「(かんむり)」を省くのか

有能多才、それはさておきシモーヌ・ド・ボーヴォワールが「人はすべて死す」

肉桂酒ひりりと甘し隣家なる女衒(ぜげん)は二米()のますらを

不可・可・不可いづれにもせよ二百代至尊のために植うる(はじかみ)

われを羽交締にして死ぬ勿れとぞ機銃掃射下桐生中尉は

跡目相続菖蒲田組の総領が端麗に過ぎ、三年延期

6月21日(土)

「國文學」昭和58年2月号

「現代名歌諸説集成」より

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり    斎藤茂吉

『佐藤佐太郎』

母の臨終が迫っている時の悲嘆の極限を歌っているのに、「悲しい」というような主観語は一つもない。しかし「死にたまふなり」は、強い主観の響きである。また「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて」という客観的な事実がこの悲嘆の光景を厳粛にしている。親類縁者が集まって母の臨終を見守っている。そういう緊張した光景とは関係なく、天井に燕がふたつ並んでいるのは不思議に深刻である。「のど赤き」という具体性も、こういって始めて一首の感銘が活きるので、非常の際にこれだけのものを視たのは、やはり写実の精神が徹底していたからである。「現代短歌鑑賞」(昭26)

『本林勝夫』

臨終の母と、それを見守るかのように梁にとまっている無心の燕の姿…。代表作「死にたまふ母」の中の一首である。ほの暗い梁にいる燕の咽喉の赤さを捉えた感覚が鋭く、またそれが一首にある神秘的な感銘を与えるものとなっていよう。とくに「死にたまふなり」の重い結句が悲哀の極点にある心情をさながらに伝えているのに注意したい。<歌意>喉の赤い二羽の燕が古びた梁の上に来てとまっている。その下でいま、自分を生み育ててくれた母が死んでゆかれるのだ。「國文學」(昭和53年9月増刊)

『塚本邦雄』

何よりも、「のど赤き」という鮮やかで簡潔な表現に目を止めるべきだ。燕の咽喉部は赤褐色で、「赤き」から受ける「くれなゐ」の色感とは離れる。写生からは遠い。だが狭義の写生を無視した協調が、この一首に烈しい生命力を注ぎ、結句の「死にたまふなり」と、見事な対象を示す。瀕死の人間と、それを懼れ悲しむ肉親を見下すかに、梁上に睦みあう夏の鳥。簡潔で直線的な調べは、悲哀も愁嘆も、修辞からは締め出した。「あはれ」とも「かなし」とも、一言半句も洩らしてはいない。それゆえになお、読者には、作者の心が、いたいくらい響いて来る。無言の慟哭とはこのような歌をいうのであろう。万斛の涙が一首の底に溢れる。「鑑賞現代日本文学」(昭和56年)

6月28日(土)

「短歌研究」平成8年5月号

青嵐変奏曲

露の世に血の雨降ると欧州の地図ひろげつぱなしの厨房

アポリネールの弾痕のある頭蓋骨白芥子一茎挿しておきたい

酒場「葱花?(そうくわれん)」店びらき二十一世紀の言語警察官(ワードポリス)のために

髪そよぐガザ美容院十人の人妻が電気椅子に目つむり

再診と再審と早合点してあゝ出藍の山ほととぎす

江口の君出自訊くこの野暮天にタコヤキ・ヴィシソワーズ与へよ

五月待たずに更紗木蓮散りつくしサハラにて行方知れずの恋人(アマン)

いつまで大東亜戦争!朴の花泥濘に堕ち泥と()るまで

アインシュタインなる一石(ひとついし) わが家にも孤り石頭(いしあたま)の父がゐて

若き蛇 若き後妻(うはなり) 若き墓 われにはるけきものらを(よみ)

父の軍人手帳曝涼 ソプラノの吶喊の声そこより湧くか

荒筵青梅数千ころがしてまだほろびざるものが日本に

ヴィラ・ローザの扉叩ける六尺んますらをや青嵐のごとし

八十氏川流域も黴雨 罪業軍人会が復活のきざしを

花石榴炎えのこりつつももちぢのいくさおほよそわれにかかはる

またの日を約せりまたの日はまたの世と言はね 棕櫚の花の鮮黄

家族の誰一人も顧みぬままにアトピー性皮膚炎の白桃

夕菅刈り払って三月(みつき)くらしたる山荘と恋敵の()さらば!

白寿、百寿もただごととなり百日紅しらじらと門前に散り果つ

曼珠沙華わが来し方に咲き退(すさ)りすぐそこのくらやみに敗戦忌

レオナルド遺言状に倣はむに葡萄園半アールも()たず

銀杏の緑珠くちびるもて挟み 死ののちの生愉しきや否

薩摩上布 男も袖といふものをはためかせまたたくまに霜月

億兆こころをばらばらにせよ侘助も七日目はたれも見てくれない

風雲児風に吹かれ雲を得ずむかし埠頭にゐし風太郎

星は昴、とはいふものの六郎太までは遺産がゆきわたるまい

翌檜の枯枝焚いて(おこ)るべくありし事変をおしみあはうよ

プレヴェール忌忘るるころに「おゝバルバラ、戦争(いくさ)とは何とおいしいものだ」

黒蝶硝子扉(ガラスど)に挟まれて痙攣(ひきつ)れつ さてヒトラーの断末魔いかに

今日を最期とはおもはねど三尺の高みに親不知歯(おやしらず)を抜かれをる

7月5日(土)

「短歌研究」平成5年1月号

煉獄の鴎(森 鴎外)        塚本邦雄

秀作

処女(しょぢょ)はげにきよらなるかなまだ()れぬ荒物店の(はゝき)のごとく        『沙羅の木』

君に問ふその唇の紅はわが眉間なる皺を()す火か              同上

爪を嵌む。「何の曲をか()き給ふ」「あらず()が目を引き掻かむとす。」     同上

失敗作

怯(おく)れたる男子なりけりAbsintheしたたか飲みて拳銃を取る    『沙羅の木』

勲章は時々(じじ)の恐怖に代へたると日々(ひび)の消化に代へたるとあり         同上

省みて恥ぢずや(いまし)詩を作る胸をふたげる穢除くと              同上

前者三首を名歌、後三首を駄作と仮定してみた。二者の基準は有るようで無い。怖しく主観的なもので、最大公約数的な結果で律しうるものではない。世に言う「名歌」の中の幾つかは、如上の気侭で気むずかしく、恣意で横暴なあまたの選択眼に篩はれ漉されて残ったものであろう。それでもなお、歌会・句会における互選最高得点作が決まって可もなく不可もなく、出ず入らずの見所をどこかに小賢しく設えたものであることを思えば、真の名歌・名句は、少なくとも半世紀以上の「時間」の審判を待って後に現れるものと考えるべきだろう。時分の花はうつろひ易い。そしてまた、その「流行」は、時として「不易」よりも遥に重要である。

森鴎外作の「我百首」は1909年5月1日発行「昴」5号に森林太郎名で発表された。この中「処女はげに」は同年3月6日の歌会を初出とする。時に鴎外47歳2ヶ月、俄かに創作意欲の高まった年で、例の「ヰタ・セクスアリス」所載の「昴」とは、「我百首」の2ヶ月後の7号。ハウプトマンにマーテルリンク、イプセンにワイルド等の訳出も精力的に試みている。文学博士号を得たのも皮肉なことにその7月であった。

