今日の短歌NO.8
 わたしの歌歴(後藤人徳)
 昭和59年「賀茂短歌会」入会。現在編集発行人。
  歌集:「母胎」、「祈り」「わが家の天使」

以下に紹介します作品は、作ったばかりのものをそのまま書いています。推敲の手があまり入っていません。未完成の部分が多々あると思いますが、参考にしてもらえれば幸いです。...作者より
この先は楽観論に基いて生きゆくことを始めんとする

短歌は、三十一音からなる小さな世界です。その中に自分の思いを込めます。ですから、時間はなかなか織り込めない。今の一瞬、一瞬を歌うしかないのではないでしょうか。そう思います。また、そのように作っています。

平成20年今日の短歌NO.3 平成21年今日の短歌NO.1 平成21年今日の短歌NO.2 平成21年今日の短歌NO.3

 平成21年今日の短歌NO.4 平成22年今日の短歌NO.1 平成22年今日の短歌NO.2 平成22年今日の短歌NO.3

短歌と私:高野公彦 田井安曇 五島美代子 五島 茂 岡野弘彦 田谷 鋭 塚本邦雄 土岐善麿 福島泰樹 前 登志夫 前川佐美雄 安永蕗子

短歌鑑賞:石川啄木(1) 大野誠夫 塚本邦雄 岡井 隆 前田夕暮 上田三四二(1) 上田三四二(2) 宮 柊二 斎藤茂吉(1) 斎藤茂吉(2) 

斎藤茂吉(3)

短歌鑑賞(発見ということ)(1)


(注)近作は二重投稿のために掲載を遠慮します

9月30日(水)

1月19日(水)(1)

酒に酔い歌にもよって青春をただ酔っていた独り牧水

歌ってさつまり結局それ以上言ってしまったら歌にならない

潮風に葉は散りぢりに乱れてる木の頂きに葉のあるヤシは

潮風に吹かれるためではあるまいが木の頂きに茂るヤシの葉

潮風にすっかり枯れたヤシの葉がなおしがみ付く幹を打ちつつ

9月29日(火)

1月18日(火)(2)

人情に引きずられたらお仕舞いか「サタンよ退(さ)れ」とイエスは言った

黒雲がいつのまにやら去っているサタンよ去れと日が差している

小さなミス小さな嘘を気にしている今の自分を大事にしよう

9月28日(月)

1月18日(火)(1)

民謡も浪曲もいい和歌もいいしかしなんだかもの足りない

悲しくて笑う心よ分からぬと妻も子供もそう言うけれど

何かこう重荷を負っている気がするもういいだろうこの辺で

雲ひとつ黒い顔して寒そうに日を閉ざしてる頭の上で

9月27日(日)

1月17日(月)(2)

遠くから知ってる人がやって来る恥ずかしそうにうつむきながら

ちいさいときパチンコ屋に入ったっけ今も時々その夢を見る

空調がなければ地下の事務所より時々外に出て呼吸する

空調のないこと知って地下室でたくさんタバコ吸ってゆくひと

9月26日(土)

1月17日(月)(1)

運転のわれに眩しい日の光休日明けの今朝の出勤

倒産をしたるホテルの鉄筋の建物は立つ風雪に耐え

晴れた日の遠山並のひとところ雲たむろする何か話して

青いそら日に照らされて歩いてる空気がうまい深呼吸する

9月25日(金)

1月16日(日)(2)

少しずつ雲は動くし青空ものぞいているしあと少しだね

大空に叫びたいほど晴れてきた光よ雲よこの山(やま)川(かわ)よ

空き缶がひとつ転がる水溜り青空映る雨粒ひかる

思い出は「おらあ三太だ」というような山間(さんかん)にある学校でした

もの言えぬわが子がなにかうったえる何なの何なのだめだめだめだめ

日が翳りまた日が差して冬の日の休日の午後静かに過ぎる

9月24日(木)

1月16日(日)(1)

啄木は自分のことを嘘つきと歌にうたった正直なんだ

正直というは正(まさ)しく直(じか)のこころ根源的に持ってるこころ

天気とは元気のように晴れのことと思っていたり少年のころ

復興はまずこころより始めよう歌をうたおう涙をだそう

9月23日(水)

1月15日(土)(2)

