今日の短歌NO.6
 わたしの歌歴(後藤人徳)
 昭和59年「賀茂短歌会」入会。現在編集発行人。
  歌集:「母胎」、「祈り」「わが家の天使」

以下に紹介します作品は、作ったばかりのものをそのまま書いています。推敲の手があまり入っていません。未完成の部分が多々あると思いますが、参考にしてもらえれば幸いです。...作者より
この先は楽観論に基いて生きゆくことを始めんとする

短歌は、三十一音からなる小さな世界です。その中に自分の思いを込めます。ですから、時間はなかなか織り込めない。今の一瞬、一瞬を歌うしかないのではないでしょうか。そう思います。また、そのように作っています。

平成20年今日の短歌NO.3 平成21年今日の短歌NO.1 平成21年今日の短歌NO.2 平成21年今日の短歌NO.3

 平成21年今日の短歌NO.4 平成22年今日の短歌NO.1 平成22年今日の短歌NO.2 平成22年今日の短歌NO.3

短歌と私:高野公彦 田井安曇 五島美代子 五島 茂 岡野弘彦 田谷 鋭 塚本邦雄 土岐善麿 福島泰樹 前 登志夫 前川佐美雄 安永蕗子

短歌鑑賞:石川啄木(1) 大野誠夫 塚本邦雄 岡井 隆 前田夕暮 上田三四二(1) 上田三四二(2) 宮 柊二 斎藤茂吉(1) 斎藤茂吉(2) 

斎藤茂吉(3)

短歌鑑賞(発見ということ)(1)


(注)近作は二重投稿のために掲載を遠慮します

7月31日

18年11月20日(月)

何故こうもこだわっている日本(にっぽん)のこの小さき詩に心注いで

短歌とはすでに滅びしものなのか化石のようなものなのだろうか

短歌滅べ短歌ほろべと呟いた化石のような短歌ほろべと

恥を知れ恥をしれという内の声うめきのようなこえが聞える

かくしつついつまで生きてゆくわれか自分をいじめいじけて生きる

神の愛をわれ信じたいすべて捨てわれ信じたい愛なる神を

7月30日(木)

18年11月19日(日)

わが好きなこんじょうという言葉あり根性と書き今生と書く

今生の言葉の意味をいま生きる今に生きると読み変えている

歌出来ぬ時にはまずは外に出(い)でかまわず歩け当てはなくとも

忠魂碑の台座に彫られし星マーク錨マークが苔に覆わる

椎の木の根方に立てる忠魂碑いま椎の実があまた散ってる

挨拶に自ずと寒さが口を出るすでに霜月半ば過ぎたり

霜月の半ば過ぎたる伊豆の山木々のもみじがいまか始まる

7月29日(水)

18年11月18日(土)

底知れぬ空は青色底知れぬ海は青色青色が好き

本当の歌とは何か命なりいのちとはなに生きることなり

銀行に返済せねば潰される給料遅配は社員が逃げる


7月28日(火)

18年11月15日(水)

現状の打開をせんとする吾に透析の妻自閉症の息子

過重なる債務伸び得ぬ売り上げにやり繰りはただ延命処置か

休日を籠もり仕事をするわれにまた掛かりくる投資の電話


7月27日(月)

18年11月11日(土)

幾日も仕事を休み酒を飲むこの理(ことわり)をわれは解せぬ

見苦しき生きざま見つつ深く思う生きることの意味死ぬことの意味

障害者自立支援法法人化せる施設への納付が増える

障害者自立支援の法律に負担の増える現実がある

蟻のごと働くわれか地下事務所出(い)でて晴れたる空のまぶしき

7月26日(日)

18年11月9日(木)

歌を詠む機械となるな歌詠まぬ人間としてむしろ生きよと

透析は一万メートルダッシュするごとく消耗するのか妻よ

飽くことのなき運動を見ていたり砂巻き上げて崩るる波の

かの夢は酒に代るか宵よいをただ酔いしれて生きているのか

酒求む原因は何(なに)酔い痴れて死にたいという口癖の祖父よ

7月25日(土)

18年11月8日(水)

城山の丘に登りて見はるかす今日の海原白波が立つ

久寿玉(くすだま)と名札の付きし椿の木霜月初めを満開に咲く

朱の色をあらたに塗られ消火栓が椿の園の入口に立つ

7月24日(金)