鴎外主催による「観潮楼歌会」が始まったのが、2年前の1907年3月、休止が1910年3月であるから、この百首は当該歌会続行中の発表ということになる。当然、この文体発想は「アララギ」「明星」両派に種々の影響を与えた。なかんずく問答形式など、これが嚆矢とは断じられないが、後の作家にかなりの模倣が見られ、それは「我百首」を知らぬ現代歌人の戦後生れ世代にも隔世遺伝の徴がある。そして、「荒物店の箒」のメタファーは、今日もなお鮮烈である。素材の古さの逆効果的効果も計算に入れて、今日のこの似而非フェミニズムの世には、鮮烈というより苛烈か。

一方に「明星」の晶子は、「我百首」以前に、1901年『みだれ髪』1904年『小扇』1905年「恋衣」1906年『舞姫』と、合著をふくむ四歌集を世に問うていた。林太郎の百首中歴然たる女性呪詛・嫌悪の明らかな諸作は、単に彼の一身上の女性関係に随伴する創作的リアクションとは言い去れまい。晶子の圧倒的な女性誇示、女帝的驕慢への、無意識の反発、そのデモンストレ−ションと考えるのも面白かろう。

但し、このサディスティックな毒舌は、当然百首中に、嗜被虐的傾向を帯びた「黒髪の縄に我身は縛られてあり」風の歌と、あたかも追覆曲(フーガ)を奏でるやうな様相を呈している。そしてその随所要所にパルナシャン風の、擬ボードレリアン調の沙が(ちりば)められている点でも、「観潮楼歌会」とは、鴎外自身の短歌創作欲をそそりたてるために催されていたような

気もする。先行する三首が名歌であるか否かは、勿論人によって賛否は大いにわかれるだろう。そして名歌とは、毀誉褒貶伯仲する渦中に、ひらりとそびえ立つ一首であって、打たれない程度に首をもてげた(くい)さながらの擬秀作ではない。

 駄作と私が思う三首の、「怯(おく)れたる男子」はおしらく、ヴェルレーヌを諷しているのだろう。だがこの程度では核心に触れるに距離がある。アプサント(通称アブサン)を横綴表記したのが唯一の点睛部分だが、傍注が十行ばかり必要だろう。

 駄作も鴎外となると、栄耀に餅の皮をむくたぐい、茂吉ならたちどころに二、三十首例証可能だが、「勲章」も「詩を作る」も、この種の文体は、何も韻文定型詩なるフォルムを選ぶことはない。散文という今日的な武器で、縦横無尽に抉出裁断するがよい。述志のヴァリエーションにしても文明批評にしても、短歌形式を無二の手段とする限り、詩魂の輝きが一瞬眼を射るような「一首」として自立すべきである。天才鴎外のお遊びで律し去る訳にはまいらぬ。

7月12日(土)

「短歌研究」平成13年10月号より

約翰傳偽書(ヨハネでんぎしょ)』(抜粋)

胸奥の砂上楼閣・水中都市ことばこそのそこひも知らね

銀河鉄道軌道(レール)錆びつつジョバンニとは約翰傳(ヨハネでん)甘ったれのヨハネ

かくて輝かざる青春に訣れしが壮年、血のしたたる創年

ありし日の「し」こそ真実、刎頚の友消えうせて形見の長靴

空蝉をにぎりつぶして目つむればこの夜のとどのつまりの響き

気紛れに愛して忘るぬばたまのネロ皇帝と雨月の花火

常の日に似ることも恐ろし葉月十五日灰色の白百日紅(しろさるすべり)

国家の死いまさら何ぞ積藁の底の蝮の巣を凝視する

山川呉服店先代の石碑(いしぶみ)にしがみつく珈琲色のうつせみ

沈丁花香りつつかつこぼれつつ捨つるには愛し過ぎたり「歌」

約翰(ヨハネ)黙示録」讃みえおへてああ眩暈その眼の底の苦艾(チェルノブイリ)

おそらくはつひに視ざらむみずからの骨ありて「涙骨(オス・ラクリマーレ)

かの時に触れあひたるは刎頚の朋の胸骨剣状突起(きょうこつけんじょうとっき)

核家族、核分裂の寝室に一瞬硫黄もどきの臭ひ

鶏頭の実りきつたる一群を薙ぎ棄てついつまでも子規嫌ひ

「短歌研究」平成13年10月号より

作品評 高野公彦(コーディネーター)、中川佐和子、黒岩剛仁

中川 これは塚本邦雄さんの第二十四歌集で、想像力が豊かであるということと、時空を超えたリアリティーのある世界が出ていて、言葉そのものであったり、愛であったり、死であったり、それから社会、とりわけその中では“戦争”を中心に歌われています。

 歌集題が『約翰傳偽書(ヨハネでんぎしょ)』、ご自分で書かれた跋のタイトルが「甘ったれのヨハネ、ゆゑの偽書」。

 歌集巻頭の歌をまず挙げますと、「胸奥の砂上楼閣・水中都市ことばこそのそこひも知らね」という歌があります。胸の奥に砂上楼閣とか水中都市、そういったものがあって、その砂上楼閣とか水中都市というものは、はかないもの、幻想のはなというようなものですが、それが自分の中にあるんだけれど、「ことばこそそのそこひも知らぬ」と言う。塚本さんの内側から衝いて出た言葉として言葉への止み難い愛着の表れでもあり、言葉に生きる難しさというものがそこにあるし、言葉こそが命なんだという、そういったものがその下の句に出ています。それから、「銀河鉄道軌道(レール)錆びつつジョバンニとは約翰傳(ヨハネでん)甘ったれのヨハネ」という歌。この歌では「錆びつつ」という言葉と「甘ったれ」が差し挟まれているんですが、「銀河鉄道」は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』であって、これは人のために尽くしたいと願い、幸せとは何かということを考えている作品なんですけれども、その「錆びつつ」「ジョバンニ」「甘ったれ」という言葉を差し挟むことによってヨハネという固定名詞が塚本さんの内側のものとして出てきているんですね。この歌も、「とは」という助詞で結びついていて読み解くのが難しい歌です。それから塚本さんは戦争の歌をずっとうたってきたのですが、戦争を歌った「国家の死いまさら何ぞ積藁の底の蝮の巣を凝視する」、「いまさら」の四音、「何ぞ」という三音とか、「蝮の巣を」そのものは六音ですが、第四句と結句にわけて置くという、そういった韻律がこの内容ととても響いている歌で、大変印象に残りました。それから、愛の歌「われのみは恋に無縁の日々果つれ、夕鶴・夕雲雀・夕鴉」「愛はわれをさいなみしのみ みなづきの天涯にたつ濃き二重虹(ふたえにじ)」とかそういったところも歌われていて、読み応えのある一冊でした。

続く

7月19日(土)