久びさに雨になりたるわが庭の梅の蕾に雨粒が付く

健常でないこと自覚するわが子テレビ体操座す人真似る

雨上がる舗道のあちらこちらには雲を映して水溜りあり

かなしみのかけらのような雲があり時々日差しをさえぎりている

自分など生きる値打ちがあるかだとなんというこの親不孝者


9月22日(火)

1月15日(土)(1)

啄木に帰ろうそして出直そう正直な歌力ある歌

大津波被害の街に流行(はや)りだす「失われた楽園」の歌

「失われた楽園」という歌がいま復興をする国に流行(はや)れる

今日来るか明日は来るかと待っている郵便ポストを日々覗き見て


9月21日(月)

114日(金)(3)

この雲の上に光は差している分かってしまえば簡単なこと

結局は信じているんだあきらめずなんだかんだと生きているから

隙間なく雲の覆える冬の日にやさしいこころのような陽(ひ)が差す

小半日むすっと雲を覆いたる空に笑(え)くぼのような日が差す

今にも泣き出しそうに曇っていた空くすぐられ笑い顔する

9月20日(日)

1月14日(金)(2)

身を焼いて子を守るという雉の性(さが)せっぱつまった鳴き声がする

正月に咲く紅梅が咲かないがそうか今年は子も来なかった

朝の日が山の向こうは差している暗いトンネルくぐりつついる

ペテロさえイエスを知らぬと三度言った信ずることの難しさ知る

信ずると信じないとに関わらず限りなくいま陽(ひ)がふり注ぐ

9月19日(土)

114日(金)(1)

華麗なる詩作を通し啄木がたどり着きたるただごとの歌

私見では短歌たどれば啄木に到りいっきに東歌へと

啄木が短歌をもとに戻したりその魂をわれは頂く

風のない朝一面の霜畑その叢(くさむら)で雉が鳴いてる

雉が鳴くきびしい声で雉が鳴く霜より卵を守るぞと鳴く

9月18日(金)

1
13日(木)(2)

はて知らぬ心のなかを旅しつつ迷子となりしわれかも知れぬ

木のもとに目をやりて知るちりぢりに散る花びらは山茶花の花

啄木が到達したる水準にいまだ届かぬ六十を過ぎ

年二回クラス会して友と逢い泣き上戸といい涙出します

神仮にわれを無視して死なせてもわれの信ずるこころ変わらぬ

神様に大見得切らぬほうがよいペテロも三度知らぬと言った

9月17日(木)

113日(木)(1)

ささやかな幸を歌ったわが短歌ほめてくれたり九十歳の師

徒然のただ事歌を書き記(しる)しわれの日記の代わりとしよう

大津波いまも飢えたる大勢の人いることを布団で思う

旅ゆけど何処へ行けどもついて来るかなしき自分を歌う牧水

9月16日(水)

19年112日(水)(3)

誕生日迎えた今日は風強く空晴れわたり雲沖に寄る

正直はさびしいけれど頼れるは神様だけと思い努める

正直に努めていてもつい嘘を言ってしまった心さびしい

足が冷えアンカを買ってもらいたり六十二歳の誕生日今日

9月15日(火)

19年112日(水)(2)

六十二になりたるわれはマフラーに首をうずめて潮風を行く

六十二にわれはなりたり二十二に子はなりにけりもの言えぬまま

二十二年歌と関わり障害を持ちたるわが子も二十二となる

正直になればなるほど寂しくて歌より頼るものなきごとく

正直が歌のみなもと寂しさのみなもとなりと知りてしまえり

9月14日(月)

19年112日(水)(1)

駐車場に朝早くから止めてある車のなかで眠る人おり

公園の駐車場より潮風にまともに吹かれ今日の出勤

今日もまた潮風強い公園のヤシの葉すべて葉先枯れてる

潮風に煽られ歩き出勤す晴れたる空の光まぶしい

今日はわが六十二歳の誕生日雲あれど晴れ光まぶしい

9月13日(日)

19年1月11日(火)(2)

機械的あるいは惰性いましめるそんなときには歌は出来ない

さあ起きるさあ起きるぞと掛け声を自分に掛けてようやく起きる

生きゆくは生かされること今日ひと日いかなる使命があるかも知らぬ

霜置きてひと本立てる枯れすすきかの啄木の晩年思う

身に余る借財負えば啄木の歌のごとくに楽にならざり

9月12日(土)

19年1月11日(火)(1)