18年11月5日(日)(2)

道に座し大道芸を待つ間正岡子規の歌集読み継ぐ

十一個のボールあやつる青年の時どき風の向きを気にする

いつしらに大道芸に笑いおるわれの傍(かた)えに妻の静けし

生業(なりわい)は厳しきものか曲芸に人笑わせる大道芸も

静岡の大道芸を帰り来て駅に見上げる十三夜の月

7月23日(木)

18年11月5日(日)(1)

幾年(いくとせ)も大道芸の見物を憧れる妻よ幼子(おさなご)のごと

念願の大道芸を見に行くと朝から妻の張り切りている

久々の二人の旅も透析の妻を思いて日帰りとする

仲見世の広場に座り大道芸始まる時をいまか待ちおり

7月22日(水)

18年11月4日(土)

家壊し空き地となればたちまちに泡立ち草の生きる場となる

轟音を立て疾駆する若者よ命燃やすか刹那切なく

7月21日(火)

18年11月3日(金)

禽獣(きんじゅう)の食べ残したる芋畑かつかつ家族の分を確保す

特別のことにはあらず生活を歌えの教え文明の教え

肩の荷のおりたる思いに打たれたり歌は生きゆく嘆きにてよし

電球が切れる刹那に閃光す人間の死を瞬時思わせ



7月20日(月)

18年11月2日(木)

外に出て生きている間(ま)のこの今にわが身晒(さら)さん良くも悪しくも

自閉症のわが子は石を川に投げ川と会話をしてるんだきっと

霜月となりたる庭に山茶花が咲きはじめたり定めのごとく

7月19日(日)

18年11月1日(水)

肩口の綻び見つけ礼服を控えの部屋で母縫いくれし

ふところに日輪抱きゆったりと富者のごときに雲の輝く

障害のわが子のことを話題とし妻と親しく語り終えたり


7月18日(土)

18年10月30日(月)

コスモスもいつしか枯れて一段と冬の近づく気配する庭

ふところに霧をかかえて伊豆の山いま眠りより醒めたるところ

この土手は泡立ち草に侵されずあかまんまの花咲き溢れたり

通るたび吼えたてる犬おる家の昨日も今日も静まりかえる

7月17日(金)

18年10月29日(日)

北鮮の核の脅威も存続の危うき会社におりて遠しも

本当に聞こえないのか聞き返すことが増えたりこの頃の妻

子を叱り悔やむ心が自ずから歌となりゆくわれの習性

滾(たぎ)ちつつ流るる川の瀬の音にいつしかこころは鎮まりている


7月16日(木)

18年10月28日(土)

地下室の事務所の隅に死んでいる逃るることが出来ずに蟹は

砂浜の大きな死魚を両足で押さえ鴉が啄んでいる 

陽に澄みて寄せ来た波が砂粒を巻き込みながら崩れ落ちたり

7月15日(水)

18年10月26日(木)

コスモスを離れし蝶がゆっくりと秋空高く舞いあがりゆく

阿吽(あうん)の金剛力士が迎えたりここは仏教美術の館(やかた)

作品の鑑賞よりも美術館建てたる人の話が続く

黄(き)に猛る泡立ち草の近くには野菊が咲けり二株がほど

休日が増えても仕事は変わない家に籠もってやるほかはない


7月14日(火)

18年10月20日(金)(2)

報われぬ実を落したり椎の木の巨木よ深き洞(うろ)持ちて立つ

充分に落ち穂啄ばむ雀らや羽透かしていっせいに舞う

柿の実の不作となりしこの秋のヒヨドリの声鋭く迫る

滾(たぎ)ちつつ流れる川は生きている生きているんだわたくしも今


7月13日(月)

18年10月20日(金)(1)

城山のカラスすこしも悪びれずのそりのそりとわが前歩く

早朝を喜ぶらんか城山の諸鳥(もろどり)の声生きいき響く

朝早く慌ただしくも音たててヘリコプターが旋回をする

雲垂れる空に響けるプロペラの音途切れなし機影は見えず

旋回のヘリコプターは雲間より機影現しまた隠れゆく

7月12日(日)

18年10月15日(日)

感応式信号機の前で待っている感応されずにいるのを知らず

いづこにも居る場所のない悲しみを短歌を作りなぐさめるわれ

7月11日(土

23年10月14日(土)