黒岩

今回の題材の中では読むのに一番時間を掛けざるを得なかったもので、どもまで理解できたかという気はするんですけれど、今回は、この後で触れる寺井淳さんの歌集もちょっと似たところがあるような歌集でして、つまり言葉に関する言挙げが、冒頭に詠まれているのが共通していますし、天皇制に対する、あるいは皇室に対する屈折した思いが詠まれているとか、ある部分で共通しているところがあります。それから、寺井淳さんの歌集の栞の中で小高賢さんが、ことば派と人生派ということを言っているのですけれど、塚本さんは勿論、寺井さんもことば派で、僕はどちらかといと、ことば派の人たちは苦手なんですね、それでなかなか読み込むことが辛かったんですけど、ただ、この塚本さんの『約翰傳偽書(ヨハネでんぎしょ)』に関して言うと、一層、終末意識が強まったという気がするのと、それから、近年の塚本さんの歌集はどれもそうなんですけど、戦争に対する思いが出てくる。それが象徴的に表れたのが、「山川呉服店先代の石碑にしがみつく珈琲色のうつせみ」。塚本邦雄さんは意識されて、最近歌集には必ず一首、「山川呉服店」の歌が出てくるんですけれど、今回に関していうと、あまりこの後の展開がしにくそうな歌というか、さっき終末観ということを言ったんですけど、ずっと山川呉服店という店があって、その先代がある業績を上げたのを顕彰して石碑が建っているのでしょうが、それに「うつせみ」、この世の人とかこの世というものがしみつうている、それが珈琲色であうというのは、セピア色とはまたちかうんでしょうけども、もう非常に過去の姿というか、この後、未来がありそうにない歌だと思いました。シリーズ的な歌でも、あまり次の展開、しやわせな展開は予測されないこういう歌をいれられているというところが象徴的かなと。それと、戦争に関連して詠まれている「常の日に似ることも恐ろし葉月十五日灰色の白百日紅(しろさるすべり)」という歌。八月十五日を、塚本さんは必ず敗戦記念日とか敗戦忌と言われるわけですけれども、やはり日本というのはそこで負けたんだ、八月十五日は、普通に考えると三百六十五日の中の一日でしかないわけですけど、「常の日」であってはいけないんだというのが塚本さんの意志なのでしょう。この二つの歌を見ても塚本さんがこの歌集に込められたテーマが見えてくると思いました。

高野

「うつせみの」は「空蝉の」「現身の」両方ありますがこの場合は「空蝉」蝉の抜け殻ですね。「山川呉服店」はもう倒産して別の店になっていまして、ただその廃墟を見ているような気持。歌集ごとに「ブティック・ヤマカワ」とか、いろいろな変遷があったんですね。そして久しく忘れていた山川呉服店を訪ねたということで、まあ塚本さんの読者サービスですね。近年、どの歌集にも必ず登場してくるので、読むとき、あの山川シリーズはどうなったかという期待がある。

黒岩

はい、その期待を裏切らないというか。

高野

それから今、挙げられた「常の日に似ることも怖ろし葉月十五日灰色の白百日紅」、これも近年の歌集に必ず出てくる敗戦忌の歌ですね、白百日紅だけども灰色ということは、つまりきれいな白百日紅が汚れて不様であるというイメージ。そういうふうに歌ったのは、日本があの戦争で負けて、その後、日本は本当にだめになった。自分はその戦争に立ち会っていたのに何もできず、自分の知り合いの人々は死んだ。自分はその口惜しさを引きずって生き残っている…、とそういうくやしみの歌がどの歌集にも出てきまして、ああ、また出てきたというように思うけど、やはりいつもいい歌があります。この歌はもう一つ、本歌取りふうな趣向が凝らしてあって、「常の日に似る」というのは、松尾芭蕉に「文月や六日も常の夜には似ず」という句があるんですが、その句を踏まえているんですね。芭蕉の句は、七月七日は七夕で華やかな日だけれども、その前の日もなかその前兆として華やぎがあるというような句なんですけど、その作を踏まえています。八月十五日なのに、常の日に似ることが恐ろしいという気持です。

 他にも戦争に関する歌がありますが、歌い方が今まであまりなかっただろうと思われる歌を一首挙げると、最初の『約翰傳偽書(ヨハネでんぎしょ)』の中の一連で、「ありし日の『し』こそ真実、刎頚の友消えうせて形見の長靴」、この「長靴」はナガグツでなくチョウカです。軍人が履く長い靴ですね。「刎頚の友」、つまり非常に仲のいい友だちが、戦死した、自分は生き残った。そういう歌です。過去である「ありし日」、たとえば昭和十九年何月何日に奴は死んだ。あの事実は自分にとって非常に大きい、恐ろしいことだ。そういうことを「ありし日の『し』

こそ真実」というふうに歌っているのは、今までなかったような方法で、これは工夫なさっていると思いました。

 それから、これは難しい問題で、最初に中川さんが触れられましたけど、なぜ歌集名が『約翰傳偽書(ヨハネでんぎしょ)』となたかということを僕なりに考えました。ヨハネというのはパプティスト・ヨハネというのかな、洗礼者ヨハネですね。イエスにも洗礼を施した人です。そしてイエスとともに、人間はこういうふうに生きなくてはいけないという教えを広めたわけです。その頃はキリスト教という呼び名はなかったけど、イエスの教えを広めていった。しかしイエスは捕らえられて処刑され、ヨハネも結局殺される。二人とも宗教に関って、宗教的迫害で死んだわけです。翻って自分を戦争という場所に置いて考えると、自分の知り合い、あるいは日本国民の多くがあの戦争のために死んだけれども、自分はぶざまに生き残ってしまった。自分は「死なざりしヨハネ」たと思う。それで『約翰傳偽書(ヨハネでんぎしょ)』という名前にしたのかなと思うんです。

黒岩

なるほどね。

8月3日(日)

高野

だからその名前は、この歌集に限らないわけで、前からそういう名前の歌集でもよかったわけですけどね。

中川

そこが非常に難しくて、福音書というのはヨハネ伝もマタイ伝マルコ伝もルカ伝もそれぞれイエス・キリストの一生とその行いを記し、教えを伝えたものですね、それで塚本さんは文学的形態の一つとしてヨハネ伝を捉え、そこに書かれていることに、もっと人間の本質に触れる劇的な記録というものを見ていくというのがあったのですね、

 で、そうするとヨハネはイエス・キリストを「福音書」(ヨハネ伝)として書いたんだけれど、塚本さんは歌集によって、ヨハネ伝の振りをしながら暗部も持つ人間そのものと、人間がつくり出す社会というものを見て、人間と戦争を歌ったのではないかと。だからヨハネ伝の「偽書」なんだというふうに考えるんですけど、ではなで「偽書」としたかというところが、塚本さんにはいろいろなものが含まれていて、興味を惹かれたところです。

高野

自虐の心かなと思います。ヨハネについて書いてあるのはヨハネ伝福音書だけじゃなくて、ルカ伝とかマルコ伝にも出てくるわけで、それらを総合して塚本さんの頭の中にヨハネの生き方というイメージがあって、それと自分を比べている。そして、自分の生き方はそのヨハネから外れていて、偽ものであると、こう言ってるんだろうと思ったんですけどね。