良い歌を作って売って儲けようそういう心歌に現る

今日出来た歌は余さず載せておこう明日は作れる保証ないけど

早朝の布団の中のわが足の冷え極まって歌が浮かんだ

うとうとも出来ずに足が冷えきれば足と足とをこすりあわせる

生きている息吸っているそのことがわたしの短歌となって出てくる

9月11日(金)

110日(月)

手を伸ばし何かをつかむしぐさにも似てヤシの葉は風に揺れおり

霜柱芝生の上に立ちている朝日が風を暖めおれど

多作と言う名の濫作をしているか筏井嘉一のいましめの文(ふみ)

多作とはあくまで手習いどのように取捨推敲を説きいる嘉一

どうしても消せないものを一首にて歌人の良心これに尽きるか

9月10日(木)

19年1月9日(日)

幾万の人の命を呑み込みしものの片割れ伊豆の海凪(な)ぐ

風のない柿崎の浜打ち寄せる波を見ている白鷺一羽

この空の彼方にイラク・パレスチナ・コソボがあるか赤き夕焼け

一本のマッチに暖をとるような思いに似たる今日の一日

紅い花咲かせ気負うをまぼろしとして霜枯れのカンナ見ている

紅梅がもう咲いているなんとなく得したように思いて帰る

9月9日(水)

19年18日(土)

幾万の命奪いし大津波その瞬間の映像乏し

死亡者は十五万人流されし動植物の数は知られず

海底に引かれし人のたましいのかがやくごとき冬の夜(よ)の星

大津波引きたるあとの海底に鐘あれば鳴れ朝に夕べに

9月8日(火)

19年17日(金)(3)

歌なんて思ったことを詠めばよい啄木そうじゃないんでしょうか

キリストと唱えるときにキリストと一体となるそんな気がする

目をつむりイエスキリストと言ってみるこのやすらぎはキリストのもの

わたくしは多くの人の恩恵を受けてきました報いることなく

9月7日(月)

19年17日(金)(2)

争いて気分転換出来ぬまま二十分後に無灯に気づく

なにもかも早すぎるんだ世の中がもっとゆっくりゆっくり生きよう

啄木の歌は結局凡人のこころのなかを描いただけだ

これが歌?そういう歌を正直に描いてくれた啄木の歌

9月6日(日)

19年17日(金)(1)

信仰はどこえいったか今日一日自分の保身だけで終った

カメレオンではあるまいし今日のわれ銀行への顔社長への顔

お互いに切り札切らず温存しとうとう五ヶ月経ってしまった

倒産を恐れ五ヶ月過ぎたいまこの五ヶ月は何だったのか

おおらかに生きるも一生倒産を恐れて日々を生きるも一生

9月5日(土)

19年1月6日(木)(2)

十四日間毎日入った子とのことを風呂でひとりで思いに沈む

三郎をサブさんといいサブといいサブちゃんといいサブコロという

そんなにも何が可笑しいゲタゲタと風呂で笑ったサブロウのやつ

村医のお嬢さんとの結婚はもったいなくて断りました

結婚しないわたしに「結婚はみなしているよ」母に言われた

9月4日(金)

19年1月6日(木)(1)

決算書これがわが社の実態です資金不足は誤魔化せません

まだ何か自分に出来ることはないか投げ出すことはいつでも出来る

雨に濡れ枯れたすすきが光ってるここは砂漠の国でないから

「三郎が今日帰ったか」返事ない何度も妻に言ってみたけど


9月3日(木)

19年1月5日(水)(2)

朝よりの雨止み空に日が差せば遠くイラクのような夕焼け

自分を人の子と言い神の子と言わなかったイエスキリスト

障害の子供と暮らす一日が無事に過ぎればそれだけで足る

真剣に朝のドラマを妻と見るこうも変わるか二十年経(た)ち

9月2日(水)

19年1月5日(水)(1)

海沿いに並ぶホテルの駐車場満車のホテルガラガラのホテル

空調のない事務室に風送るその扇風機が故障している

「なるようにしかならないわ」おおらかに生きゆく術(すべ)を妻は持ってる

潮風に枯れたるヤシの葉の先をうるおすように寒(かん)の雨が降る


9月1日(火)

19年1月4日(火)

風荒き柿崎の地に佇(たたず)むは沖を指差す松陰の像

松陰の心燃やした伊豆の海光を抱(いだ)き羽ばたいている

キリストとテレビでいうを聞きとめてもの言えぬ子が見ろと指さす

帽子掛けに帽子がひとつかかりおるただそれだけの安らぎがある