休耕の畑はすでに一面に泡立ち草の黄色が占める

7月10日(金)

18年10月13日(金)

引出しに退職届け入れしまま忙(せわ)しく今日も一日終る

何時よりか脱出願う蟹ひとつ地下事務室の暗がりにいる


7月9日(木

18年10月10日(火)

生活が短歌そのものと言い切りし土屋文明のごとくありたい

カラオケが流れているよこだまして年に一度の村祭りの今日

目隠しでダルマ突きたることなども長く子供の記憶に残れ



7月8日(水)

18年7月10日(日)

新しい何かがすでに始まっている思いする 朝早くから

よく晴れた空の奥より オルガンの賛美歌の曲 聞こえるようだ

どうかこうか 梅雨が明けたら 新しくさあ歩こうよ第二の人生

今日ひとつ木槿(むくげ)の花が咲いている 蟻がいっぱい集まっている

脱皮した蛇のぬけがら ながながと 波打つように横たわってる


7月7日(火)

18年7月9日(土)

欲張るな欲張るなとはわたくしのやってることの反省なのだ

小心で常になにかにおびえてる不信人で偽善者なのかも

こそこそとすぐ身を隠す蜥蜴たち正々堂々生きたらどうだ

小さいが自分のことを卑下しない蟻は逃げたりせずに生きいる

本当に必要なのか 歌のことキリストのこと考えてみる


7月6日(月)

18年7月8日(金)

「あればこそ」 五文字を付けて讃えよう 生、歌、神に愛、あればこそ

迷いたる伊豆の山中(さんちゅう) 白川という地名あり 白川の関

冷静に 処置なしと言う判断が 正しいだろうか 数字のみにて

狂いたるもののごとくに力尽くし そして出来ぬと言うべきだろう

竹やりで戦車に向う精神がまだ生きている ここの会社に

汗流し働く社員の顔見れば われも会社を潰したくない

戯(たわむ)れにビールの中に梅酒入れ すっかり酔った 酔わせてほしい


7月5日(日)

18年7月7日(木)

完膚無きまでに枯れてたカンナたち 復活をなし 深紅(しんこう)に咲く

正直と欲を張らない 当然のことを しっかり目指さなかった

「ポチが鳴く正直爺さん掘ったれば」 子供の時に唄ったけれど

どれほどの利益があったのだろう 村人相手の 父の商(あきな)い

失敗は終りではない 幼子(おさなご)よ さあ立ち上がれ 己(おの)が力で


7月4日(土)

18年7月6日(水)

最近は 器などにも気を配る妻に 黙して食事している

淡白で 単純端的 たましいの入った短歌 ただ望むのは

人生を賭けに掛けるか 「待ちぼうけ」 歌の文句を思い出してる

死ぬ時は大成功と言ってやる わが人生に 失敗よ来い

焦るなよ 一年二年がなんだろう 十年の後二十年ののち

7月3日(金)

18年7月5日(火)

三郎は二十二歳になったんだ スポーツ刈りをしてやって来た

好きなだけ 好きなビデオを見えるんだ 家がやっぱり三郎は好き

施設へと戻るを拒む三郎を 無理やり連れて 預けて帰る

三郎を施設に戻しほっとする このごろのわがこころ 寂しい

のんびりと洋画見終えて 三郎がいないわが家の 寂しさを知る

7月2日(木)

18年7月4日(月)

木蓮の花が咲いてる 7月の3日 枝には青葉繁りて

潮風をまともに受ける 断崖に 姫百合ひとつ上向きて咲く

買い物に来て あまりにも物分り良い子を 今日は寂しみている

物言えぬ三郎 何か元気ない 施設でなにかあっただろうか

間違えて 一日早く洗髪をすれば 帰園を子は警戒す

わが庭を 我が物顔に振舞うは 雀 燕の雛を襲って

これ すずめ つばめの雛を襲うなよ そう呼びかける 人に言うよう

7月1日(水)

18年日(日)

子と二人 海辺を歩く 岩に寄り波は語らいしているようだ

城山に立ち 見渡せば 伊豆の山 山重って背後を守る

紫陽花は 群(むらが)り咲いて 涼しそう だけどなんだか寂しい感じ

金の価値分からぬ子供を くどくどと叱っているんだ あわれなわれが

いつも身につけてる眼鏡 このつるを取替えたのは いつだったろう