中川

聖書の注釈書とかいろいろ当たってみると、ヨハネという人はとても勇気のある人だったけれど、非常に厳しくて、野心的で、寛容な人ではなかったということですね。

高野

野人みたいな汚い格好をしていたという伝説もある。

中川

だけどイエス・キリストから一番、愛された方で。

高野

イエスとヨハネは又従兄弟なんです。遠い親戚です。イエスのお母さんのマリアと、ヨハネのお母さんのエリザベツという人が従兄弟なんですよ。そして二人とも未婚の母なんです。だからイエスとヨハネは二人とも父なし子なんですね。年も近いわけです。で、ヨハネが洗礼を授けた後は二人で仲よく一緒に行動して、キリストがまず捕まって処刑された。ヨハネはその後も布教活動をして、いろいろなことを説いて回って、人間ちゃんと規律を守って清らかに生きなくてはいけないというようなことを言って、人々がたくさん集まってきて、ヨハネは信頼された。それを見て当時の王様のヘロデという人が、あいつ、生かしておくと危ないからというので捕らまえた。それで、ある時、なにか宴会をやった時にサメロが踊りを踊って、褒美に何かやるから言いなさいと言ったら、ヨハネの首が欲しいと言った。そこで、首を斬られるわけですね。非常にドラマティックな一生を送った人です。つまりヨハネはサメロのために首斬られて死んだけれども、自分は生き延びている。塚本さんはそれが口惜しい。

黒岩

そこに重なってくるわけですね。それだとわかるなあ。

高野

戦争という重い主題とは別に、塚本さんの歌集には、ちょっと黒っぽいユーモア、ブラックユーモアが至るところにあって、それが面白い。軽いものもありあますが、たとえば僕がくすっと笑った歌、「鶏頭の実りきつたる一群を薙ぎ棄てついつまでも子規嫌ひ」、これは完全に自分の好みを直接述べているんですね。この年になっても、どうも子規は嫌いだなという歌で、ちょっとした、小さな笑いだけど、面白い歌です。

黒岩

それと近いのが「花よりほかに知る人ぞある仏滅の吉野に俗物がまだ一人」。僕は、この俗物がはっきり誰を指しているのかがよくわからなかったのですが、このへんがふっと笑わせてしまうというか。

中川

愛の歌も目につきました。さまざまな愛の形があるんですが、刎頚の友という、「かの時に触れあひたるは刎頚の朋の胸骨剣状突起」、これとても塚本さんらしくて、微妙なものがここにある。

高野

刎頚の友がこの歌集に何回も出てきましたね。お好きな言葉みたいでうね。昔からそうですが…。

黒岩

自分の年齢で共感を感じたのは、「かくて輝かざる青春に訣れしが壮年、血のしたたれる創年」、これはやっぱり僕くらいの年のことかなと思って、共感もちました。

高野

「創年」は造語でしょうね。

黒岩

血のしたたれる、要する創(きず)をもった年ですね。

高野

あっ、そうか。「創造」の創でなくて「創(きず)」か。いや両方でしょう。創年のソウは、壮年であると同時に、傷つく創年であるという意味。「ネロ」もよく出てきますね。

中川

「気紛れに愛して忘るぬばたまのネロ皇帝と雨月の花火」、こういう愛もあるのかと。「雨月(うげつ)」というのは、満月なのに雨が降っている…。だから「雨月の花火」は、実際に雨が降っていて、月が出ているけど見えない、という。

高野

皇帝ネロという暴君がやりそうなことです。普通なら中止ですけどね(笑)。それから、塚本さんの歌集には、歌に対する思いがよく出てきますね。自分は歌についてどう思う、みたいな歌が随分あります。「沈丁花香りつつかつこぼれつつ捨つるには愛し過ぎたり『歌』」、決して「歌はいい」とは言わない。必ず、愛するものに対して、同時に憎しみを一緒にまぜて歌う。そこが塚本さんらしい。

中川

社会に対する危惧が多く見受けられるんです。また空(「空蝉をにぎりつぶして目つむればこの世のとどのつまりの響き」)。家族というものは現代でだいぶありようが変わっているんですが、「核家族、核分裂の寝室に一瞬硫黄ものきの臭ひ」、いかにも現代的な家族のあり方、「硫黄もどきの臭ひ」は感覚的な把握の歌で、今の核家族のあり方を、核分裂しているんだというように捉えて、鋭いです。

高野

この歌集でも、いつものように独特な、結句六音、このスタイルをずっとやっていらっしゃって、このままだと短歌は五七五八六になってしまうのではないか(笑)。塚本さんはこの形が好きみたいですね、ついちょっと真似したくなることもあります。

<平成13年8月4日>

8月16日(土)

「国文学」58年2月号より

塚本邦雄(魂のレアリスム、を)  安森敏隆(梅光女学院大学助教授)

代表歌

輸出用蘭花の束を空港へ空港へ乞食夫妻がはこび (「水葬物語」)

釘、蕨、カラーを買ひて屋上にのぼりきたりつ。神はわが櫓 (「緑色研究」)

ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一台 (「感幻楽」)

代表歌論

 即ち、反レアリスムとか難解派とかいう不思議な名称をあたえて、頑として短歌の世界にのみ許容されている古い手法を守っている人々が、まるで自分の代弁者を詩壇にまで発見したような錯覚をして雀躍しそうな部分が少なからずある。(略)僕たちの信じている方法は「魂のレアリスム」であり、使用する手法は寧ろオーソドクスな常識的なものである。(「短歌研究」昭和31・3)

 短歌はやっと「ここまで来た」のではない。「ここから出発しよう」としているのである。近代短歌には終焉に近づきつつあるという。夕映の文学であるという。が、短歌に果たして近代があったろうか。(略)自然主義の極く淡められ歪められた程度の文学理念しかもち得なかった短歌、茂吉と迢空の樹てたささやかな二つの金字塔をのみ暗い地平線に遺してゆく短歌。僕たちの短歌はそこからの出発なのだ。(「短歌」昭和32・4)

 現実社会が瞬間に変質し、新たな世界が生れる予兆を、直感によって言葉に書きしるす、その、それ自体幻想的な行為をあえてする自覚なしに、歌人の営為は存在しない。(「短歌」昭和39・4)

       ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 塚本邦雄は大正十一年(1922年)八月七日、滋賀県神崎郡五個壮町に父欽三郎、母寿賀の次男として出生した。

 昭和十九年(二十二歳)八月末の母の死をきっかけに挽歌百首を制作し、大阪の雑誌「青樫」にも参加して月月作品を発表するようになる。昭和二十二年(二十五歳)、前川佐美雄に師事し「日本歌人」に短歌を発表し、翌二十三年(二十六歳)、杉原一司と会い、二十四年(二十七歳)八月、同人誌「メトード」を杉原一司の命名にて創刊し、翌年二月まで七号を編輯発行する。昭和26年(二十九歳)、第一歌集『水葬物語』を亡友・杉原一司に献ずる。この歌集は次の一首に象徴されるように誠にメタフィジカルな作品を冒頭にすえることによってはじまっている。

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

「革命歌作詞家に凭りかかられ」ることによって「液化してゆくピアノ」など、かつて誰も短歌で詠んだものはいない。言語の意味の指示のみを信じきた者にとっては、あの硬質の黒びかりする「ピアノ」(物質)が「革命歌作詞家」(人間)に凭りかかられようが、煮られようが決して「液化」などしないことをよく知っている。だが、この時点における塚本邦雄の命題は、そうした日常形而下的な言葉の次元での「詩」などつくるに価しない、言葉のもうひとつの自己表出的な機能を全円的に開放し「イメージ」をつきつめることによって「革命歌作詞家」という第三人称的アルター・エゴが作品の中に動かざる主語としてよみがえることを企画していたのである。これは決して他のものに変換しようのない主語である。「革命歌作詞家」だからこそピアノが「液化」するのであり、それは決して「国歌作詞家」等であってはいけないのである。

 塚本邦雄の短歌の出発にあったての決意は、日常的、詠嘆的なものを「言語」がひきずっている短歌の世界にあって、その日常的な意味の指示を否定し、もうひとつの自己表出的なイメージとしての言語の回復にあったことが解る。日常的な意味や詠嘆を否定し、イメージの世界のリアリティの回復にかけ「魂のレアリスム」を現出させたのである。

五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤独もちてへだたる (「装飾楽句」)

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも (「日本人霊歌」)

燻製卵はるけき火事の香にみちて母がわれ生みたること(ゆる)す (「水銀伝説」)

雉食へばましてしのばゆ()た娶りあかあかと冬も半裸のピカソ (「緑色研究」)

固きカラーに擦れし咽喉輪のくれなゐのさらばとは永久に男のことば (「感幻楽」)

 言葉の錬金術師と呼ばれ、自らもメソッド工房をつくり、練りあげつくりあげてきた短歌はここにとりあげた第六歌集までの総数だけでみても二千首になんなんとする。以降、第十三歌集『歌人(うたびと)』まで刊行され、さらに<間奏歌集><小歌集><未刊歌集><彩画歌集>等の作品をあわせると膨大な数に及ぶ。だがそれら多くの歌の創造と試行の根底にひそむ塚本自身の獲得した短歌文体の特徴はここに抄出した五首にもはっきりと刻印されているように思う。それは一口でいえば二元論的文体ということが出来る。一首の歌の中に二つの異質な「もの」が常に用意され対比されているのでもある。

 たとえばそれは「汗の青年」と「病むわれ」であり、「日本」と「皇帝ペンギン」、「燻製卵」と「母」、「雉」と「半裸のピカソ」、「咽喉輪」と「男のことば」である。それぞれの「もの」が一首の歌の中で自己主張し、たがいにぶつかるのである。このぶつかりあいの対比性の彼方に出てくるものが塚本の獲得したイメージと思想である。この二元的発想は上下(句)の二元的発想を母胎としながら、さらに核分裂的に一個の単語にいたるまで徹底されている。たとえば、最初の一首、「五月祭」と「汗」の間に「の」という助詞をおくことによって容易に連結するのである。さらに「火」と「孤独」を「ごとき」という直喩法でもって連結させている。この例からもわかるように塚本邦雄の言語表出意識は、日常的言語の<意味>を峻拒し、<日常的意味>と<日常的意味>の疎隔する言葉をわざとぶつけることによって別の秩序をつくり出す二次元的志向からくるものであった。

 塚本邦雄は単に時代の異端児や寵児ではない。昭和二十年の敗戦を二十三歳でむかえた塚本にとって、畏敬し資質をともにする三島由紀夫が<もはや、日本はこれでおわった>という認識と美をもって『金閣寺』を書いていったと同じ位相にたっていたのである。そうした塚本邦雄にとっての以降の生は、虚構の生であり、戦後の現実はすべて彼の目をくぐりぬけるとき、その虚構を曝露され、すべての現象が<虚構>軸で統一されるのである。だとすれば、塚本邦雄にとって目に見える<現実>は信じるにたりないし、<現実>の諸相はすべて「写生」という従来のリアリズムではとらえられないし、又そんな<現実>など、とらえてもしかたが無いのである。現実の現象の彼方にあるものを透視するに<幻想>というパースペクティヴを駆使し「魂のレアリスム」を唱える所以がここに顕現するわけである。

9月29日(月)

「作歌のための基礎訓練」(『短歌研究』平成10年1月号より)

五句三十一音の解体再構成

 短歌の世界に初見参した私が、まず浴びた罵声は、「韻律の乱れ」と称する俗論であった。五・七調五句三十一音たるべき一首が、その掟から逸脱しているというのだ。主題も方法論も、あるいは作者自身のレゾンデートルである「美学」さえも一切無視して、まるで音痴扱いの暴論が、私に襲いかかって来た。私は胸中でそれらの論者を憫笑していた。

・革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ  「水葬物語」

・つひにバベルの塔、水中に淡黄の()をともし―若き大工は死せり     同

     ひとりするどく憎むショパンを「砂糖かけられたる牡蠣」と言ひしコルトー「驟雨修辞学」

     噴上げの穂さき疾風(はやて)に吹きをれて頬うつ しびれるばかりに(しもべ)  「感幻楽」

     百合科病院、天南星科医師、茄子科看護婦、六腑夜ひらくてふ  「青き菊の主題」

以上の例はまさに九牛の一毛である。千篇一律の三十一音、死んで久しいこの怠惰軽薄冗長退屈な調べえを、蘇生復活させるには、鋭利なメスが必要であった。そしてそのメスは決して、他国のシュールレアエリストやダダイストが隠しているものではなく、日本の古典にも存在していた。「水葬物語の時代」=二十代後半=から、私は上句・下句があたかも歌仙の発句と脇のような対比になることを極力避け、その文体を選ぶ時は必ず必然性の内在するケースに限った。

 この歌仙の長・短句的文体が古来から現在まで、いかにはびこり、短歌をくたびれさせていることか。そのマナーリズムが、「現代短歌」を退歩にみちびく以外、何の効果があるのか。先人達の顰蹙する律調越境現象がそれほど異常なことか。紫式部の百人一首歌「めぐりあひて見しや・それともわかぬまに」は「めぐりあひて・見しやそれとも」と明らかに句跨りであり、こんな例は上代・中世にも夥しい。

 小生の「噴上げの」の作は「ふ・ほ・は・ふ・ほ・し・し」と「H音5・S音2」の音律効果を狙ったものだが、「千五百番歌合」の藤原俊成の下記のはどうだろう。また芭蕉の三十代終り四十代初期の甚だしい句跨りの抜群の効果を何と見るか。私はこれに典拠して、五句三十一音の解体再構成を狙った。今日もなお、その試行は、錯誤抜きで実行している。

     荒れわたる秋の庭こそ哀れなれまして消えなむ露の夕暮

俊成の露の命の夕暮の悲哀は、上句ア行音三回頭韻の明るいひびきで救済される。芭蕉の、次の巧みな「跨り」の妙味。「髭風を吹て・暮秋歎ずる・は誰が子ぞ」「曙や・白魚白き・こと一寸」「五月雨に・鳩の足みじ・かくなれり」等々、分裂は名詞のみならず動詞も形容詞も随所で断たれ、それが絶妙の味を出している。以ってわが技法の鑑とした。

昭和58年2月号「国文学」より

花月五百年21代集名歌二百選(塚本邦雄)

8月24日(日)

春40

1.なほ冴ゆる嵐は雪を吹きまぜて夕暮さむき春雨の空     永福門院(玉葉集)
2.水籠(みずも)りに蘆の若葉や萌えつらむ玉江の沼を漁る春駒     藤原清輔(千載集)
3.かつ消えて庭には跡もなかりけり空にみだるる松の泡雪      後村上上院(新葉集)
4.花や雪霞や煙時知らぬ富士の高嶺に冴ゆる春風     藤原忠良(風雅集)
5.春日野やまだ霜枯の春風に青葉すずしき荻の焼原     順徳院(続古今集)
6.もの思へば心の春も知らぬ身になに鶯の告げに来つらむ     建礼門院右京大夫(玉葉集)
7.有明の月は涙に曇れども見し世に似たる梅が香ぞする     後鳥羽院下野(新敕撰集)
8.袖振れば色までうつれ紅の初花染に咲ける梅が枝     後嵯峨院(続拾遺集)
9.君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る     紀友則(古今集)
10.さ夜ふけて風や吹くらむ花の香の匂ふ心地の空にするかな     藤原道信(千載集)    

8月30日(土)

11.見ぬ世まで思ひ残さぬながめより昔に霞む春の曙     藤原良経(風雅集)

12.思ひ出でば同じながめにかへるまで心に残れ春の曙     慈円(風雅集)

13.暮れぬとてながめすつべき名残かは霞める末の春の曙     京極為兼(風雅集)

14.玉藻刈る方やいづくぞ霞立つ浅香の浦の春の曙     冷泉為相(新千載集)

15.人問はば見ずとや言はむ玉津島霞む入江の春の曙     藤原為氏(続後撰集)

16.あはれしばしこの時過ぎてながめばや花の軒端の春の曙    藤原為子(玉葉集)

17.薄墨に書く玉章(たまづさ)と見ゆるかな霞の空に帰るかりがね     津守国基(後拾遺集)

18.入方の月は霞の底にふけて帰りおくるる雁の一つら    永福門院内侍(風雅集)

19.今宵寝て摘みて帰らむ菫咲く小野の篠原露しげくとも     源国信(千載集)

20.朝夕花待つほどは思ひ寝の夢のうちにぞ咲きはじめける     崇徳院(千載集)

21.吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき     西行(続後拾遺集)

22.照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき  大江千里(新古今集)

23.山の端の月待つ空の匂ふより花にそむくる春のともし火   藤原定家(玉葉集)

24.梢には花もたまらず庭の面の桜にうすき有明のかげ     伏見院(新後拾遺集)

25.あたら夜の四阿(まや)のあまりにながむれば枕に曇る有明の月   後鳥羽院(続後撰集)

26.花散らば起きつつも見む常よりもさやけく照らせ春の夜の月 藤原能宣(続後拾遺集)  

27.今日桜雫にわが身いざ濡れむ香ごめに誘ふ風の来ぬ間に    源融(後撰集)

28.はかなくて過ぎにし方を数ふれば花にもの思ふ春ぞ経にける  式子内親王(新古今集)

29.ながむればわが身一つのあらぬ世に昔に似たる春の夜の月     俊成女(続後撰)

30.山の端はそこともわかぬ夕暮に霞を出づる春の夜の月     宗尊親(玉葉集)

9月7日(日)

31.今日と言へばもろこしまでも行く春を都にのみと思ひけるかな    藤原俊成(新古今集)

32.水上に桜散るらし吉野川岩越す波の花と見えつつ    待賢門院安芸(続後撰集)

33.山高み嶺の嵐に散る花の月にあまぎる明方の空     二条院讃岐(新古今集)

34.心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を    能因(後拾遺集)

35.桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける    紀貫之(古今集)

36.庭の面は埋みさだむる方もなし嵐にかろき花の白雪    津守国助(玉葉集)

37.つくづくと雨ふるさとの(にはたづみ)散りて波よる花のうたかた  藤原清雅(風雅集)

38.明日よりは志賀の花園稀にだにたれかは訪はむ春のふるさと  藤原良経(新古今集)

39.濡るるさへうれしかりけり春雨に色ます藤の雫と思へば    源顕仲(金葉集)

40.匂ふより春は暮れゆく山吹の花こそ花の中につらけれ   藤原定家(続新古今集)

9月14日(日)

夏18

41.惜しむとて今宵書きおく言の葉やあやなく春の形見なるべき 崇徳院(詞花集)

42.橘にあやめの枕匂ふ夜ぞ昔をしのぶ限りなりける    藤原俊成(新後撰集)

43.かへり来ぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕に匂ふ橘   式子内親王(新古今集)

44.袖の香は花橘にかへり来ぬ面影見せようたた寝の夢   藤原為子(新千載集)

45.をりしもあれ花橘のかをるかな昔を見つる夢の枕に   藤原公衛(千載集)

46.樗咲く外面の木蔭露落ちてさみだれはるる風わたるなり  藤原忠良(新古今集)

47.花鳥の春におくるるなぐさめにまづ待ちすさぶ山ほととぎす  花山院(風雅集)

48.ほととぎすそのかみ山の旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ  式子内親王(新古今集)

49.過ぎぬとも声の匂ひはなほとめよほととぎす鳴く宿の橘 守覚法親王(玉葉集)

50.玉くしげ開けつるほどのほととぎすただ二声も鳴きて来しか よみ人知らず(後撰集)

51.あしひきの山ほととぎす今日とてやあやめの草のねに立てて鳴く   醍醐天皇(拾遺集)

52.うちしめりあやめぞかをるほととぎす鳴くや五月の雨の夕暮 藤原良経(新古今集)

53.今日も今日あやめもあやめ変らぬに宿こそありし宿と覚えね 伊勢大輔(後拾遺集)

54.鹿たたぬ端山(はやま)の裾に照射(ともし)して幾夜かひなき夜を明かすらむ  源顕仲(金葉集)

55.牡鹿待つ猟夫(さつを)火串(ほくし)ほの見えてよそに明けゆく端山繁山   藤原為氏(風雅集)

56.五月山弓末(ゆずゑ)振り立てともす火に鹿やはかなくめをあはすらむ 崇徳院(新拾遺集)

57.今日はまたしのに折り()へ禊して麻の露散る蝉の羽衣   和泉式部(新拾遺集)

58.夏はつる扇と秋の白露といづれか先におかむとすらむ   壬生忠岑(新古今集)

9月21日(日)

秋47

59.この寝ぬる朝げの風の少女子が袖振る山に秋や来ぬらむ   後鳥羽院(続後撰集)

60.暮れゆかば空の気色もいかならむけさだにかなし秋の初風  藤原家隆(新勅撰集)

61.走井のほどを知らばや逢坂の関引き越ゆる木綿鹿毛(ゆふかげ)の駒    清原元輔(拾遺集)

62.更けぬなり星合の空に月は入り秋風動く庭のともし火      光厳院(風雅集)

63.天の河瀬々の白波高けれどただ渡り来ぬまつに苦しみ   よみ人知らず(後撰集)

64.おほかたの露には何のなるならむ袂におくは涙なりけり      西行(千載集)

65.人は皆心のほかの秋なれやわが袖ばかりおける白露    二条院讃岐(新後撰集)

66.鴨跖草(つきくさ)に衣は摺らむ朝露に濡れてののちは移ろひぬとも  よみ人知らず(古今集)

67.草の葉におきそめしより白露の袖のほかなる夕暮ぞなき    順徳院(続後撰集)

68.秋風の露を涙と鳴く虫の思ふ心は誰か問はまし         橘正通(詞花集)

69.露しげき蓬が中の虫の音をおぼろげにてや人のたづねむ      紫式部(千載集)

70.白玉か何ぞと人の問ひし時露とこたへて消えなましもの   在原業平(新古今集)

10月18日(日)

71.蓬生にいつかおくべき露の身は今日の夕暮明日の曙       慈円(新古今集)

72.武蔵野や行けども秋の果てぞなきいかなる風の末に吹くらむ  源通光(新古今集)

73.秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ 和泉式部(詞花集)

74.吹きしをる四方(よも)の草木の裏葉見えて風に白める秋の曙   永福門院内侍(玉葉集)

75.狩人の入野の露のしらま弓末もとををに秋風ぞ吹く      順徳院(続拾遺集)

76.秋風や涙もよほすつまならぬむおとづれしより袖の乾かぬ    源俊頼(千載集)

77.秋風よたなばたつめにこととはむいかなるよにかあはむとすらむ    藤原義孝(拾遺集)

78.秋風に声弱りゆく鈴虫のつひにはいかがならむとふらむ   大江匡衝(新古今集)

79.秋の夜のあやしきほどの黄昏に萩吹く風の音を聞くかな  斎宮女徴子(続古今集)

80.風に聞き雲にながむる夕暮の秋の憂へぞたへずなりゆく    永福門院(玉葉集)

81.入相は檜原(ひはら)の奥にひびきそめて霧にこもれる山ぞ暮れゆく   足利尊氏(風雅集)

82.萩原や夜はに秋風露吹けばあらぬ玉散る牀さむしろ   藤原良経 (続後拾遺集)

83.遥かなるもろこしまでも行くものは秋の寝覚のこころなりけり 第弐三位(千載集)

84.何となくものぞ悲しき菅原や伏見の里の秋の夕暮        源俊頼(千載集)

85.浅茅生や袖に朽ちにし秋の霜忘れぬ夢を吹く嵐かな      源通光(新古今集)

86.わたの原八重の潮路に飛ぶ雁の翼の波に秋風ぞ吹く      源実朝(新勅撰集)

11月3日(日)

87.憂きことを思ひつらねて雁がねの鳴きこそ渡れ秋の夜な夜な 凡河内躬恒(古今集)

88.さ夜ふけて旅の空にて鳴く雁はおのが羽風や夜寒なるらむ  伊勢大輔(後拾遺集)

89.秋風に夜渡る雁の音に立てて涙うつろふ庭の萩原    性助法親王(続後拾遺集)

90.あはれさもその色となき夕暮の尾花が末に秋ぞ浮かべる    京極為兼(風雅集)

91.忘れずよ朝浄めする殿守の袖に移りし秋萩の花      後嵯峨天皇(続後撰集)

92.鳩の鳴く杉の梢の薄霧に秋の日弱き夕暮の山        花園院一条(風雅集)

93.玉寄する浦わの風に空晴れて光をかはす秋の夜の月       崇徳院(千載集)

94.秋の海に映れる月をたちかへり波は洗へど色も変らず      清原深養父(後撰集)

95.ことわりの秋にもあへぬ涙かな月の桂も変る光に         俊成女(新古今集)

96.あり果てぬ浮世を秋の来る方に誘へとぞ思ふ山の端の月  藤原俊顕(新続古今集)

97.たぐいなく心細しや行く秋のすこし残れる有明の月   殷富門院大輔(続後撰集)

98.明石潟海人の苫屋の煙にもしばしぞ曇る秋の夜の月      順徳院(続後撰集)

99.見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮     藤原定家(新古今集)

100.夕月夜小倉の峰は名のみして山の下照る秋のもみぢ葉   後醍醐院(新千載集)

101.君恋ふる涙に濡るるわが袖と秋の紅葉といづれまされり     源整(後撰集)

102.聞きわびぬ葉月長月ながき夜の月の夜寒に衣うつ声   後醍醐天皇(新千載集)

103.松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉河の里       源俊頼(千載集)

104.秋といへばものをぞ思ふ山の端にいさよふ雲の夕暮の空 式子内親王(新敕撰集)

105.世の中を何にたとへむ秋の田をほのかに照らす宵の稲妻    源順(後拾遺集)

冬20

106.しぐれつつかつ散る山のもみぢ葉をいかに吹く夜の嵐なるらむ  藤原顕季(金葉集)

107.神無月しぐるる頃もいかなれや空に過ぎにし秋の宮人     相模(新古今集)

108.むら時雨はれつるあとの山風に露よりもろき嶺のもみぢ葉 藤原為冬(新千載集)

109.風の音のはげしく渡る梢よりむら雲寒き三日月の空     永福門院(玉葉集)

110.津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉を風渡るなり      西行(新古今集)

11月16日(日)

111.寂しさは色も光も更けはてて枯野の霜に有明の月     亀山院(新続古今集)

112.星清き夜はの薄雪空晴れて吹きとほす風を梢にぞ聞く     伏見院(玉葉集)

113.冬の夜はあまぎる雪に空冱えて雲の波路にこほれる月影 宜秋門院丹後(新敕集)

114.冱ゆる夜の雪げの空のむら雲をこほりて伝ふ有明の月   二条為世(新拾遺集)

115.冱ゆる夜は誘ふ水だに絶えぬとや氷柱の牀に鴛の鳴くらむ  楊子内親王(新後拾遺集)

116.花と散り玉と見えつつあざむけば雪ふる里ぞ夢に見えける 菅原道真(新古今集)

117.寂しさを訪ひ来ぬ人の心まであらはれそむる雪の曙    宮内卿(新続古今集)

118.花よただまだうす曇る空の色に梢かをれる雪の朝明       藤原為子(風雅集)

119.霰ふる雲の絶え間の夕づく日光をそへて玉と乱るる       藤原為藤(玉葉集)

120.月冱ゆる氷の上に霰ふり心砕くる玉川の里         藤原俊成(千載集)

121.ふる雪は消えでもしばしとまらなむ花も紅葉も枝になき頃  よみ人知らず(後撰集)

122.いとどまた誘はぬ水に根をとめて氷に閉づる池の(うきくさ) 後鳥羽院下野(続後撰集)

123.雲払ふ比良の嵐に月冱えて氷重ぬる真野の浦波       源経信(続古今集)

124.あまのはら空さへ冱えや渡るらむ氷と見ゆる冬の夜の月   恵慶法師(拾遺集)

125.暮れやらぬ庭の光は雪にして奥暗くなる埋火のもと      花園院(風雅集)

恋48

126.起きもせず寝もせで夜を明かしては春のものとてながめ暮しつ 在原業平(古今集)

127.またも来む秋をたのむの雁だにも鳴きてぞ帰る春の曙   藤原良経(新古今集)

128・かげろふに見しばかりにや浜千鳥行方も知らぬ恋にまどはむ   源等(後撰集)

129.かげろふのほの見し人の恋しさにあるにもあらず恋ひぞ消ぬべき 祐子内親王家紀伊(続後拾遺集)

130.思ひやれとはで日をふるさみだれにひとり宿もる袖の雫を   肥後(金葉集)

131.暁のなからましかば白露のおきてわびしき別れせましや  紀貫之(後撰集)

132.知らせばやほの三島江に袖ひぢて七瀬の淀に思ふ心を  源顕仲(金葉集)

133.われのみや燃えて消えなむ世とともに思ひもならぬ富士の嶺のごと  平定文(後撰集)

134.煙立つ思ひならねど人知れずわびては富士の嶺をのみぞ泣く  清原深養父(新古今集)

135.あな恋し行きてや見まし津の国の今もありてふ浦の初島   戒仙(後撰集)

136.いかにせむ浦の初島はつかなるうつつの後は夢をだに見ず   藤原定家(新拾遺集)

137.いかほのや伊香保の沼のいかにして恋しき人を今一目見む   素性(拾遺集)

138.聞くたびに勿来の関の名もつらし行きては帰る身に知られつつ   後嵯峨院(新後撰集)

139.心こそ行方も知らぬ三輪の山杉の梢の夕暮の空   慈円(新古今集)

140.おぼろげのあまやは潜(かづ)く伊勢の海の波高き浦に生ふる海松(みるめ)を   伊勢(後撰集)

141.みるめこそあふみの海にかたからめ吹きだに通へ志賀の浦風   伊勢大輔(後拾遺集)

142.ながめつつ待たねばと思ふ雲の色を誰夕暮と君のたのむらむ   藤原定家(玉葉集)

143.逢ふことは今は片帆になる舟の風待つほどは寄る方もなし   壬生忠岑(続古今集)

144.逢ふことは遠山鳥の狩衣きてはかひなき音(ね)をのみぞ泣く   元良親王(後撰集)

145.草枕結びさだめむ方知らずならはぬ野べの夢の通ひ路   藤原雅経(新古今集)

146.知るらめや落つる涙の靄ともに別れの牀に消えて恋ふとは   二条院(千載集)

147.また結ぶ契りも知らで消えかへる野上の露のしののめの空   後小松院(新続古今集)

148.有磯海(ありそうみ)の浦吹く風も弱れかし言ひしままなる波の音かは   宗良親(新葉集)

149.あな恋しはつかに人を水の泡の消えかへるとも知らせてしかな   藤原実頼(拾遺集)

150.泣きわびて世を空蝉となりぬれば恨むることも今は聞えず   藤原興風(続千載集)

151.世の中はいさともいさや風の音は秋に秋添ふ心地こそすれ   よみ人知らず(拾遺集)

152.秋は来ぬ行方も知らぬ嘆きかなたのめしことは木の葉ふりつつ   式子内親王(続後撰集)

153.待つとてもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬ秋の夕暮   和泉式部(千載集)

154.秋風にかきなす琴の声にさへはかなく人の恋しかるらむ   壬生忠岑(古今集)

155.風吹けば漂ふ雲の空にのみ消えてもの思ふ秋の夕暮   藤原光俊(続拾遺集)

156.忘れじの言の葉いかになりぬらむたのめし暮は秋風ぞ吹く   宣秋門院丹後(新古今集)

2月3日

157.吹くからに身にぞしみける君はさはわれをや秋の木枯しの風   八条院高倉(新勅撰集)

158.漁火(いさりび)の夜はほのかにかくしつつあり経ば恋のしたに消ぬべし   藤原忠国(後撰集)

159.恋ひわびてながむる空の浮雲やわが下燃えの煙なるらむ   周防内侍(金葉集)

160.下燃えに思ひ消えなむ煙だに跡なき雲の果てぞかなしき   俊成女(新古今集)

161.降らぬ夜の心を知らで大空の雨をつらしと思ひけるかな   小大君(拾遺集)

162.年経れど人もすさめぬわが恋や朽木のそまの谷の埋れ木   藤原顕輔(金葉集)

163.身をつめばあはれとぞ思ふ初雪の降りぬることも誰に言はまし   右近(後撰集)

164.菅原や伏見の里の笹枕夢も幾夜の人めよくらむ    順徳院(続後撰集)

165.夢路には足も休めず通へどもうつつに一目見しことはあらず   小野小町(古今集)

166.はかなしや枕さだめぬうたた寝にほのかに迷ふ夢の通ひ路   式子内親王(千載集)

2月5日

167.むばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらも勝らざりけり   よみ人知らず(古今集)

168.夢にだに見で明かしつる暁の恋こそ恋の限りなりけれ   和泉式部(新勅撰集)

169.ありし夜の別れも今の心地して鳥の音ごとにわれのみぞ泣く   藤原為家(続古今集)

170.逢ふことはこれや限りの旅ならむ草の枕も霜枯れにけり   馬内侍(新古今集)

171.たのみありて待ちし夜までの恋しさよそれも昔の今の夕暮   藤原為子(風雅集)

172.誰が契り誰が恨みにかかはるらむ身はあらぬ世の深き夕暮   冷泉為子(風雅集)

173.生きてよも明日まで人はつらからじこの夕暮を訪はば訪へかし   式子内親王(新古今集)


雑27首(一)

174.松風の雄琴の里に通ふにぞをさまれる世の声は聞ゆる   藤原敦光(金葉集)

175.狩り暮らしたなばたつめに宿借らむ天の河原にわれは来にけり   在原業平(古今集)

176.ふるさとを出でしにまさう涙かな嵐の枕夢に別れて   藤原定家(新後撰集)

177.昔見し蛍のかげは何ならでわが世の月ぞ空に傾く   藤原実冬(新続古今集)

178.あづま路の木の下暗くなり行かば都の月を恋ひざらめやは   藤原公任(拾遺集)

179.都にも久しき壱岐(いき)の松原のあらば逢うふ世を待ちもしてまし   周防内侍(新続古今集)

2月6日

180.逢坂の関の嵐のはげしきにしひてぞゐたる世を待ちもしてまし   蝉丸(続古今集)

181.箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見る   源実朝(続後撰集)

182.逢ふ人に問へど変らぬ同じ名の幾日になりぬ武蔵野の原   後鳥羽院下野(続古今集)

183.稀に来る夜はも悲しき松風を絶えずや苔の下に聞くらむ   藤原俊成(新古今集)

184.暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月   和泉式部(拾遺集)

185.思ひかねそなたの空をながむればただ山の端にかかる白雲   藤原忠通(詞花集)

186.限りあれば天の羽衣ぬぎかへておりぞわづらふ雲のかけはし   源経任(後拾遺集)

187.歎きみる斧のひびきの聞えぬは山の山彦いづちいにしぞ   藤原興風(新千載)

2月7日

188.玉くしげニ見の浦の貝しげみ蒔絵に見ゆる松のむらだち   大中臣輔弘(金葉集)

189.それとなき夕べの雲にまじりなばあはれ誰かはわきてながめむ   待賢門院堀川(風雅集)

190.夜もすがら心の行方尋ぬれば昨日の空に飛ぶ鳥の跡   仏国(風雅集)

191.笹の葉を夕露ながら折りしけば玉散る旅の草枕かな   待賢門院安芸(千載集)

192.袖にしも月かかれとは契りおかず涙は知るや宇津の山越   鴨長明(新古今集)

193.夕まぐれ木(こ)しげき庭をながめつつ木の葉とともに落つる涙か   藤原義孝(詞花集)

2月8日

194.明けぬなり賀茂の河原に千鳥鳴く今日もはかなく暮れむとすらむ   円松(後拾遺集)

195.名にし負はばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと   在原業平(古今集)

196.都鳥何こととはむ思ふ人ありやなしやは心こそ知れ   後嵯峨天皇(続古今集)

197.見るままにあまぎる星ぞ浮き沈む暁闇のむら雲の空   西園寺実兼(風雅集)

198.月冴ゆるみたらし川に影見えて冰に摺れる山藍の袖   藤原俊成(新古今集)

199.さながらや仏の花に手折らまし樒の枝にふれる白雪   後鳥羽院(玉葉集)

200.うばたまのわが黒髪や変るらむ鏡の影にふれる白雪   紀貫之(古今集)